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町の中心部に位置する宿屋を、大勢の警官隊が円を描くようにぐるりと取り囲んでいた。その警官隊から少し離れた場所で、町人達もざわざわとしながらその様子を見守っている。緊迫した空気が辺りを包んでいて、宿屋の窓辺からは一人の浪人が女性の首元に刀を当てて何かを叫んでいた。

「こいつ等の命が惜しけりゃ金持って来んかい!!」

浪人達は政府に恨みを持っている者ばかりのようで、少なく見積もっても十人は確実に立てこもりを続けていた。まだ死人も怪我人も出ていないようだが、宿屋の女将や宿泊客等が人質に取られている挙句、浪人達は武器を持っている。下手に相手を刺激出来ない上に人質まで取られていては手出しも出来ず、警官隊を率いている男がどうしたものかと苛立ったように顔を強張らせていると、そこに犲の隊服に身を包んだ葉月と武田がやって来た。葉月はいつになくきりっとした表情で男に近付く。

「犲の山摘と武田です。現状は?」
「ああ、お待ちしておりました。現状は最悪ですよ」

男は今までの経緯を説明した。宿屋はそんなに大きな宿屋ではなかったのだが、それでも部屋数は全部で十を超えており、現在人質が何人いるのかも、浪人が何人いるのかも分からない状況で、相手は交渉に応じる素振りも見せず、金を持って来いの一点張りだ。葉月は頭の中で状況を組み立てると、ポケットに入っていた手袋を取り出して、それを着用しながら言った。

「武田、裏口に回って。私とあんたで突入するよ」
「葉月さんは?」
「正面からいく。私が正面で騒いで注意を引くから、武田はその間に裏口からこっそり侵入して人質の救助をお願い。浪人より人質の方が人数は多いだろうから、全員同じ部屋に纏められてるはず。人質の見張りに一番人員を裂いている可能性が高いから、浪人の固まってる部屋をしらみ潰しにあたること。人質の救助が最優先、逃げていく浪人は無理して追わないように」
「了解です!」

びしっと敬礼した武田の表情は、緊張で強張っていた。葉月と一緒とはいえ、他の隊員達がいない中で責任の大きな任務を任されたのは、武田にとってこれが初めてだったのだから無理もない。葉月はそんな武田の緊張を感じ取ったのか、武田の顔を見て口を開いた。

「武田」
「はい」
「いつも通りにやればいいよ、あんたなら出来る」
「葉月さん…」
「頼りにしてるよ」

葉月はニカッと笑いながら武田の胸をぽんっと叩いた。武田は面食らったような顔をしたが、すぐに自信に満ちた表情を取り戻すと、「はい!」と元気良く返事をして裏口へと駆けて行った。葉月はそんな武田の背中を見送ると、警官隊を率いる男に声をかけた。

「我々はあくまで人命救助を優先します。最悪浪人達が人質を置いて外に逃げてきた場合、身柄の確保をお願いします」
「了解いたしました」
「確定ではありませんが、浪人達は飛び道具やその他危険物を所持している可能性もあります。くれぐれもご注意を」
「はい、そちらもお気をつけて」

葉月は犲の帽子を深く被り直すと、堂々とした足取りで宿屋の入り口へを向かっていく。女一人であれば浪人も油断するであろうと見越して、自ら危険な正面突破を選んだのだ。窓際にいた男も葉月の姿を見て、命知らずがやって来たと馬鹿にしたように笑っている。葉月はそんな言葉に気にする様子もなく、宿屋の暖簾をくぐって正面扉に手をかけた。

「お邪魔します!」

そう言いながら扉を開けた瞬間、二人の浪人が待ち構えていたように葉月に向かって同時に刀を突き立てていたのだが、そこにいたはずの葉月の姿はなかった。男達がわけも分からず呆然としていると、這いつくばるように地面すれすれまでしゃがみこんで二つの切っ先を避けた葉月が、豪快に一人の男の顎を蹴り上げて、もう一人の男の首に刀の峰を勢い良く叩き付けた。嫌な音を立てながら崩れ落ちた二人の男は、びくびくと体を震わせたまま、立ち上がる気配はない。

「手荒い歓迎ありがと〜」

あっという間に大の男を二人伸した葉月が、へらへらとしながら無遠慮に宿屋に足を踏み入れてきた姿を見て、他の浪人達は焦ったように武器を構えると、次々に葉月に襲い掛かった。葉月は繰り出される攻撃を難なく避けながら、浪人達を順に地面に叩きつけていく。倒れた男達は全員急所をやられているため、生きてはいるものの呼吸もままならない状態で、再び起き上がることすら叶わない。

「四…五…はい、これで六人」

女という利点を生かしてちょこまかと動き回りながら、葉月は呑気に伸していった人数を数えていく。すると二階から武田の声が葉月を呼んだ。

「葉月さん!人質全員救助完了です!」
「了解!じゃあ次は浪人達を捕縛―――」

そう言いかけたとき、巨大な爆発音が響いたと同時に、宿が炎で包まれた。轟々と煙が上がり、周囲は一気に混乱に包まれる。一人の浪人が大量の火薬に火をつけたのだ。火薬があるなど聞いていなかった葉月は、まずいと思いながら声を荒げる。

「武田!倒れてる浪人を全員外へ!死者は出すな!」
「はい!」

葉月はそう言うと、真っ先に外へ出て警官達に向かって叫んだ。

「浪人を外へ運び出すのを手伝って!早く!」

葉月は女だ。いくら男を伸せる程の強さがあったとしても、意識を失っている男を運び出せるほどの力はない。緊迫したその声に、数人の警官達が慌てて駆け寄ると、葉月が伸した六人の浪人達を急いで外に引きずり出した。
全員が外に出たことを確認して、葉月も入り口から宿を出る。外で武田と合流した葉月は、警官達に向かって叫んだ。

「消火活動!他の店にも火が移る前に!急いで!あとそこでぼーっと見てる人達!消火活動手伝いなさい!町火消まだいるでしょ!?呼んできて!!」

興味本位の見物人達を指差しながら葉月は叫ぶ。女とはいえその威圧感は凄まじいもので、迫力に押された見物人達も慌てて行動を起こし始める。そんな中一人の女性が火の中に飛び込もうとしているのを、警官隊が必死に止めていた。

「放して!お願い放してぇ!」
「危険だ!やめなさい!」
「娘が…まだ中に娘が!!」

その言葉を聞いて、葉月はいてもたってもいられなくなった。帽子と手袋と上着を捨てるように脱ぎ捨てると、運ばれてきたばかりの水を奪い取るようにして頭から被る。

「娘さんのお名前は?」
「え…りん、です…」
「りんちゃんね、分かりました」
「葉月さん!?危険です!」

武田は慌てて葉月の手首を掴んで引き止めた。火の手はどんどん強くなっていたのだ。
風のない日だったため隣家にはまだ移っていないが、急がないと大変なことになるというのは誰の目から見ても明らかだった。しかし、葉月はまっすぐに武田を見てはっきりと言った。

「この場は任せたから、あとはよろしく」
「でも…!」
「国民の命を守るのが義務でしょーが。あんたが消火活動率いてやるのよ、分かった?」

葉月の強い瞳に武田は言葉を詰まらせると、顔を歪めつつも細い手首を開放した。葉月は笑って武田の頭を撫でると、自ら火の海に飛び込んで行った。

煙は容赦なく葉月に襲い掛かる。視界の悪い中、口元に手を当てながら葉月は懸命に声を上げた。

「りんちゃん!りんちゃん返事して!」

葉月は出来るだけ煙を吸わないようにしながら、必死に少女の名前を叫ぶが、まったく返事がない。この火事に巻き込まれたのでは、という最悪の結末が頭を過ぎる中、それでも諦めず賢明に声を上げる。

「りんちゃん!!」

そのとき、小さな、本当に小さな声が葉月の耳に届いた。

「お、かあさん…?」

ハッとした葉月は、その声の方に向かって必死に足を進めて名前を呼ぶ。

「りんちゃん!どこ!?」
「おかあさん…おかあさ…」

葉月は声のする方を懸命に覗き込む。そこには琥珀色の着物を身にまとった幼い娘がいて、ぐったりとした様子で小さくなっていた。きっと母が人質になっている間、どこかに隠れていたのだろう。
そして、運悪く爆発の際に崩れた建物の一部に足を取られてしまっていたらしい。慌てて葉月は少女に駆け寄る。

「りんちゃん!?りんちゃんだよね!」
「お、姉ちゃん…だれ…?」

少女はゴホゴホと咳き込んだ。煙を吸って意識が朦朧としている。葉月は少女の足を挟んだ瓦礫を急いで退かすと、小さなその体を守るように抱きかかえた。
挟まれていた細い足からはだらだらと血が流れていて、折れているかどうかはこの状況では確認できない。とにかく葉月は少女が不安にならないように、優しい声で言い聞かせた。

「助けに来たよ、もう大丈夫。お母さんのとこ帰ろうね」

少女の意識ははっきりとはしていないが、まだ手放しきってもいないらしく、少女は虚ろな目で弱々しく頷くと、力なく葉月のシャツを掴んだ。葉月は改めてしっかりと少女を抱きかかえると、外に向かって歩き出す。

―――その時だった。

背後から気配がして葉月がハッとして振り向くのと同時に、その右肩に焼けるような鋭い痛みが襲い掛かる。

「え…」
「お前等も、道連れじゃ…」

どこかで身を潜めていたらしい一人の浪人が、葉月に刀を振り下ろしていた。
葉月は右肩から勢い良く自分の血液が噴き出すのを感じながら、少女を抱きかかえたままゆっくりと倒れていった。その脳裏に、一人の男の姿をぼんやりと浮かべながら。

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