【22:燃え盛る船の中で】

「あたしはこんなところで何やってんのよ……」

去って行く船を追いかけながら、リタはぼやいていた。ラゴウを乗せた船は港を離れどんどん遠くに行ってしまう。ユーリは舌打ちをすると、港から完全に離れる前に船に乗り込もうと声を上げた。

「行くぞ……!」
「ちょっ、待って待って待って!心の準備が〜〜〜〜!!」
「今しなさい!」

ケイはそう言うと、真っ先に船へとジャンプした。元々身軽で跳躍力の高いケイは、あっさりと船に掴まると一番最初に船に乗り込んでしまった。そしてぐっと手を差し伸べる。

「ユーリ!!」

ユーリはカロルを抱えると、武醒魔導器の力を借りて、そのまま船に飛びついた。ユーリの腕の中で絶叫するカロルには無視をして、ユーリはケイに腕を伸ばす。ケイはユーリの腕を掴むと、思いっきりユーリの体を引っ張って船へと上げる。その間にリタも自力で船の端に掴まっていて、ラピードはエステルを加えながらなんとか船へと乗り込んでいた。

今にも落ちてしまいそうなリタを引き上げて、無事に全員で船に乗り込むことが出来た一行は安堵の息を吐く。ユーリたちはちょうど船体の中央部分に上がってきたらしい。しかし気を抜いたのもつかの間で、蓋の開いた宝箱の中からリタがあるものを発見したことによって、再び緊迫した空気が漂うことになった。

「これ、魔導器の魔核じゃない!」

そこには尋常じゃない数の魔核が詰め込まれていて、それを見たリタはわなわなと震えている。カロルも驚いて声を上げた。

「なんでこんなにたくさん魔核だけ?」
「知らないわよ!研究所にだって、こんなに数揃わないってのに!」

声を荒げるリタの目は怒りで満ちている。これほど大量の魔核を研究所に回さず、個人的にここまで集めているとしたら、これらを使ってよからぬことをしていると考えるのが妥当だ。実際ラゴウの屋敷にはめちゃくちゃな術式の魔導器が、ラゴウの卑下た趣味に利用され人々を苦しめていたのだ。魔導器に愛を注ぐリタが怒るのも無理はない。
エステルも目の前の魔核の数には驚きを隠せないようで、はっとしたようにユーリを見て口を開いた。

「まさか、これって、魔核ドロボウと関係が?」
「かもな」

ユーリは視線を大量の魔核に向けたままで答えた。ケイの視線も同じく魔核に注がれている。カロルはそんなふたりを見上げながら言った。

「けど、黒幕は隻眼の大男でしょ?ラゴウとは一致しないよ」
「だとすると、他にも黒幕がいるってことだな」

確かにラゴウは体も大きくはないし、隻眼でもない。となると、この大量の魔核と魔核ドロボウに関係があるという前提で考えた場合、他に黒幕がいる、というユーリの結論はもっともだ。ケイは視線を魔核からリタに移すと、いつになく真剣な声で尋ねた。

「ねぇリタ、ここに下町の魔核、混ざってない?」

ケイの問いにリタは首を横に振って立ち上がった。

「残念だけど、それほど大型の魔核はないわ」
「なるほど、確かにそれは残念」

言いながら、ケイはホルスターから銃を引き抜いてリタから視線を逸らすと、船首の方へと視線を向けた。ラピードも低く構えながら尻尾を高らかに上げて威嚇の体勢に入っている。間違いなく敵がいるのだろう。ユーリたちも武器に手を添えて、いつ襲われても対処出来るように戦闘態勢に入る。

そして、船首の方からぞろぞろと武器を持った男たちが現れた。その目は確実にユーリたちを狙っている。ここで彼らを始末して、海にでも沈めるつもりだろう。さっと武器を構えたユーリたちだったが、その真ん中にいたカロルがやっぱり、と小さく声を上げた。

「こいつら、5大ギルドのひとつ、『紅の絆傭兵団』だ」
「じゃ、さっきあのお屋敷でカロルが言ってた通りってことね」
「どういうことです?」

ケイが言うと、エステルが武器を構えつつケイに尋ねた。ケイも武器を構えて答える。

「ラゴウとギルドが繋がってる。つまり、帝国そのものとギルドが手を組んで、こんな悪巧みしてるかもってこと」
「そんな……」
「おしゃべりはそこまでだ。来るぞ!」

ユーリの言葉と同時に、敵が一斉に襲い掛かる。敵の数はそう多くはないのだが、争いの場が船の上なので狭く足場の悪い場所では戦いにくい。その上障害物も多いため、飛び道具を巧みに扱うケイも今回ばかりはやりにくいらしく、いつになく苦戦を強いられている。
だが、そんなときだからこそ誰よりも前に出て戦うのがユーリである。華麗に敵の懐に入って攻撃を与え、ケイが狙いやすいよう隙とスペースを作る。その隙を一つも見落とすことなく、ケイは手際よく銃弾を敵に打ち付けていくのだ。
ケイの放った銃弾で敵をよろけさせたところを、さらにユーリが畳み掛けて海へと落としていく。幼馴染ふたりの見事な連携が功を成し、ユーリたちは襲い掛かってきた敵たちから余計な攻撃を食らうことなく、無事にその場をやり過ごすことが出来た。

「さすがユーリさん、かっこいい〜」

ケイが笑顔でさっと手を差し出したところに、ユーリもニッと笑ってハイタッチをかわす。そしてすぐに表情を一転させたユーリは、甲板のすぐそばにあった大きな扉へ近付いた。中に侵入するつもりだろう。
しかし、ユーリが扉の取っ手を動かしてみても扉はガタガタと音を立てるだけで、まったく開く様子はない。カギがかけられているらしい。そこへカロルが近付いて、お得意のピッキングをはじめた。ユーリは扉の影に隠れて神経を研ぎ澄まし、扉の向こう側に意識を集中させる。ケイたちは再び敵がやって来ないよう方々の気配を確かめながら少し離れた場所から様子を伺った。

カロルがいつものように手際よくカギを解除していく。そう強固なカギではないようで、そのカギはすぐに開いた。
しかし、カギが開いたのと同時に、突然その扉の向こうから右目に傷を負った隻眼の大男が現れた。赤いコートをまとい、右手には成人男性ほどの大きさの大剣を握っており、左手は黄色い鉄球のようなもので作られている。
ユーリよりも大きな身の丈に、ずっしりとした重みのある体、そんな男が目の前のカロルを突き飛ばしたのだから、当然カロルの体は簡単に吹き飛ばされた。

「うわっ!」
「カロル!」

小柄なカロルは勢いよく宙を舞う。ケイはすぐさまカロルに駆け寄って、その体が地面に打ち付けられる前にカロルを抱きとめた。カロルから伝わる衝撃をすべて受けてしまったケイは、カロルを抱きしめたまま自らがその下敷きになってしまった。カロルは慌てて立ち上がると、起き上がろうとするケイの体を支える。

「ケイ!だ、大丈夫!?」
「った〜……へーきへーき……」

ケイはカロルの手を借りながらのろのろと起き上がって笑ってみせるが、随分と派手な音を立てて甲板に叩きつけられたのだ、痛くないはずはない。エステルもケイに駆け寄ってすぐに治癒術を展開する。ラピードとリタはさっとケイたちの前に立って、目の前の大男を睨みつけた。

ユーリは扉から大男が現れた瞬間、男の背中に剣を突き立てて、その大きな背中を冷めた視線で射抜いてる。ユーリからはわずかながらも殺気が滲んでいて、放たれたそれは視線の先にいる大男にも確かに伝わっていた。しかし男はその殺気に臆する様子も見せず、突き飛ばしたカロルたちを見下しながら呆れたように声を漏らした。

「はんっ、ラゴウの腰抜けは、こんなガキから逃げてんのか」
「隻眼の大男……あんたか、人使って魔核盗ませてるのは」

ユーリは背後から男にそう問いかける。隻眼の大男はゆったりとユーリを振り向くと、ニタリと意味深な笑みを浮かべながら答えた。

「そうかも知れねえなあ……」

言いながら、男は勢いよく右手の大剣をユーリ目掛けて振り回した。それは見た目に反して凄まじいスピードでユーリに襲い掛かったのだが、ユーリは軽やかにジャンプしてそれ避けると、リタとラピードの前に着地して剣を構えなおした。その後ろで、回復を終えたケイたちも立ち上がる。
隻眼の大男は自らの一撃を軽々と避けたユーリの動きを見て、少し見直したように声を上げた。

「いい動きだ。その肝っ玉もいい。ワシの腕も疼くねえ……うちのギルドにも欲しいところだ」
「そりゃ光栄だね」
「だが、野心の強い目はいけねえ。ギルドの調和を崩しやがる。惜しいな……」

男が呑気にそんな事を言っていると、突然船尾側からすっかり見慣れた姿がこそこそと現れた。ラゴウだ。ラゴウは隻眼の大男に向かって声を荒げる。

「バルボス、さっさとこいつらを始末しなさい!」

バルボスと呼ばれた隻眼の大男は、ふんっと鼻を鳴らしてラゴウを見る。

「金の分は働いた。それに、すぐ騎士が来る。追いつかれては面倒だ」

そう言うと、バルボスは持っていた大剣を肩に乗せて、真っ直ぐにユーリを見た。大きさだけでもかなりの威圧感を放っているのだが、その隻眼がさらに強面に拍車をかけている。一般市民なら、震え上がって目も合わせられないだろう。
だが、ユーリたちは怖気づくこともなくバルボスを睨み返している。その視線を真っ直ぐに受け止めながら、バルボスは少しばかり楽しそうに声を上げた。

「小僧ども、次に会えば容赦はせん」

バルボスはそれだけ言い放つと、突然甲板の端に駆け出した、焦ったようにラゴウが引き止めるが、バルボスはまったく耳を貸す様子はない。ラゴウは舌打ちをすると、バルボスが駆けた後に続きながら叫んだ。

「ザギ、後は任せますよ!」

バルボスとラゴウは甲板の端にひっそりと備え付けられていた小船に乗り込むと、それを使ってユーリたちの乗っている船から脱出してしまった。当然一行はそれを追いかけようとするものの、船は突然巨大な爆発音を上げて大きく揺れた。どうやらラゴウたちは、端からこの船を囮に使うつもりだったらしい。船の内部から爆発は広がっていき、急に船体が揺れてしまってユーリたちは体勢を崩してしまった。その間に、ラゴウとバルボスを乗せた船はどんどん遠ざかっていく。

「くっそ……!」

ユーリが立ち上がりながら悔しげに小船を見送っていると、コツコツとこの場に不似合いな足音が聞こえて、一同の視線はそちらに向けられた。その瞬間、誰よりも早くケイの表情が凍りつく。
目の前には見覚えのある派手なピンク色の髪の男が立っていた。お城で出会い、フレンの部屋でユーリが戦ったあの男、ザギだ。

「誰を殺らせて、くれるんだ……?」

そう言いながらザギはゆらりと顔を動かしてユーリたちを見つめた。その姿に、ユーリとエステルも表情を強張らせる。

「あなたはお城で!!」
「どうも縁があるみたいだな」

この男のことだ、ここであっさり見逃してくれるはずがない。ユーリが剣を構えると、ザギは城でのときと同じ調子で叫び始めた。

「刃がうずくぅ……殺らせろ……殺らせろぉっ!」
「ひぃぃぃ!!もう無理!!」

ケイはぞわぞわと体中を駆け巡る拒否反応を抑えられないようで、ぶわっと一気に鳥肌が立ってしまった自身の体を抱きしめた。ザギはそんなケイなど気にも留めず、真っ直ぐにユーリに向かって突撃してきた。その手には武器が構えられている。ユーリはすばやく反応してザギの攻撃を避けたのだが、ザギが振り下ろした斬撃は船の中心部分にあった巨大な砲台に直撃し、その砲台を破壊してしまった。破壊された砲台からは煙が上がり、ただでさえ沈みゆく船の崩壊を加速させていく。ケイはうげっと声を漏らした。

「こ、こんな状態でほんとにコイツと戦うの!?」
「このまま帰してくれそうにもねえからな」

今にも泣きそうなケイがユーリに向かって声を荒げると、ユーリはケイの前に立って剣を構えながら、ザギに向かって口を開く。

「お手柔らかに頼むぜ」

その声を合図にしたのか、ザギはすぐにユーリに向かって攻撃を仕掛けてくる。勢いよく振り下ろされたブロードソードを受け止めながらユーリは顔を歪める。城で戦ったときよりもその一撃が重くなっていたのだ。ザギは死線を通して強くなっていくタイプなのだろう、ひどく厄介な相手だと思いながら、ユーリは力いっぱいザギを押し返した。
ただ、いくら強くなっているとはいえ、今回はユーリとの一対一ではない。今はユーリだけでなく、ラピード、エステル、カロル、リタもいる。一応ケイも戦闘には参加しているものの、本気でザギを受けつけないらしく、誰よりも後方から隙を見て攻撃したり、時折援護するので精一杯のようだ。普段は状況判断能力も高く、ひとつひとつの指示も的確に行えるパーティの司令塔でもあるケイなのだが、その姿はいつになく頼りなくみえた。

ケイは昔からこうなのだ。生理的に受け付けない相手や、少しでも無理だと判断した相手には近付くことさえしない。帝都ではキュモールがその対象だったが、外に出てからケイがこうも嫌悪を露にした相手はザギただ一人だけだった。ケイの中では、キュモールにも勝るほど拒絶したい相手なのだろう。この戦闘が長引けば長引くほど、ケイの精神力は削られる。
それに、船も先の爆発の影響ですでに炎が上がっていた。どちらにせよ、一刻もはやくこの戦闘を終わらせないと自分たちの身も危険なのだ。この炎に飲まれるか、船と共に海の底へと沈むか、ザギという戦闘狂にやられてしまうか。下町の魔核を取り戻してもいないのに、こんなところで死ぬわけにはいかない。

足場の悪くなる中、ザギがよろめいたわずかな隙を狙ったユーリはその懐に飛び込むと、強力な突きの技を食らわせた。ザギはギリギリのところでそれを避けたのだが、わずかに間に合わず切っ先が左腕を貫いてしまった。それが最大の一撃となり、ザギは傷付いた左腕を押さえながらとうとう膝をついた。

「ぐぅあああ……!痛ぇ……」
「勝負あったな」

轟々と燃え盛る船の甲板の上、ユーリは目の前で膝を突いたザギに向かって言い放つ。ザギは膝をついたままで、突然ぶつぶつと何かを言い出した。

「……オレが、退いた……ふ、ふふふ、アハハハハっ!!」

そして次には笑いだしたかと思うと、ふらふらと立ち上がった。その足元には炎がまとわりついているというのに、ザギは気に止める様子もない。ひとしきり狂ったように笑ったザギは、獲物を狙う獣のような目で目の前のユーリを見据えた。

「貴様、強いな!強い、強い!覚えた覚えたぞユーリ、ユーリっ!!おまえを殺すぞユーリ!!切り刻んでやる、幾重にも!動くな、じっとしてろよ……!アハハハハハハ!」

息を継ぐこともなくひとりでそう叫んだザギだったが、船の爆発に巻き込まれて吹き飛び、その身は海へと投げ出された。それを確認したユーリは、視界の端でへなへなと崩れ落ちそうなケイに駆け寄って、その体を支えてやる。やけに顔色が悪いのは気のせいではない。

「おいおい、しっかりしてくれ」
「ううう……ユーリ……」
「ひとりで立てるな?」
「だ、だいじょうぶ……」

ユーリがケイから腕を放した瞬間、一際大きな爆発の音と共に船体が激しく揺れた。より一層大きな炎が船を包み、船首側と船尾側を隔てるようにして船の間に火の壁が出来上がる。その船尾側にユーリとケイが取り残されてしまった。
船はどんどん沈んでいく。船は傾き、勢いを増すばかりの炎が一行に襲い掛かる。

「海へ逃げろ!」

ユーリが叫ぶと、エステルたちは揺れる船上からなんとか身を乗り出して海に飛び込もうとしたのだが、その瞬間、ユーリたちがいる船尾側から、何やら人の声が聞こえた。

「……げほっ、げほっ……。誰かいるんですか……?」

その声は、先程バルボスが現れた扉の向こう側から聞こえてくる。その声に真っ先に反応したのはケイだ。先程まで腰が抜けそうになっていたのが嘘のように声の方へと駆けて行く。ユーリもわずかに遅れてその後に続いた。そんな二人の姿を見て、咄嗟に船の方に戻ってしまったのはエステルだ。

「ユーリ!ケイ!」
「エステリーゼ!ダメ!」
「でも……でも……!」

ユーリたちに向かって駆けていこうとするエステルの腕を、リタは力強く引きとめた。船の真ん中には先程よりも大きくなった炎の壁が道を塞いでいる。駆けつけようとしたところで、それは叶わない。それでもエステルはすでに見えなくなった二人の姿を目で追いかけている。そんなエステルに向かってリタはきつく言い放った。

「ごちゃごちゃ言ってないで、飛び込むの!」

リタはエステルの腕を力いっぱい引っ張ると、カロルたちと共に海の中へ飛び込んだ。海の中へ飛び込む際の衝撃に目を閉じながら、エステルはいまだ船に取り残されたままの二人の身を案じることしか出来なかった。



ユーリとケイは、扉のさらに奥にあった頑丈な扉をこじ開けて、船内から柔らかな金色の髪のまだ幼さの残る青年を救出していた。美しい身なりをしたその青年は、煙を吸い込んでいたせいかぐったりとしている。ユーリが青年を抱え、ケイが先を進んで道を確保しながらひどく傾く船内を移動し、どうにか元の扉まで戻ってきたのだが、すでに火の手は目の前まで襲い掛かっていた。これでは船の端に移動することが出来ない。

「ユーリ!こっちダメ!」
「くそ……しょうがねえ、強行突破だ!」

ユーリは青年を一旦ケイに預けると、剣を構えて蒼破刃を繰り出し、壁に大きな穴をあける。すぐにケイから青年を奪い返したユーリは、その穴目掛けて飛び出した。ケイも後に続く。

ユーリたちが出てきたのは、エステルたちが飛び降りたのとは反対側の船の縁だった。エステルたちとは船を挟んでしまう形にはなるので、間違いなく合流が遅れてしまうだろうが仕方ない。二人はすっかり斜めになってしまった船から海に飛び込もうと船の縁に掴まった。
だが、再び船体が大きく揺れて二人は体制を崩してしまう。そのとき、船に積まれていた荷物の一部が勢いよく滑り落ちて、ケイの体に当たってしまった。足場の悪い船の上でそれを避け切る事ができなかったケイは、荷物と共に滑り落ちてしまう。

「っきゃあ!」
「ケイ!」

青年を抱えながらもユーリは必死にケイに手を伸ばしたのだが、その手はケイを掴むことが出来なかった。間一髪、ケイは自分で船の一部に掴まったのでそのまま滑り落ちていくことはなかったが、ほとんど空を向いている状態の船の上だ、体は宙吊りのような状態になってしまっていた。

「くそ……!」
「バカ!さっさと飛び込みなさいユーリ!」

自分の体を支えるのも精一杯の状態だというのに、ユーリはなんとかケイを助けに行こうとする。ケイはそんな無謀なユーリを声で制した。

「あんた他人の命抱えてんのよ!?あたしのことはいいから先に行って!」
「ふざけんな!おまえ放って先に行けるかよ!」
「あーもう!いいからさっさと行けこのバカ!アホ!オタンコナス!」

船は刻一刻と沈んでいく。それでもユーリはケイを置いて先に海に飛び降りることなど出来なかった。ユーリは意を決して片手で青年を抱きかかえると、軽く深呼吸して眼下で宙吊りになっているケイを見つめた。そしてケイに向かって大きな声を上げる。

「いいか、タイミング見計らえよ!」
「は!?」
「いくぞ……!」

ユーリは片手で青年を抱えたまま、勢いよく船を滑り落ちていく。そしてケイに向かって空いている腕を差し伸べた。ユーリの意図を理解したケイも、ユーリに向かって腕を差し出しながら叫んだ。

「大バカだね!」
「うるせえ!」

そしてユーリの手がケイの手を掴んだ瞬間、ケイは船に掴まっていた方の手をタイミングよく離す。ユーリが滑り落ちながら力いっぱいケイの腕を引っ張ると、ケイはユーリの首元に腕を絡めてしっかりと抱きついた。その体がほんのわずかにも離れてしまわないよう、ユーリはケイの腰に腕を回す。二人はそのまま船から滑り落ちると、船の隙間に沈んでいった。



「みんな、大丈夫?」

ぷかぷかと浮いている自らのかばんに掴まりながら、カロルは周囲を見渡した。その少し遠くで、半分に割れた船が少しずつ沈んで行っているのが見える。リタもエステルもラピードも、なんとか無事に海へと逃げ込めたようだが、そこにユーリとケイの姿はない。
しばしの沈黙が流れ、カロルたちは何も言えないまま呆然と海を見つめていたのだが、突然リタの目の前からぶくぶくと泡が浮き上がり、リタははっとしてその泡に目を向けた。その瞬間、勢いよくユーリとケイが浮き上がってきた。ユーリの片腕には金色の髪の青年が抱えられていて、もう片方の腕はしっかりとケイの体を支えている。ケイはユーリの首元にしっかりと掴まって苦しそうにゲホゲホと咳込んでいるが、なんとか無事らしい。生きている二人の姿を見て、エステルは今にも泣きそうな声で安堵の声を上げる。

「ユーリ、ケイ……!よかっ……」
「このバカ!なんつー無茶してんのよ!死ぬ気!?」

エステルの言葉を遮って、咳も収まりきらないケイが突然叫んだ。その声を聞きながら、疲弊しきったユーリが面倒そうに答える。

「ったく……どっちも助かったんだからそう騒ぐなって。だいぶ水飲んでんだろ、ちょっと静かにしとけ」
「あんな危ないことされて静かにしとけって!?出来るわけないでしょーが!だいたいねぇ、あんたはいっつもそうやって……」
「ほれ」
「痛ぁぁぁぁ!?そこ触るな!」
「ここだろ、思いっきりぶつかったの」
「痛っ!コラ、痛い!触るなってば!」
「だったら静かにしてろ」

浮き上がってきた途端ぎゃーぎゃーと騒がしい二人の姿にもはや呆れるしかないリタは、心配して損したとばかりに深い溜め息をついてから声を上げ、二人の言い合いを遮った。

「ところで、その子、いったい誰なの?」

リタの言葉にピタリと言い争いをやめた二人は、しばらく黙って見つめ合ってからユーリの腕の中にいる青年に視線を向けた。青年はぐったりとしているが呼吸は安定しているし、特に外傷も見当たらない。

「誰だろうねぇ?」

ユーリに腕を回したまま首をかしげたケイは、呑気な声でそう答えた。その返答にリタは頭を抱えるばかりだ。そんな中、エステルが突如顔色を変えて、金髪の青年を見つめたまま驚いたように声を上げた。

「ヨーデル……!」
「なに、あんたの知り合い?」

エステルの声に反応したのはリタだった。しかし、エステルは答えることなく口を噤んでしまう。そんな様子を、ユーリにしがみ付いたままのケイはじっと見つめていた。すると、突然カロルが何かを見つけてぱあっと表情を明るくさせる。

「みんな見て!助かった、船だよ!」

おぉい、と叫びながらカロルは腕を振った。ゆっくりと近付いてきたのは帝国の船で、その上に見慣れた姿が見える。フレンだ。ユーリたちの姿を確認したフレンは、ほっとしたように息を吐く。

「どうやら、平気みたいだな」
「どこをどう見たらそう見えるの……」

船上から叫んだフレンに向かって、ケイはぼそりと独り言を吐いた。
ラゴウの屋敷から連戦が続き、燃え盛る船の上では死闘を繰り広げ、そこから命からがらに逃げ出して、その際豪快にぶつかった荷物のせいで背中が尋常じゃなく腫れているのだ。もう少し労わってほしい気持ちがあったのだろう、げんなりした様子のケイはぐったりとユーリの肩にもたれかかる。ユーリはそんなケイに苦笑を漏らした。

「お疲れさん」
「ユーリもね……」

平気そうな顔で労いの言葉をかけてくる幼馴染にケイは力なく言葉を返すと、小さな声で拗ねたように吐き出した。

「あとで目一杯ふんだくってやる」
「フレンが相手じゃ無理があるな」
「じゃあフレンの知らないところでふんだくってやる」

とりあえず金銭をふんだくって解決したい様子のケイに肩を落としたユーリは、さっさと引き上げてくれといわんばかりにフレンを見上げた。フレンはユーリの視線を受けながら部下に引き上げの指示を出していたのだが、その腕の中に抱えられている人物の姿を見て途端に顔色を変えた。

「ヨーデル様!」

すると途端に迅速な動きであれこれと手配し始めた。真っ先にヨーデルと呼ばれたこの青年を助け出すつもりらしい。その様子を眺めていたユーリとケイは視線を合わせると、何かを悟っていたようで、二人して肩を竦めてみせるのだった。
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