切っ掛けは些細なことだった、と思う。ただ一度喧嘩に発展してしまえば、お互いに引き下がるタイミングを見失って意地を張り、口を聞かなくなって三日が経った。

斜め後ろの席だというのに今日も一言も会話を交わさず一日が終わる。帰りのHRが終わるや否や席を立った火神君がエナメルバッグを引っ提げて教室を後にしたのを見送ってから、隣に座る黒子君が私の方に顔を向けた。

「氏原さん、どういう経緯でこんな状況になっているのかはよく知りませんが、早く火神君と仲直りしてください。」

言われた言葉に私は素直に頷けず、眉を寄せてそれに答える。

「黒子君には関係ないでしょ。」

これは私と火神君の問題であって、いくら部活の相棒とは言え黒子君には関係ない。しかし彼はいいえ、とはっきり言い切った。

「関係あります。火神君、氏原さんと喧嘩してからずっとイライラしてて、正直かなり怖いです。」

「ふうん。」

だから何だと言いたげな雰囲気を装って、ぞんざいに相槌をうつ。そんなこと、私が知ったことではないという風に。

「彼は無自覚かもしれませんが、休み時間も氏原さんのことを目で追っていますし、部活の時も何処か上の空といった感じでプレーが荒れてます。」

「…」

「きっと火神君も、氏原さんと早く仲直りしたいと思っているはずですよ。では、僕はこれで。」

黙ったままの私を見て微笑むと、黒子君は部活に行ってしまった。

ふう、と一つ溜息をつく。今日は金曜日、いつもならこのあと私が火神君の家に行って、帰りを待ちながらご飯を作って、二人で一緒に食べる日だったりする。
本当は、今日は行かないつもりでいた。きっと今顔を合わせても、またつまらない意地を張って気まずい空気になることは目に見えているからだ。けれどさっきの黒子君の言葉を聞いて、帰る前に少しだけバスケ部を覗いて行こうかと思うくらいの素直さは顔を出す。

「だから火神、無理に行かずにパス出せっつってんだろ!」

「…うす。」

文字通りこっそりと体育館を覗き込む。二人のマークを無理矢理振り切って強引にダンクを決めた火神君は、その直後眼鏡の先輩に怒鳴られていた。シャツの裾でぐい、と汗を拭うその表情は、大好きなバスケをしている筈なのにどこか暗い。黒子君が言っていたことは嘘ではなかったようだ。

「火神!」

「…すんません。」

その後も火神君は何度も怒られていた。暫くそうして練習を眺めていると、此方に気づいた黒子君と目が合った。言った通りでしょうとでも言うように軽く首を竦められ、弾かれるようにその場を後にする。

結局、そのままスーパーに向かった。二人分の材料が入った袋をぶら下げて火神君のマンションに向かう。仲直りをしたくない訳ではない。ただ、お互いに今更どう切り出していいかわからないだけだと思う。
合鍵を使って中に入り、勝手知ったる台所へと向かう。買ってきた物を入れようと大きな冷蔵庫を開けたところで、その手が止まる。

「…これ。」

がらんとした冷蔵庫の中に、ぽつんと並んだ小さなマグカップ。

『ごめん』

手作りのプリンに貼られた、男の子らしい角張った字で書かれた小さな紙切れは、今まで張っていた意地を忘れるには十分すぎた。思わずへたりとその場に座り込む。きっと今鏡を覗いたら顔が赤くなっているだろう。

「私も、…ごめん。」

あの大きな体で粛々とこの小さな容器にプリンの生地を流し込んでいたのかと思うと、笑いが込み上げてくると同時に暖かな感情で胸が一杯になった。器を取りだし、滑らかな黄色をスプーンに一掬い。口に運べばほどよい甘さが味覚を刺激する。

「おいしい。」

そう言えば、私は何であんなに腹を立てていたんだっけ。帰ってきたら、ちゃんと本人に伝えよう。『ごめん』と、『おいしい』を。





やがて聞こえた鍵を開ける音に、私は足早に玄関に向かうのだった。





意地っ張りの陥落

131210



965TOP