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「…」
「じゃあね…。里桜さん。また後で。合同会議で会おう」
呆ける里桜に声をかけて、今度こそ少年は洗面所から消えた。
(天音家…、)
天音陸なんて名前知らない。
そもそも、天音の家の人間なんて、父親の母である祖母しかしらない。
厳格で、里桜をゴミのような瞳で見下していた祖母しか。
(昨夜…、父さんの名前で手紙を出したのは…)
昨夜、天音直人の名で里桜に手紙を出したのは、彼なのだろうか。
父の名前など、知っている人間は限られている。
彼は一体何者なんだろうか…。
(鈴…、鈴が愛おしい子って)
鈴。
鈴は大丈夫なのか…。
鈴の可笑しなストーカーだったら。
焦りばくばくと鳴る鼓動のままに、里桜は陸上部が泊まっている部屋へと走った。
途中、廊下で青い顔をした不格好に歩く剛を見つけた。
剛は腰を庇いながら、ゆっくりと、ろうかを歩いている。
「剛!」
叫びながら声をかければ、気だるげに剛は振り返った。
「あ・・・?ああ、里桜か、あれ、お前眼鏡どうした?
それにここ…陸上部と生徒会じゃ、部屋が違うだろ」
「鈴、知らないか?」
「鈴?そういや、部屋にはいなかったが…」
「部屋に、いない…」
鈴が、部屋にいない。
まさか…。
最悪の予感に顔を青ざめさせる里桜に、
「ま、あのクソヤローと一緒だろうけどよ。あいつもいなかったし」
笑いながら剛は告げた。
剛の苦い顔で、クソヤローは隼人のことだとわかる。
隼人が傍にいれば、大丈夫だろう。
鈴に危害があれば、守ってくれるはずだ。
「…なにか、あったのか」
剛は深刻な顔をしている里桜になにかあったのかと察し、すぐに真面目な顔へと変化させた。
「…いや、鳳凰のやつらが、いるから…。鈴がって…」
「鳳凰?」
「今日話し合いで…。こっちに来てるんだ。何人か…、だから」
「わかった。鳳凰な。ちゃんと見つけて俺が鈴を見張ってる。
だから、里桜もそんな焦らなくてもいいと思うぜ?なんせ、鈴、部活のやつも投げ飛ばしたくらいだしなぁ」
鈴ファンの部員が、昨日、鈴に投げ飛ばされたらしい。
面白おかしく伝達されていたのを剛は思い出し、口元を緩めた。
「な、投げ飛ばす…?鈴は暴力を…」
「ああ、違う違う、お仕置きってやつ?ま、いいのいいの。」
昨日のことで、鈴のファンは不埒なことをしようとする人間が少し減るだろう。
それは、鈴を想い密かに守っていた剛としては、胸がおりる出来事だ。
鈴は、剛にとって、とても可愛い片思いの相手だった。ずっと慕っていた、子。
時に親友のように、ときには兄のように鈴の傍にいた。
鈴が大切だったから。鈴が、好きだったから。
だから、鈴を狙う不埒なやつから鈴を守ってきた。
だけど、鈴は別の相手を選んだ。
自分じゃない、自分よりも鈴を愛してくれている男を。
ずっと好きだったのに。出会った時から、ずっと思っていたのに。
鈴が離れ、寂しく思いながら、毎日過ごしていく。
何度、隼人と鈴の邪魔をしようと思ったかわからない。
今でも、鈴を思う気持ちは確かにある。
けれど…、もう鈴の心には潜り込めない。
鈴は、ただ一人しか見ていないのだから。
「鈴は里桜が思っているよりしっかりしてるし、強いぜ?」
「そうか…」
「そうそう」
カラカラと笑う剛に疑問を抱きつつも、里桜は別れを告げて鈴を探す。
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