【20:忍び込んだラゴウ執政官邸】
雨の中、おそろいのレインコートを着た集団が、影からこそこそと執政官の屋敷の様子を伺っている。ユーリたちだ。怪しさだけはずば抜けている一行だが、屋敷に街の住人は近付かないので、ここまで怪しくても気に留められることはない。穏便にいこうと決めたユーリたちは、作戦を練りながらこそこそと話し合っている。
「しかし何度見ても、おっきな屋敷だね。評議会のお役人ってそんなに偉いの?」
カロルの質問に答えたのはエステルだ。
「評議会は皇帝を政治面で補佐する機関であり、貴族の有力者により構成されている、です」 「言わば、皇帝の代理人ってわけね」
リタがまとめると、ケイはうげっと言いながら嫌悪を露にする。
「貴族の有力者で構成された機関なんて、絶対ろくなもんじゃないね。ここの執政官様みたいなのばっかりいるんでしょ、どうせ」
警備の傭兵が二人並ぶ屋敷の入り口を睨むようにして見つめるケイの視線は、まるでゴミでも見るかのようなものだ。屋敷に向かってべーっと舌を出すケイはずいぶん不機嫌そうではあるが、今のところ落ち着いている。ケイは貴族というだけでめちゃくちゃなことをやりかねないので、ユーリも一応気にかけてはいるのだが、とりあえずは大丈夫そうなので放っておくことにした。
「どうやって入るの?」 「裏口はどうです?」
リタとエステルがひそひそとそんなことを言い合っていた、そのときだった。
「残念、外壁に囲まれてて、あそこを通らにゃ入れんのよね」
ふと背後から聞きなれない声が会話に紛れ込んだ。一行は驚いて声の方を振り返る。そこにいたのは深いグレーの髪を一つに纏め上げた、褐色の肌の男だ。突然現れた謎の男に、エステルは声をあげそうになるが、男はその口をぱっと押さえ込んで声を塞ぐ。
「こんな所で叫んだら見つかっちゃうよ、お嬢さん」 「……えっと、失礼ですが、どちら様です?」
口元を解放されたエステルは、思わず叫びそうになった声を飲み込んでから尋ねる。男はユーリの顔をみるとニヤッと笑った。
「な〜に、そっちのかっこいい兄ちゃんとちょっとした仲なのよ。な?」
ユーリはその男に見覚えがあった。男はユーリが帝都の地下牢に閉じ込められたときにとなりの牢に閉じ込められていて、こっそりと牢の鍵をくれ女神像のヒントをくれた、まさにその人だったのだ。 相変わらずの身なりに、相変わらずの胡散臭い顔。まさかこんなところで会うことになると思ってもいなかったユーリは呆れたように息を吐くと、知らないふりを決め込んでしっしと手を振った。男はそんなユーリの態度にわざとらしく悲しんだ様子を見せる。
「おいおい、ひどいじゃないの。お城の牢屋で仲良くしたじゃない、ユーリ・ローウェル君……と、そちらのお嬢さんは、ケイ・ルナティークちゃんかね」 「ん?名乗った覚えはねぇぞ」 「あたしは会った覚えがない」
ユーリが怪訝な顔で男を見つめると同時に、ケイは首を傾げて男の顔を見る。すると男は懐から二枚の色褪せた紙を取り出すと、それをひらひらとユーリたちの目の前に出してみせた。手配書だ。これを見ているなら、名前と顔くらいは知っていて当然だろう。
「そうだ、あたしたち有名人だったんだ」 「そーいうこと」
ケイが今さら思い出したといわんばかりの口調で言うと、男は手配書を再び懐にしまいこみながら答えた。
「で、おじさんの名前は?」
カロルが尋ねると、男は顎に指を添えて少しだけ考え込むと、あっけらかんと答えた。
「とりあえずレイヴンで」 「とりあえずって……どんだけふざけたやつなのよ」
レイヴンと名乗った男を見ながら、リタが疑わしそうにそう言った。ユーリもレイヴンから視線を逸らすと、再びしっしと手を振る。
「んじゃ、レイヴンさん、達者で暮らせよ」
今から執政官邸に乗り込もうというのだから、目の前の胡散臭い親父に付き合っている暇はないというオーラを発してアピールする。ケイもにこにこと笑いながら、レイヴンと名乗った男に手を振った。しかしレイヴンはそれで引き下がる様子はなく、ずいっとユーリに近付いた。
「つれないこと言わないの。屋敷に入りたいんでしょ?ま、おっさんに任せときなって」 「え?レイヴンさん、なんとかしてくれるの?」 「おうとも!ま、見てなって」
ぱあっと期待の声を上げたケイに向かって胸を叩いてみせたレイヴンは、迷うことなく正面から執政官邸に向かって駆けて行く。無鉄砲すぎるその行動にリタは慌てて止めようとするが、ユーリが城の地下牢を抜け出すときは本当に助けてくれた男だ。一行はとりあえずその場で様子を見守ってみることにした。
レイヴンは屋敷の入り口で傭兵たちに何かを話している。雨のせいでどんな話をしているかは聞き取れなかったが、すでに胡散臭さはにじみ出ていた。 はじめは疑い深い表情でレイヴンの話を聞いていた傭兵たちだったが、突然顔色を変えると物凄い剣幕でユーリたちの方を振り向いた。そして、二人揃って武器を構えると、迷うことなく突っ込んでくる。
「ワァオ」
ケイが呟いたのと同時に、レイヴンはユーリたちに向かってなんともいい笑顔で親指を突きたてた。傭兵をユーリたちに預けて執政官邸内に駆けて行ったレイヴンの姿を見て、一行はがっくりと肩を落とす。見事に期待を裏切られてしまった。 仕方なくユーリが武器を構えようとしたとき、それよりも早くリタが前に出た。俯いているので表情は見えないが、強く握られた拳がぷるぷると震えているところを見ると、かなりお怒りのご様子だ。
「あいつ……バカにして……」 「あ、これマズいよユーリ」 「もう遅い」
リタを見つめたままで言ったケイの言葉に、間髪いれずにユーリは答えた。二人の予想通り、リタは両手にどんどん魔力を溜めていく。
「あたしは誰かに利用されるのが、大っ嫌いなのよ!!」
そう叫ぶと同時に、リタは傭兵たちに向かってファイアーボールを投げつける。それは見事に直撃し、傭兵たちはその場にばったりと倒れこんでしまった。死んではいないが完全に気を失っている。穏便にいくはずが侵入する前から大事になってしまい、カロルが呆れたように言った。
「あ〜あ〜、やっちゃったよ。どうすんの?」 「どうするって、そりゃ、行くに決まってんだろ?見張りもいなくなったし」
ユーリがそう言ったのを合図に、一行は執政官の屋敷に向かって駆け出した。そして正面の扉をくぐらずに、左手に回って別の通用口を探す。すると、通用口らしきエレベーターの前にレイヴンが立っているのが見えた。迷うことなくそこへ駆ける一行に気付いたレイヴンは、ユーリたちに笑顔で手を振ると、やってきたエレベーターに乗り込んであっさりと上へ向かってしまった。
「待て、こら!」
リタは怒声を上げながらレイヴンを追いかける。エレベーターは二台設置されていたので、リタは迷うことなくもう一つの方に飛び乗った。つられてユーリたちもそのエレベーターに乗り込んだのだが、エレベーターはレイヴンが向かった上へは行かず、どんどん下降してしまう。
「あれ、下?」
カロルの虚しい囁きは、エレベーターと共に屋敷の地下へと飲み込まれていくのだった。
「あ〜もう!ここからじゃ、操作できないようになってる……」
エレベーターの操作盤を見つめながら、リタは苦々しい顔で呟いた。レイヴンに利用されたことがずいぶん気に食わないらしい。
「なかなかおもしろいおじさまだったね!」 「どこがよ!」
リタが不機嫌そうな顔をしている一方で、ケイはにこにこと相変わらず呑気に笑っている。ケイはレイヴンのことをそう悪くは思っていないらしい。むしろその笑顔を見ている限り、好意的な印象だ。
「しかし……」
対照的な表情で言い合うリタとケイから視線を逸らしたユーリは、眉を顰めてあたりを見渡した。 降り立った地下は、コンクリートのような硬い壁と床に覆われていて、ひんやりとした空気が漂っており、壁に備え付けられたランプの明かりが灯されただけのやけに薄暗い空間だった。明かりは全体を照らせるほどの強い光を放ってはおらず、数歩先はもう暗闇しか見えない。そう広い場所ではないようで、話し声は不気味なほどはっきりと響いた。 それだけではない。
「なんか、くさいね……」
カロルはそう言って顔を歪める。エステルも鼻と口を両手で覆って顔を歪めていた。そこはかなりの腐臭が漂っていたのだ。血なまぐささと、肉か魚の腐ったようなにおいが充満している。
「なるべく離れないように行動しましょ」 「そうだな」
この暗さで別行動は危険だということは間違いない。ケイの意見にユーリも頷いた。 ユーリたちはなるべくお互いの顔が見える位置まで集まったのだが、突然ラピードが姿勢を低くしてぐるぐると呻き声を上げた。その目は真っ直ぐ暗闇の向こう側に向けられている。嫌な予感がした一行は、戦闘体勢に入ってそちらに視線を向けた。 じっと目を凝らして様子を伺っていると、突然暗闇の中から現れたのは魔物だった。それも一匹や二匹ではない。魔物たちはユーリたちの姿を見つけると、一斉に襲い掛かってきた。武器を構えていたユーリたちは視界の悪い中で魔物たちを倒していく。幸い、あまり強力な魔物はいなかったのであっさりと倒すことが出来たが、この薄暗さの中だ、油断は出来ない。
「魔物を飼う趣味でもあんのかね」 「かもね。リブガロもいたし」
剣をしまいながら言ったユーリにリタが答える。ケイはラピードと共に先頭に立つと、ユーリに向かって声をかけた。
「ユーリ、ここ、あたしとラピードで先歩くわ」 「おいおい、病み上がりが無理するなよ」 「あれー?人一倍働けって言ったのは、どこの誰だったっけ?」
ケイはそう言いながら笑うと、ふわりと揺れる髪をかき上げた。
「大丈夫よ、無理してるわけじゃないから。ただ、この面子で一番すばやく遠距離まで攻撃出来るのはあたしだから、あたしが前に立つってだけ。ラピードがいち早く嗅ぎつけた魔物をあたしがさっさとやっつける。こんな視界の悪い中で進むんだから、全員でがちゃがちゃ戦ったって危ないだけよ。なら、あたしが先頭に立って出来るだけ危険は回避する、それが一番無難でしょ」
確かにケイの言っていることはもっともだ。視界は悪く、あまり広い空間でもない中で各々が武器を振り回して、仮にそれが味方にぶつかりでもしたら。そのことを考えると、ケイとラピードが先頭に立つのが一番効率よく進んでいける。それに、ケイの銃の腕は確かだ。暗闇でも安心して任せられるだろう。 ユーリの一個人の考えとしては、あまりケイを危険に晒したくはなかったが、状況を考えるとケイに守られていろというのは筋違いだ。今はケイの考えに便乗し、出来る限りその危険を減らすことに専念するのがベストであることを理解して頷いた。
「ま、確かにな。じゃあケイさんには人一倍働いてもらうとしますか」 「はいはーい、ケイさんいっきまーす」
ケイはラピードと共に先頭に立ち、周囲に気を配りながら歩き始めた。ユーリは自ら一番危険な最後尾を行き、出来るだけ背後から魔物が襲ってこないように意識を向けることにした。
ケイを先頭にしながらユーリたちは進む。地下にはいくつかの同じような部屋があって、そこを順に回っていくしか進める道はなさそうだ。 しばらく進んだ先でふいにケイが足を止めた。後に続いていたユーリたちの足も止まる。
「どうした?なんかあったのか?」 「しっ」
人差し指を口に当てながらそう言ったケイの表情は真剣そのもので、ユーリたちも思わず口をつぐむ。そしてじっと耳をこらすと、遠くから小さな泣き声が聞こえて来た。怯えたカロルは目の前にあったケイの腰に慌てて抱きついた。しばらく泣き声を聞いていると、泣き声と共に聞こえて来たのは子どもの声だ。
「パ……パ、マ……助けて……!」
はっきりと聞くことは出来なかったが、ひどく怯えた様子のその声色は恐怖で塗りつぶされている。ケイは目を閉じて、ぴくりとも動かずにその声に耳を傾ける。声の出所を探っているらしい。
「こ、今度はなに?どうなってんの、ここ!?」
とうとう静けさに耐え切れなかったカロルがそう声を上げた。ケイの腰にしがみつく腕にはすっかり力がこもっている。悲痛な子どもの声に表情を強張らせたエステルも、いつになくしっかりとした声で言った。
「行きましょう!誰かいるみたいです!」 「そうね、こっち」
エステルの言葉に答えたケイは、いつになく淡々と答えながら歩き出した。足取りは先程よりも早い。腰に抱きついていたカロルもさっさと先を歩くケイを慌てて追いかけた。
「ちょ、ちょっとケイ、場所分かってるの?」
カロルの声に振り返ったケイは、歩く速度を遅めることはなく、怯えた様子のカロルの顔を真っ直ぐに見つめて、やんわりと笑ってみせた。
「だいじょーぶだいじょーぶ。ね、ラピード」 「ワン!」 「ほらね」
優しく目尻を下げながら笑うケイに安心したのか、カロルもそれ以上は何も言わずにおとなしくケイの後をついていく。カロルの様子を見て安心したようにくすっと笑ったケイは再び前を見ると、その美しい顔から表情から失わせる。グリーンの瞳は、ただ前だけを見据えていた。
ケイが歩いていった先には扉があった。ケイが迷わずその扉を開くと、一行は目の前の光景に表情を強張らせた。 その部屋のあちこちには人骨や腐敗を始めた死体が転がっていた。一気に腐臭が強まって、カロル、エステル、リタの三人は両手で口元を覆い隠す。エステルにいたってはその光景を見ているのも絶えられないようで、部屋の中に背中を向けてきつく目を閉じてしまった。ユーリはふらつくエステルの体を支えながら、目の前に広がる壮絶な状況に顔を歪めた。
「うわあぁぁぁぁぁ!!!」
一行が悲惨なその光景を目にし、固まってしまっていたそんなとき、突然耳を劈くような悲鳴が聞こえた。声は部屋の中に反響して、どこに声の主がいるのか分からない。ユーリたちは慌てて武器を構えるが、わずかな光に灯された部屋では、ろくに身動きも取れない。
そのとき、それは一瞬のことだった。 先頭にいたケイが、すばやく右手で銃を引き抜き、迷うことなくそれを構えると、扉を背にして部屋の右奥に向かってトリガーを引いた。構えられた銃口からは銃弾が飛び出し、銃弾はそこにいた『何か』の頭部を見事に貫いた。 ケイはそれと同時に左手でも銃を引き抜いて、器用にも左手だけで弾を入れ替えてからそれを構える。その間、右手のトリガーはもう一度引かれていて、二発目の鉛玉はすでにケイが狙った獲物の頭部を再びぶちぬいていた。 ケイは右手に持った銃をホルスターに戻しながら、左手に構えた銃のトリガーを引く。左の銃から飛び出したのは前回のガットゥーゾ戦でも登場した小さな火の弾で、それが獲物を捕らえた瞬間、獲物の頭部からは豪快に炎が舞い上がった。その炎が周囲を照らしたおかげで、ケイ以外のメンバーたちはようやく今どういう状況だったのかを把握することが出来た。
頭から炎を出して燃え上がっているのは、狼のような巨大な魔物だった。その魔物の前に、呆然と座り込む少年の姿が見えた。少年は何が起こったのか分からない様子で、突然燃え上がった魔物を見つめたまま放心状態になっている。 ケイは左手の銃弾を再度入れ替えると、炎に向かって全力で駆け出していた。そして炎のそばにいた少年を力いっぱい引き寄せて抱きしめると、左手に持っていた銃を炎の塊に向かって構えて、その引き金を数回引く。飛び出したのは水の弾で、それは数回に渡って炎に当たり、轟々と魔物の頭上から燃え盛る炎を鎮めていく。すっかり黒こげになっていた魔物はすでに絶命していて、ゆっくりと沈むように倒れこんだ。
あたりに静寂が鳴り響く。しんと静まり返った部屋の中で、ケイは銃を戻すと抱きしめている少年の顔をのぞき込んで、にっこりと優しく微笑んで見せた。
「ハァイ、ボク、ケガはない?」
その声を聞いて真っ先に動いたのは、顔を背けていたはずのエステルだった。エステルがケイの元へ駆け出したのをきっかけに、ユーリたちもケイに駆け寄っていく。 ケイは抱きしめていた少年の背中をさすりながら、真っ先に駆けつけたエステルに少年の擦り傷を治すよう頼むと、少年をエステルに預けて立ち上がり、何事もなかったかのように少し離れた場所で様子を見守っていた。その後に駆けつけたリタとカロルも少年のそばにしゃがみこんでいたが、ユーリとラピードはケイのとなりに立って、同じくその様子を見守っている。
「いいのか、任せちまって」 「心のケアとかケガの治療とか、そういうのは苦手なの」
ケイは肩を竦めて笑ってみせた。ユーリも眉を下げながら笑う。 視線の先では、少年の治癒を終えたエステルが優しく声をかけていた。放心状態だった少年もようやく頷いたり答えたりするようになったようで、もう大丈夫だと言い聞かせながら微笑むエステルに向かって抱きついていた。
「ね、あれはあたしには無理でしょ?」 「損な性格してんな」 「ユーリさんには言われたくないな〜」
そう言ったケイの足元で、ラピードが呆れたように声を漏らした。その声を聞いたケイがユーリを見上げて言う。
「ほら、ラピードもそう思うって」 「それはケイに対してだろ」 「どうだか」
そんな二人の会話を聞きながら、ラピードはケイの足元に座り込んで、再び呆れたような声を漏らした。どっちもどっちだ、と言いたいらしいが、もう二人は聞いていない。 さっきまでの緊迫感が嘘のように和やかな空気に包まれてしまった部屋の中、ラピードはひとりやれやれと溜め息を零すのだった。
腐臭ではなく、焦げくさいにおいが充満するはめになった部屋を出てから、エステルがゆっくりと少年から話を聞きだしてくれた。少年の名前はポリーといい、リブガロのツノを渡したティグルとケラス夫妻の子どもで間違いなかった。夫婦が税金を払えないからといって、こわいおじさんに連れて来られたらしい。先程の部屋で無残な姿となった人々全員が同じ理由で連れて来られたのだと、ポリーは時々嗚咽をもらしながらも、一生懸命話してくれた。
「……なんて、ひどいこと」
エステルはその内容に胸を痛めながら、悔しそうな表情を見せている。ケイは相変わらずポリーから一番離れたところにいて、壁にもたれかかりながら腕を組み、静かに紡がれる話に耳を傾けていた。その顔に笑顔はなく、表情はひどく冷め切ったものだ。瞳の奥はラゴウ執政官への怒りで燃えている。 ポリーは泣きながら何度もパパとママに会いたいと訴える。エステルがそんなポリーに向けて必死に大丈夫だと伝えていると、しばらくその状況を傍観していたユーリが二人に近付いて、ポリーの前にしゃがみこんだ。
「ポリー、男だろ、めそめそすんな。すぐに父ちゃんと母ちゃんにはあわせてやるから」
ユーリが力強くそう言えば、ポリーも安心したのか、涙を拭って頷いた。ユーリはポリーの頭をわしゃわしゃとなでてから立ち上がると、ケイに向かって視線を寄越す。その視線を受けてケイは壁から体を離すと、先程までの表情を嘘のように押し込んで、とても自然に笑顔を作ってみせた。
「じゃ、行こっか。エステル、ポリーのことよろしくね」 「はい!」 「ポリーは、そっちのかわいいお姉さんの手をしっかり握っておくこと」 「う、うん」 「よろしい」
ケイはそう言うと、再びラピードと共に先頭を歩き出した。その後ろにカロル、エステルとポリー、リタとユーリ、と続いている。カロルは先頭を歩くケイを呼ぶと、きらきらとした瞳でケイに声をかけた。
「ねぇねぇ、ところでケイ、さっきはすごかったね!」 「ん?何が?」 「拳銃でさ、バーンってやって、パパッと弾を入れ替えて、それからまたバーンって!」
興奮気味のカロルは身振り手振りで感想を伝えるが、ケイは苦笑いを浮かべながら人差し指を口元に当てて、カロルにしーっと言い聞かせる。カロルがきょとんとしてケイを見上げていると、ケイは少しかがんでカロルの耳元で囁いた。
「カロル、あんまり言うとポリーが怖いの思い出しちゃうでしょ」 「あ……ご、ごめん……」
言われて気付いたカロルは、しゅんとしてうな垂れてしまう。ケイはそんなカロルにくすくすと笑顔を零すと、カロルの頭をぽんぽんとなでて笑って見せた。
「でも褒められるのは嬉しいから、あとでいっぱい聞かせてもらおっかな〜」 「え?も、もちろんだよ!」 「ふっふっふー、期待してますよカロルさん」
そう言ってケイはカロルに向かって小指を差し出す。カロルも表情を明るくして差し出された小指に自身のそれを絡めた。その後もケイはカロルに向かって何てことない会話を自ら紡いでいく。先程しゅんとしていたのが嘘のように元気になったカロルも、ケイとの会話を楽しんでいるようだ。 ユーリは最後尾からそんな二人の様子を眺めながら、先程のケイの言葉を思い出して苦笑を零した。そしてひとりぼそりと呟く。
「……どこが『そういうのは苦手』なんだっての」 「なに?何の話?」 「なんでもねえよ」 「ふうん」
誰にも聞かれていないと思っていたはずの独り言は、一番近くにいたリタには聞こえていたらしい。一番厄介な相手に聞かれたものだと思い、ユーリは適当にはぐらかした。 ケイは先頭に立つ役割を担っているからこそ、あえてポリーをエステルに託したのだろう。先頭を歩きながらポリーを連れても、ポリーが怯えてしまうことは目に見えている。それに、もしも魔物に遭遇した場合、ポリーを庇いながら先陣を切って突っ込んでいくのも、気配を察知して攻撃をするのも不可能だ。それをきちんと理解していたから、自分が体を張って助けたポリーをエステルに預けたのだ。人当たりのいい彼女ならば、ポリーのことも安心して任せられると判断して。 それに、下町育ちのケイが子どもの扱いに不慣れだなんてことはあり得ないのだから、『そういうのは苦手』だというのが嘘であることは、ユーリにはもちろんバレバレだ。不器用で素直になれない幼馴染を眺めていたユーリは、暗闇の中そっと微笑んだ。
リタはそんなユーリに向けていた視線を真っ直ぐ前に向けると、先頭を歩くケイの姿を捉えた。ケイが歩くたび、ゆるくウェーブのかかったミルクティーブラウンの髪が揺れる。その後姿をじいっと見つめながら、リタは何かを考え込むように顎に指を添えた。
「おまえこそ、そんな難しい顔してどうしたんだ」
ユーリがリタに言葉を投げかけると、リタは添えていた指を離してふいっとケイから視線を逸らした。
「……なんでもないわ」 「ふうん」
先程のリタと同じ返事を返しながら、ユーリはリタに目を向ける。リタはまだ何か考え込んでいるようだったが、その視線はもうケイには向けられていない。 以前、リタはケイのことを見覚えがあると言った。ユーリもそれ確かには記憶している。まだそのことを気にしているのであろうことは様子を見ている限り明らかだったが、リタ自身が何も言わないのであればユーリが首を突っ込むことでもない。ユーリはそれ以上何も言わず、先頭を歩くケイの後をついていくばかりだった。
それから道なりにしばらく進んでいくと、やけに開けた場所に出た。そこは今までと雰囲気は似通っているのだが、二枚の厳重な柵に隔てられた向こう側が通路になっているらしく、そこからたくさんの明かりが注いでいるため、今まで薄暗い中を歩いていたユーリたちにとってはずいぶん明るく感じられた。
最後尾を歩いていたユーリだったが、場所を見てあえて前に立つ。これだけの明るさがあれば、薄暗い中で仲間同士がぶつかりあう危険性もない。十分に剣を振り回せるだけの広さと明るさがあるのだから、わざわざケイを一番危険な先頭に立たせておくこともないのだ。 ケイはそんなユーリの思いを汲み取ると、何も言わずにユーリの後ろについた。先頭には立たずとも、出来るだけ前線に立って戦うつもりでいるのだ。なんせ、今は戦うことの出来ない小さなポリーがいる。エステルにポリーを任せている限り、エステルからのサポートは期待出来ない。戦闘力も補助の役割も削減されている分を、ケイは担うつもりなのだろう。 ユーリにもまた、ケイの思いは伝わっていた。
「無理はすんなよ」 「ユーリもね」
二人が交わした会話はそれだけで、それ以上余計な言葉は必要なかった。魔物の気配は感じないものの、油断は出来ない。ユーリとケイは周囲を警戒しながら柵に近付く。 すると、二枚の柵を隔てた向こう側に人影が見えた。ユーリとケイは真っ先にそれに気付くと、いつでも武器を構えられるようにそれぞれ体勢を整えて、真っ直ぐにそちらに視線を向ける。そこには、真っ黒な服に身を包んだ何者かがいて、足音を立てながらゆっくりとユーリたちに近付いた。
「はて、これはどうしたことか、おいしい餌が、増えていますね」
整えられた白く長い髭に、鼻の横にある大きなほくろ、死んだ魚のような濁った瞳にメガネを添えてにんまりと笑いながら、その人物は妙に耳につく甲高い声でそう言った。この年老いた男こそ、この街の執政官ラゴウだ。ユーリはその人物に向かって真っ直ぐに視線を送りつけながら口を開いた。
「あんたがラゴウさん?随分と胸糞悪い趣味をお持ちじゃねえか」 「趣味?ああ、地下室のことですか」
整えられた髭をなでながら、なんてことないようにラゴウは言う。
「これは私のような高雅な者にしか理解できない楽しみなのですよ。評議会の小心な老人どもときたら退屈な駆け引きばかりで、私を楽しませてくれませんからね。その退屈を平民で紛らわすのは、私のような選ばれた人間の特権というものでしょう?」 「まさか、ただそれだけの理由でこんなことを……?」
長々と説明をし終えたラゴウの理由に、悲しみを乗せた声で零したのはエステルだ。エステルの一歩前にいたケイは、ラゴウに向かってわざとらしく鼻で笑ってみせると、呆れたように肩を竦めて言った。
「柵二枚も隔てなきゃ人と会話も出来ないようなあんただって、十分小心な老人だと思うわよクソジジイ様」 「なに……!?」 「ほんとに高雅な人間は自分のこと高雅とか言わないの。あんたみたいなクソみたいなジジイは、大人しくクソして寝てろ」
ケイは笑顔でそう言ったのだが、その目はひどく冷め切っている。いつになく殺気立っているケイの後姿に、後ろにいたカロルたちはぶるりと震えた。 ラゴウはケイの発言が気に食わなかったようで、ピクリを眉を吊り上げると不機嫌そうに眉間にしわを寄せたが、すぐに表情を取り戻す。
「ふん、所詮は小便くさい小娘の戯言。本当の高雅がいかなるものか、すぐに分からせて差し上げましょう」
ラゴウはそう言うと、さて、と話を切り替えるように言った。
「リブガロを連れ帰ってくるとしますか。これだけ獲物が増えたなら、面白い見世物になります。ま、それまで生きていれば、ですが」
楽しげなラゴウの言葉をへし折るように、ユーリは声を上げた。
「リブガロなら探しても無駄だぜ。オレらがやっちまったから」 「……なんですって?」 「聞こえなかったか?オレらが倒したって、言ったんだよ」
ユーリの発言にラゴウは信じられないと言った顔で震え始めた。その顔にはみるみるうちに怒りが湧き上がっていく。そんなラゴウに臆することもなく、ユーリは鼻で笑って続けた。
「飼ってるなら、わかるように鈴でもつけときゃよかったんだ」
小バカにしたようなユーリの言葉に、一旦は怒鳴りかけたラゴウだったが、それを押さえ込んで気持ちを落ち着かせるように白い髭をなではじめる。顔に湧き上がっていた怒りを閉じ込めると、ラゴウはふんっと鼻を鳴らした。
「まあ、いいでしょう。金さえ積めば、すぐ手に入ります」 「……その金が、一体どこから出てんのか分かって言ってんの?」
ぼそっとそう呟いてケイはぎゅうっと拳を握り締めると、とうとう我慢できなくなったのか一歩前に出ようとした。 が、ケイよりも先に前に出たのはエステルだった。真っ直ぐにラゴウを見つめ、いつになく声を荒げる様子から、エステルも怒りを隠しきれないことが見て取れる。
「ラゴウ!それでもあなたは帝国に仕える人間ですか!」
そう言ったエステルの姿を見たラゴウは、ひどく驚いたような顔をする。まるで幽霊でもみたかのような顔でエステルを見つめたまま、動揺して固まったラゴウを見たユーリは、ここぞとばかりに剣を抜くと、柵を隔てた向こう側に向かって武醒魔導器を使って技を繰り出した。地面を伝っていったユーリの技は、二枚の柵をあっさり破壊して真っ直ぐラゴウに向かっていく。 当然動揺しきっていたラゴウがそれをよけきれるはずもなく、ラゴウは見事にユーリの技を食らって倒れてしまった。しかし、かなり強固な柵を二枚破壊してからラゴウに伝わったらしいユーリの技の威力はすっかり落ちてしまっていて、ラゴウを気絶させることは出来なかった。ラゴウはすぐに立ち上がると、ヒステリックに声を荒げた。
「誰か!この者たちを捕らえなさい!」
そう叫びながら慌てて逃げていくラゴウを追いかけようとしたケイだったが、ユーリはそれを引き止めた。今はラゴウを追うことではなく、フレンたちが正面から突入出来るよう騒ぎを起こしながら『天候を操る魔導器』という確固たる証拠を探すのが先決なのだ。ケイはぎゅっと唇を噛んで、堪えるように駆け出しそうな足を引っ込めた。
「ケイ、気持ちは分かるが……」 「分かってる。行こう、証拠探しに」
ケイは振り向いて真っ直ぐにユーリを見た。その目は確かに怒りを湛えているが、きちんと冷静さを保っている。ユーリは頷くと、ケイを共に先頭を走りながら、ラゴウの悪事を暴くための証拠を掴むために奥へと進んでいくのだった。
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