【10,鬼ごっことキス】






「おまえたち…、こんなところでなにをしている」



見られていたかもしれない焦りからつい出てしまった言葉に生徒の1人から鋭い突っ込みが返って来る。



「何って、オレたちがやってんの鬼ごっこだろ?もっちろん鬼から逃げてるぜ。あ、先生も一緒に逃げっか?生き残り同士力を合わせてさ」



八重歯が時たま姿を現すこの生徒の名は眞壁一輝。暁斗の受け持ち生徒である。

そしてその横で暁斗を心配そうに見つめる少年は、都筑煉。本当に彼とはいつも最悪な状況で遭遇する。どうやらその様子からして異界種の声が僅かながらに届いていたのだろう。聞いてはいけない。聞いてみたいけど聞けない。そのジレンマと彼は戦っているようだ。



「つーか先生なんかケガしてね?ここ、ほっぺんとこ血ぃ出てる」



そう言われてハッと思い出す。僅かだが異界種から傷を負っていたことを今の今まですっかり忘れていた。だから都筑も過剰なほど心配していたのだろう。それでも深く聞かなかった彼には感謝の気持ちを贈るべきか。



「あぁ、……茂みの中に隠れていたところを、枝に切られてな」

「うっわ痛てぇ!オレ確かバックにバンソーコー入ってっけど…今教室まで行くとしたら死活問題だぜ。鬼に見つかっかもしんねぇ…!」

「あ……それなら僕持ってる」



都筑がブレザーのポケットに手を伸ばした。中から出てきたのは3枚ほど束になっているバンドエイドの姿。

高校生という舞台に立っているが彼は小学から中学に上がる子供と同じ年齢だ。周りで小さなケガが絶えなかった為こうしてバンドエイドを持ち歩いているのだろう。12歳にしては気の回る子供である。



…しかし、



「……なんだ?その柄は」



やはり12歳。普通のバンドエイドではなく柄付きを持ち歩いていたらしい。少年が好むようなサッカーボールの描かれたバンドエイドがその手にはあった。暁斗には果てしなく似合わない代物である。



「う、わぁ!そうだった!すみませんっ、今はこれしかっ…!」

「謝るな、大丈夫だ。これくらい大した傷じゃない。おまえの気持ちだけでも充分治る」

「でも…!」

「そうだぜ先生。バンソーコー貼らないならせめて消毒しとくべきだって」

「だが医務室までは距離が……、」



不意に生暖かい感覚が頬に伝う。目の前では都筑が目を見開いており、眞壁はというと姿が見当たらない。

いや、違う。

見当たらないのではなく近すぎて分からなかったのだ。

暁斗の頬に舌を這わせ眞壁は傷を"消毒"していた。彼は純粋に"舐めたら治る"を実行している様子で。傷を舐め終えるとすぐに暁斗から離れその感想を述べる。



「へへっ。先生の血、ちょっと甘ぇ」



照れたような、それでいてどこかズレた発言に残りの2人は対応出来なかった。文字通りフリーズしている。暁斗は突然舐められた驚きから。そして都筑はというと今目の前で起きた出来事を脳が認識しようとしないようで軽くパニックに陥っている。



「キィキェー!」



どこからか聞こえて来た異界種の声に暁斗はすぐ我に返った。音を頼りに天を仰げば空から降ってくる黒い影。



「避けろ!眞壁!」

「へ?…おぉ!?」



叫ぶと同時に都筑を抱き寄せその場を逃れる。眞壁の反射は思った通り良く、暁斗の助けなくして異界種の手から逃れていた。



「な…っ、なんだぁあれ!?」



眞壁が驚くのも無理はない。この世界のものではない異界種は全身が黒く影のように半透明で、目と口だけが黄色く色付いた…そう、いわば化け物の姿なのだ。

"基なる魂"が近くにいることに勘付き現れた異界種は、眞壁、都筑と来て、最後に暁斗と目を合わせた。

黄色い口が一瞬にしてニヤリと三日月型に変形する。黒い体をそこらじゅうクネクネとさせ興奮を隠そうともしないその姿。誰しもが吐き気を覚える光景だ。

状況は限りなくマズい。目撃者は一般人でそれも生徒2人ときた。1人は自力で逃げ出せる可能性を持っているが、もう1人はまだ幼く、そして二度もこのような目に合っている。守りながら戦うにしても彼には精神的に酷でしかない。



「…眞壁。私が指揮を取る。"行け"と叫んだら都筑を連れて全力で逃げろ。いいな、振り向かずにだ」

「な、何言ってんだよ先生!見りゃ分かるだろ!?あれ化け物だぜ!?」

「そうだよ先生!僕らが引き止めてる間に先生こそ逃げてください!アレはあなたを狙ってるんでしょ!?それなら僕らがおとりになれば少しは時間稼ぎ出来るし、その間にあの人を呼べば…!」

「司貴がいなくともここは私だけで充分だ!いいからおまえたちは行け!足手まといだ!」



少し強く突き放せば彼らも大人しく暁斗に従うはず。そう思っていたのだが、その予想はあっさり裏切られることとなった。

1人が体格を生かし暁斗の前に立ち塞がる。暁斗に背を向け、異界種を相手に見よう見真似のファイティングポーズ。



「見捨てるなんて出来ねぇよ!先生はぜってぇ守ってやる!煉!オレがおとりになってるうちに先生連れて逃げろ!」

「な…っ、眞壁!馬鹿なことをするなっ!」



止めようと足を踏み出すが左腕を後ろに引かれ前に踏み出すことが出来ない。さらには予想外の力で引っ張られ、暁斗は意思とは関係なく走り出すしかなかった。



「離せ都筑!やることが違うだろう!おまえが助けるべきは私じゃない!あいつだ!」

「狙われてるのが先生なら助けるべきなのも先生です!それもただ狙われてるんじゃなくて命が狙われてるならなおさらだよ!」

「ダメだ、離せ!おまえも知っているだろう!アレは普通の人間が敵う相手じゃ、」

「うぉお!?」



後ろから聞こえる眞壁の叫びに振り向けば、異界種が彼の頭上を飛び越えこちらへと向かっている最中だった。



「に、逃げろー!煉!先生ー!」



耳をつんざく奇声が迫って来る。眞壁の危機が免れたことで暁斗の不安は都筑のみとなった。異界種の猛スピードな追い込みに慌てて2人速度を上げる。

校舎裏を突っ切り中庭を横断。さらには人気のなさそうな道を選んで出来るだけ他の者を巻き込まないよう配慮する。

わしゃわしゃと左右に動きながらこちらへ向かって来る影は、まごうことなく暁斗の背を追っていた。

そう、ターゲットは自分なのだ。他を巻き込む訳にはいかない。そう思うと暁斗は都筑の手を振り払い、今進もうとした道とは別の方向へと走り出した。思惑通り異界種もついて来る様子が奇声の接近から伺える。

が、その後何故か耳に届く緊迫した幼い悲鳴。



「うわぁあ!」



都筑の叫び声に振り向いてみれば、彼の前方では"界の歪み"からわらわらと現れる異界種の姿が。それも1体や2体のレベルじゃない。10を越す異界種が続々とこの世界に侵入していた。

急いで都筑のもとへ駆け付けたいが暁斗の前にはまず1体がいる。よほどのことではない限り一般人の前で力を使わないのが暁斗のポリシーだった。しかし今は別だ。生徒の命が懸かっている。

すぐさまUターンした暁斗。その瞳にはすでに黄金が輝いていた。彼の想いに呼応するかのようにその輝きはさらに強さを増して行く。



「邪魔だ!」



駆けながらの一撃を受け異界種が最後の悲鳴を上げた。塵となる異界種には見向きもせず、一目散に都筑のもとへ駆け付ける。



「都筑!」

「せ、せんせ……アレ…!」

「わかっている!おまえは早く逃げろ!」

「でも、あんなにたくさん…!先生1人じゃ無理だよ!」



図星を突かれ押し黙る暁斗だが今はそれしか彼を助ける方法はなかった。いや…もう1つだけ、あるにはある。しかしそれはさらに被害が大きくなるゆえ避けておくべきことだった。





──彼に、力を与えればいい。





脳に直接浮かぶ意志。危機迫ったこの状況下で魂からの指令が下された。しかし暁斗はそれに抗おうと必死だった。



「……だ……、め…だ」



都筑に力を与えれば司貴の二の舞となってしまう。ここで自分が負ければまだ幼い彼の人生をめちゃくちゃにしてしまう。

それだけは避けたいと必死に本能を抑え込む。顔を苦しげに歪ませた暁斗に都筑の呼び声は届いていなかった。本能と理性、どちらが強いのかは考えなくとも分かる。それを暁斗は今、必死に覆そうとしているのだ。

理性が本能に打ち勝つことは限りなく0に等しい。それでも気力と体力を使い果たせば打ち勝つことが出来るかもしれない。

そう僅かな望みを懸けて理性を総動員させていると、ふと過ぎった1つの結論。





──彼に力を与えなければ……助かる命も助からない。





その考えが本能を刺激し、暁斗の体が意志とは関係なしに行動を始めた。



…本能が、理性に打ち勝ってしまったのだ。





「逃げましょう先生!早くっ!立って!」



膝をつく暁斗の腕を引き上げる。異界種はもうすぐそこまで来ている。今すぐ逃げなければ2人の命はない。

立ち上がった暁斗の様子がおかしいことには気付かず、都筑は彼と共にその場を駆け出していた。

異界種は細かな動きを苦手とする。そのことに気付いた都筑は異界種の猛追を振り切るように校舎の中へと逃げ込む。

複雑に交差する廊下を利用し、1体、また1体と奴らを振り切って行く。そうして全ての異界種を撒いたところで息も絶え絶えだった都筑は暁斗を連れ目に入った1つの部屋へと駆け込んだ。

どうやらここは生徒会室のようだ。今は部屋名を確認する余裕はないが、高そうなデスクやホワイトボードからして間違いはないだろう。



「は…っ、はぁ……あいつら…、これでしばらくは…っ」



鍵を掛け、しばらく息を飲んで扉に耳を当てる。どこからか異界種のような足音が聞こえるが、興奮したような奇声は聞こえない。都筑達は無事奴らから逃げおおせたようだ。








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