【01:はじまりは下町から】

帝都ザーフィアスは、三つのエリアに分かれている。
貴族街、市民街、そして国からまるで手入れのされない街、それが下町だ。

その下町の真ん中から、ドカン!と豪快な音が響く。先ほど修理してもらったにも関わらず、下町の水を担う水道魔導器(アクエブラスティア)が壊れ水が大量に溢れてしまったようで、大洪水が起こってしまったのだ。当然、下町は大慌て。下町に住まう住人たちがせっせとその水をせき止めようと作業しているようだったが、そうと知りながら黒髪の美青年、ユーリ・ローウェルは窓際に腰掛けながら呑気に外を眺めていた。

バタバタと騒がしい足音が響いたかと思うと、それは無遠慮にノックもなくユーリの部屋を訪れた。バタンと豪快に扉が開かれ、慌しく部屋に侵入し、緊急事態にも関わらず呑気にほうけているユーリの元へ駆け寄った。

「ユーリ!たいへんだよ!」
「でかい声出してどうしたんだ、テッド」

テッド、と呼ばれたのはこの宿の一室をユーリに貸し与えている女将の息子で、くりくりとした目が愛らしいまだ幼い少年だ。テッドはユーリが腰掛ける窓際に身を乗り出すと、変わらず騒々しい音を立てる水道魔導器の方を指差して、必死にユーリに訴えた。

「あれ、ほら!水道魔導器がまた壊れちゃったよ!さっき修理してもらったばっかりなのに」
「なんだよ、厄介ごとなら騎士団にまかせとけって。そのためにいんだから」

必死な様子のテッドとは裏腹に、ユーリは面倒くさいとばかりにそこを動こうとはしない。そんな態度にムッとしたのか、テッドは少し怒りを含んだ声でユーリに訴えた。

「下町のために、動いちゃくれないよ。騎士団なんか!」

その訴えにやれやれと思ったのか、ようやくユーリは腰を上げて窓際から離れたものの、それでも急く様子はないようで、のんびり自身の武器を立てかけてある壁に歩み寄り、使い慣れた剣を手に取った。

そんなユーリの様子を伺っていたのは、お気に入りの毛布の上でのんびり過ごしていた相棒のラピード。相棒と言っても、青い毛並みが美しい大きな隻眼のイヌで、常に以前の主人のキセルをくわえているのだが、これがなかなか立派立ち振る舞いで威厳すら感じさせる聡いイヌだ。現在の主人でもあるユーリを横目でちらりと確認しながら、自分がどう行動すべきかをしっかりと見ているようだった。

「世話好きのフレンがいんだろ」

一応、問題の水道魔導器まで出向くつもりではあるらしいユーリだが、それでもまだ乗り気ではない。そんな様子に若干イライラした気持ちを隠すこともせずに、テッドは尚訴える。

「もうフレンには頼みに行ったよ!でも会わせてもらえなかったの!」

フレンとはユーリの昔からの馴染みの友人で、フレン・シーフォという。下町で育ちながらも出世を続ける新進気鋭の騎士で、現在では21歳の若さにして帝国騎士団小隊長として立派に勤めている金髪の青年だ。ユーリとは昔なじみといっても、彼とはまるで正反対の、生真面目で頭の固い真っ直ぐな人間である。

「はあ?オレ、フレンの代わりか?」
「いいから早く来て!人手が足りないんだ!」

フレン、という名前に顔をしかめたユーリは、剣を手に取ると再び窓際まで戻って来た。行く気があるのかどうかもいまいち分からない気だるい態度に、さすがにテッドも頭に来たのか声を荒げるが、彼自身も早く来いという母からの出動要請を受けてしまい、結局ユーリに「ユーリのバカ!」と一言告げて部屋を出た。やれやれ、と苦笑をもらして肩をすくめたユーリだったが、先ほどと同様に外へ向けられた視線は鋭く、僅かに眉をひそめる。

(騒ぎがあったらすっ飛んで来るやつなのに……)

それはもちろん、フレンのことだ。いつもなら下町の騒ぎには何があっても駆けつける彼が来ないというのだから、水道魔導器はもちろんだったがフレンのことも気がかりだった。

そんなとき、突然隣りの部屋の窓がスパーン!と勢いよく開けられ、ユーリの陰りが一気に消える。その窓からずるりと女の上半身が、言葉の通り這い出した。まるでホラーのような光景だが、ここでは日常茶飯事のことなので、特に驚くことも気にかける風でもなく、ユーリはおっ、っと声を上げて女に声をかける。

「ケイ、起きたか」
「ハァイ、ユーリ。おはよ」

ミルクティーブラウンにピンクのメッシュが入った、子犬の毛並みのような柔らかいウェーブのかかったミディアムヘアをかき上げると、まだ眠そうなグリーンの瞳ととろんとした寝起きらしい声をユーリに寄せながら、ケイと呼ばれた女は笑った。彼女はユーリ同様ここの宿の部屋を一室借りて住んでおり、何でも屋と称してよくわからない他人の依頼を自由気ままにこなしながら生活している。

きめの細かい健康的な肌にすっと通った鼻筋、長い睫毛、少しだけつりあがった大きな瞳。女なら誰もが欲しがるであろう美しい顔を持つケイ・ルナティーク。彼女も同様にユーリやフレンとは幼い頃からの馴染みなのだが、彼らよりも二つ年上で、昔から二人には本当の姉のように慕われていた。

ケイは幼い頃非常に体が弱く、肺をいつも病んでいた。ユーリたちが家に遊びに行ってもケイの病状がひどい日ばかりで、ろくに話すことさえ出来なかったのだが、13歳を過ぎた頃からかなり体も丈夫になり、外で遊びまわれるようにまで回復した。回復してからは表情も随分豊かになり、肺を病むこともなくなったのだが、15歳になったある日、母が事故でなくなった。ケイにとっては、たった一人の家族だった。

ケイが少し変わったのは、この頃からだったとユーリは記憶している。
以前から明るく笑顔に満ちた愛くるしい娘だったのだが、母の死をきっかけに周りに心配や迷惑をかけたくないと、余計に明るく振舞うようになったり、突然武芸を習い始めてユーリたちと一時は騎士団に入団したり、かと思えばユーリと一緒にあっさりとやめてしまったり、挙句の果てには何でも屋である。そう銘打つだけあって、それなりに危ない仕事も舞い込んで来ているのであろうことはユーリもなんとなく気付いているのだが、ケイは飄々としつつも肝心なことを一切話さない。プロ意識が高いのか、はたまた迷惑をかけたくない一心からなのかは、明るく美しい笑顔にはぐらかされて何一つ見えないままだった。

女性とはいえ、騎士団にも入団していたほどなので、当然ケイはかなり腕の立つ人間だ。しかしそれでも年頃の、しかも美しいという言葉をそのまま宛がったような女である。いつ何が起こっても不思議ではない。その上、成人してからどっぷりと酒にはまり、毎晩のように飲み歩くようになってしまったこともあり、何でも屋などというわけのわからないことをしている、この寸分の狂いもないほど美しい年上の幼馴染みが、ここ数年のユーリの悩みの種だ。

「昨日もしこたま飲んだのか?」
「まぁね。ついでにガッポリ稼いできました〜」
「…たくましいこった」

ケイはにやりと妖しげに、それでいて悪戯が成功したときのような子どもの様にも見える笑みを浮かべ、昨夜の勝利をひらひらと見せ付けた。一番大きな額のお札が十数枚ほど、彼女の華奢な指につままれながら靡いている。よく行く平民街のバーの賭け事の戦利品らしいのだが、これもある意味彼女の生業の一環ともいえるのかもしれない。

ユーリは、たくましいという言葉が果たして似合うのかどうかも分からないまま、呆れ顔で息を吐く。明日にも死んでしまうのではないかというほど病弱だったあの頃に戻って欲しいとも思わないのだが、いろんな意味で立派になりすぎてしまった幼馴染みの姿に、せめてもう少し可愛げが欲しいものだ、と苦笑した。

しかし残念なことに、ユーリは心配する素振りなどはみせるものの、彼女の素行にまでとやかく口は出せない。彼の目の前にあるびっくりするほど綺麗な寝起き顔は、例えどんな手段を使っていようと、下町の中では圧倒的に稼ぎが多い上に、そのお金はのほとんどがこの下町のために消えているのだ。ユーリ自身もそれなりに頑張っているのだが、追いつけないどころか、足元にも及んでいない。なんだか腹立たしくもあり、寂しくもある話である。

「あんま無茶ばっかりすんなよ」
「わかってるよーもう。朝から心配性炸裂ですねぇユーリさん」

ケタケタと笑いながら、ケイはユーリに右手を差し出した。ユーリが何事かとその右手を見つめていると、相変わらずの笑顔でケイは言った。

「心配ついでにユーリさん、あたし、お酒が抜けきっていないみたい」
「ふうん」
「冷たくてきゅーっとなるようなお水が欲しいなあ」
「嫌だっていったら?」
「あれ、手伝ってあげない」

悪びれる様子もなくそう言ってのけると、ケイは水道魔導器の方を指差しながら、くあーっと一つ、恥ずかしげもなく大きな欠伸を吐き出したあと、にっこりと綺麗な笑顔を惜しげもなく振りまいた。

「じゃ、あたし準備してるから、お水持ってお迎えよろしく」

ピシャリと気持ちいいほど軽快な音と共にケイの部屋の窓は閉められて、ユーリは溜め息を一つ零した。主人の気苦労を知ってか知らずか、ラピードは起き上がってユーリに近付くと、まるで労いの言葉をかけてやるのようにワンッと小さく吠えた。

「…ったく、ほんっとに可愛げねえのなあいつ」
「ワンッ」
「しゃーねぇ、ワガママなお隣さんをエスコートしに行くか。それにあの調子じゃ、魚しか住めない街になっちまうしな」
「ワウッ!」

つくづく彼女にだけは甘いな、とは思いつつも、ユーリは水を取りに部屋を出る。これもいつもと変わらない馴染んだ日常だ。そしてそんな日常が、この水道魔導器の一件をきっかけに大きく動き出し、知られざる世界の真実に立ち向かうことになるなんて、ユーリは知る由もなかった。
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