お題集 | ナノ
 トリュフ(松野おそ松)

「渓のチョコが食べてみたい」

クラスの中で誰よりも目立つ彼にそう言われたのは、先週の終わり頃。そんな彼が、クラスの中で誰よりも地味な私にそんなことを言ってくれたのが、不思議で仕方なかった。


私はずっと親の都合で所謂お嬢様学校に通わされていたのだけれど、またしても親の都合でその学校に通えなくなり、仕方なくこの学校に通うことになった。随分レベルを落としたので難なく学年一位で入学したのは良かったものの、今まではずっと女子校だったし、男の子がいる環境、授業環境もまるで違う場所に馴染めなくて、友達もろくに作れないまま一年間を過ごした。

そして二年に上がって、六つ子の長男である松野おそ松くんと同じクラスになった。六人が同じクラスにいると問題ばかり起こすからと、六人は全員異なるクラスになってしまったのだが、その中でもおそ松くんは他の五人をまとめるだけの統率力、悪戯を行う実行力があるからということで、一人だけ違うクラスにさせられてしまったのだ。

最初はとても彼が怖かった。見た目が、とかではなく、純粋に悪いうわさばかり聞いてきたからだ。しかし実際一緒のクラスになってみると、彼は私の印象とはまるで違った。
確かに勉強はしないし、悪戯を思いついては実行してよく先生方に怒られてはいるけれど、彼は非常に人望があり友人も多い。裏表がなく底抜けに明るいので、いつも彼の周りにはたくさんの人がいた。ムードメーカー、というやつだろう。ずっと一人ぼっちの私には、それが少し眩しかった。

そんなある日の昼休み、おそ松くんは一人でお弁当を食べている私に近付いてきて声をかけた。それが始まりだった。

『なあ、あんた去年学年一位で入学の挨拶の文章みたいなの読んでた子だよな?すげーよなー!俺勉強てんでダメだからさあ、すごい子がいるんだなって思ってたんだよ。まさか俺なんかと同じクラスになると思ってもなかったけど。そんでいつも勉強してるよな、しんどくない?頭疲れない?へー疲れないんだ、ていうかちゃんと予習とかしてんの?えらいなー。じゃあさじゃあさ、今度のテストのときこっそり答え教えてよ!……あ、それはダメか、うん、ですよね。つーかさ、名前何て言うの?へえ、渓ちゃんね。じゃあ渓って呼ぶから、渓も俺のこと適当に呼んでくれよな!いやいや、松野くんじゃなくてさ、下の名前で!松野くんだと六人いるから分かんないんだよな。……おそ松くん、か。あ、いやいや、君付けって結構俺の中で珍しくて。あああ謝るなって!別に嫌ってわけじゃないから!じゃ、これからよろしくな渓!』

嵐のような人だと思った。彼は突然やってきて、突然去って行く。どうして私なんかに声をかけたのかは分からないけれど、以降彼は毎日必ず私に話しかけてくれた。昼休みにはなぜか絶対に私と一緒にいるし、テストの前には勉強を見てあげるようにもなった。クラスのみんなからは秀才とヤンキーのカップルだ、なんて言ってよくからかわれたけれど、おそ松くんは決まって私を庇うような言い方をして、そういう野次馬を適当にあしらってくれた。

優しい人だな、と思った。なんだか学校で初めての友達が出来たみたいで、とても嬉しかった。

けれど、私から話しかけることはほとんどなかった。なぜなら彼の周りにはいつもたくさん人がいたし、人見知りで友人のいない私にはそれが少し怖かった。こっそり目線で訴えていると、それに気付いたおそ松くんが必ず私に声をかけてくれて、思えばその優しさに甘えていたんだと思う。


バレンタイン当日、頼まれていた手作りのチョコレートを持って登校したその日、なぜかおそ松くんは声をかけてくれなかった。珍しいことに、昼休みにも私のところへは来てくれなかった。それどころか、目も合わせてはくれない。こんなことは彼と話すようになってから初めてのことだ。

私は一人で不安になる。何か気に障ることでもしてしまったのか、嫌われるようなことをしてしまったのか。いろいろと考えてみるけれど、思い当たる節はない。伺うようにおそ松くんに視線をよこしてみると、友人たちと何個チョコを貰ったかを自慢しあっている。バレンタインだから、地味な私と一緒にいるとチョコが貰えないから、だから私を避けているのだろうか。それはそれでなんだか寂しい。鞄の中に入ったままの手作りのチョコレートが、途端に意味をなくしてしまった気がして悲しくなった。

憂鬱な一日が終わり、それぞれが部活やバイトの為にぞろぞろと教室を後にする。私はどうしても動く気にならなくて、なんとなく机に座ったまま教科書を広げる。だけど、いくら読んでも内容は頭に入ってこない。おそ松くんの顔がずっと浮かんで、やるせない気持ちだけが込み上げる。しばらくそうしていたけれど、結局勉強の内容は何一つ頭に入らないまま、気付けば日は傾きかけていた。

すると突然がらりと扉が開いて、驚いてそちらを見る。そこにいたのは、同じクラスの女生徒が三人。彼女たちは驚いて私を見た。私も驚きながら、軽く会釈をする。三人は顔を見合わせると、少し悩んだ様子を見せつつも意を決して私に近づいてきた。この学校に来てから女の子が近付いてくることが初めてで、私は反射的に身を硬くした。

「ねえ」
「は、はい」

一人の女生徒が私の前の席に腰掛けて、私に声をかけた。思わず声が上ずる。

「おそ松にさ、チョコあげないの?」

思わぬ発言に私は目を丸くした。何度か瞬きをして首をかしげながら、目の前の女生徒の顔を見つめ返す。ゆるく巻かれた髪、上手に施された化粧、着崩した制服、可愛く色づいた爪。私とはまるで違う世界にいるような可愛い彼女が、どうしてそんなことを知っているのだろう。

「どうしてそれを…?」
「おそ松のやつがさ、前にすっごいテンションで言ってたのよ、あんたのチョコが食べたいって思い切って言ったんだって」
「…」
「だけどさっきすれ違ったらめちゃくちゃへこんでて、冷やかしがてらチョコもらえなかったのって聞いたらガチでキレられたの。今その話すんなって」

私はさらに驚いて目を丸くする。だって、期待されてるなんて思ってもいなかった。それに、今日は一言も会話を交わしていない。私はどうにかこの不安を伝えたくて、なんとか口を開いた。

「…でも」
「ん?」
「でも、おそ松くん、今日全然話しかけてくれなかったから…もういらないのかと思って…」

私が俯き気味でそういうと溜め息が聞こえた。そちらに目を向ければ、女生徒は呆れ顔で肘をついて私を見つめていた。

「そりゃチョコの催促なんてダサくて出来なかったんでしょ、あいつも」
「え?」
「…お勉強しか出来ないとこうも鈍感なのか」

心底呆れたような物言いだったけれど、お勉強しか出来ないという事実に言い返せなくて、私は思わず俯いた。女生徒は再び遠慮なく口を開く。

「へこまないでよ、いじめてるわけじゃないんだから」
「はい…」
「作っては来たんでしょ」
「一応…」
「君さ、おそ松にチョコレートくださいって言われたわけ?だから作ってきたの?」

その質問で、もう一度深く考えてみる。そういえば、食べてみたいとは言われたけれど、くださいとは言われていない。おそ松くんがそう言うなら、せっかくだし彼の為に作ろうとそう思ったから作ってきたのだ。私は質問の回答として首を横に振った。

「だったらあんたから渡さなきゃ意味ないじゃん。おそ松だって我慢してたと思うよ、あいつのことだから話しかけたらチョコの催促しか出来ないだろうし、これでもしあんたが作って来てなかったら、催促した挙句チョコ貰えないっていう最悪の結果になるんだよ。それって超傷付くと思わない?」

彼女の言葉がストンの心の中に収まった。言われてみれば、確かにその通りだと思う。

「それにさ、バレンタインってのは女子が男子にチョコ渡す日なんだから、頑張らなきゃいけないのは女子の方でしょ。おそ松から声かけられるの待っててどうすんの。勇気振り絞って男子にチョコ渡すのは、何もあんただけじゃないんだから」

そう言われてはっとした。そうだ、私はずっと、おそ松くんの優しさに甘えていただけだ。このとき私はようやくそれに気付かされた。彼女が言っていることは正しい。だから何一つ反論出来ない。

どうしよう、今さら渡しにいくのは、もう遅いだろうか。考え込んで俯いていると、突然両頬がぱちんと音を立てて何かに包まれ、無理矢理顔をあげさせられた。驚いて視線を上げると、目の前にはもはや見慣れた化粧顔が映る。彼女はきりっとした表情で言った。

「うじうじしてる暇があったらさっさと動く!あんただってチョコ渡したいんでしょ!」

その言葉に私は駆り立てられた、慌てて立ち上がると、彼女は満足そうに笑った。

「あいつのことだから、まだその辺でうだうだやってると思うよ」
「頑張ってね」
「行ってらっしゃい!」

三人の女子が次々にそう声をかけてくれる。私はいてもたってもいられなくて、荷物を持って教室を飛び出した。

「あの、ありがとう!」

飛び出す間際にそう言えば、三人は笑って手を振ってくれた。彼女たちに背中を押されて私は駆け出す。こんな大切な日に、自分はなんてバカなことをしてしまったんだろう。おそ松くんは私からのチョコレートを期待していてくれたのだ。だとしたらきっと、私は彼を傷付けてしまった。そう思うと、早く謝らないとという気持ちでいっぱいになる。

教室のあちこちを見て回る。しかし何処にもそれらしい姿はなく、徐々に生徒の数も減っていた。なんとなく覗いた教室に人影が見えたので飛び込みそうになったが、一組のカップルがキスをしていたのを見て慌ててしゃがみこんだ。見てはいけないものを見た気分になって、心臓がばくばくとうるさい。もうここには近付かないようにしようと決めて、私は急いでその場から離れておそ松くんを必死に探すのだった。

しかし、その後三十分ほど探し回っても、おそ松くんの姿は見当たらなかった。時計はもうすぐ下校時間を告げようとしている。共同玄関の下駄箱のゴミ箱の前で、私は疲弊して突っ立っていた。鞄からラッピングしたチョコレートを取り出して、ぼんやりとそれを見つめる。

結局、おそ松くんは見つからなかった。きっと神様が勇気のない私を見捨てたのだ。後悔が募って、思わず視界が歪む。零れた涙が一粒だけ、ポタリと四角い箱の上に落ちた。赤いリボンが僅かに揺れる。食べてもらう人を失ったチョコレートは、どうしてこんなに虚しいものに思えるのだろう。おそ松くんが見つからなければ、下校時刻がタイムリミットだ。そうなれば、このチョコレートにもう価値はない。

私は唇を噛むと、意を決してチョコレートを目の前のゴミ箱に捨てた。心が痛い。ポロポロと涙が溢れて止まらなくて、私は両手で顔を覆った。そのとき、がやがやと騒がしい声が背中から聞こえてきた。

「だから言ったでしょ、おそ松兄さんとあんな頭のいい子がつり合うはずないって」
「残念だったなブラザー」
「…当然の結末」
「特大さよならホームラン!」
「みんな容赦なく傷えぐりすぎだよ…」

驚いて振り返ると、そこには同じ顔が六つ並んでいた。ピンクのカーディガン、青いマフラー、紫のジャージ、黄色いキャップ、緑のニット帽。そんな彼らが囲む真ん中に、どんよりとしてうな垂れる赤いパーカーを着た彼がいた。驚いて私が硬直していると、彼以外の同じ顔が私を見て「あ」と声を上げた。その声に反応して、俯いていた彼がゆるゆると気だるそうに顔を上げる。そして、目が合った。

「…え?」

おそ松くんは驚いたように私を見てしばらく固まっていたが、次には慌てて駆け寄って私の肩をがしっと掴んでいた。

「ちょ、渓なんで泣いてんの!?は!?誰!?誰に泣かされた!?言ってみろそいつぶっ飛ばしてやるから!!」

焦ったようにおそ松くんはそういうと、心配そうに私の顔を覗き見る。それだけでもっと涙が溢れてきて、私は思わず両手で顔を覆って俯いてしまった。余計に困らせてしまうと分かっているのに、涙は溢れてとまらない。おろおろおとするおそ松くんの背後から、声が五つ飛んでくる。

「あーあ、おそ松兄さんが汚い言葉使うから余計に泣かせた」
「レディを泣かすのは良くないぞ」
「…ワンチャンあるよ、良かったね」
「おそ松兄さん!一足先に春がくるといいね!」
「じゃあ、俺たち先に行くから、後は頑張って」

五人はにやにやしながら、揃ってぞろぞろと去って行く。おそ松くんはそんな彼らに睨みつけるような視線を送っていたが、すぐに優しい顔になって私の顔を覗き見た。

「大丈夫か?何かあったなら言ってみろって」
「あの、私…」
「ん?」
「…ごめんなさい」

搾り出した言葉はそれが精一杯で、おそ松くんはなおさら頭を悩ませてる。どうやって伝えればいいのか分からなかったけれど、ここで逃げて彼の優しさに甘えるわけにはいかない。私は息を吸って、なんとか一つ一つ声に出す。

「私、今日ずっとおそ松くんに話かけてもらえないからって、それで自分から話しかけもしないで、それでずっと勝手に悩んでて、でもこのままじゃダメだと思って探したけど、だけど見つからなくて、それで」

こういうときにどうやって上手く伝えればいいのか分からなくて、言葉の内容はひどいものだ。言葉にすればするほど蛇足で、何一つ伝わらない。それでもおそ松くんはちゃんと話を聞いてくれた。

「俺のこと、探しててくれたのか?」
「チョコレート、渡したくて」
「え!?」
「でももう、だめだと思って、捨てちゃって」
「どこに!?」
「これ…」

泣きながら視線を後ろのゴミ箱に向けたら、おそ松くんは慌ててゴミ箱の一番上にあった赤いリボンの箱を拾い上げる。その行動に驚いて、私も思わず彼を止めた。

「お、おそ松くん…それだめ…もう汚い…!」

彼の手の中にあるチョコレートを奪おうと手を伸ばすと、逆に手を取られてすっぽりと彼の腕の中に閉じ込められてしまった。急に喉が塞がって思考が止まる。私よりもずっと大きなおそ松くんの腕の中があったかくて、途端に胸がドキドキし始めて、それから顔が熱くなった。

「うわー待って、ちょっと待って」

私の肩に顔を埋めたまま、おそ松くんが言う。

「どうしよう、めちゃくちゃ嬉しい」

その言葉だけで、また泣きそうになった。溢れそうなのを必死に堪えて、なんとか声を絞り出す。

「あの、おそ松くん…」
「ん?」
「その…は、恥ずかしいです…」

そう言えば、おそ松くんはハッとして体を離した。彼も私と同じくらいに赤い顔をしている。

「わわわわ悪い!」
「う、ううん、大丈夫…」

気まずい沈黙が流れる中、おそ松くんは何かを決意したかのように私の手を握った。

「あのさ!」
「うん…?」
「今から公園でこれ食うから、ちょっと付き合って!」
「え…で、でもゴミ箱に入れちゃったものだし、何ならまた作る…」
「中身は無事だしさ!ほら、行こうぜ!」

おそ松くんは私の手を握ったままで歩き出した。私も慌てて後を追う。下校時刻のチャイムが鳴る中、私たちは学校の出口に向かって手を繋いで歩いて行く。空は夕焼けを迎えていた。なんだか心臓がどきどきしているのは、これは一体、何なのだろう。

「なあ渓」

おそ松くんが私を呼んで振り返った。

「ホワイトデーにさ、デートしよう」
「デート…?」
「そ!渓が行きたいところ行こうぜ」
「で、でも、おそ松くんチョコレートたくさんもらってたし、お返しとか…」
「渓からもらった分しかお返ししない。バイトもしてないからお金ないし」
「でも…」
「だからさ!デートまでに渓のこともっと知りたいし、もっと話したいし、それまでにちゃんと俺のこと意識してほしいから」

おそ松くんは、夕焼けに負けないくらい赤い顔で、ニカッと笑った。

「連絡先、教えて」

繋いだ手をぎゅっと握り返して頷いた私の顔は、きっともっと、赤いんだろう。

トリュフ
(ほろ苦くて甘くい、恋の始まりを告げた日)

2016.02.16

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