姫衣「やっぱり、あんただったんだね。
蒼助」
蒼助は大きな月を背に、こちらを振り返った。
逆光で表情は見えないのに、なぜか、泣いているような気がした。
蒼助「なぁんだ、起きちゃったのか」
姫衣「夜這いなんて時代遅れよ?」
蒼助の隣に並び、同じように月を見た。
いつものようにへらりと笑い、屋根に座る蒼助。
蒼助「ばぁか。誰が夜這いなんかするかよ。
そうだな…やるなら松本副隊長あたりを狙うっつーの」
姫衣「確実に命はないだろうけどね」
大口をあけて笑う蒼助の隣に座りながら、姫衣も微笑んだ。
ひとしきり笑ったあと、蒼助は後ろに手をついて空を仰いだ。
蒼助「あのさ、姫衣」
姫衣「ん?」
蒼助「二人で…ここから逃げねぇか?」
姫衣「はぁ?」
蒼助「ここじゃない、どこか遠くへ」
姫衣「なぁに言ってんのよ。この大変な時…に…」
姫衣は蒼助の顔を見て思わず言葉が詰まった。
そこには、軽口を叩いているとは思えない、真剣な眼差しの蒼助がいた。
姫衣「な、なによ、いきなり…本気で、言ってんの?」
蒼助は一瞬黙ったあと、一度視線を下げて、へらりと姫衣へ顔を向けた。
蒼助「んなわけねぇだろ。夜這いも失敗しちまったしな」
あーあ、とついに寝そべってしまった蒼助を見て安心した。
いつもの蒼助だ。
姫衣「やーっぱり夜這いしようとしてたんだ」
蒼助「あ、やべ」
そう言うと、蒼助は隣の屋根へすぐ移動した。
姫衣も立ち上がって、二人向かい合う。
数分か、数秒か、ほんの少しの間見つめ合うと、蒼助は姿を消した。
月の美しい、夜のことだった。
前|次
back