08

蒼世は無理矢理人波を逆行していた。その眉間には深くしわが刻まれている。列を乱す蒼世を煙たそうに睨みつける周囲の人々の視線も、額を流れ落ちていく汗もそのままに、必死になって探しているのは葉月の姿だ。

この人混みの中、落とした髪飾りを探すと言って、あっという間に姿を消してしまった葉月に伸ばした腕は、彼女には届かなかった。そんな自分に対して苛立つ上に、この人混みで馬鹿みたいなことを言って消えた葉月にも苛立っていた蒼世の表情は、いつになく険しい。見つけたらとりあえず説教をしなければと思いながら、蒼世は脳裏にちらつくやけに大人びた葉月の姿を思い返していた。

まだあどけなさが残る葉月を、蒼世はいまだに子どもなのだと思っていた。いや、思い込んでいたかった。
実際、葉月は年齢のわりにはやけに無邪気で、年上に可愛がられやすい。だからこそ、いつも一線を引いている蒼世自身が葉月を見守る目は、保護者寄りのものである場合が多いのも仕方ないのだが、今日は違う。
犲の隊服に身を包み、武器を持ち、果敢に男に立ち向かっていく上、女性らしさには欠ける葉月だが、彼女だって十分に大人の女だったことを改めて思い知らされたのだ。

妃子に比べれば色気はないし、同年代の女と比べても圧倒的に幼い。しかし、だからといって葉月が子どもという分類に分けられることはないのだ。
そんなこと本当は知っていたのに、ずっと知らないふりをしてきたのは、自分だけが葉月のことを特別に想っていたかったからだ。葉月もれっきとした女なのだと周囲が知ってしまったら、それだけ葉月が狙われる可能性が出てきてしまう。だから蒼世は、いつものままの葉月でいて欲しかった。葉月の中の女らしさなど、自分だけが知っていればいいのだと、そう思っていた。

だが、今日その女らしさを全面に押し出して葉月が現れたとき、自分の意思とは関係なく胸が密かに高鳴った。その姿をもっと見たいと思いつつ、誰にも見せたくないとさえ思ってしまって、やけにちぐはぐな心と自分の独占欲に驚きさえした。当然蒼世はそういった感情を表には出さないため、周囲にも気付かれてはいなかったのだが、蒼世自身はとにかく平常心を保とうと必死だったので、やけに不機嫌な顔つきになっていたのだ。

そんなわけで、葉月が変な輩に絡まれていないかとはらはらしていた蒼世は、必死になって人混みを掻き分けていた。
くるくるとした短い黒髪に、白の浴衣。なかなか見当たらない姿に自然と舌打ちを漏らしていると、人混みの中で突然強く手を引かれて蒼世は思わず振り向いた。するとそこには、蒼世が恋人のふりをしていたあの女がいたのだ。当然、葉月だと思って振り向いた蒼世の気分は一気に下降する。

「蒼世様…」

今にも泣きそうな寂しげな声で女は言う。大蛇の情報がないことが分かったあの日、蒼世はすぐに恋人のふりをやめて女を振った。葉月を想いながら他の女と恋人でいる自分自身への罪悪感もあったのだろう、嫌だ嫌だと泣きする女に優しさの欠片も見せることなく、「もう用はない」と言い切ってばっさり女を切り捨てた。その女が今、急いでいる自分の腕を放すまいと掴んでいる。面倒になって振りほどこうとするが、女は突然声を荒げた。

「嫌です蒼世様!」

そう言って、女は人混みの中蒼世に抱き着いた。周囲の視線が二人に注がれる。こんなところで事を荒げるわけにはいかなくて、蒼世は苦々しげに顔を歪めると、仕方なく女の腕を引いて人混みを抜けた。

人の群れを外れて露店の隙間を通り抜けると、そこは整備された道があった。今日は花火が上がるため、この道にまったくと言っていいほど人の気配はない。
蒼世は至極面倒そうに溜め息を漏らすと、女の手を離して睨むように女を見下した。女はそんな蒼世を顔を見て悲しげな表情を浮かべると、今にも泣き出しそうになりながら俯いてしまった。

「悪いがお前に構っている余裕はない。急いでいるので行かせてもらう」
「お待ち下さい蒼世様!」

蒼世がさっさと行こうとすると、女は再び蒼世に抱きついた。

「なんだ、もうお前と俺は無関係だ」
「無関係などあんまりではありませんか!あの夜、あんなに優しく抱いて下さったというのに!」

それも仕事のうちなのだ、とは残念ながら言えない。大蛇の件は内密に事を運ばなければならないので、自分が犲という身分であることは、一般には明かすことは出来ないのだ。もう興味は失せたと何度も言ったはずなのに、女という生き物の面倒くささに呆れたように息を吐くと、ふと遠くで人の気配がした。蒼世がそちらに意識を向けると、木々の隙間に白い浴衣の袖がはためいているのが見えた。蒼世の背筋がすっと冷えていく。

「…葉月」

はっきりと名前を呟くと、白の浴衣はびくりと一度震えてから、慌てたように駆け出してしまった。咄嗟に追いかけようとするが、女は離れる気配を見せない。とうとう蒼世は我慢できずに女を引き離すと、はっきりとこう言った。

「お前のような女に興味はない、もう用済みだと云っただろう。二度と俺に近付くな」

その場にへたりこんでしまった女はしおしおと泣き出してしまったわけだが、そんなどうでもいい女を気にかけている余裕は蒼世にはなかった。すぐに駆け出して、まだ遠くには行っていないはずだと葉月を追いかけると、すぐにその姿は見つかった。だが、蒼世の足は葉月とかなり距離を開けて止まってしまった。
葉月の隣りには良く知ったカニ頭がいて、葉月の頭をぽんぽんと撫でていたのだ。そして、そのまま葉月の手を引いて人混みの中に消えてしまう。
蒼世はもう動くことも出来ず、ただ強く拳を握ることしか出来なかった。

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