(りぃん、りぃん)

真っ暗だ、何も見えない。
暖かな闇に身を委ねながら那月は思った。
波に揺られるような感覚にしばらく浸っていた那月だったがふいに小さな光を見付けた。
光は次第に大きくなっていき、那月を包み込む。
夢が覚める前のあの起きているとも寝ているとも言い切れないうやむやな感覚に似ているそれに、那月はほんの少し悲しみを抱いた。



「……。」

「那月!!」

「…おとーさ…おか、さん?」



目覚めたばかりのぼやけた視界に映ったのは懐かしい父親と母親の姿。
くるりと辺りを見回せば病院の物であろう真っ白な壁が目に入る。
嗚呼、帰って来てしまったんだ。
完璧に覚醒していない頭で理解した。



「よかった、貴女トラックに跳ねられてずっと意識がなかったのよ?」

「そうだったんだ。…心配かけてごめんね。」



言いながら目の前が涙で霞んでいくのがわかった。
この涙はきっとまたこの世界に帰って来られたって言う喜びの物じゃない。
掛け替えの無い物をまた失ってしまった悲しみの物だと頬に僅かな冷たさを感じながら那月は思った。





(りん、りぃん)

「那月…。」


ナヅキと初めて出会い、那月と再会した場所、森の中の大樹の下でジャンクはそっと呟いた。
あの雨の日、ノーアの家を飛び出したジャンクはずぶ濡れになりながらも那月を探した。
しかし、見付からなかった。
入れ違いで家に帰っていることを信じて家に戻った時、目を赤くしたノーアから告げられた言葉はとても残酷な物だった。
那月が、ハーモニアに送り返された。
避けられない出来事だったのかもしれない。
だけどせめて、側で別れを告げてあげたかった。
…否、そんなの上辺だけの考えだ。



「どんな形であれ、君の側にいたかった…。」



例え、この身がボロ雑巾の如くズタズタになろうとも。
大切なモノを二つも失ったジャンクは自嘲の滲んだ笑みを浮かべる。
見上げる空は無情にも快晴、それがジャンクの涙を誘った。
世界は違ってもこの空だけは変わらないだろうか?
ならば空に溶けてしまいたい。
そうすればいつでも那月に会えるのに。



「…空に、なりたいな。」



君を優しく包み込み、そっと見守ることが出来る空に。





(りぃん、りん)

古ぼけた聖堂には啜り泣く少女の声が響き渡っていた。
声の主はノーア、側ではシルドラがノーアの小さな背をそっと撫でている。



「ノーア、お前が泣くことじゃねぇさ。」

「…っ。」

「これはナヅキと俺達の罪だ。…お前が苦しむ必要はねぇんだよ。」

「でも!」



シルドラの言葉にノーアは顔を上げた。
泣き腫らした瞳はどこか胸を締め付けられるようなものがあったがそれでも真っ直ぐに自分を映す紫がかった青色の瞳にシルドラは僅かに目を細めた。



「でも、私は貴方達の友人ですわ!お節介だなんてわかってます、だけど…だけど、苦しみを抱え込まないで下さいませ。」

「…ノーア。」



シルドラは目頭が熱くなるのを感じた。
嗚呼駄目だ、ここで泣いたら今まで堪えて来たものが無駄になってしまう。
シルドラは片手は拳を握り締め、もう片方の腕でノーアは強く抱き締めた。
爪がぎりぎりと手の平に食い込んだがそんなものも今は気にならなかった。



「那月…那月…ッ!」

「ノーア。」

「帰って、来てくださいませ!なづ、き…!」

「…そうだよな、俺だって帰って来て欲しいさ。」



だからさ、早く帰って来いよ。
小さく震えるノーアの頭を優しく撫でる。
爪が食い込んだ握り拳からはシルドラの思いにも似た紅い雫が、拳を伝ってポタリと地面に滴り落ちた。





(りん、りりん)

「…。」

「ねぇ、聞いてるんすか?死神長ってば!」

「あ…。」



この世とあの世を繋ぐ城の大広間。
不満げな声にカトレアは辺りを見回した。
直ぐさまふて腐れた顔で腕組みをしている漆黒の髪の青年が視界に映る。
カトレアはまばたきを数回繰り返すと申し訳なさそうに眉尻を下げた。



「…ごめんなさい、ユナ。ちょっとぼーっとしていたわ。」

「死神長最近変っすよ。話しかけても上の空って感じだし…何かあったんすか?」

「…。」



何も言わずに俯くカトレアを見て元人狼族の死神、ユナは髪の色と同じ漆黒の耳と尾を力無く垂らした。
その姿はさながら主人を心配する犬のよう。
ユナはカトレアをちらちらと見ながら控え目な声で尋ねる。



「もしかして世界の心を強制帰還させたこと、悔やんでるんすか?」

「…感情に動かされそうになるなんて、死神長として情けないわね。」

「死神長…。」



不安げなユナの声を耳にしながらカトレアはふるふると首を振った。
ジャンク、愛しげに名前を呼びながら消えて行った少女の声が脳内で響き渡る。
同時に思った、死神とはなんて辛い役割を担う存在なのだろうか、と。
世界の秩序を守ることを役割とする自分は死神としては間違っていない、むしろ当然の事を行ったまでである。
だと言うのに心のどこかではその当然の行為を悔やんでいる自分がいた。
恐らく死神になる前、死ぬ間際の生前の自分と那月を重ねてしまったのだろう。
死神とは誰かを強く愛し、死ぬ間際までその感情を汚す事無く持ち続けた者がなる。
カトレアも例外無く死ぬ間際まで愛すべき者を想い続けていた。
最愛の者との離別はとても苦しく、哀しかった。



「あの子は…那月は記憶を消されても尚、ジャンクを愛したのね。」



どこで歯車が狂ってしまったのだろう。
願わくば、彼女には幸せになって欲しかった。
カトレアは眉をひそめるとぽつりと呟く。



「こんな悲しい運命、あんまりだわ。」



忠実なる部下は上司の呟きに俯いて唇を噛み締めた。





(りぃりぃん、りんりぃん)

「ねぇ、いつまでそうしているつもりなのぉ?」



りぃん、鈴の音が響く何も無い真っ白な空間でライムグリーンの髪色をした時神子の少年、ケイトは言葉を紡いだ。
少年の視線の先には誰もいない、ただ真っ白な空間が存在するだけだ。
少年は再び少々間延びした柔らかな声色でねぇ、と呟く。



「君は何に対して怒っているのぉ?那月を君から離した事?それとも…」



那月とジャンクをまた、離れ離れにした事?
少年のワインレッドの瞳が細められる。
真っ白な空間では相変わらず鈴の音が鳴り響いているだけだ。
少年はやれやれと首を振ると前髪をかきあげた。



「あのね、君が許しても失った命は帰って来ないんだよぉ。罪を許して君の元で幸せにしたら消えた命達に面目がたたないでしょう?」

りぃん、りん

「え?……うん、それはそうだけど…。…まあ確かに、許すとは違うねぇ…うん、じゃあやってごらんよ。」



鈴の音にしか聞こえないこの音も少年には別の声に聞こえるのだろうか。
難しそうな顔をして鈴の音に耳を傾けていた少年は渋々頷いた。
心なしか鈴の音が先程よりも明るいように聞こえる。
少年は咳払いを一つすると歌うように言葉を紡いだ。



「君達は愛し、愛された。罪を背負ってもそれは変わらなかったねぇ。だから…」








「許しはしない。だけど、チャンスをあげるよぉ。」





許してくれなくていい、僕を忘れてくれるなら
(おれは知ってるよぉ、本当は誰も忘れて欲しいだなんて思ってないこと)

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