10



「ジャンク…。」



肌を刺すような冬独特の空気の中、白い息を吐きながら那月はそっと呟いた。
ハーモニアに帰って来て早数ヵ月、那月は元の生活の忙しさに追われていた。
この世界での日々は慌ただしい。
辺りを見回せば人々が忙しなく働いている。
こんな世界の中、ラズリエルで過ごした日々を過去と思ってしまう自分が怖かった。



「…会いたい。」



戻りたい、あの暖かな世界に。
確かに最初は見知らぬ場所に飛ばされたと言う恐怖を抱いていた。
しかし今は違う。
自らの意思であの場所に帰りたいと思う。
ナヅキだからではなく、紛れも無い自分自身の意思。
カトレアと対峙した時、彼女の強い思いに負けを感じた。
しかし同時に考えたのだ、自分はどうしてあの世界にとどまりたかったのか、と。



「あたし…ジャンクが好きだったんだ。」



あの世界で初めて手を差し伸べてくれたジャンク。
初めは外見の奇抜な彼に驚いたがその親切さに触れた今、彼は愛しくて堪らない存在となった。
時折思い出に浸るように細められる彼の目を見て何度胸が痛みを訴えただろうか。
色恋沙汰には疎いがきっとこれを恋と言うのだろう。
那月は大きく息を吸うと空を仰ぎながら言葉を紡いだ。



「…逢いたいの。あたしの"故郷"で、大切な人達に。」



言葉が空に響き渡る。
やがてその言葉に反応するかのように那月の目の前の空間が歪んだ。
赤や青、そんな言葉では形容出来ない混ざり合わさった色で構成される不思議な道。
どこに繋がっているかなんてわからない、奇抜で不審な一本道。
那月は薄く笑うとためらいもせずにゆっくりと足を踏み入れた。



「…。」



色が絶えず歪み、形を成す世界を那月は黙々と歩き続けた。
那月を動かすのはジャンクに逢いたいと言う思いだけ。



「ジャンク…。」

―彼との再会、それが君の願い?



ふいに穏やかな声が耳に届いた。
声の主を探して那月は辺りを見回すがそれらしい影はどこにも見当たらない。
聞き間違いだろうか?
しかし聞き間違いにしてはやけにはっきりと聞こえた。
りぃん、首を傾げる那月の耳に鈴の音と、後に続いて先程の声が届いた。



―那月、世界の心の対の存在
僕の声が聞こえる?


「うん、聞こえるよ。…あなたは誰?」

―僕は世界
ナヅキが去って、那月が戻って来た世界


「世界…じゃあ、あなたはラズリエルそのものなの?」

―その通りだよ、那月



声は那月の言葉に肯定の意を示す。
信じられない、世界と会話が出来るなんて有り得るのだろうか。
しかし声の主は確かに自らを世界と名乗った。
那月は黙りこくって考えを巡らせる。
その時、ラズリエルに飛ばされる前に毎日見ていた夢を思い出した。

『那月、那月、聞こえる?』

…似ている。
切なさを含んだ声色で自分に語りかけてきたあの声に。
驚き声を失う那月に声は語りかける。




―那月、ここに君を呼んだのは君に三つの質問をするためなんだ
どうかよく考えて答えて欲しい


「…うん。」

―まず一つ目、君は最大の罪とはなんだと思う?

「…逃げること、なんじゃないかな。逃げることは凄く簡単だもん。自分で作った過ちから逃げ出すってことは自分と向き合うことをやめるってことでしょう?自分と向き合うってことは生きることと同じだと思うの。…だから生きているのに生きることを放棄するような…そんな逃げ出すって言う行為が一番の罪だとあたしは思うよ。」

―じゃあ二つ目、君は最大の罰とはなんだと思う?

「生きることだと思うよ。死んだら終わり、その人の時間はそこで区切られる。その人が生きた時間は生き続ける人とは別に隔離されるでしょ?死して償う、なんて言葉があるけど死よりも生の方が重たいと思うの。生きて、自分の過ちを背負い続けることがどんな罰よりも重たいんじゃないかな。」

―…最後の質問、信じるってどういうことだと思う?

「…。誰かを強く思うこと、愛することと似てるんじゃないかな。あたしはまだほんの少しの時間しか生きていないからあなたが望むような答えは出せないと思うけど、信じるってことは友愛でも家族愛でも敬愛でも、自分と切り離せない存在として…愛することだと思う。」




―それが君の答え、か
…正直に言うと僕は最初、ナヅキと君を重ねていた
そして、君にはナヅキに勝るものは無いと思っていた
でも…それは間違いだったみたいだ
君はコトノハなんて知らなくても、十分に人を癒せる力を持っている
ねぇ那月、僕の元へ戻ることは君自身とは関係の無いナヅキの罪も背負うことと同じなんだよ?
もうハーモニアには帰れない、それでもいいの?


「…いい、それでもいいよ。ジャンクとシルドラはナヅキの罪を背負って生きている。それを知ったのに何もしないで違う世界で生きるなんてあたしには出来ない。」

―…那月、君は最高のお人好しだよ
でも、君がナヅキの対の存在でよかった
那月、僕の元に戻ったら様々な困難が君を待ち構えているだろう
だけど忘れないで、信じることの大切さ




りぃん、再び鈴の音が響いた。
途端に辺りを光が包み込む。
眩い光が辺りを覆い尽くし、世界は白一色になった。
りぃん、鈴の音が遠ざかって行く。
彼に次に会う時は自分が空に溶ける時、そう理解すると那月は一筋の涙を零した。



小鳥のさえずりが、木々のさざめきが聞こえる。
那月はゆるゆると瞼を開くと辺りを見回した。
木漏れ日の射すほの明るい森、清らかな湖。
湖のほとりに凛と佇む大樹にもたれかかるようにナヅキはいた。
…帰って来たんだ、ジャンクやシルドラ達の生きる世界に。
そんなことを考えながらぼんやりと座っていたらふいに枯れ葉を踏み締める音が聞こえた。
誰かがこちらに向かって歩いて来てる?
冷たいものが背中を伝ったがそれも一瞬のことだった。
何となくわかったのだ、ここに来るのが誰かと言うことが。
那月は足音を聞きながらゆっくりと立ち上がる。
同時に、足音の主が姿を現した。
足音の主は目を丸くして那月を見つめている。
那月は薄く笑いながら足音の主に歩み寄った。



「…ただいま、ジャンク。」



那月の前に現れたのはジャンク、縫われて半分しか世界を映せない瞳は限界まで見開かれている。
こんなにも焦っている彼を見るのは初めてかもしれない。
そんなことを思い、那月はくすりと笑みを零した。



「…那月、那月なの?」

「そうだよ。」

「本当に?」

「本当だよ。」

「本当に本当?」

「本当に本当だよ。」



何回目かのやり取りのあと、突然那月は強い力でジャンクに引き寄せられた。
ふわりとジャンクの優しい匂いが香る。
懐かしい香りに自然と涙が零れた。
嗚呼、また泣いてしまった。
この頃涙腺が緩んでいるのでは無いだろうか。
涙が頬を伝うのを感じながら那月は静かに思った。



「那月、帰って来たんだね…。」

「あたしじゃなくて、ナヅキがよかった?」

「…何言ってるの。ボクはナヅキを敬愛してるけど、愛しているのは那月なんだよ?」

「…え…?」

「心の中のわだかまりにけりが付いたんだ。…那月、好きだよ。」



一瞬、世界から音が消えた。
今ジャンクはなんて言った?あたしを、好き?
理解すると同時にナヅキの頬を伝う涙の量が増した。
そんなナヅキを見てジャンクは申し訳なさそうに眉尻を下げる。



「…ごめん、急にそんなこと言われても嫌だよね。」

「ちが、違うの。嬉しく、て…。ね、ジャンク、」










「あたしも、ジャンクのことが好き。」











ジャンクの目が見開かれた。
今日で二度目、珍しいこともあるものだ。
那月は泣きながらも笑う。
幸せで胸がいっぱいだった。
これ以上の幸せなんてないんじゃないかとすら思える。
幸せに浸っていた時、ジャンクの抱き締める腕の力が増した。
力が強められたことによって那月は顔を上げ、二人の視線は合わさった。
それからゆっくりと、二人の距離は狭まって行く。
やがて距離はゼロになり、二人は幸せそうな表情で口付けを交わした。
もはや二人の間に言葉は必要なかった。
言葉以上の大切なもので結ばれた二人の道は一つになる。
りぃん、鈴の音が聞こえた気がした。





終わりに貰ったキスは、塩辛い水の味がした
(これからが本当の物語の始まり!)

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