目覚まし時計の音で目が覚める。カーテンの隙間から差し込む朝日、いつもと変わらない一日の始まり。
少し肌寒い空気に身を縮め、がらんとしたリビングに向かう。急遽アメリカに残らなければならなくなった親父と離れ、日本で一人暮しをするようになって一年が経った。

テレビをつけて台所に向かう。フライパンをコンロに掛けて卵を落とし、トーストを焼く傍らでお湯を沸かす。焼き上がった目玉焼きに刻んだキャベツとトマトを添えて、ミルクで薄めたインスタントコーヒーと共にリビングに戻る。

特に興味をそそらない番組を流し見ながら朝食を口に運び、ローテーブルの近くに転がっていたバスケットボールを手繰り寄せて片手で弄ぶ。生活の中心は、アメリカにいた頃と変わっていない。バスケットボール、自分にはそれしかない。バスケが好きな気持ちも変わらない、ただ対する姿勢だけはあの頃と少し変わったと思う。

食事を済ませて制服に着替え、足元に転がったバスケットボールをエナメルバッグに突っ込んで、燃えるごみの袋を持って家を出た。

「おはよ、大我君。」

「…はよ。」

街路樹は色づいた葉をはらはらと落とし、徐々に冬支度を始めていた。いつものように声を掛けてきた紅子と自然と隣に並んで歩く。中三に上がる直前まで所属していたバスケ部のマネージャーである彼女とは、家が近い所為もあり、部活を辞めてからもよく会話を交わす。

「今日の帰りもストバス場行くの?」

「まあな。」

「見に行っていい?」

「好きにしろよ。」

最初こそ“上手いんだからバスケ部続ければいいのに”と事ある毎に言っていた紅子も、一度ストバスのコートに連れ出して本気のダンクを見せてやると何も言わなくなった。

日本のバスケはレベルが低すぎる。アメリカのストリートに慣れ親しんだ自分には、お遊び程度の部活のバスケでは到底満足出来なかった。もっと強い奴とバスケがしたい、胸が踊るような試合がしたい。その気持ちだけが燻っている。

「大我君、高校どこ受けるか決めた?」

年明けに受験を控え、そろそろ教室でもピリピリとした空気が流れるようになってきている。先日のホームルームで配られた進路調査表に書き殴った学校名を思い出す。

「何だっけ、あれ、セーリンっつーとこ。」

「誠凛って、新設校の?バスケ強いとこにしないんだ。」

「…どこ行っても一緒だろ、日本のバスケなんて。」

日本のバスケに期待はしていない。そう告げると、紅子は少し寂しそうに笑った。視界を掠めたその表情に、見て見ぬフリをする。

「高校ではバスケ部に入るの?」

「さあな。紅子は?またバスケ部のマネージャーやんの?」

「どうだろ。」

バスケが嫌いになった訳じゃない。むしろ今でも大好きだし、バスケ無しの生活なんて考えられない。ただアメリカで毎日仲間とストバスに明け暮れていた頃とは違い、今は行き場のない鬱憤を一人コートで発散しているだけだ。

「わたしも誠凛受けようかな。」

ぽつりと紅子が言った。

「は?」

「それでバスケ部のマネージャーやるの。」

紅子が意図していることが解らずに、ただ俯き加減に喋る彼女の横顔を眺める。その表情を窺うことは出来ない。

「また大我君が試合してるとこ見たいな、なんてね。」

やがて顔を上げた彼女は、眉尻を下げて、泣くのをこらえているかのように、無理に口角を上げていた。思わず足を止める。何故彼女がそんな顔をするのかわからなかった。何も言えずにいる俺の肩をぽんと叩き、紅子は俺の隣から斜め前に一歩足を踏み出す。

「高校では目一杯出来るといいね、バスケ。その前に受験受からなきゃだけど!」

振り向いたのは、つい先程の泣きそうな顔が嘘のような、いつもの明るい笑顔だった。そのまま走り去っていく後ろ姿を見送る。気がつけばいつの間にか校門の前に着いていた。

「…俺だってやりてーよ、バスケ。」

無意識に首から下げたリングに手を伸ばす。小さく呟いた言葉は、誰にも聞こえることなく喧騒の中に溶けて消えた。





predawn(夜明け前)

131212





(ちょっと補足)
火神は中二の二学期から転入、最初はバスケ部に籍を置いていたが、中三に上がる直前(25巻のあのシーン時点)には退部している、という捏造設定でした。



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