惨状が広がる部屋の中は、血のにおいで満ちていた。猪は横たわったまま動かない女の体を持ち上げながら、その経緯を聞き終えたところだ。

「本当に…申し訳……ありませ……」
「謝ることはない、よくやってくれた」

女の腹は深く裂かれていて、腕と足の骨も折れていた。ヒューヒューと息がもれて虚ろな目をしている。出血もひどいので、もう長くはないだろう。そんな女の長い髪をすくようにしながら、猪は優しい手つきで頭を撫でた。

「渓様と子供達を逃がしてくれてありがとう。あとは俺に任せて、もう休め」

穏やかな口調で言い聞かせるようにそう囁けば、女は安心したように静かに目を閉じて、その生涯を終えた。猪はそれを看取ってから、ゆっくりと女の体を床に置く。

彼女は気が強く、表情も変わらないような女だった。風魔としての意識が強かったため、情を持たないようにしていたし、任務が全てだとすら思っていたに違いない。それが渓と仲良くなってからというもの、随分と笑うようになり、自発的に誰かを守るという行為に及んだ。それは間違いなく渓が起こした革命だ。そして、女がそうして自発的に起こした行為は称賛に値する。

猪は女の遺体に両手を合わせる。しばらくそうした後に上げられた顔には無が広がっていて、瞳は込み上げる怒りで揺れていた。


三十八、分かたれた二人


渓が目を覚ますと、見知らぬ場所だった。
鼻を刺すような薬品の臭いが無機質な部屋に充満している。周囲にあまり明かりはないが、寝かされて台に縛りつけられている自分の体の上からは、降り注ぐような白い光が当てられており、周りには真っ白な防護服を着た人間が五人程、カチャカチャと音を立てながら実験器具や手術道具のようなものを扱っていた。

そこまで確認して、此処が実験室だというのは経験上理解した。すでに実験は始まっているのだろう、体は重くて熱い。気道が詰まっているような感覚がして、妙に息がしづらかった。全身をぐるぐると巡っていく熱を持った血液は、まるで這いずる蛇のようだ。

遠くに連れ去られたのは覚えているが、道中眠らされてしまったので、どこまで運ばれてきたのかは分からない。渓は働かない頭で必死に考える。実験の隙をついてなんとか逃げ出さなくてはと思うが、こうもしっかり縛られて周囲にたくさん人が居ては、それも叶いそうになかった。

「おい、目が覚めているぞ」
「木戸様にご報告だ」

防護服を着た、声色からして男達が言った。一人の男が部屋から出ていくのを見送っていると、腕にちくりと痛みが走った。渓がそちらに視線をやると、ゆっくりと自分の血液が抜き取られているところだった。防護服の男は渓の体調も考慮せず、白く細い腕に何度も針を刺してはその行為を繰り返す。自分の中からどんどん血が失われていくのを感じて、渓は気持ちが悪くなった。頭がぐらぐらして吐き気がする。

「ちょっと取りすぎだぞ」
「サンプルは多い方がいいだろう」
「少しは丁重に扱え、実験資料がなくなってるんだぞ。何かあったらどうする」
「だからこそ多くのサンプルが必要なのではないか。大丈夫、大蛇の眷属なんだ、これくらいで死にはしないさ」
「まったく…」

前回、視力回復の大蛇実験を受けた際、渓の体調はきちんと考慮されていた。事を急いだ実験だったので無理はあったものの、そんな中でも周囲の人が大丈夫かと声をかけながら、少しでも負担がかからないよう、優しく扱ってくれていた事を思い出す。そこには"渓"という人間に対しての配慮が確かにあった。

ところが、今こうして渓を囲っている人間達は、渓を大蛇の代わりの道具だとしか思っていない。例え此処で渓が失血したところで、彼らにとっては大したことではないのだろう。

気持ち悪さで冷や汗が額を伝う。考える事も億劫になっていると、今しがた出ていったばかりの防護服の男が、二人の人物を連れて戻ってきた。
一人は髪を七三に分けた肉付き良いの中年の男で、鼻の下に少し髭があった。その男に支えられるようにして、痩せ細った女が入ってくる。女の方は恐らく三十半ばくらいだろうが、げっそりとしていてもう少し老けて見えた。

女は台の上に寝かされた渓を見て、酷く嬉しそうに目を光らせて、うっとりとした顔をしながらゆっくり近付いてきた。足元はおぼつかない。支えがないと、上手く歩くことが出来ないらしい。

「木戸さん、この女が、そうなのね」
「あぁそうだよ、川路さん」

川路、という名前に渓は聞き覚えがあった。どじょう髭を生やした男の顔を、渓は忘れてはいない。

視力を取り戻す大蛇実験の際、それを拒否した渓を川路は山奥で男達に襲わせた。だが川路は、後にすぐ白子にその報復を受け命を絶っている。彼には娘と妻が居た。娘は川路の死後、後を追うようにして亡くなり、妻は精神を病んで入院したと渓は記憶している。

川路と呼ばれた女は、木戸という男に支えられながら渓に近付くと、その顔をまじまじみながら、相変わらずうっとりとした表情で言った。

「やっと会えたわね、わたし、この日を、ずーっとずーっと待っていたのよ」

のんびりした口調で川路は言う。渓は苦しくて声をあげられないので、目の前の女の言葉に耳を傾ける事しか出来ない。

「あなたのせいでね、わたし、夫も娘も居なくなったの。だからね、ずーっとあなたのことが憎かったのよ。だからね、あなたがここに運ばれてきたとき、とってもとっても嬉しかったの」

少したどたどしく、子供のような口調で言いながら、川路は笑った。つまり彼女は川路の妻で、夫と娘が死んだ恨みを晴らそうと、渓の大蛇実験に賛同し加担したのだろう。恨まれる理由に渓は覚えがあるし、恨まれるのも仕方ないと思う。

それでも、例え恨まれたとしても、渓は大蛇の実験など受けるわけにはいかないのだ。滋賀にいる大切な人達が守ってくれて、今傍にいる大切な人達に守られて今がある。そんな多くの人々を、自分が実験を受けることで悲しませるわけにはいかないのだ。

気管がつまって息が苦しくて、それでもなんとか、何か言葉を紡ごうとするのだが、体の負担も大きいために結局渓は何も言えなかった。そんなとき、木戸が川路に優しく言った。

「川路さん、嬉しいのもわかりますが、そろそろ薬も切れる頃です。少しだけ横になった方がいい」
「ふふっ、嬉しいなぁ、ふふふふっ」
「お連れしろ」
「はっ」

木戸は防護服の男に川路を任せると、にっこりと笑って寝かされる渓を見下ろした。

「はじめまして渓さん、木戸と申します。先程の女性は川路の奥さんです。川路という名に覚えはありますよね?」
「…」
「あぁ大丈夫、無理に話す必要はありませんし、あっても答える事はない。貴女はただの実験道具ですからね。なかなか捕らえるのに苦労はしましたが、ようやく手に入ってほっとしています」

木戸は笑みを絶やさないが、その目の奥はひとつも笑っていなかった。

「川路の奥さんはね、あんな幼稚な人じゃなかったんですよ。ハキハキ話す明るい人でした。心を病んで以来ああなりましたが、お陰で付け入る隙はいくらでもありました。そこに関しては、渓さんに感謝していますよ。彼女は実験に加担して、川路が残した多くの資金を恵んでくれましたからね」

木戸は一人でべらべらとよく喋る。渓は嫌悪感がした。底の知れない黒さをこの男から感じ取ったからだ。

「渓さんには、日本の医療と武力の為に、人体実験にご協力いただきます。その血は本当に素晴らしい力を持っている。血に適合する者が現れれば、曇天火のような化け物じみた強さを持った人間兵器がたくさんつくれる。そうすれば、日本は世界に力を示すことが出来る。世界を平伏すことが出来る未来が、すぐそこに待っているんです!」

身ぶり手振りを添えながら、木戸は欲望に満ちた目を渓に向けながら語る。それは、最高の道具を手に入れたといわんばかりの顔だった。

少なくとも、川路は本当に日本の医療を発展させたかったに違いない。余命幾ばくもない娘の命がかかっていたのだから。

しかしこの男はどうだ、日本の医療など二の次で、ともすれば医療の事など考えていないように思えた。ただただ大蛇の力を利用し、武力を手にして世界の頂点に立ちたいだけだというのが手に取るように分かる。その為に、傷付いた川路の妻も、もう自由になったはずの渓も利用したのだ。ましてや天火までも物のように言い放った目の前の男の声を聞くだけで、渓は虫酸が走る。言い返してやりたいのに、声をあげようとすると咳き込んでしまう。気にせずに木戸は続けた。

「しかしながら、曇天火の時から溜め込んでいた実験の資料が全てなくなったのは誤算でした。山縣も犲の連中をも掻い潜ってようやく手に入れたのに、まさかそれを風魔の連中に奪われてしまうとは。そういえば、渓さんは風魔に匿われていたそうですね。残念だが、それは政府への反逆罪に値します。本来なら極刑も免れないところですが、貴女には何の罪も本来はありませんからね、どうせ死んでしまうくらいなら、私が実験に使って差し上げます。その方が貴女も嬉しいでしょう?ねぇ渓さん」
「相変わらずべらべらとよく回る口だなァ」

聞きたくもない男の声を遮ったのは、またしても聞きたくもない男の声だった。いつからそこにいたのかは分からないが、部屋の入り口に猫背の長身の男がたっていた。左目に黒い眼帯をして、右耳から翡翠の耳飾りを垂らした風魔の男だ。渓はこの男に連れてこられた。

「おや、浪じゃないか。何をしに来たんだ」
「気安く名前を呼ぶんじゃねぇよ、俺はただ、可愛い可愛いお姫様の間抜けな姿を拝みにきただけなんだからよォ」

"ろう"と呼ばれた男は、ふらふらと渓に近付いて顔を近付けた。相変わらず胡散臭い笑顔を貼り付けて、くくくっと喉の奥で笑う。血のにおいがした。

「いい様だなぁ姫様、気分はどうだ?」
「…」
「俺はなァ、ずっと気に食わなかったんだ。強くて優秀な俺様を幹部にしない事も、十年もかけたくせに大蛇復活に失敗した事も、挙げ句力を失ったクソみてぇな女を風魔に取り込もうとした事も、全部気に食わなかった。同じように思ってる里の連中を唆したら、簡単に風魔を裏切って力になってくれたぜェ?つまりお前はなァ、端から里には不要だったんだ。望まれてなんかなかったんだよ」

浪は嬉しそうに言葉を並べ立てる。渓はそんな浪の言葉が耐えきれなかったのか、咳き込むのも構わずに、必死に声をあげた。

「……そんなっ、だから、幹部になれないのよ」
「あぁん?」
「里のみんなを、平気で、裏切るような、人だから、信用、されないし、幹部にだって、なれないのよ……!」

上手く喋れない中、掠れながらも渓は必死に声を上げて言い返した。すると浪の顔から表情が消える。次の瞬間、盛大に舌打ちしたかと思えば、どこからともなく苦無を取り出して、その刃を柔らかな渓の二の腕に迷うことなく突き立てた。渓の劈くような悲鳴と研究員達の騒然とした声が実験室に響き渡る。

「知った風な口きくんじゃねぇぞ女ァ」
「お、落ち着け風魔!大蛇の実験体なんだぞ!」
「傷を縫え!急げ!貴重な血を無駄にするな!」

研究員達が慌てふためく中、浪は苦無を引き抜くと、声を上げて痛みに悶える渓を一瞥してから何も言わずに踵を返す。木戸は恨めしそうに浪を睨むが、浪にとっては痛くも痒くもない視線だ。その視線を浴びながら、浪はふらふらと立ち去った。

研究員達はそんな浪には目もくれず、慌てて渓の傷を縫合しようと用意する。溢れた血はもったいないので必死にかき集めた。そして渓の腕の傷を塞ごうとした瞬間、一人の研究員が絶句した。

「お…おい、見ろ!」

その場に居た全員が渓の腕を見る。傷口は蛇の皮膚のようなものに変貌し、みるみるうちにその傷を塞いでいったのだ。塞がれた傷は、白く柔らかい人間の肌に戻っている。当の渓は、額から大量の冷や汗をかきながら、ぐったりとしたまま動かなくなった。しかし、木戸や研究員達には、渓という人間の事などもはやどうでもよかった。

「ふはは……ふはははははは!!」

木戸は堪えきれずに大声で笑う。

「見たかお前達!!素晴らしい!!本当に素晴らしいぞこの血は!!かつてここまで大蛇の細胞に馴染んだ被検体など居なかった!!そう資料にも記されていたはずだ!!過去には力を持たなかった一族だというが、大蛇の細胞を与え続ければ強大な力を持つに決まっている!!続けろ!もっとこの娘に大蛇細胞を投与するんだ!!」

興奮気味にそう捲し立てて、木戸は高らかに笑った。その声は気を失っている渓には届かない。だが、


―――本当に、不愉快ね。


パキン、という音と共に、頭の中に流れた声だけはやけにはっきりと聞こえた。その声はとてつもない怒りと憎しみを含んでいて、いつになく低く冷めきっていた。

駄目よ、怒っちゃだめ。

渓はその声に答えるように、心の中で優しく言い聞かせる。頭の中に響く懐かしいその声の主が誰なのか、もう渓は知っていた。せめて彼女が出てきてしまわないようにする為に、心を強く保たなければと渓は思うしかなかった。

たすけて白子、このままじゃ、あの娘が。

心の中で月の様な人を想いながら、渓は恐怖と痛みの中で、何度も何度も愛しいその名前を繰り返した。一刻も早く、会いたいと思った。



 ● ●



同日の夜、浪は血塗れの女を山の中に投げ捨てた。すでに絶命しているその女は、町で攫ってきた娘だ。森の中で好き放題した後、苦無で切り刻んで殺した。以前から苛々したりむしゃくしゃした際に浪が繰り返している行為だ。

だが、今回ばかりは苛々が消えなかった。すっきりしない。黒髪の小柄な、それこそ渓に似た風貌の女を捕まえて、渓を投影してめちゃくちゃにしてやったというのに、苛々は晴れるどころか膨れ上がる一方だった。政府の連中から、渓は貴重な被検体であることから丁重に運んでくるよう言われていたので渋々それに従ったのだが、陸から奪ったあの夜にせめてぐしゃぐしゃになるまで泣かせておけばよかったと浪は思い返す。

実験室で渓に言われた言葉を思い出す度、浪は鬱憤が溜まった。力のないただの小娘に言われた事が、とにかく許せなかった。

許せないと言えば、陸もそうだ。今まで散々助けてやって、それこそ自分に忠実な人形になるよう恐怖で支配していたというのに、陸はあの日初めて自分に刃を向けた。それに、渓を守っていたあの髪の長い女にも腹が立つ。渓を陸に運ばせた後、小屋に居た子供達まで逃げさせて、自分一人で立ち向かったのだ。敵わないと分かっていたのに。

「…許せねェ、許せねぇなぁやっぱり」

ぶつぶつと独り言を呟いた。自分は強い、浪はそう自負している。それなのにいつも長の傍に居る側近は、元はといえば風魔の裏切り者だ。今まで散々命令を聞いて尽くしてきたにも関わらず、浪は常に長の周りに居る事が出来る幹部にもなれない。それが尚更、どす黒い感情を募らせて、どうしようもない怒りに変わってしまう。

この感情の吐き出し方が分からない浪は、もう一度女でも拾って来ようかと町の方へ足を向けた。


―――刹那、背筋が凍るほどの殺気で動けなくなった。


寒くもないのに、背筋と額からいくつもの冷や汗が流れ落ちる。全身が雁字搦めにされたように動かなくなり、指先がやけに冷たくなった。声も発することが出来ぬまま生唾を飲み込んだ浪は、ゆっくりと顔を後ろに向ける。

そこには、里の長である風魔小太郎が立っていた。それはまるで、この世のものとは思えないような気配だった。

山の木々は凪ぎ、両目が写す風景だけが切り取られたように音がない。鳥も、風も、虫も、全てが消え去ってしまった絵の世界にでも放り投げられたかのような感覚になる。そんな中で、自分の心臓のやけに煩い鼓動の音だけが頭に直接響き渡る。頭は、体は、危険を察知しているのに、足が竦んで動けなかった。

「久しいな浪」

低い声で名を呼ばれ、ぞわりと全身が粟立った。気付けば浪の体は勝手に膝をつき、頭を垂れていた。直接殺気を当てられて、ぶるぶると体が震える。これほどの恐怖を、浪は味わったことがない。

「お前には、吐いてもらわねばならん事がある」

風魔小太郎はそう言いながら、ゆっくりと浪に近付いた。恐怖と圧で、浪は上手く息が出来ない。ざり、と目の前で風魔小太郎が砂を踏んだ。

「何の事だか、分かるな?」

降り注ぐ冷め切った声に、浪は弾かれたように逃げ出した。殺されると、そう直感したのだ。こんなにも早急に自身の裏切りが知られるとは思っていなかった。冗談じゃない、と思いながら、浪は町へ向かって山を下る。町の中に逃げ込み、町人に扮して逃げ切ろうと思ったのだろう。

しかし、それは敵わなかった。

浪の前方から、凄まじい勢いで苦無が三本飛んできたのだ。風魔小太郎を背にして駆け出したのだから、本来なら前方から攻撃がくるはずがない。何とか一本は避けれたものの、残り二本が太ももと腹部に突き刺さった。浪は逃げる為に動かしていた足を止めざるを得ない。

浪の前方から、ゆらりと白い影が現れる。逃げ切れない、と悟った浪は、太ももに刺さった苦無を引き抜いて、風魔小太郎に飛び掛った。傷を負っているとはいえ、浪は自分の強さに自信があった。今まで危険な任務でも決して死ななかったし、一年前の政府との戦争でも生き延びた。そんな中で、陸の命まで助けてきてやったのだから、決して自分は弱くなどない。

その思いを胸に、浪は何度も風魔小太郎に刃を振るうが、それは一度もその体に触れる事はない。殺気を放ったまま、涼しい顔で難なく浪の攻撃を全てかわすと、振るわれた腕を掴み上げてそれを膝でへし折った。骨の砕ける鈍い音がする。

「うぐぅ…!」

浪は折れていない方の手で掴まれてしまった腕を振り払おうとしたが、それは叶わなかった。いつの間にか風魔小太郎は小太刀を構えていて、その刃で浪の折れていない手を切断してしまったのだ。

「ぐあぁぁ…!」

悲鳴のような浪の声が山の中に響き渡る。風魔小太郎は、浪の折れた腕を投げ捨ててその体を解放した。地面に転がった男に塵を見るような目線を送りつける。まるで表情のない顔を見て、浪は奥歯がガタガタとなった。強いなどという言葉では言い表せないほど、圧倒的な力の差を感じて動けなくなる。

「もう一度聞く。何の事だか分かるな?」

冷め切った声に悲鳴が漏れそうになるのを必死に堪えながら、浪は声を上げた。

「ごっ、誤解だ!俺は裏切ってなんていねェ!本当だ!陸、陸だよ!あいつが裏切ったんだ!本当だ!信じてくれよ長!!」

その言葉を聞いても、風魔小太郎の表情はぴくりとも動かない。声も発さない。それが尚更浪の恐怖を掻き立てた。

「陸に唆されたんだ!あいつ姫様に惚れてただろう!?長のモンなのに!可愛い弟分の為に協力してやろうと思っただけだよ俺は!それを裏切ったのはあいつだ!!本当だよ!!」
「お前は俺の首を狙っていたな」
「…え?」

吐かれた言葉に、浪はすうっと言葉が引いて、全身の熱が落ちていく。唇が震えて上手く話せない。

「お前が俺の首を取って風魔小太郎の座に就こうとしていたのは知っていた。だから傍には置かなかった。里の調和も乱すお前は危険だったからだ」
「そっ、そんな…そんなわけ…」
「俺を殺して風魔の為に戦乱の世を取り戻そうとしたのだろうな、大いに結構。だが―――」

言葉を切って、表情を変えないまま風魔小太郎は言った。

「お前程度の小物では、俺の首は取れん」

小物、という言葉に、浪の中の感情がブチンと切れた。溢れ出た怒りをぶちまけ始める。

「誰が小物だァ!?力のない女に現を抜かして、里で呑気に暮らしやがってクソが!何が風魔だ!何が戦乱だ!そんなもんとは程遠い生活を始めやがって、偉そうに風魔小太郎を名乗るんじゃねェ!!」
「ならばさっさとお前の力で俺の首を取ってみろ。それが出来ないから風魔を裏切り、姑息にも蛇の信者の姫を攫って政府に引き渡したのだろう。お前如きでは風魔小太郎の器には値しない」

抑揚もなくそう言い放った風魔小太郎に、浪は何も言い返せなくて奥歯を噛む。図星をつかれてしまって、何も言い返せない。

浪は、風魔小太郎になりたかった。戦乱の世を取り戻し損ねた今の風魔小太郎を引き摺り下ろして、自分が頂点に立てばいいとずっと思っていた。けれど、風魔小太郎は強い。浪は自分の強さを認めていたが、それが風魔小太郎には程遠いものだと頭の片隅で理解はしていた。事実、こうして圧倒的な力の差を見せ付けられている。

だから、姫を利用して政府に売った。そして実験により力を取り戻した姫をもう一度攫って、新たに風魔を作って戦乱の世を呼び戻そうとしたのだ。それには仲間が必要だった。だから力のない蛇の信者の姫を風魔に取り込むことを反対していた者達を集めて、今の風魔を裏切ったのだ。

しかし、その計画も全て、風魔小太郎には見透かされていた。踊らされていたのだ、ずっと前から。

「姫が攫われてしまったのは誤算だったが、それもすぐに取り戻せばいいだけの事。だが、あれに手を出した以上、お前に生きる選択肢はない」

刺すような冷たい声が、浪の頭上に降り注ぐ。見上げれば、終ぞ敵うことのなかった男の綺麗な顔が、自分を見下ろしていた。獲物を捕らえた獣の目だった。

「吐いて楽に死ぬか、吐かずに苦しんで死ぬか、五秒で決めろ」

浪は息を呑む。自分にはもう二度と夜明けが来ない事を悟りながら、悔しさを滲ませた顔で重苦しく口を開いた。語りながら脳裏に浮かんだのは、自分があの日殺めてしまった、可愛い幼馴染みの笑顔だった。


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