【11,鬼ごっことキス】
「……ふぅ。先生、これからどうしますか?あの人…えっと、司貴さんを呼ぶには電話がなくちゃ話に…っわ!ごめんなさ、痛っ!」
振り向いた先にあった彼との至近距離につい謝り距離を取る。しかし真後ろにはドアがあり、都筑はそこから一歩も動くことは出来なかった。
代わりに後頭部を打ち、恥ずかしい気持ちでいっぱいになる。何1人でパニックになっているのだろう。ここは彼に格好良いところを見せる場面だと言うのに。
痛みに耐えながら彼を見上げる。すると暁斗の腕が自分の真横、分厚いドアへと添えられた。先ほどよりもさらに近付いた至近距離に「え」、と驚く間もなく反対の手が顎に触れる。
今気付いたが、奴ら異界種の前でもないのに彼の瞳は黄金に輝いていた。しかしどこか違うことに都筑はようやく察する。
そう…、彼の瞳にはまるで何かに操られているような鈍い光が浮かんでいたのだ。
「せん、…」
先生。そう呼びかけたはずの唇は「ん」の形で固まっていた。思考も同じく固まる。流れる時さえ止まっているかのように、何1つ考えられなくなる。
唇に触れる柔らかい感触。温かくて、少し苦い大人の味。舌で口がこじ開けられ都筑の脳に快楽が届く。男同士だなんて、関係ない。まるで夢を見ているような突拍子もない現実。満足な息継ぎが出来ず、それでも都筑は本能的に暁斗を求めた。
空気でもなく唾液でもない。何か得体の知れない"もの"が体内に流れ込んで来る感覚。ぞくりと体が熱を持つ。心拍数も血圧も、何もかもが上昇していた。なにより凄いのは心臓の音だ。服越しに伝わるくらい、それは激しく脈打って…。
「っ!」
ドクン!と強く体の中心が脈打ち、目を見開いた。重なり合っていた唇がそれと同時に離れ、暁斗の瞳にももとの力強さが蘇る。反対に、都筑の体には大きな変化が現れ始めていた。
体が焼けるように熱いのだ。まるで全身の細胞が活性化しているような、体の奥底から何かが湧いて来る感覚。
「つ…づき?」
暁斗の声がした。見上げればお互いの瞳に映る黄金。
理性が戻った暁斗の前にいたのは"騎士"として力を与えられた都筑の姿だった。
「っ、すまな、……!」
取り返しのつかない事態を引き起こしてしまった。後悔と罪悪感に激しく襲われる最中、口にした言葉は半ばで途切れた。
都筑を引き寄せるといきなり奥へ走り出す。しかし何を思ったのかすぐに足を止め、彼を庇うようにしてドアに背を向けた。
その半秒後。
頑丈な造りであるはずのドアが異界種の手によってあっさり破られていた。
「キェキェキィエー!」
"基なる魂"のよりしろを前に興奮が頂点に達する異界種。無防備な暁斗の背中に黒い腕が伸びる。空を切り、その背中が無惨に斬り裂かれた。
…はずが、異界種の腕はその本体と共に見事に"撃ち抜かれていた"。
「……え?うわっ!」
一瞬にして塵と化した異界種に驚く都筑。そして彼が最も驚いたのはその手に"ありえもしないもの"が握られていたからだ。
剣でもなく銃でもない。それは彼の攻撃性が具現化された彼専用の武器だった。まるで都筑の為に作られたかのように重さを持たないそのボウガン。打ち方すら分からないはずなのに、都筑は今、それを無意識に異界種へと放っていた。
…違う。無意識というよりは本能的にと言った方が正しいだろう。暁斗の危機に体が動いたのだ。"基なる魂"を守れ、と。
信じられない出来事に暁斗を見やる。すると彼も同じくして武器を手に"現していた"。しかしその顔には何かを悔やんでいるような表情が伺える。
「せ、先生…これってもしかして…、」
あの人と、同じ力…?
突然手に入れた力に混乱するよりも先に都筑の頭に浮かぶ言葉。この力があれば、暁斗を守れる。"あの人"、司貴に頼る必要もなくなり自分自身で彼を守ることが出来るかもしれない。
その希望に胸が踊る。暁斗の後悔とは対照的に彼は希望に満ち溢れていた。
「……説明は後だ。…来るぞ」
廊下から複数の足音。それと共に聞こえて来る奇声に都筑は自分達の居場所が勘付かれたことを悟る。
やがて異界種が2人の前に姿を見せた。まずは2体。暁斗1人でも対処出来る数だ。
「おまえは奥へ下がっていろ!」
都筑にそう言い残すと暁斗は異界種に向かって駆け出した。双剣を両手に、2体の間へ果敢に攻め込んで行く。
暁斗に飛びかかる異界種相手に右剣で1体を牽制しながらもう1体に左剣で猛攻を叩き込む。
奇怪な動きでかわそうとはしているものの長年異界種と戦って来た暁斗にとってその動きは無効に等しかった。的確に相手の胴へ蹴りを入れると足元が疎かになった異界種に向かって刃を走らせる。
首から脇腹にかけて走る銀の剣筋。異界種は一瞬動きを止めると甲高い奇声を上げて塵となって消滅した。
残り1体となれば単騎駆けを得意とする暁斗にはお手のもので。腕の動きを良く見極めてはいっぺんに両腕を切り落す。そして腕をなくした異界種の心臓部めがけ勢い良く体当たりし刃を突き刺した。
「キィー!」
ザラリと塵になる異界種。その様子を都筑は下がる暇なく見届けていた。すごい、とつい言葉を漏らしてしまう。それほどまでに暁斗の戦闘センスは素晴らしかったのだ。
しかし異界種はたった2体では収まらず、次は4体もの異界種が廊下から姿を現した。途端暁斗の顔が険しくなる。彼の一度に対処出来る数は2体までだ。それ以上となると背中を守ってくれる司貴無くしては難しい。
都筑の様子を素早く確認する。彼はどこに隠れるでもなく息を飲んでこちらを見つめていた。その表情には恐怖というものが微塵も感じられない。ただ分かるのは、その瞳に黄金がゆらゆらと輝いているだけで。
「都筑!おまえは逃げろ!私が退路を作る!いいな!」
現実から目を背けるように暁斗は再び群れの中心へと突っ込んで行った。適わない数を相手に迷いもなく斬りかかる。
1体に剣筋を走らせ、もう1体に蹴りを加える。そこで素早く下方へ抜ければ黒い腕が頭上を掠めた。すぐにその異界種に向かって足払いをかけ、バランスを失った相手の頭めがけ剣を投げつける。
残り2体…!今だ!
「都筑!」
退路を開いた合図を送る。運が良いことに昼間現れる異界種は深夜のものよりどこか動きが鈍い。残り2体ならどうにかなるはずだ。そう頭で考えていると暁斗は彼にこう叫ばれていた。
「先生!そこから動かないで!」
不意に背後で空を裂く音。異界種の気配を真後ろに感じ、全身からドッと汗が吹き出す。
──カシュ!
突然聞き慣れない音が聞こえたかと思えば真後ろで異界種が最後の悲鳴を上げ塵と化した。
カシュ!
もう一度同じ音が弾ける。すると暁斗の視界に辛うじて認識されていた異界種までもが一瞬にして塵と化していた。
生徒会室を包む静寂。体勢を立て直し振り向けば僅かな塵の上に落ちていたのは矢尻の付いた金属の棒で。すぐさまそれは消えてなくなり、都筑を見れば彼は肩で息をしながらボウガンを手に構えていた。
こいつが…、やったのか?
状況理解に遅れ、しばらく茫然と見つめる。すると彼がボウガンを下ろした。先ほどまでゆらゆらと不安定だった瞳の黄金を強く輝かせ、自信に満ちた笑みを浮かべる。
「逃げろ、なんて言わないでください。僕は…もう戦えます」
力の使い方は本能で分かる。"何を"守る為のものなのか。誰がくれたものなのか。それも本能が…、魂が、全て教えてくれた。
現実から目を背けていた暁斗とは違い、彼は全てを受け入れ、そして忠実に"基なる魂"を守っていた。
都筑はとっくのとうにこの争いに巻き込まれている。その事実を暁斗はようやく認めたようだ。一瞬諦めたような苦笑を浮かべると、新たなる"騎士"、都筑煉に向け感心したように言葉を述べる。
「…おまえはセンスがある」
思えば司貴が暁斗の援護を覚えたのは彼が"騎士"になって2年が経った頃だ。それまではお互い単独行動が目立ち、暁斗が敵に囲まれるなんてことはしょっちゅうだった。
暁斗の悪い癖は果敢に攻めるがゆえに背後が疎かになってしまうこと。そのことに2年かけてようやく気付いた司貴は、それまでの単独行動を止め暁斗の援護に回るようになったのである。
それが都筑にかかればほんの数分暁斗の動きを見ただけでこれほどまで的確な援護が成せた。
そう、言うなれば彼は天才少年なのだ。
学園創立以来最年少の飛び級入学者が自分のクラスにいると聞いたのは入学式が終わって初めての職員会議でのことだった。全国小学生テストの順位はもちろんトップ。教頭がまだまだ伸びる大器晩成の天才だと鼻を高くしていたが、今なら確かにと頷ける。
自分が天才であるという自覚はなく、ただ向学心だけで出来ている彼。まだ若いゆえに様々なものを吸収し、だからこそそこから最善の策を練ることが可能なのだろう。
「…次も頼むぞ」
倍以上となった足音の接近に暁斗の表情が険しいものに戻る。廊下へ向かって歩いて行くその後ろ姿にはもう劣勢の様子など微塵も感じられなかった。
そして都筑はというと、彼に初めて必要とされた衝撃に胸を高鳴らせていた。緩む頬を引き締めながらも暁斗の動きと相手の出方を無意識に計算しほぼ違う(たがう)ことなく予測する。
……そして。
全ての異界種が塵となった頃。
鬼ごっこという名のレクリエーションが終わる授業終了チャイムが学内に鳴り響いていた。
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