5月12日水曜日、晴れ。欠席者、なし。南十字島は今日も朝から暖かく――

休み時間、学級日誌を書いている途中ふと思いついて顔を上げた。本当にふと思いついただけで、たぶん他意はなかった、と、思う。

「ジョージって、ガラス越しアリの人?」

「…ガラス越し?何だ、そりゃあ。」

前の席でパラパラと雑誌(たぶんボクシングの)を捲っていたジョージは、肩越しに振り返るとまるで聞き覚えがないみたいに目を細めた。最近よく見掛ける光景だったし、耳にしたことくらいはあると思ったのだが。

「あれ、知らない?ガラス越しの……あ、ほら。噂をすれば。」

めのうがシャーペンの先でつい、と窓の方を指し示す。そちらに目を向ければ、ベランダを歩いていた男子生徒が足を止め、コンコンと窓ガラスを叩いているのが見えた。近くで歓談していた女生徒の一人が、その音に反応して顔を上げる。

『君、ガラス越しアリの人?』

男子生徒が先程のめのうと同じ台詞を口にすると、女生徒が軽い口調で応じる。

「アリの人よ。」

それを合図に二人はガラスを挟んで向かい合い、互いにゆっくりと顔を近付けた。次第に距離は縮み、ほんのあと1センチ。唇が触れそうになる寸前で、透明の壁が二人を阻む。

――ガラス越しの“キス”。

ジョージはあぁ、と小さく声を漏らした。

(そういやベニもガラス越しがどうとか言って新入生からかってたっけか。)

ぼんやりとその光景を眺め、一部始終が済んだところで素朴な疑問が頭に浮かぶ。相手がいるとは言え、所詮はガラス越しだ。要は単にガラスにキスしているだけではないか。

「…何か意味あるのか?」

「今一年生の間で流行ってるんだって。」

めのうの方に向き直れば、彼女は今一つ質問と噛み合わない答えを返し、書きかけだった学級日誌にとりとめもない出来事を書き連ねる作業を再開していた。当然と言えば当然であるが、日誌を覗き見てもガラス越しのキスについては一切触れていない。そこでまた疑問が浮かぶ。

「……なぁ、めのう。」

「ん?」

「何で俺に聞いた?」

「何となく。」

「アリって言ったら、俺としたいってか?」

からかい混じりにそう言えば、つらつらと文字を綴っていたシャーペンの芯がポキンと小気味の良い音を立てて折れた。

「いっ!?…てない!」

一瞬全ての動きを止めた後、めのうは弾かれたように顔を上げ、面白いほど激しく首を横に振った。まともに想像したのか、どんどん赤みを増していく頬が、彼女の動揺を浮き彫りにしている。

「何だよ、図星か?」

「違う馬鹿!何言ってんの!?」

ニヤニヤと意地悪く笑うジョージに、めのうは益々顔を赤くして声を荒げた。

なるほど。たかだかガラスとキスするだけかと思えば、どうやらそれなりに恥じらいを伴う行為ではあるらしい。予想以上の過剰な反応に、もう少しからかってやろうと悪戯心が鎌首をもたげる。いや、からかうだけでは物足りないか。

「ま、そうだな。俺はアリの人、だ。」

「…アリなの?へぇ…、意外。」

「ただし、」

「ただし?」

複雑そうに眉を寄せたまま、めのうが無防備に顔を上げた瞬間。ジョージは机に身を乗り出し、その耳許に顔を寄せた。

「…ジョー、ジ、」

咄嗟に状況を把握出来ず、めのうはパチパチと目を瞬かせる。

「めのう限定でガラスなし、ならな。」

「な…、」

急速に縮んだ距離。気づけばすぐ近くにある顔に、全ての熱が頬に集中する。耳まで真っ赤にして、言葉を失ったままのめのうの瞳を、勝ち誇ったような笑みを浮かべてジョージが覗き込む。

「どうだ?めのう。お前、ガラスなしはアリの人か?」

彼の双眸の檻の中に、囚われてしまった自分の姿が見えた。





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