◎ RUN TO YOU(ヴィンセント)
いつもその瞳の奥に、私の知らない誰かが映っていることは知っていた。そして私は少しでもあなたに愛されたかったから、いつの日もいつの日も、出来るだけその誰かを演じ続けてきた。
「ヴィンセントー」
「なんだ」
「えへへー」
「…」
「好きだよ、大好き」
「…そうか」
相変わらず無愛想な返事でヴィンセントは答えてくれる。そして私はその大きな腕の中へ飛び込んだ。いきなりの私の行動に対して、一瞬困ったような戸惑ったような空気が漂ったけれど、彼はそれでもしっかり私を抱きしめてくれる。
「あれ、なんか髪伸びた?」
「気のせいだ」
「そうかなあ。前にこうやってハグしたときより、なんとなく髪の毛が邪魔な気がしたんだけど…」
「…」
「…あ、もしかして怒っちゃった?ごめん、悪気はなかったのよ?」
「…分かっている」
なんとなく不機嫌そうに彼は言う。そんなところが可愛らしい。
「…ねぇヴィンセント」
「なんだ」
「ヴィンセントはこの旅が終わったら、どうするの?」
「…さあな」
「…大事なものを、抱きしめにでもいく?」
私の言葉に、少しだけヴィンセントの目が大きく開かれる。じっと私を見つめて、どうやら言葉を探しているようだ。
「…あ、なんなら私が一番大事なものにでもなろうか!」
その先のヴィンセントの言葉を聞くのが怖くなって、思わず言ってしまった。出来るだけ明るく言ったその言葉が、どうか空回りしませんように。心の中でそう呟きながら、恐る恐るヴィンセントを見上げた。背の低い私は抱きしめられるとき、いつも彼の体の中にすっぽりと隠れてしまう。
「…もう!だんまりしないでよね!冗談よ、冗談」
「……それも、いいな」
「え…?」
ヴィンセントは少しだけ私に笑いかける。ヴィンセントのこんな顔を見れるのは、きっと私だけ。
そう、今は、私だけ。
「…それ、本気?」
「嘘だと思うか?」
「…ううん、信じる、よ」
私は思いっきりヴィンセントの胸に顔を埋めた。ヴィンセントの腕に力がこもる。
――――嘘つき
ヴィンセントは嘘つきだ。いつだって優しい嘘で私の心を引き裂くのだ。本当はその瞳に私なんか映っていないくせに、瞳の先の誰かを映しているくせに。そしてそれくらい分かってるのに、信じる、なんて言ってしまう、私も嘘つきだ。
本当はいつだってそばにいたい、一番でありたい。そしていつまでもこんな風に、大好きな腕の中に飛び込める関係でありたい。なのに。私は弱いから、彼から離れられない。だからそんな薄っぺらい膜で仕切られたような嘘でも信じたくなってしまうのだ。
「…じゃあそばにいてね、ずっと、私のそばに」
「あぁ」
「私、の、そばに」
「…ケイ?」
なんでだろう、思わず涙が溢れた。ヴィンセントは私からそっと体を離すと、私の頬を伝う雫を見て、少しだけ、きっと私にしか分からないくらい些細に、オロオロとした。
「…どうか、したのか?」
「ううん、なんでも…ないよ」
ただ見てほしいだけ、私を見てほしいだけ。彼を思って彼を知るたび、彼の瞳の奥の闇に触れてしまうたび、いつも悲しくなる。そこに私は存在しないのだから。
ヴィンセントはしばらく少し困ったように、私を抱きしめながら頭を撫でてくれていたのだが、ふと身を屈めて私の頬にキスをした。
「…泣かれてしまうとどうすればいいか分からなくなる」
「…ごめ…ちょっと待って……すぐ泣き止む、から…」
ごしごしと目をきつく擦った。少しでも涙を多く拭う為に。きつく擦りすぎて少し目が痛いけれど、でも困らせたくないから早く泣き止まなきゃ。
あぁもう、ほんと私、ダメだ。いつもこうやって、私は何かを間違える。それでもあなたの側じゃなきゃ嫌なの。あなたが側にいてくれればいいの。いつだってその腕の中に駆け込みたい、その腕に抱かれたいの。
「…ね、ヴィンセント」
「なんだ?」
「私、あなたの側にいてもいいのかな?」
「ケイ…?」
「ここにいてもいいのかな、いなくなった方がいいのかな」
「…」
ねぇ答えてよ。
答えてよ。
「ここにいればいい、お前はいつだって、ここにいればいい」
「…うん、ありがとう」
それはとても優しくて苦しい嘘。
それはとても優しくて悲しい悪戯。
あなたから聞いてくれたら良かったのに。いたいのか、それとも去りたいのかって。あなたは言わないから、私はこの甘えた環境から抜け出せない。
「好きだよヴィンセント。大好き」
「あぁ」
肯定するのに、あなたは決して好きだと言わない。
あぁどうか。
どうか私に。
彼の心を、ください。
RUN TO YOU(ラン・トゥ・ユー)2011.02.18 修正
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