07

「…本当にこれでいいの?」
「大丈夫よ、自信持ちなさい」

日の沈みかけている空は薄っすらと明るく、夕暮れにはまだ早い時間、葉月は妃子と共に花火大会が催される琵琶湖の南側に向かっていた。
さすがに大蛇の影響もあり滋賀は曇天に覆われていたが、いつもよりも雲は薄く、僅かに月の明かりが見える。辺りの空気も普段以上に賑やかだ。そんな空気に当てられて楽しそうな妃子の隣りを、葉月は緊張した面持ちで歩いている。

「折角の花火なのよ、もっと楽しそうな顔しなさい葉月」
「だ、だって!」
「蒼世も気に入ってくれると思うけど?」
「…」

妃子の言葉に、葉月はぐっと押し黙る。そして自分の姿を見下ろして眉をひそめた。
葉月は白地に赤と桃色の牡丹が描かれた華やかな浴衣に身を包み、短い髪はやんわりと纏められ、そこへ赤い髪飾りが取り付けられていた。短いからといって普段あまり整えない髪も、妃子の手にかかればあっという間に華やかに仕上がるのだから不思議なものだ。さらに、化粧っ気がない幼い葉月の顔にも薄く紅が差されていて、いつになく大人らしい印象を与える。

「…私じゃないみたい」
「いいじゃない、綺麗なんだから」
「…」

慣れない自分の姿を褒められても素直に受け入れることが出来ない葉月は、疑いの眼差しで妃子を見つめるばかりだが、妃子はそんな視線など痛くも痒くもないらしい。大して着飾ってもいないのに、やけに色気を放ちながら「楽しみね」と笑う妃子をずるいと感じつつ、葉月はその隣りをどことなく不服そうに歩いていた。

二人が待ち合わせ場所に着くと、そこはすでに多くの人で賑わっていた。この日の為にと並んだ露店は、どこも繁盛している。空も赤みを帯びていて、暮れ行く空が花火の始まりをゆっくりと人々に知らせていた。
葉月は人混みに飲まれないように妃子にくっつきながら、犲の面々を探してきょろきょろとしていると、そんな二人を聞きなれた声が呼んだ。

「あ、いたいた。おーい妃子さーん、葉月さーん!」

二人の姿を見て、武田が手を振る。葉月はそんな武田に手を振り返すと、妃子と共に武田の元へ向かった。そこには武田、鷹峯、蒼世がいたのだが、当然犲の隊服ではなく全員着流しを着ている。犲同士といえど、隊服以外の以外の姿をお互いに見せ合うことはないので、こうして全員が和装で揃うのは非常に珍しい。鷹峯は葉月の浴衣姿を見て、お、と声を上げた。

「なんだ葉月、似合うじゃねぇか」
「…」

鷹峯が笑いながらそう言うと、褒められなれていない葉月は恥ずかしくなったらしく、さっと妃子の後ろに隠れてしまう。

「珍しくしおらしいこった」
「うるさい」
「葉月さん綺麗ですよ!」
「だまれ武田!」
「なんで!?」

葉月は妃子の後ろに隠れたまま、ほんのりと頬を染めてちらちらと顔を覗かせる。妃子はそんな葉月にやれやれと肩を竦めると、蒼世を見て声をかけた。

「芦屋さん達は?」
「芦屋は女に声をかけてくると云って自由行動、犬飼と屍は人混みがしんどいから年寄り組で仲良くやっておくらしい」

まあ彼等らしいことだと思いながら、妃子は葉月を引っぺがすと自分の前に差し出した。葉月は自分を隠していたものがなくなってしまって、緊張のあまり硬直してしまう。それでも恐る恐る視線だけを蒼世に向けると、自分をまじまじと見つめる蒼世と目が合ってしまった。あまりの恥ずかしさに、葉月は誤魔化すように視線を逸らすと、ひとりあたふたと焦ったように声を上げる。

「ほら、じゃあもう行こ!あ、あの風車ほしい妃子ちゃん!」
「子どもじゃないんだから自分で買いなさい」

言いながら葉月は妃子の手を引いて先頭を歩く。そんな葉月の姿に妃子は呆れた笑みを零しながら、初心も大変だなと心の中で吐き出した。
がやがやと騒がしい人混みを、露店を堪能しながら五人はのんびりと進んでいたのが、途中で人混みに飽きたらしい鷹峯が勝手にどこかの飲み屋に入ってしまい、結局四人で回ることになってしまった。最初は着慣れない華やかな浴衣に恥ずかしがっていた葉月も、結局楽しげな雰囲気に飲み込まれて、終始けらけらと笑いながら露店を楽しんでいた。風車片手にひょこひょこと歩く姿はまるで子どものようだ。

しかし暗くなるにつれ人は増えていき、なかなか前に進めない状態になっていた。楽しそうにしていた葉月もいよいよ不安になり始めて、そわそわとしながら、まだ花火が上がらないことを祈るばかりだ。
葉月は鷹峯から花火が綺麗に見える穴場を教えてもらっていたのだ。そこは人も少なくあまり知られていないので、人混みに苛々しやすい蒼世でも花火を楽しめると言われていた。葉月としてはそこで花火を見たいわけなのだが、この人混みではそこへ行くにも一苦労だ。
もうすぐそこなのにな、と思いながら、葉月はこっそり蒼世を見上げる。蒼世は相変わらず無表情で、なんとなく不機嫌そうに見えた。せっかく仕事を早めに切り上げてもらったというのに、不機嫌にさせては意味がないと葉月が不安になっていると、ふと蒼世と目が合った。蒼世は葉月の顔を見て少し眉を寄せる。怒っていると思った葉月が表情を強張らせたとき、蒼世は不意に口を開いた。

「葉月、髪飾りはどうした?」
「え?」

思ってもいなかった言葉に、葉月は思わずきょとんとすると、自身の頭をぺたぺたと触る。そして髪飾りがないことに気付いて、さあっと血の気が引くのを感じた。髪飾りも浴衣も、妃子からの借り物だったのだ。

「な、ない…」

この人混みに飲まれて取れてしまったのだろう。いつ何処で落としたかも分からないし、すっかり浮かれてしまっていてそれにすら気付けなかった。

「ど、どうしよう…」

葉月が顔を青白くさせていると、それに気付いた妃子がなんてことはないと笑った。

「取れたんなら仕方ないわ。高いものでもなかったし、別にいいわよ気にしなくて」
「でも…」
「この人混みじゃ取れることもあるわよ」

妃子は笑ってそう言うものの、葉月は性格上そういったことを無視はできない。少し悩んだが、葉月は意を決して妃子を見上げた。

「妃子ちゃんごめんね!私探してくる!」
「え?何云ってるのこの人混みで…」
「見つかりそうになかったらすぐ戻るよ!武田、三つ目の露店を右に曲がって道なりに進んで!そこ、穴場だから!」
「え、ちょ、ちょっと葉月さん!?」
「すぐ戻る!」

葉月はそう言うと、三人の返事も聞かずに人波を逆行し始めた。
そんな自分を引きとめようと差し出されていた手があったことに気付けないまま、葉月は人の隙間をうまくすり抜けてしまって、あっという間に姿を消してしまったのだった。

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