【03:地下牢からの脱出】

ユーリは地下牢のベッドに転がっていた。薄暗く汚れた場所だが、ユーリは度々ここにぶち込まれている。すっかり下町の問題児扱いなので、牢独特のこもったにおいにも慣れたものだ。

ここへ来る前に容赦なくやられた全身はひどく痛むが、動けないわけではない。それよりも、最後にケイの手を気安く握ったキュモールに腹が立っていた。今度会ったら何かと理由をつけて一発殴ってやろうかと考えながら、気絶したふりを決め込んで隣りから聞こえてくる会話に耳を済ませた。どうやら牢に入れられている男と、見回りらしい看守が話し込んでいるようだ。

「で、その例の盗賊が難攻不落の貴族の館から、すんごいお宝を盗んだわけよ」
「知ってるよ。盗賊も捕まった、盗品も戻ってきただろ」
「いやぁ、そこは貴族の面子が邪魔をしてってやつでな。今、館にあんのは贋作よぉ」
「バカな……」

大して興味もなかったが、なんとなく暇つぶし程度に話を聞き続ける。

「ここだけの話な?漆黒の翼が目の色変えてアジトを探してんのよ」
「例の盗賊ギルドか?」

そこまで声を出してから、兵士は話しすぎてハッとなったのか、ごほんとひとつ咳払いをした。

「大人しくしてろ。もうすぐ食事だ」

威厳のあるような声でそう告げると、そっと牢を後にした。兵士の気配がなくなると、先ほど兵士と話していた男がユーリに声をかけてきた。

「そろそろじっとしてるのも疲れる頃でしょーよ、お隣さん。目覚めてるんじゃないの?」

飄々とした口ぶりではあるが、思ったよりもするどいらしい男の声に、ユーリは応えることにした。体は起こさず、寝転んだままだ。

「そういう嘘、自分で考えんのか。おっさん、暇だな」
「おっさんは酷いな。おっさん傷付くよ」

わざとらしく傷ついたような口ぶりで答えるが、飄々とした態度は崩さない。

「それにウソってわけじゃないの。世界中に散らばる俺の部下たちが、必死に集めてきた情報でな……」
「はっはっ。ほんとに面白いおっさんだな」

ユーリはようやく起き上がる。相変わらず体は痛むが、残念なことにそれすら慣れている。

「蛇の道は蛇。ためしに質問してよ、なんでも答えられるから。海賊ギルドが沈めたお宝か?最果ての地に住む賢人の話か?それとも、そうだな……」
「それよりここを出る方法を教えてくれ」
「あー何したか知らないけど、十日も大人しくしてれば、出してもらえるでしょ」

ごもっともな話ではあるが、今や下町は大洪水の大騒ぎなのだ。そんなに待っていられるわけがない。それにさっさと帰らなければ、どんな無茶をしでかすかわからない女もいる。ミルクティーブラウンの髪を靡かせる幼馴染みを思い浮かべながら、ユーリは心の中で吐き出した。

「そんなに待ってたら下町が湖になっちまうよ」
「下町……ああ、聞いた、聞いた。水道魔導器が壊れたそうじゃない」
「今頃どうなってんだかな」
「悪いね。その情報は持ってないわ」

先ほど起こったばかりのことなのだ、情報などなくて当然だろう。ユーリはさらりと言ってのける男の声には無視をして立ち上がると、牢の鉄格子に向かって歩き出す。なんとか開かないものかとあれこれ見ながら、独り言のように呟いた。

「モルディオのやつもどうすっかな」

返事を求めていたわけではないのだが、男はその言葉に反応を示す。

「モルディオって、アスピオの?学術都市の天才魔導士とおたく関係あったの?」
「知ってるのか?」

当然ユーリは尋ねる。モルディオ、という名前しか手がかりはないのだから、情報があるのならば知っておきたいところだろう。しかし男は一筋縄ではいかないらしい。

「お?知りたいか。知りたければ、それ相応の報酬をもらわないと……」

面倒な男だな、と思いながら、ユーリは先ほど得た情報を反復する。

「学術都市アスピオの天才魔導士なんだろ?ごちそうさま」

なかなか鋭いユーリにしてやられたのか、男は慌てて訂正しようとするがもう遅い。なにやら嘘くさい情報を持たせようとする男の言葉は無視をして牢の格子を調べていると、ギイっと重厚な音が響く。牢への入り口の扉が開いたようで、そこに足を踏み入れたのは騎士団長アレクセイだ。わざわざ騎士団長が直接牢屋なんかにくることも珍しいのだが、その騎士団長が隣りの男の牢の鍵を開けたのだ。ユーリは不審に思って眉をひそめる。

早く出ろ、とアレクセイに言われた男は、渋々と言ったように起き上がると、立ち去ろうとするアレクセイの後を歩いて行く。しかしわざとらしくユーリの牢の扉の前で躓いたように見せかけてしゃがみこんだ。ユーリも男の視線に会わすようにしゃがみ、男を見る。

褐色の肌にグレーの髪。野暮ったい髪は一つにまとめていて、ユーリよりも随分年上の男だった。

「騎士団長直々なんて、おっさん、何者だよ」

小声でたずねるユーリの問いには答えず、男は一言こう告げた。

「女神像の下」

ポツリと言うと、男は牢の隙間からユーリに向かって鍵を滑り込ませた。それ以上は何も言わず、怪しまれる前に立ち上がってそのままアレクセイと共に姿を消した。ユーリは鍵を拾い上げ、訝しげにそれを見つめる。

「…そりゃ抜け出す方法、知りたいとは言ったけどな」

果たして本当に出れるのどうかも怪しいところだが、物は試しだ、と言わんばかりにその鍵を牢の扉に突き刺した。すると牢の鍵はあっさりと開き、ギギギと耳障りな音をたてて格子の扉が開いた。

「マジで開くのな」

胡散臭い男だったが、一応感謝はしておくことにして、さっさとその場を後にしようとしたとき、ユーリがいた牢の天井が、ゴトゴトっと怪しげな音を立てた。ねずみにしては随分物騒な物音に、咄嗟にユーリが構えると、天井からひょこっと顔を出したのは、先ほど思い浮かべていた幼馴染み、ケイだった。

ユーリは驚いて目を丸くする。ぽかん、という言葉がびったりの表情でそれを見つめていると、ケイは慣れた様子でひらりと降り立ち、いまだにポカンとするユーリの額に見事なデコピンをお見舞いした。脳がビリビリと響くほど見事なデコピンに、声も出せずにユーリが額を押さえていると、ケイはムッとした様子で腕を組んでユーリを見上げた。

「バカユーリ!なにカッコつけてんの!」
「……ケイ、お前なんでここに…」
「もう、ボコボコじゃん!ほら、コレ食べてなさい!」

ユーリの口に無理やりグミを突っ込みながら、ケイはやれやれと肩を落とす。

「まったく、無茶ばっかりするんだから」
「…人のこと言えんのか?」
「あたし、無茶なんかしてないじゃない」
「牢屋に潜入して脱獄の手引きしようなんて、無茶以外のなんでもねぇよ」

呆れたようにユーリが言うと、ケイはようやくにっこりといつもの笑顔を見せると、心底安心したような声で言った。

「でもまぁ、無事でよかった」

そのたった一言でほだされてしまうのだから、自分も甘いなと思いつつ、ユーリは苦笑をもらす。

「ケイもな」
「ところで、どうして外に出れてるの?」
「胡散臭いおっさんが、手引きしてくれたんだよ」
「へぇ、じゃあお言葉に甘えてさっさと出ちゃおう」

牢から出れているのであれば天井から戻る必要もないと思っているのか、ケイは気にする事もなくそのまま出て行こうとする。一緒に行動をしていれば何かとケイに負担がかかるため、それを避けたかったユーリは天井から先に一人で帰るように促したものの、本人は聞き入れるつもりもないらしい。騎士団の連中にバレれば、さすがにケイもただでは済まされないのだが、本人はそれも承知の上で一緒に行動をするようだ。何を言っても無駄そうだと判断したユーリは、この状況さえ楽しんでいるらしいケイの整った横顔を見つめて、まったく、と聞こえない程度に小さく吐いた。



ザル警備な牢を抜け取り上げられていた武器を奪い返した後、兵士たちの目をかいくぐって開けた場所に出た。すると慌てたような足音が聞こえたので、ユーリとケイは柱の影に隠れて様子を見ることにする。

走って来たのは、青いドレスを着た桃色の髪の少女だった。顔はよく見えないが、その手には細身の剣が握られている。何かから逃げるようにここまできたようだが、行く手を二人の兵士に阻まれてしまったようで、じりじりと後退しながらも剣を構えた。

「もう、お戻りください」

兵士の口ぶりからして、上の立場の人間であることはうかがえた。

「今は戻れません!」
「これはあなたのためなのですよ」

焦った様子の少女とは違い、兵士は落ち着いている。

「例の件につきましては、我々が責任を持って小隊長に伝えておきますので」
「そう言って、あなた方は、何もしてくれなかったではありませんか!」

声を荒げる少女に臆することもなく、兵士たちは少女に近付こうとするが、近付かないでといいながら、少女はさっと剣を兵士に向けた。

「ワァオ、修羅場ね」

状況を覗いていたケイが、ユーリにだけ聞こえるくらいの小さな声で呟いた。後から後から、追っていたらしい兵士もやってきて、言うことをきかない少女に向かって次々に剣を抜いていく。女の子一人になんて状況だ、と思ってケイが眉を顰めていると、少女が声を荒げた。

「お願いします!行かせてください!どうしても、フレンに伝えなければならないことが!」

フレン、という単語に、ユーリとケイは驚いたように視線を合わせる。聞き間違えるはずもない、幼馴染みの名前である。

そんなことをしている間も、兵士はやってくる。たまらなくなって動き出したのは、やはりユーリだった。技を繰り出して、やってきた兵士を気絶させてしまう。出来るだけ穏便に行きたかったが、ユーリがこうしてしまった以上仕方がないので、ケイも二丁拳銃を構えると、武器を持つ兵士の手を狙って引き金を引く。鉛玉が見事に兵士の腕を掠めると、兵士は衝撃で武器を落とし、その隙を狙ってユーリが油断した兵士を気絶させる。

あっという間に目の前の兵士たちを気絶させると、ケイはホルスターに拳銃をしまいながら呆れたように言った。

「ユーリさん、穏便って言葉知らないんですか〜?」
「エスコートの仕方も知らない騎士様に教えて差し上げたんだよ」
「その騎士様と対して変わらないエスコートの仕方だとは思うんだけど…」

そんな会話をしていると、ケイの背後に殺気が迫った。慌てて避けようとするより早く、ユーリがケイの腕を咄嗟に引いて、自身の腕に抱きとめる。それと同時にガシャン!と豪快な音を立ててツボが割れた。どうやら先ほどの少女がケイに向かってツボをぶつけようとしたらしい。

「…ワァオ…過激的…」

思わず笑顔が引きつるケイと、そのケイが無事だったことに心底安堵しながらケイの体を解放するユーリは、同時に目の前の少女を見た。

ようやくまともに見た少女の顔は、少女というには少し大人びていて、それでいて子どもっぽさもまだ抜けきってはいない。一つに纏め上げられた桃色の髪に、綺麗なグリーンの瞳。可愛らしいという表現がとても似合う目の前の少女の顔を確認した瞬間、ケイの表情は変わる。驚いた、という表情でもなく、信じられない、という表情とも言いがたい難しい顔だった。ただ、ケイは目の前の少女を知っていた。少女はケイのことなど知るはずもなく、それはユーリも同様であったが、ケイだけは目の前にいる少女のことを、そのすべてを知っているのだ。

しかしケイは、動揺を見せることなく、すぐにいつもの表情を取り繕う。ケイが表情を崩したのはほんの一瞬のことなので、そんな様子に気づくこともなく、ユーリは怪訝な顔をして自分たちを見つめる少女に声をかけた。

「いきなりなにすんだ」
「…だって、あなた、お城の人じゃないですよね?」
「そう見えないってんなら、それまた光栄だな」

ユーリがそう言った瞬間、聞きなれた声がその場に響いた。

「ユーリ・ローウェ〜ル!どこだ〜!」
「不届きな脱走者め!逃げ出したのはわかっているのであ〜る!」

その声を聞いた瞬間、ユーリとケイは深い溜め息をついた。声の主は、アデコールと、デコボココンビをまとめているルブラン小隊長のものだ。となれば、当然ボッコスもいるのであろう。

「ちっ、またあいつらか。もう牢屋に戻る意味、なくなっちまったよ」
「今日も元気ねぇ、あのトリオ」
「呑気に言ってる場合か」

近付いてくる三人の声を聞きながらユーリとケイがそんな会話をしていると、桃色の髪の少女が驚いたように声を上げた。

「ユーリ・ローウェル?もしかして、フレンのお友達の?」
「ああ、そうだけど」
「なら、以前は騎士団にいた方なんですよね?」
「ほんの少しだけだけどな」
「はいはーい!あたしもいたよ」

ユーリたちの会話にケイは臆することなく突っこんでいく。右手を高らかに上げて笑顔で宣言すれば、少女は驚いたようにグリーンの目を大きく見開いた。

「え?そうなんです?それじゃあなたは…もしかして、ケイ・ルナティーク?」
「だいせいか〜い」
「ところでそれ、フレンに聞いたの?」
「はい」

少女の答えに、ケイはふーんと少し驚いたように声を上げた。

「フレン、そんな話する相手、お城の中にいたんだね」
「俺も思ってたとこ」

目を合わせながら二人がそんな会話をしていると、少女は何かを思い出したのか、慌てたように二人に言った。

「あの、ユーリさん、ケイさん!フレンのことで、お話が!」

なにやらただ事ではなさそうなのだが、ユーリは冷静に少女の言葉を止めると、騎士団に追われていた理由を問いただす。いくらフレンの知り合いであろうと、見ず知らずの少女の話を鵜呑みには出来ないのだろう。少女が口を開きかけたとき、タイミング悪く騎士団の追っ手が差し迫る。しつこいな、と思いながら、やれやれとケイは肩をすくめた。

「その話、後にしない?」
「…だな。事情も聞きたいけど、お互いのんびりしてらんないみたいだし。まずはフレンのとこに案内すればいいか?」
「あら、案内してあげんの?」
「こうなったら仕方ないだろ」
「お人よしだなあ」

二人の会話を聞きながら、少女は少し困ったようにおろおろとする。

「あ、あの、いいんですか?」
「この人、言い出したら聞かないから、いいんじゃない?」
「ぐずぐずすんな、行くぞ」
「あ、はい!」

さっさと行ってしまうユーリとケイの後を、少女は慌てて追いかけた。



随分目立つ少女を連れながらも、なんとか兵士たちの目をかいくぐり、ユーリたちはようやくフレンの部屋に到着した。鍵などはかかっていないようで、あっさりと部屋の中には入ることが出来た。窓から見える街はすでに夜を迎えていたのだが、部屋の明かりは灯っておらず、室内もやけに片付いている。ケイは少し部屋の中を見渡したが、興味なさげにベッドに腰掛けると、あっけらかんと言った。

「あの几帳面がこんだけ片付けてんだから、遠出の任務かなんかじゃない?」
「みたいだな」
「そんな……間に合わなかった」

愕然とした様子でうな垂れる少女だったが、ユーリはそんなことお構いなしに少女に言葉を投げかける。

「んで、一体どんな悪さやらかしたんだ?」
「どうして?わたし、何も悪いことなんてしてません」
「なのに騎士に追い回されるのか?常識じゃ計れねぇな、城ん中は」
「貴族様だらけだしね」

聞こえない程度に、ケイはポツリと呟いた。当然誰にも聞こえなかったようなのだが、突然少女が真っ直ぐにユーリたちを見る。

「あの!ユーリさん、ケイさん!」
「何だよ急に」
「詳しいことは言えませんけど、フレンの身が危険なんです。わたし、それをフレンに伝えに行きたいんです」

懸命にそう伝えた少女だったが、ユーリもケイも随分と反応が薄い。
ユーリもケイの隣りに遠慮なく座って口を開いた。

「行きたきゃ、行けばいいんじゃないのか?」
「それは…」
「悪いけど、あたしたちも急ぎの用事の最中なの。外が落ち着いたら下町に戻りたいし」

夜空を見て、しかもベッドなんかに腰掛けてしまったケイは、くあーっと大きな欠伸を一つこぼしながら言った。加えて朝帰りだったこともあり、いい加減寝てしまいたいなとぼんやり思う。

「だったら、お願いします。わたしも連れて行ってください。今のわたしには、フレン以外に頼れる人がいないんです。せめて、お城の外まで……」

相当急いでいるんだろうな、と眠たい頭でケイは思いながら、お願いしますと頭を下げる桃色の髪の少女を見る。ユーリは軽く息を吐いて、真っ直ぐに少女を見つめ返した。

「わけありなのは分かったから、せめて名前くらい聞かせてくんない?」

そう言った瞬間だった。突然豪快な音を立てて部屋の扉が破壊されたかと思うと、現れたのはピンクの髪に金色の前髪の、どこか不穏な空気を漂わせる男だ。口元に笑みを絶やさないその男はただただ怪しく、ケイは完全に眉間にしわを寄せて硬直している。

「オレの刃のエサになれ……」

部屋に入って来たかと思うと、発した第一声がそれだった。関わらないほうがいいと直感的に感じたユーリとケイは、完全に無視をすることにして異様な男から目を逸らす。少し無視をしていたのだが、男が突然武器を取り出して振り回し始めた。近くにあったティーポットが割れる。一応割られてしまったのはフレンのものなので、ユーリはしぶしぶ腰を上げたのだが、ケイは関わりたくないようで、いまだに無視を決め込んでいる。

「ノックぐらいしろよな」
「オレはザギ……お前を殺す男の名。覚えておけ、死ね、フレン・シーフォ……!」
「…あの子、こんなのに狙われてんの?」

ケイが全身に鳥肌を立たせながら振り返ると、ザギと名乗った男は容赦なく襲い掛かってきた。ユーリもケイも、身軽にその攻撃を避けたのだが、武器は豪快にフレンのベッドを切り刻む。勿体無いな、なんて思いながら、ケイはぼけっと立ちすくむ少女の手をひいて戦闘の邪魔になりそうにないところに身を潜めた。

「アイツ、生理的にムリだわ!ユーリよろしく!」
「へいへい…」

仕方なくユーリは剣を抜くと、一人ザギに向かっていくのだった。
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