■ 歩む路を、共に
「ん……もう、朝か」
室内に入ってきた日の光を浴びて眩しそうにイルは目を覚ました。カーテンの隙間から顔に当たるほどの太陽の光はあった。イルは眠い目を手で擦りながら体を起こす。怠くて何もする気にはなれないので、このままもう一眠りをしていたい。妹に困らせながら起こしに来させるのも悪くはない。
通常であればそうしている。だが、今日はそうもいかない。イルはベッドから飛び降りると着替えてキッチンのある一階へと向かった。
「おはようございまーす」
勢いよくキッチンの中に入っていく大胆さは、しかし現在使用している屋敷の主に笑顔で迎えられた。
「おはようイルちゃん。いつも元気だね」
感心するグレイシス家の現当主であるアナギはうんうんと頷く。毎朝彼専用のキッチンで作られる料理をイルは楽しみでならないのだ。最近まではちょくちょく遊びに来ては共に食事をしたり、時には学識も必要だと言われ、無理やり歴史学などといった勉強を教え込まれてしまう。若干嫌なのだが、ご厚意に預かっているので、思うように断ることができない。
今日もその勉強をしなければならないのかと、朝にもかかわらず項垂れていると、アナギは「イルちゃん」と言って振り向いた。
「朝食が済んだら早速準備をするんだよ」
「へ……準備?」
一体何の準備を、イルは首を傾げて解らないということを表現する。彼女の反応に違和感を覚えたアナギは、味見をしようと口元にスープを近づけようとした手を止める。
「あれ、聞いてなかったかな。今日は特別な日だってことを」
「特別な日……あっ」
暫し考えていたイルは思い出したのか声を上げた。
そうだ、今日は彼らにとって大切な日。三ヶ月前からその為の準備を皆でしてきたのではないか。なのに昨日の今日で忘れてしまっていたとは、我ながら情けない。
「ね、トアとイルの兄貴は!?」
「二人なら、先に会場へと向かったよ」
◇
落ち着かない。
朝早くから準備のため会場であるレナヴァント教会内にある礼拝堂に訪れていたイルファーナは、待合室の中を行ったり来たりと繰り返し向きを変えては歩いていた。仕事の所属先の教会でも制服ではなく、白の礼服を身に付けているのは、今日の主役の一人であるから。
「……」
歩き始めてから数十分は経つ。一向に焦る気が収まらず、終いには訳も分からずに叫びたい衝動に駆られる。式の前だというのに新郎である自分が落ち着かないでどうするのだ。ため息とともに頭を抱える。
「様子でも、見に行くか」
緊張してるのは自分だけでは無いはずだ。相手側も同じ気持ちに違いない。新郎の待合室を出て、右側の通路を進めば確か新婦のいる部屋があったと聞いた。通路を進んでいくと、話の通り一枚の扉があった。この奥に新婦が手伝いの人と準備をしている。ドアノブに手を掛けるが、流石に新郎が中に入るのは不味いのではないかと首を振る。結婚なんてしたことがないから、本当にどうしていいか解らないのだ。
ふと、一陣の風が吹いた。礼拝堂内へと続く通路は両手を広げた人十人分程の柱が間を取って並んでいる。そこからの景色は植物に囲まれて、まるで一枚の風景画を見ているような錯覚をしてしまう。
「なにしてんの?」
呆然としてると横から声を掛けられたのでそちらの方を見ると、イルが歩いてきた。普段とは違う、呉服屋で仕立てられたドレスを身に纏い、髪飾りで着飾っている。馬子にも衣装ならずイルにも衣装と思ってしまったのだが、言うと本人が怒るのは解りきっているので敢えて飲み込む。新婦の部屋の前に立ってるのが気に食わないのか、ズカズカと腰に手を当てながら近づき、イルファーナを睨み付けた。
「ここ、妹がいるんだけど」
「知ってるが」
「何で新郎の兄貴がここに聞いてるの。新郎には新郎の与えられた部屋があるでしょ」
「準備が終わって落ち着かないから歩いてたんだよ」
「そして覗きに来たわけか。うわー、兄貴ってば酷いなー。そんなんで結婚しようと考えてるんだー」
「なっ……違うぞ!?」
「嘘だ。バレバレだよ」
「嘘じゃねーよ!!」
ありもしない疑いを掛けられるのは御免だ。更に言い返そうと大声を出そうとした時、扉が開いた。
「どうしたのですか? イルも一緒に」
中から出てきたのは、イルと同じ髪色をした妹のトア。彼女は白いウェディングドレスに身を包み、頭にはベールを被っていた。前よりも伸びた銀色の髪は手伝いの人により綺麗に整えられている。見慣れない姿に同言葉を返せば良いか迷っていると、イルがトアの傍に寄った。
「兄貴がね、覗きに来たから注意していたんだ」
「だから、ちげーよ。俺はただ歩いていただけだ」
落ち着かず、通路を歩いてたらトアの様子を見に行こうという気になっただけという旨を伝える。イルは「同じことじゃないか」と、口を尖らせながら後頭で手を組む。せっかくのドレスアップなのに勿体無いなと思ってしまう。
「でも、トア綺麗だよなー」
若干不満を持ちながらも、妹の花嫁衣裳の姿に感嘆する。トアは頬を赤く染めながら否定するも、チラッとイルファーナへと視線を向ける。イルの言うとおり、綺麗なのは確かなことなので同じような感想を述べる。誰も否定しないので、トアは赤くなって俯いてしまった。
「ちょっと恥ずかしいよ……」
「何言ってんだ。せっかくのウェディングドレスなんだよ。あーあ、トアが先に結婚しちゃうなんて思わなかったなー」
「イル……」
思いもしない姉の言葉にトアは心配気に見つめる。しかし、イルは軽く笑っていた。
「トアが気にすることないって。あたしも早くいい男見つけるからさ!」
「でも……」
「兄貴もいつまでも落ち込んでないで、妹を手に入れるんだから、早く元気を出して幸せにしてあげなよな! 元に戻るまでは、あたしも手伝うから」
元気のないことを気にしてくれているのか、イルはそういうと足早とその場を去ってしまった。関係者以外は全員礼拝堂へと向かわなければならない。二人きりになったイルファーナとトアは、互いに顔を見合わせる。彼女の手には一つの花束が握られている。
イルファーナは、遅れないようにトアに手を差し伸べる。
三ヶ月前。魂が抜けたように落ち込んでいたイルファーナを元気づけてくれたのが、トアだった。この先、彼女を不幸してしまうかもしれない。不安を抱えても、一緒の路を歩いてくれると言ってくれた。
彼女が居なかったら、おそらく今の自分は此処には無かったのだろう。
本当に、「ありがとう」の言葉だけでは感謝しきれない。
「俺たちも、行こうか」
「……はい」
トアは、静かにイルファーナの手の上に自分の手を乗せた。
そして二人は歩き出す。
【歩む路を、共に】
お借りしました!!
≫猫凪さん…トアちゃん、イルちゃん
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