彼と彼女の三日間戦争A





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【一日目】
 一週間分の荷物が入ったトランクはずっしりと重い。開かれた扉に脚を踏み入れ、どうにか声を振り絞る。
「お邪魔します」
「お邪魔されまーす」
そう言ったのはこの家の主であり、占い師曰く救世主の王馬小吉だ。先ほど買った食材が入ったスーパーの袋を抱え、王馬は入間をリビングへと先導する。汗ばんだ肌に冷房が送り出してくれる風が気持ちよかった。
都心の一等地に建てられた、絵に描いたような高級マンション。そこの最上階とくれば殿上人の住まいに違いない。
「部屋はそこの和室か、リビング出て左手の部屋。どっちか使って」
 リビングから繋がる部屋は和室らしかった。普段使いなれない和室で過ごすのも心もとなく、トランクを持って廊下へと出る。王馬に指定された部屋は、白を基調としたインテリアで統一されていた。部屋自体は清潔だが人が出入りした気配がなく無機質な印象を受ける。クローゼットに服をしまい、広すぎるベッドに横たわりながら自分の状況を再確認する。王馬と知り合ってから一年以上経つが、彼の事をよく知っているとは言い難かった。むしろほとんど何も知らないと言ってもいいかもしれない。分かるのは、底意地が悪く、嘘つきであるということだけだ。今日それに金持ちという項目が追加されたが、結局王馬の本質に触れていないことには変わりない。
電子機器の整備から発明まで、無理難題さえ押し付けられることもあったが王馬からの依頼を断ったことはなかった。こなせば報酬はもらえたし、口に出さないだけで他人に頼られるのは嬉しかったからだ。何よりも、発明品を受け取った時の王馬の反応が入間の心を常に揺さぶった。能弁な王馬が、言葉少なに、子供のようにはしゃぐのが入間の糧となっていたのだ。
『すごいね』『こんなこと、入間ちゃんにしかできないよ』『頑張ったね』
さんざん言われ慣れて来た言葉なのに、王馬の言葉が特別に聞こえたのは、きっと入間の努力の過程を認めてくれているからだ。
 天才と自負している以上、努力している姿なんて見せられなかった。  メンテナンスをしているキーボに対してもそうだ。あの難解なシステムを完璧に理解するために、どれだけ時間を要したか。思い描いた理想を形にするために必死だった。読みたくもない論文を読み、不二咲からプログラミングを学び、飯田橋博士の研究所に通い詰めたりもした。誰にも知られないように、ひっそりと。隠しごとを作るのが苦手な入間が、守りたい秘密の一つだった。
 それなのに、王馬はそれを見抜いた。
 発明品に応用された技術を通じて、入間が誰から学んだのかを探り当てた。専門的なことはよく知らないとは言っていたが、王馬の部屋で科学雑誌を見かけたことがあるから勉強をしているのかもしれない。
『頑張ったね』
 頑張ってなんかない。天才は努力なんかしない。そう言い返したかったのに、自分の生きて来た過程ごと認められたような気がして、ただ頷くことしかできなかった。報酬よりもそういう風に褒められることの方が幸せだと感じるようになっていったのは、いつからだろう。
先日のメディア出演で気が付いたことだが、メディアは入間のことをコンテンツとして扱っているようだった。出演した番組でも入間の性格や容姿ばかりがクローズアップされ、発明品は二の次だった。バラエティの中の企画だったこともあるのかもしれない。容姿には絶対の自信があるものの、容姿ありきで発明品に触れられるのは嫌だった。ちゃんと自分が作ったものを見てほしい。自分の生きて来た過程を認めてほしい。そういう思念ばかりが残る番組構成だった。 
王馬は、見てほしいところを見てくれる。本質を見抜いてくれる。欲しい言葉を与えてくれる。
「……そっか。あいつ、なんだかんだオレ様のこと見てくれてんだよな」
 何も知らないわけではないのかもしれない、と真っ白な天井を見ながら思った。だからこそ救世主として頼りに来たのかもしれないとも。
よしと呟いて入間は立ち上がった、一週間だけだがこれから暮らす家を見ておかなくてはいけない。
一通り見てリビングへ戻ると王馬は食材を冷蔵庫に入れている最中だった。キッチンも含めて二十畳はあろうかというリビングを見回す。絵画などの装飾品はなく、モノトーンで統一された最低限の家具が置いてあるだけだ。入間は窓に近づき、引き下ろされた木製のブラインドを開けた。眼下にはビル群と蟻のように蠢く人々。夜になればきっと素晴らしい夜景に姿を変えるのだろう。
「ケッ。人がゴミみてだ」
「性格悪いなー」
 いつの間にか後ろにいた王馬が唇を尖らせる。
「ああ、そんな入間ちゃんと一週間も一緒に暮らすなんて地獄も同然だよ」
 こっちのセリフだと出かかったのを飲み込んで唇を噛む。昨日電話口で必死に頼み込んで、一週間の共同生活を了承してもらったのだ。いちいち噛みついて水の泡になっては堪らない。両親に飯田橋博士の研究所で共同研究をすると嘘までついたというのに。
「そうだ。これ」
 母が用意してくれた手土産を渡す。中身はデパートで買ったゼリーの詰め合わせらしい。包装紙を破ると果物が描かれた箱が現れた。
「ありがとう。入間ちゃんのお母さんっていい人なんだね」
お礼を言うのよと何度も念押ししてきた母親の姿を思い浮かべる。
「冷やして後で一緒に食べようよ。というわけで早く冷蔵庫に入れて。あと中に麦茶あるから持って来てね」
「オレ様をパシリに使うな」
「はぁ?今すぐキミを追い出したっていいんだけど」
突き返されるように渡された箱を手にし、渋々キッチンに向かう。王馬の両親はどんな人物なのだろうか。これほど横暴で嘘つきの子供を持って、さぞ大変だろうと顔も知らない両親に思いを馳せる。
「親、いねーって言ってたけど」
「うん。だから色々気にしないで。あ、コップは戸棚の中にあるから」
 ベッドと見まがうほど広いソファでくつろぐ王馬に聞こえないように舌打ちをする。一週間も家を空けるなんて余程忙しいのだろう。麦茶を入れたコップを机に置き、入間も王馬の隣に腰を下ろした。
「ところでさ、ちゃんと説明してくれる?昨日の電話じゃ全然分からなかったんだけど」
「仕方ねぇな。凡人のテメーにも理解できるように分かりやすく説明して……はい、説明させてください」
 蛇に睨まれた蛙さながら、王馬の一睨みにうなだれつつこれまでのいきさつを話す。王馬なりに真剣に聞いているようだったが、占い師のくだりになるとあからさまにあきれ果て、ゴミ溜めでも見るような視線を入間に送る。
「なんだよぉ。そんな目で見るなって。こ、興奮しちまうだろぉっ」
「なんでそんな占い信じるの?自分が馬鹿だって証明してるようなもんでしょ?」
「ほざいてろ。絶対当たってるんだって!」
「まともな人間とは思えない思考回路だね!これからは愚鈍な豚って呼ぶことにするよ」
 愚鈍な豚という罵倒に入間は身悶えをする。王馬は麦茶を飲み、わずかに声のトーンを変えて尋ねて来た。
「そういえば、警察には言った?」
「言ったけど、あんまり期待してねー」
「心当たりもない?逆にありすぎるくらい?」
「オレ様の美貌に魅了された、ファンの一人って可能性はある」
「ふざけるな」
「ふざけてんのはテメーだろ。テメーこそオレ様を襲いたくて仕方ねーって顔してるぜ!」
「気持ち悪。腐っても希望ヶ峰学園の生徒だしねぇ。キミの才能を利用したいって奇特な人もいるんじゃないかな」
「はぁ?そんなの直接言ってくれば……」
 その大きな瞳をすがめ、王馬は入間にぐっと顔を寄せた。
「だから、表立って取引ができないような組織だよ」
 冷たい口調で吐き出された言葉が入間に重くのしかかる。引いたはずの汗がどっと吹き出し、鼓動の音がはっきりと聞こえるほど緊張しているのが分かった。そんな組織が実在するとしてもし捕まったらどうなる。想像しようとしても、アニメで見たマッドサイエンティストのような滑稽なものしか頭に浮かばない。現実と上手くリンクしないからこそ、入間の恐怖心を余計に煽った。
「なんてね。嘘だよ!」
 巡り続ける想像を断ち切ったのは王馬の常套句だった。
「そんな組織があったらオレがとっくにスカウトしてるよ。人員はいくらいても足りないくらいだしね!」
 この場を和ませる冗談なのか、嘘と名付けた真実なのかは判別できないが入間の体に走った緊張は解けていく。
「まぁ、救世主かどうかは知らないけどさ。ここのセキュリティは保証するよ」
「お、おう。そのためにわざわざテメーと一つ屋根の下に住んでるんだしな」
 まだ不安は残るものの安心感が入間を包む。思わずガッツポーズをしてしまうくらいには安堵していた。
「宅配ボックスもあるから、配達員に変装した奴に侵入される心配もないし」
「そ、そんなことあんのかよ」
「常套手段だね」
 あのまま実家にいたら、ストーカーに襲われていたかもしれない。入間は心の中であの占い師に感謝の祈りを捧げていた。安堵すると同時にずっと張り詰めていた神経が緩み、体から力が抜けて行く。入間は本能に逆らうことなくソファへとダイブした。抱えてきた疲労ごと入間を受け止めるようにソファが沈む。
「あんまり寝てないんでしょ?ベッド使いなよ。床で寝たいならこのまま引きずりおろしてあげるけど」
「……うるせー。オレ様が寝てる間に変な事するつもりだろ」
「わぁすごい。よく分かったね!」
 全身に戦慄が走り、勢いよく起き上がる。
「やっぱオレ様を襲おうって魂胆だな?家賃は体で支払えってことなんだろ!」
「愚鈍な色豚の発想力には恐れ入ったよ。オレはただ顔に落書きしてあげようと思っただけなのにさ」
「落書き?そういう趣味なのかよ……アブノーマル思考なんだな」
「いいから、家畜はさっさと寝ろ」
 強い語気からほとばしる怒りを感じ、入間もそこで会話を打ち止めにして本格的に寝ることにした。しかし、あの無機質な部屋で眠るのは少し不安な気持ちになってしまう。今は王馬がそばにいてくれた方が、よく眠れるような気がした。
「……ここで寝てもいいか?」
「いいけど」
 ソファに横たわり静かに目を閉じる。すぐに心地よいまどろみが入間を包んでいく。意識を手放していくと共に、世界が徐々に遠くなっていく。ぼんやりと足音のようなものが聴こえるがそれもかすかだ。暖かい何かが頬に触れたような気がするが、入間にはもう分からなかった。

 薄く目を開けると淡い照明が眩しく、瞬きを繰り返す。キッチンの方からは食欲を促すような香ばしい匂いが漂ってくる。起き上がると、王馬が掛けてくれたであろうタオルケットが落ちた。
「あぁ、起きた?ご飯作ったけど食べる?」
「……食う」
「そうめん好き?好きじゃなくてもそうめんしかないけど。ていうか豚に人間の食べ物ってあげていいんだっけ」
 悶える入間を尻目に王馬は机の上に料理を運んでいく。氷と共に大皿に盛られたそうめん、麺つゆとは別に薬味がいくつか用意されている。そして、芳香の正体であろう炒め物が並べられていた。
「これは?」
「ナスと豚肉の甘辛炒め」
「ふん。料理とか出来るんだな。まさか変な薬とか入れてねーよな?そこまでしてオレ様を襲いて気持ちは分かるけどよ」
「いらないなら食べなくてもいいけど」
「食うよ!」
「これ、さっき買った素を使ったの。ホント便利だよねぇ。オレが若い頃はこんなものなかったのに」
「いくつだよ」
 にししと笑う王馬を無視して向かい側の席についた。昼間、ここに来るための準備でばたついてまとも食事を取っていなかったことを思い出す。確かに入間は空腹なのだった。
「いただきます」
「……いただきます」
 ネギ、生姜、海苔を麺つゆに入れ浸したそうめんをすする。薬味の独特な味と香りが余韻のように鼻を抜けていった。ナスと豚肉の甘辛炒めとそうめんに交互に箸を伸ばす。
「美味いな」
「うん、おいしい」
王馬も空腹だったのだろうか、話もそこそこに箸を進める。夏の醍醐味をこういう形で王馬と一緒に味わうことになるなど思いもしなかった。食堂で皆揃って食べていた時間は長いものの、二人きりとなると話はまた別だ。それも食べているのは王馬の手料理。違和感をそのまま具現化したような状況だ。これまで彼に対して特別な好意を抱いたことはないが、入間の心はこの違和感だらけの空間を意識してざわついていた。よく、一緒に食事をすると仲が深まると聞く。食堂では席が離れていたから分からなかったが食事中の王馬は無防備だった。いつも何を考えているのは分からないが、美味しいという感情は割とはっきり顔に出るタイプらしい。
「ん?」
「え?いや、別に」
「ふーん。ねぇ、テレビ見る?」
「テレビは見ねー」
「何で?」
「テレビ局が結託してオレ様を洗脳しようとしてるかもしれねーだろ」
「わー。相当参ってるみたいだね」
 本気で言っているというのに、王馬は信用していないようだった。
「そういえば見たよ」
「何を」
「この前の。プロフェッショナルがどうとかってバラエティ。録画してたから」
 入間の脳裏にネットで見た書き込みがよぎる。今思い返してみれば現場にいたスタッフの反応も芳しくなかったような気がした。匿名性の強いネットでは、簡単に誹謗中傷が飛び交うことは理解していたはずだがやはり実際に目にしてしまった以上、脳にこびりついて離れないのだ。
「なんかSNSで叩かれたらしいね」
「凡人のことなんかいちいち気にしてられっかよ」
「そう言うってことは気にしてるんだ」
 痛いところを突かれ、入間は唇を噛んだ。
「入間ちゃんは自己プロデュースが下手だからねぇ。テキトーに嘘ついてニコニコしてればいいのに」
「何でオレ様がヘラヘラして媚びなきゃいけないんだよ」
「そういう性格がある意味ではメディア向きではあるのかもしれないけど」
 メディア向き。つまり、コンテンツとして有用であるということなのだろう。王馬も自分をそういう風にしか見ていないのだろうかと入間は俯く。
「せ、性格悪いから何なんだよ。オレ様は発明品の取材ってことで受けたんだから……。発明品が良ければなんでもいいだろ。ていうかこれだけ美人なんだから性格くらいカバーできるだろうが!」
「それは無理かなぁ」
「うぅ……なんだよ!オレ様の傷を抉るな!」
「つい癖で。でもさ、あんな番組一回で入間ちゃんがどんな人か分かられたくなんかないよね」
 少しだけ顔を上げる。本当は、分かってくれているのかもしれない。自分のことを擁護してくれるかもしれない。そんな期待を込めて。
「だって、入間ちゃんは視聴者が思ってる以上に最低で劣悪で愚かで馬鹿で間抜けで変態なんだよ?この酷さをあの番組を見ただけで分かってもらっちゃ困るよ!」 
「はぁ?」
「え?オレ間違ってる?」
 あっけに取られて二の句も継げない。擁護どころか予想を超える悪口の羅列に続いて、王馬は微笑んだ。
「でも、そうじゃなくなったら入間ちゃんじゃなくなっちゃうよね」
「え」
「性格悪いの含めて入間ちゃんなんだからさ。そんなネットの意見なんか気にしない方が良いよ」
 罵倒と慰めの落差にどう対応したら分からず泣き笑いの様な表情を浮かべてしまう。
「それにね、どれだけ入間ちゃんのことを批判しても、否定しても、笑っても、結局キミが作った物の恩恵を受けているならその人達はキミを簡単に消費することはできない。安全な立場からの攻撃にキミは傷つく必要なんかないよ」
 消費されたくなかった。自分の人格をコンテンツとして処理されるのが、たまらなく嫌だった。都合よく切り取られた人格を見知らぬ誰かに傷つけられたのが悲しくて、苦しくて、誰かに本当は誰かに大丈夫だと言ってほしかった。どうして王馬は、一番欲しい言葉をくれるのだろう。ありがとうと言いたいのに、結局出てきた言葉はいつものような強がりだった。
「そういうテメーはオレ様のこと傷つけまくってるじゃねーか」
「オレは匿名じゃないからね。ていうか罵倒されて興奮してるくせによく反論なんかできるね」
「なんだその理論は……まぁ、否定はしねーけどよ」
 ちゃんと自分のことを見てくれる王馬に、聞きたいことが一つあった。きっと今なら聞けると、おずおずと口を開く。
「オメーはオレ様のこと、性格込みで、その、好きなのかよ」
「好きなわけないだろ。自惚れるなこの豚が」
 即答だった。ジャブを打ったらストレートパンチのカウンターをかまされた。恋とか愛とかの好きのつもりで言ったわけではない。あくまでも人間として好いているのかと聞いたつもりだったというのに。小さく唸る入間に、王馬は困ったように続けた。
「でも、つまらなくはないかな。ほら、ご飯食べないの?いらないならオレが食べるけど」
「いるよ」
 つまらなくないは、王馬の褒め言葉だ。多分それなりに気に入ってはくれているのだろうと、どこか安心している自分がいた。
「あとさ、テレビで入間ちゃんを知った人がストーカーって可能性もあるんじゃない?」
「だから世界中のファンの一人かもしれねーって言ったろ」
「いや、三白眼で金髪の女の子が好きとかそういう」
「オメーなぁ!オレ様の魅力をいい加減に認めろよ!」
 二人で言い合いながら夜は更けていく。とりあえず、王馬とはどうにか上手くやっていけそうだと入間は思った。

 入間が風呂から上がってリビングへ行くと王馬が誰かと電話をしていた。内容は分からないが中国語らしい。その真剣な声色につい入間も聞き耳を立ててしまう。じっと見つめていると、王馬がハッとしたように振り向いた。電話口の相手に何やら謝っているようだ。
「……お風呂、どうだった」
「お、おぉ。ちょうど良かった。なんかジャグジーついてるし」
「そういえば、泡風呂の入浴剤があるよ。明日それ使いなよ」
「セレブだな!そういやセレブってセフレに似てるよな」
「えぇ。入間ちゃんの中のセレブのイメージ安いし、あえて後半は無視させてもらうね」
 もう先ほどまでの緊迫した雰囲気はどこにもない。顔を使い分けるのが上手い奴だと入間は感心した。
「もらったゼリー食べる?」
「おう。持って来てやるよ。土下座して感謝しろ!」
 冷蔵庫の中から瓶詰めになったゼリーを取り出す。王馬には希望通りマスカット、自分は白桃にした。
「おいしー。入間ちゃんのお母さんってやっぱりいい人だねぇ」
 フルーツの詰まったゼリーに舌鼓を打ちながら王馬が再びそう言った。決して小さいとは言えない瓶だが、中身は次々に王馬の胃の中に消えていく。
「そういや、オメーの親って何してんだ?一週間も留守にするなんて商社とか……」
「え?」
「え?」
「あ、親いないってそういう意味じゃないよ?オレ、孤児なんだよね」
 コジという聞き慣れない言葉を認識するまでほんの少しの間があった。そしてそれを認識したと同時に、自分の勘違いと王馬を不用意に傷つけてしまったかもしれない罪悪感が入間の中に湧き上がる。
「えっ、あ、ごめん。その、勘違いして」
「うえぇぇぇぇぇん!入間ちゃんがオレの心の傷を知らず知らずの内に抉ってきてつらいよぉぉぉ!まぁ嘘だけどね!別にいいよ、オレもちゃんと言ってなかったし」
 表情をころころと変えながら、本心を探らせないようにする。もっとちゃんと思ったことをぶつけてほしいと入間は思った。
「オレは簡単に傷つかないから安心してよ」
「……で、でも」
「入間ちゃん。オレはね、神様なんていないと思うんだよ」
 穏やかな表情を浮かべ、諦めや落胆ではなくただ淡々と王馬は語り始めた。
「だって神様がいたら、めちゃめちゃ金持ちで美人なおねーさんがオレを引き取ってくれちゃったりなんかして、人生楽勝だったと思うんだよね。何かが足りない分、何を補ってくれる。そんな存在が神様だと思うんだ。ところが人生ってヤツは非情でね。そんなことは一切なかった」
「だから可哀そうな王馬少年は自分の思い通りにならない世界であがいて、自分の思い通りになる組織を作り出した。幸いにもそういう才能があったからね」
「でも、それで良かったんだ。神様がいなくて。この人生で良かったんだ。希望ヶ峰学園にも入れたし。……入間ちゃんみたいなつまらなくない人にも会えたしね」
 どこかで見た物語でも聞かせるように、静かにそう言い終わり終幕を知らせる音のようにぱんと手を叩いた。
「この話はおしまい。なおこの物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません」
 にししと笑って、王馬は瓶に残った最後の一口を食べた。
「ごちそうさま。ちょっとやることあるから部屋行くけど、入間ちゃんは?」
「あ、うん。まだ食い終わってないし」
 王馬のことをどう処理していいのか入間にはまだ分からなかった。きっと本当のことであろう話を、自分に打ち明けてくれたことも。
「そうだ。これ貸してあげる」
 立ち上がった王馬が引き出しから取り出したのは、交通安全のお守りだった。ネックレスのようにチェーンが付いている。王馬はそれを入間の首にかけた。
「それ有名な神社のお守りだから守ってくれるんじゃない?」
「交通安全じゃねーか」
「いきなりここにヘリが突っ込んでくるかもしれないし」
「……確かに」
 納得する入間に微笑みかけ、王馬は自室へと消えていった。先ほど電話の件もそうだが、王馬はとうてい暇そうには思えなかった。自分のそばにずっといてもらうのも忍びない。明日は一人で過ごすようにしようかと思いながら、貸してもらったお守りを見た。
王馬はさっき、確かに自分のような人に会えてよかったと言っていた。自分も含めた学園の生徒という意味なのだろうが、王馬がわざわざそれを口にしたことが意外で、もう終わった話だというのに頭に残っている。嘘だろうか、真実だろうか。それでも入間はただその言葉が嬉しかった。
「……よくわかんねーな」
 分からないままのことも一緒に飲み込むようにゼリーを掬った。とにかく一週間が無事に終わればいいと、祈るような気持ちを抱えながら。


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