お題集 | ナノ
 ホットチョコレート(金城白子)

これを渡すのは、残念ながら得策ではない。手の中にある不恰好なピンクの包みを眺めながら、私は深く溜め息をついた。
中には手作りのハートのクッキーが入っているのだが、これがまた包みに負けないくらいの不恰好さで、せめて味が良ければ救われたものの、正直なところ、いたって普通の手作り感溢れるクッキーだ。手作り独特の粉っぽさも健在だ。

下校時刻を告げるチャイムを聞きながら、一人ぼっちの教室で沈みゆく夕焼けを見つめる。一組のカップルが手を繋いで下校しているのが見えた。
一月に比べればうんと日が長くなったとは思うけれど、それでも寒さは和らいではくれない。やっぱり冬は嫌いだな、と思いながら赤色のマフラーを巻きつけて、憂鬱な気持ちで教室を後にした。


職員室に鍵を返しに行ってから、写真部のプレートが掛かった部室の中を廊下の窓からこっそりと覗く。いつもは静かな部屋だが、今日に限って女子の黄色い声が響く。そこには三人の女子に囲まれた大好きな先輩の姿があって、手作りらしいチョコレートを手渡されていた。それを見て一気にげんなりとしてしまい、思わず覗くのをやめてしまう。自分の手のひらの中に納まっている不恰好な包みと違って、手渡されていたのは百円ショップでは買えないような、気合の入ったオシャレな箱だった。先輩に渡す手作りバレンタインなのだから、多分本命だろう。当然私だってその中の一人だ。

一人廊下で息を吐く。やっぱり私には、先輩は遠い。春が来れば先輩は卒業してしまうから、例え叶わない想いだとしても、告げるのは今しかないと思っていた。けれど、所詮私にそんな勇気はない。諦めきれない感情を持て余したまま、ゆっくりと時間がこの恋の後悔を癒してくれるのを待つしかないのだろう。なんだか泣きたい気持ちになりながら、今日一日大切に持っておいた不恰好な包みを、乱暴に鞄に突っ込んでその場を後にしようとした。そのときだった。

ガラリと扉が開いて、反射的に肩を大きく震わせる。びっくりして音の方へ顔を向ければ、そこには綺麗な白髪をふわりと揺らした先輩の姿があった。先輩も私を見つけて目をぱちくりとさせる。

「渓ちゃん?なんでここに…」
「しっ、白子先輩…!え、えっとあの…!」

あまりに急だったから、思考はまるで追いつかない。中身は見えていないのに、混乱しすぎたせいで慌ててクッキーの包みが入った鞄を背中に隠す。白子先輩は不思議そうに首を傾げて続けた。

「今日、委員会あった?俺、何か忘れてる?」
「い、いえいえ!そういうわけじゃ…!」

何と言えばいいのか分からなくて、私は必死に首を横に振って、どうしてこうなってしまったのかを後悔する。すると白子先輩の後ろから、先程の女子達もぞろぞろと出てきた。

「ねぇ白子、何してんの?一緒にかえろーよー」

三人は白子先輩と同じ三年生のようで、気軽に白子先輩に腕を絡めたりしていた。それを見て、胸の奥がズキンと痛む。先輩に恋をした瞬間からこうなるのは分かっていたことだというのに、実際こういった光景を目の当たりにすると精神的なダメージがダイレクトに響いて、なかなか涙腺に響いてくる。

「あ、あの、私はこれで…」

本当に泣きそうになって、誤魔化すようにぺこりと頭を下げて、私はそこから逃げようとした。しかし、白子先輩の声が私を引き止める。

「待って」

それだけでピタリと足は止まってしまう。顔を上げられずにどうしようと必死に悩んでいると、白子先輩は三人の先輩達に向かい合って言った。

「悪いけど、俺用事あるから」
「え?ちょっと白子…!」
「行こう渓ちゃん」
「え!?」

予想外に私の名前が呼ばれたかと思うと、歩み寄ってきた白子先輩は私の隣に立つと、背中に手を添えて誘導するように歩き出す。一気に心音はやかましくなり、顔は急速に熱くなった。白子先輩は引き止める女子達の声など無視をして、私を連れたまま学校を後にした。



「で、何かあった?」

学校の外に出て、白子先輩はのんびり歩きながら優しい声で私に聞いてくれる。一緒に帰宅することになるなんて、夢にも思っていなかった。嬉しさと同時に焦りが込み上げる。何せバレンタインにクッキーを渡すだけの予定が、こうして先輩と二人っきりでいるのだ。今さら何もないとは言えない。

「何かあったってわけじゃないんですけど…」

目が合わせられなくて言いよどんでいると、先輩は少し考える様子を見せてからふんわりと笑った。

「渓ちゃん、この後予定は?」
「え…何もないですけど…」
「少し遅くなってもご両親怒ったりしない?」
「連絡さえ入れておけば、九時くらいに戻れば大丈夫だと思います」
「じゃあ帰りは責任もって家まで送るから、今からちょっと付き合ってよ」

そう言うと白子先輩は有無を言わさず私の手を取ると、駅とはまったく違う方向へ向かって歩き出す。繋いだ手が大きいとか、温かいとか、男らしいとか、それはもちろんのことなんだけれど、それよりも心臓がばくばくとうるさい。振りほどけるわけも、ましてや断れるはずもなく、私は真っ赤な顔を隠すように俯きながら先輩の後ろに着いて歩いた。

十五分ほど歩いてやって来たのは海が見えるショッピングモールで、海を見ながらベンチに座っていちゃいちゃとするカップルが大勢居る。あちこちで手作りのチョコを手渡しすカップルを見ていられなくて俯いていると、白子先輩が空いたベンチに私を座らせた。

「ちょっとここで待ってて、すぐ戻るから」
「あ、はい」

そう言うと、先輩は小走りでモールの中に立ち去ってしまう。仕方がないので、ぼんやりと海を眺めながら身をちぢ込ませる。海から吹く風は街中で吹くそれよりも一段と冷たくて、余計に寒く感じた。隣に誰も座っていないのもあるのかもしれない。白子先輩を待つ一分一秒がやけに長く感じて、すごく寂しい気持ちになるのをぐっと堪える。

十五分ほどして、白子先輩は小走りで現れた。たかだか十五分が随分長い時間のように思えた。戻って来た先輩の手には可愛い絵柄がプリントされたビニールの袋を提げてられいて、両手には何かを持っている。

「お待たせ。はいこれ」
「え?」
「期間限定のホットチョコレート。これ、飲みたいって言ってただろ」
「えええ!?あ、あの、いいんですか…!?」
「もちろん、寒い中待たせたし」

お礼を言いながら手渡された紙コップを受け取る。それは有名なチョコレート店が期間限定で出しているホットチョコレートで、先月先輩と居残りで委員の活動をしているときに、私が飲んでみたいんだと先輩に話していたものだった。覚えていてくれただなんて思ってもいなくて、すごく嬉しい。それと同時に、顔が熱い。熱のこもる顔を何とかマフラーで誤魔化しながら、目線を白子先輩に送って小さく呟いた。

「いただきます」
「はい、どうぞ」

先輩がくすっと笑った。それだけでドキドキと心臓はうるさい。ホットチョコレートにそっと口付けて、二人でゆっくりとそれを飲む。とても濃厚で、口の中にチョコレートの上品な甘さがふわっと広がるが、決してしつこくはない。結論として、とてつもなく美味しかった。

「おいしい!先輩、これすごくおいしいですね!」

思わず顔が綻ぶ。テンションが上がって、つい先輩にもそう言ってしまった。そんな私をみて、先輩はどこか安心したようにふっと表情を和らげる。

「良かった」
「え?」
「やっと笑った」

先輩はそう言ってからもう一口ホットチョコレートに口をつける。それからおいしいね、と笑ってくれた。

今日、先輩の前で一体どんな顔をしていたのだろう。それを考えるとなんだかすごく申し訳ない気持ちになって、思わずしゅんとしてしまう。

「すみません…なんか心配かけちゃったみたいで…」
「謝ることじゃないだろ」

先輩はやっぱり笑ってそう言った。諦めよう、なんて思ってたのに、優しすぎてそれだけでまた好きになる。どうしようもなく先輩が好きなんだと思い知らされた。

「あとこれ」
「え?」
「ハッピーバレンタイン」

白子先輩は手に持っていたビニールの袋を私に突き出した。可愛くプリントされたそれは、白子先輩が持つには確かに不似合いだが、まさか自分へのものだと思ってもいなくて私は思わず首を横に振った。

「も、貰えませんよ!」
「海外じゃ男が女の子にプレゼントする日だろ。それに、俺がこんなの持ってても使わないし、受け取ってくれると嬉しいんだけど」

私はうっと言葉に詰まる。そんなことを言われたら、受け取れないはずがない。嬉しいのと申し訳ないので心はいっぱいだ。私はおずおずと差し出された袋を受け取った。袋は軽くて、ふかふかと柔らかい。

「すみません…ありがとうございます」
「どういたしまして」
「…あけてもいいですか?」
「もちろん。気に入るか分からないけど」

私はビニールの袋の中身を覗く。そこに入っていたのは、淡い紫に白のドット柄が入った、とても手触りのいいもこもこのブランケットだった。デザインはとてもシンプルだけれど、ドットの中に時々ハートが混じっていて可愛らしい。思わず先輩を見上げると、先輩は少し恥ずかしそうに笑う。

「渓ちゃんの好みとかあんまり分からなくてさ。ピンクもあったけど、さすがに俺が買うの気恥ずかしくて」
「わ、私のためにわざわざ買ってきてくれたんですか…?」
「渓ちゃん以外に誰がいるの」

先輩はおかしそうに笑う。

「膝にかけときなよ、ここ冷えるから」

白子先輩は私からブランケットを取ると、それを私の膝に掛けてくれた。ミニスカートで冷え切った足がブランケットに包まれて暖かい。きっと先輩は、このためだけにブランケットを選んで買って来てくれたんだろう。ホットチョコレートで体は温かいし、ブランケットで冷え切った足ももう寒くない。なんだか至れり尽くせりすぎて夢のようだ。私は慌てて白子先輩を見上げる。

「あの、ほんとにありがとうございます!お礼は絶対ホワイトデーに…」

言いかけて、ぴたりと口が止まる。ホワイトデーには、もう先輩は卒業して学校には居ない。それに私は、先輩の連絡先を知らない。学校で会えば挨拶をして、同じ委員会でよく話す。それ以上、私と先輩には何もない。

ここで連絡先を、なんて厚かましくて言えるはずがないし、ブランケットも私が寒そうだったから買って来てくれただけだろうから、きっと特別な意味はない。ホットチョコレートだって、なんだか元気がない私を見かねたから買って来てくれただけに違いない。そう思うと、どうしてもその先を言う気にはなれなかった。

視線を泳がせたままどうしようかと悩んでいると、先輩が困ったように眉を下げて私の顔を覗き見た。その顔がいつになく近くて、心臓は痛いくらいに大きく飛び跳ねる。

「俺、そんなに先まで待てないんだけど」
「え…?」
「出来れば今、欲しいかな」

まるで初めから全部わかっていたかのように、悪戯っぽくそう言って先輩は笑う。あんまり顔が近すぎて、赤くなった顔は、もう隠せない。

「あ、あの、私…」
「うん?」
「その、全然お料理ダメで」
「うん」
「それに不器用で、ラッピングも下手くそで」
「うん」
「人様にあげられるようなもの作れなかったんです」
「でも、俺は渓ちゃんの手作りが世界で一番欲しいんだけど」

なんて口説き文句だ、と思いながら、私は必死で視線を逸らすことしかできない。最初からバレバレだったのだ、先輩には。まあバレンタインにわざわざ部室に行って待ってたら、バレるのも仕方がないのだけれど。

「…ほんとにおいしくないですよ」
「食べれないものじゃないだろ」
「おなか壊しても知りませんよ」
「壊したら責任取って作り直しな」

白子先輩はくすくすと笑う。観念して、私は鞄の中から不恰好なラッピングの施されたクッキーを取り出して先輩に手渡した。受け取った先輩は嬉しそうにそれを受け取ると、目尻を下げながら笑って言った。

「ありがとう」
「…ハッピーバレンタイン」

小声で囁いた言葉はちゃんと先輩には届いていたようで、先輩はくすっと笑いながら包みに手を掛けた。

「せ、先輩、今食べるんですか!?」
「当たり前だろ」
「だ、だって、先輩が貰ったやつの中で絶対一番おいしくないですし…!」

慌てふためいてそう言うと、白子先輩はきょとんとした顔で私を見た。

「貰ったやつ、これが一個目だけど」
「…はい?」

思ってもいなかったセリフに、先輩の顔を見たまま固まってしまっていたら、先輩はさらに追い討ちを掛ける。

「今年で卒業するし、本命の子以外のチョコは貰いたくないって言って全部断ったよ」

ああ、一体何人の女子たちが今年涙したのだろう。そして、どうして私の手作りだけは受け取ってくれたのだろう。結論は一つしかない。

「あの、本命、って…」
「うん、今無事に貰えた。危うく本気で諦めるところだったけどさ」

そう言いながら、先輩は包みの中から粉っぽいクッキーを取り出して、やけに嬉しそうに口に放り込んだ。私は呆然とそれを眺めることしか出来ない。白子先輩はもぐもぐと口を動かしてから飲み込むと、笑顔で私の顔を見た。

「おいしい」
「…ほんとですか?」
「のどは渇くけど」

からかうように言われたけれど、それがなんだか恥ずかしくて俯いてしまう。私だって、もっとおいしいものを作りたかった。

「…来年」
「うん?」
「来年は、もっと、頑張ります」

顔が赤いのはもうバレバレだろうけれど、そんな顔を見せたくなくて俯いたままそう言うと、白子先輩の指が顎に添えられて、くいっと顔をあげられた。先輩の整った顔が真正面にあって、アメジストみたいな綺麗な瞳に吸い込まれそうになる。

「期待してる」

優しく先輩に微笑まれる。顔は先輩に支えられているせいで、もう逸らすことが出来なかったので、思いっきり視線を逸らしてしまった。
いちいちずるくて心臓が持たない。先輩は私の顔を見つめながら続けた。

「ところで渓ちゃん」
「…なんですか」
「もう、俺のものってことで、いいよな?」

恥ずかしいやら嬉しいやらで、なんだか泣きそうだ。とにかく必死に首を縦に振ると、先輩は嬉しそうに笑いながら、甘いにおいがする唇を私に重ねた。

冷め切ったホットチョコレートは、また今度二人で買いに来ようと決めて、私は緩やかに目を閉じた。

ホットチョコレート
(来年もこうして、君と居られる未来がありますように)

2016.02.16

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