06

蒼世が女と赤船で食事をした翌日、今日は鷹峯が非番で葉月がいつも通り出勤してきた。妃子も無事に回復したようで、ようやく女が二人いる状態の、どことなく涼しげで華があるいつもの犲の詰め所の風景が戻って来た。強面の鷹峯もいないので、その涼やかさはいつも以上のように感じる。

しかし、蒼世は憂鬱だった。葉月が詰め所にいるにも関わらず、やけに気分がもやもやとしているのは、葉月が天火に会っていたことと、自身が女の相手をしなければいけなかったことが関係しているのは間違いない。おまけに、結局女はろくな情報を持っていなかったのだから、滋賀に行ったことも女の相手をしていたことも、そのすべてが無駄だったように思えてならなかった。
ただ、幸いにもこれ以上あの女と関わらなくて良くなったことで、蒼世は肩の荷が下りた。葉月のことが脳裏にちらつく状態で下手に他の女との関わりを持ってしまうのは、蒼世にとって心労を溜め込む大きな原因の一つだったのだ。それが解消出来たことは喜ばしいことである。

蒼世が自席からちらっと葉月を覗き見ると、葉月はくわーっとひとつ、子どものような欠伸をこぼして目を擦っていた。
昨夜京都に戻ってきた葉月は、偶然会った鷹峯と飲み屋で飲んでから女子寮に帰ってきたのだ、と芦屋に話していたのを蒼世はこっそり盗み聞きしていたため、やけに眠そうなのもそのせいだろうと予測していた。
葉月は酒が強い。ザルなのでかなりの量を飲んでもケロっとしているため、酒の席で変な男に絡まれることはないだろうし、昨日にいたっては鷹峯も一緒だったのだ。当然何事もなかったわけだが、それでも心配してしまうのが男心なのだろう。
そんな蒼世の気も知らず、葉月は呑気に今朝妃子に作ってもらったらしいおにぎりをむさぼり始めたのだから困ったものだ。眠気のあまりギリギリまで寝たせいで朝食を食べ損ねたのだろう。

特大のおにぎりにかぶりつきながら、葉月は犲の隊服を着崩して胸元をパタパタと仰いでいる。昨日と変わらないほど日差しは強く、犲の詰め所にも熱気がこもっているのでそうしてしまうのも仕方がないことだが、蒼世としては目のやり場にこまる上に、そういった無防備な姿を男が変な目で見ていないかと周囲を警戒してしまうから、いくら詰め所の中だとはいえそういう姿は控えてほしいものだと願うことしか出来ない。
自分も随分重症だと思いながら、そんなことは顔に出さずに蒼世も自身の書類を進めることにした。



それからしばらくして、昼食時。
粗方書類が片付いた隊員たちが、それぞれ自由に食堂に向かっていったのだが、蒼世はまだ仕事が残っていたため詰め所に残って書類を進めていた。しかし、注がれる視線に気付いて蒼世が顔を上げると、じっと自分を見つめる葉月がいた。すでに他の隊員は全員出てしまったようで、熱気のこもる犲の詰め所には蒼世と葉月の二人しかいない。

「行かないのか」

見つめ合うのもなんだか気恥ずかしくて、蒼世はぶっきらぼうに言いながら視線を書類に戻す。ここ最近、葉月はやけに蒼世と距離を取るようになっていただけに、蒼世にとってこの状況はなかなか不安なものだった。そんな蒼世の不安に気付くことなく、葉月はんーと悩むような声を上げてから、何かを言葉にするのを躊躇って、それからいつも通り呑気に声を上げた。

「蒼世は行かないのかなって」

そう言ってはいるものの、他に何か言いたいことがあってわざわざ残っているのだろうと悟った蒼世は、ゆっくりと顔を上げて葉月を見た。うるさく鳴り響く蝉の声が、今だけは邪魔だと思った。

「それだけか」
「うーん、まあね」
「他に何か用があるんだろう」
「…分かる?」
「何年こうして一緒にいると思っている」

言いながら、蒼世は筆を置いた。こうして作業の手を止めてまで話を聞く体勢に入るのは、相手が葉月だからなのだろう。葉月は少しだけ困ったように笑うと、おずおずと遠慮がちに尋ね始めた。

「あのさ、蒼世、今夜忙しい?」

突然の誘いに、蒼世は涼しい顔をしたままで固まってしまったが、とりあえず必死に脳内で言葉を探す。そしてなんとか平然と答えてみた。

「…いや、今夜は特に立て込んでいることはない」
「ほんと?ちょっと早めに終われる?」

葉月の目が僅かに期待で輝いたことによって、蒼世の胸の中の期待も思わず膨らむ。

「まぁ、今日くらいなら早めに終われんこともないが」
「え、じゃあさ、あのさ、今夜暇だったらさ、一緒に花火見に行かない?琵琶湖の南側であるらしいんだけど…あ、嫌なら全然いいんだけどね、気が向いたらでいいんだけど…」

嬉々とした様子で捲くし立てるように言い始めたものの、葉月は徐々に語尾をすぼめていく。浮かれるなと言って怒られると思ったのだろう。すっかり威勢をなくして縮こまってしまった葉月の姿はさながら子犬のようで、蒼世の表情も思わず綻ぶ。葉月のこういうところに蒼世は弱いのだ。

「…追って急な仕事が入らなければな」
「え?」
「お前も早めに終わらせろ」
「え?行ってくれるの?ほんとに?やった!」

葉月は思わず両手を掲げると、たまらなく嬉しそうにぴょんと一度飛び跳ねた。そして慌てて立ち上がると、詰め所を出て行こうとする。

「じゃあさっさとご飯食べて仕事終わらす!みんなにも蒼世来るよって伝えてくるね!」

そう言い捨てると葉月は笑顔のままでさっさと出て行ってしまった。一人犲の詰め所に取り残された蒼世は、そんな姿を見てほっこりと温かな気持ちを抱くと、葉月の為にと再び筆を持ってそれを走らせ始めたのだが、ぴたりとその動きを止めた。

「…ん?」

そして改めて葉月の言葉を思い出し、しっかりよく考えて噛み砕く。


『みんなにも蒼世来るよって伝えてくるね!』


それはつまり、犲の面々もやってくるということだろうか。

「…」

すっかり二人きりだと思っていた蒼世はぐったりとうな垂れると、より一層暑苦しくなりそうな重い溜め息を吐き出した。
そうだ、葉月はそういうやつだった。そう思いながらも、返事をしてしまったからには仕方ない。蒼世はすっかりやる気が失せてしまうのを確かに感じながらも、なるべく急いで書類を書き上げるのだった。

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