【19:暗闇の中でみた夢】

ケイの意識はふわふわとしていた。一足先に宿へやってきたとき、ここの主人が解熱剤をくれたのでそれを飲んだせいだろう。それでもこのまま睡眠という沼に引きずり込まれるのはなんだか勿体ないような気がして、ぼんやりとした頭で本を開く。
『満月と星』と題された本に書かれている文字の羅列を追いかけながら、必死にその内容を頭に叩き込もうと足掻くものの、沈みかけた意識では内容などほとんど頭に入ってはこない。ただ、その本の中の重要なキーワードとして何度も登場する『皇族の血』という言葉だけは、やけに鮮明に刻み込まれる。そのたびに痛みきった心がギシギシと音を立ててさらに傷を増やしてしまうのは、もはやどうしようもないことだった。

ああ、頭が重い。
さすがにもう耐え切れないとケイが瞼を閉じかけたそのとき、扉を叩く音がはっきりと聞こえてケイはぱっと目を開く。読んでいた本をベッドの中にしまいこむと、いつも通り呑気な声を上げた。

「はーい」
「僕だけど、入っていいかな?」
「どーぞ」

扉の向こうから聞こえて来た声の主は幼馴染のフレンだ。追い返す理由もないので、ケイは快く返事を返す。部屋に現れたフレンに向かって、ケイはベッドの上からひらひらと手を振って笑顔を見せる。頭は相変わらずぼんやりとしていたが、いくら幼馴染とはいえ、弱っているところを易々と他人に見せるのはなんだか気が引けたので、眠気を無理矢理押し殺すことにした。
フレンはケイのそばに椅子を手繰り寄せて腰掛けると、手甲を外してケイの額に触れる。フレンの手のひらが温かいのか、自分の額が熱いのかは、ケイには分からなかった。

「まだ熱があるみたいだね」
「ユーリに頼まれた?」
「何をだい?」
「あたしを見てろって」

ケイが言うと、フレンはわずかに目を見張ってから諦めたように眉を下げて笑った。

「……まったく、敵わないな」
「トーゼン。何年あのいけ好かないおにーさんと一緒にいると思ってんの」

ケタケタとケイが笑ったのを見て、フレンは額から手を退けた。こうして熱で寝込んでいるケイの姿を見るのは幼い頃以来だな、と思いながら子犬の毛並みのように柔らかな髪をなでるとケイは心地良さそうに目を細めた。昔と比べれば随分とお転婆になったものの、頭を撫でられるのが好きなところは変わらないらしい。あの頃と同じような顔で笑ったケイを眺めながら、フレンも柔らかな笑みを浮かべる。

「ところで」

目を細めていたケイだったが、突然何かを思い出したようで、ぱっと目を開くと意味深ににやにやと笑いながらフレンを見つめた。

「フレンとエステルって、実際どうなの〜?」
「え……?エステリーゼ様と、僕?」

突拍子もないケイの発言に、フレンは驚いて目を丸くする。ケイは相変わらずにやにやと笑いながら、意地悪く目尻を下げてフレンをじーっと見つめるばかりだ。その視線の意味を理解したフレンは困ったように笑った。

「エステリーゼ様は大切な方だけど、別にケイが思ってるようなことはないよ」
「うっそだぁ、好きなんでしょ?素直に白状しちゃいなさいよ〜」

悪意のないケイの笑顔に、フレンは乾いた笑いを零すしかない。
今にも消えてしまいそうな昔の儚さなど綺麗さっぱり残っていないし、ユーリと一緒に見舞いに行ったときにいつも謝ってばかりだった少女の姿など今のケイからは想像も出来ないが、それでもやっぱりケイはケイだ。昔から色恋沙汰の話題は大好きで、そういう話にはいつもアンテナを張り巡らせていた。それは今でも変わらない。

「そういうケイこそどうなんだ」
「あたし?」
「ユーリとはまだ引っ付いてないのかい?」

話を逸らすため、フレンはケイの質問に質問で返すことにした。
フレンはユーリがケイに抱いている気持ちをずっと昔から知っている。ユーリならケイのことを大切に守ってくれることは間違いないのだから、ふたりの幸せな未来ためにも、早く一緒になって幸せになって欲しいと願うのは幼馴染である身としては当然のことだ。

ところがケイはフレンの言葉を聞いてきょとんとした顔をすると、次には豪快にふきだしていた。げらげらと笑い転げるばかりで、まったく真剣に現状を捉えていない。

「あたしがユーリと!?ないない!絶対ない!」
「そうかな?僕はお似合いだと思うけど」
「あんな野蛮人とお似合いって?冗談きっついわよフレン〜。ユーリとはいつも一緒にいるからそう見えるだけだって」

ユーリにはその気がないのだと言わんばかりにケイははっきりと告げる。フレンはこれは長い道のりになりそうだな、と思いながら心の中で親友にエールを送った。

「ケイはユーリのこと、どう思ってるんだ?」
「好きだよ、大好き」

ケイは恥ずかしげもなくそう言うと、間髪いれずに言葉を並べた。

「でも、あたしはフレンのことも大好き。つまりね、あたしにとって二人はそもそも特別だし大事なの。幼馴染としてね。それ以上はありえない」

そう言ってケイはやんわりと笑ってフレンを見た。その言葉に嘘は感じない。幼馴染という何よりも大きな壁はお互いを守る最大の理由になるが、その壁が恋人としての未来を妨げているのだと理解したフレンは、それ以上何も言えずに苦笑を零すことしか出来なかった。フレンの零した苦い笑みにケイは何か言おうと口を開いたのだが、そこから漏れたのは大きな欠伸だ。ケイは眠そうに目を擦る。

「ごめん、眠かったとこ、邪魔したかな」
「ううん、全然。久々にフレンと会えたわけだし、こうして話すの楽しいよ」
「ならいいんだけど、眠いなら無理せず寝た方がいい。熱もあるんだから」

そう言いながらフレンはケイの頭をなでた。何度もその行為をくり返せば、ケイの瞼は自然と落ちていき、瞳もとろんとし始めた。もう声を出すのも億劫なようで、先程まではしゃいでいたのが嘘のようにケイは大人しくなってしまう。せめてケイが眠るまではそばにいようと決めたフレンは、柔らかく指に絡みつく美しい髪をしばらく堪能することにした。

優しいフレンの手つきがひどく心地よかったのだろう。ケイももう素直に眠ることを決め、ゆっくりと瞼を閉じる。閉ざされた視界の向こう側でフレンが小さくおやすみと呟いたのを最後に、ケイは音もなく意識を手放した。



一方ユーリたちは、ノール港から南に進んだところにある森の中でリブガロを倒したところだった。街の住人に狙われ続けたせいだろう、リブガロの体は傷だらけになっていて、金色の毛並みもやけにくすんでいる。
雨の中ユーリたちの前でぐったりと倒れこむリブガロの姿は痛ましく、ユーリたちもこのまま街へ連れて行く気にならなかった。ユーリは横たわるリブガロに近付くと、頭のそばにしゃがみこんでリブガロのツノに剣を落とし、そのツノだけを手に取ると立ち上がった。ツノは黄金色に輝いている。

「ユーリ……?」
「高価なのはツノだろ?金の亡者どもにゃこれで十分だ」

そう言って剣を納めたユーリを意外そうにリタが見つめる。ユーリが魔物に情けをかけるとは思わなかったらしい。
ユーリたちがその場でしばらく呑気に会話を繰り広げている間に、リブガロはふらふらと立ち上がった。カロルが慌てて武器を構えるものの、リブガロはしばらくユーリを見つめたままで攻撃をしかけてくることはなく、そのまま走って逃げてしまった。カロルは魔物であるリブガロが敵意を示さなかったことに対して驚きを隠せずにいたのだが、きっと自分たちの意図を理解してくれたのだとエステルが能天気な理由をこじつけたので、渋々それで納得することにした。

「さて、それじゃ帰るとするかな」

ユーリの一言を合図に、一行は森を抜けてノール港へ戻ることになった。道中雨に見舞われることはなかったのだが、街へ近付くに連れ徐々に雨の気配が訪れる。ここに住んでいないユーリたちでも、数回この街に訪れただけでこの天候を異常だと思うのだから、ここに住んでいる人々はよほど豊かな生活を妨げられているのであろう。港街だというのにこの雨のせいで船も出せず、食べていくのも必死だというのに、執政官は容赦なく金をむしり取り、税金を払えない者は魔物と戦わせて遊ぶ。はらわたが煮えくり返りそうなこの現状を考えると、このまま何もせずにいるなんてユーリに出来るはずがない。帰路の途中、ユーリはほとんど何も話すことはなくただ真っ直ぐに前だけを見据えていた。その瞳の奥に深い怒りを闇が宿っていたことを、エステルたちは気付けずにいた。

街に戻った途端、ひどい雨に見舞われた。頭からコートを着ているのでここへ辿り着いたときよりもずっとマシではあるが、それでも雨で体は冷え切っている。
はやく宿に戻ろうと一行が足を宿に向けたとき、聞いたことのある声が聞こえてきてユーリたちは思わずそちらを振り向いた。そこにいたのは先程の夫婦で、夫のティグルは大層な武器を持って今にも街を飛び出そうとしているのだが、妻のケラスはそんな夫を必死に引き止めている。ティグルは妻の腕を振り払うと、人でも殺しそうな目で街の外に向かって歩きはじめた。ユーリはそんなティグルの前に立つと仁王立ちで道を塞ぐ。

「そんな物騒なもん持って、どこに行こうってんだ?」
「あなた方には関係ない。好奇心で首を突っ込まれても迷惑だ」

そう言われてユーリはやれやれと肩を竦めると、持っていたリブガロのツノをティグルの前に放り投げた。ゴトリと音を鳴らして地面に転がった黄金色のツノを見て、ティグルは驚いたように目を見開いた。

「こ、これは……っ!?」
「あんたの活躍の場奪って悪かったな。それは、お詫びだ」

ユーリはそう告げると、踵を返して宿に向かう。立ち尽くしたままのティグルだったが、駆けつけたケラスと二人でその場に膝を着くと、礼を言いながら何度も頭を下げた。そんな夫婦をユーリは振り返ることもない。エステルたちは顔を見合わせると、慌ててユーリの後を追いかけた。宿屋の前で、カロルはユーリに声をかける。

「ちょ、ちょっと!あげちゃってもいいの?」
「あれでガキが助かるなら安いもんだろ」
「最初からこうするつもりだったんですね」
「思いつき思いつき」

エステルの言葉に答えながら、ユーリはひらひらと手を振った。そんなユーリを見て、リタは呆れたように言う。

「その思いつきで、献上品がなくなっちゃったわよ。どうすんの」
「ま、執政官邸には、別の方法で乗り込めばいいだろ。とりあえず、フレンとケイのことも気になるし、早く戻ろうぜ」

ユーリは宿屋の扉を開けながらそういうと、コートを脱いで真っ先にケイが眠る部屋に向かって行った。結局ケイが気になって仕方がないのか、とリタは若干呆れた様子でその背中を見送るとユーリに続いて宿屋に入り、その後にラピード、カロル、エステルが続いた。

部屋に戻ったユーリたちは、各々自由にくつろぎ始めた。ユーリはケイのそばにあった椅子に腰掛けてケイの顔をのぞきこむ。首まですっぽりと布団を被ったケイは横向きですやすやと眠っていた。無防備な寝顔は穏やかで、少しあどけなさを残している。ユーリはケイに気付かれないようにそっとその額に触れて熱を確かめた。リブガロを追って街を出る前に比べればすっかり熱も引いてるし、顔色も悪くなさそうだ。
ユーリは安堵の息を吐くと、ケイの顔にかかっている髪をそっと払ってからとなりのベッドにごろんと寝転がった。それを見たカロルも、ようやく一息つけるのだと分かり、嬉しそうに一番端のベッドにダイブする。

「そうだリタ、魔導器研究所の強制調査権限ってなんです?」

ソファに腰掛けていたリタの前にエステルも座ったのだが、そのとき思い出したように尋ねた。聞けば、フレンがそんな指示をウィチルに出していたのだという。リタは強制調査権限がどのようなものであるかを説明すると、まぁ無駄だと思うけど、と付け足してソファにぐったりと沈んだ。エステルはさらに質問を投げかける。

「無駄って、どうしてです?」
「例外とかいって、よく弾かれるのよ。それに、権限をもらうまでに最短でも半日はかかるから、しばらく動きはないんじゃない?」
「なるほど、帝国のやりそうなことだな」

それを聞いたユーリは気だるそうにそう言うと、大きな欠伸をこぼした。

「ま、そういうことならもう休もうぜ。とりあえずゆっくりしてから考えりゃいいだろ」
「賛成〜。ボク、もうくたくた……」

ユーリの発言にカロルは答えるが、久々のベッドで眠気に襲われているようで、すでに半分瞼は閉じかけている。ユーリも完全に休む体勢に入っていて、すでに目を閉じている。ソファに腰掛けていたリタも大きくぐっと伸びをした。彼女は彼女で、それなり疲労が溜まっているらしい。

「そうね、今日はもう休みましょ」
「はい」

リタが立ち上がってのを見て、エステルも立ち上がる。それぞれ空いているベッドに寝転がって、すっかり溜まった疲れを癒すことにした。久々の心地よいベッドはすぐに眠気を誘い、一行はあっさりと深い眠りに誘われた。



ユーリは夢を見ていた。ここが夢の中だと、ユーリは理解している。
視界は真っ暗で、黒以外の景色を映すことはないが、少年と少女が何かを話していることだけは分かった。しかし、声は遠くで小さく鳴っているようなもので、途切れ途切れにしか聞こえないため二人が何を話しているのかは分からなかった。

『…しも、………が…に……たら、………は……て…れる?』

姿のない少女の声が、何かを尋ねた。それがどんな状況で、何を伝えたかったのかは、黒く塗りつぶされた世界の中では見えないし、遠くでわずかに響く小さな音では聞き取れない。それでもきっと少女にとっては大切なことだったのだろう。その声はほんの少し震えている。
少年は、一体何と答えるのだろう。ユーリは黒い世界を見つめながら、ぼんやりと思った。少年の声がする。

『――――』

少年は何かを答えたのだが、なんと言ったのかは聞き取れなかった。それから少年は続けて何かを話しているが、それも一切聞き取れない。けれど、その言葉を聞いた少女がなんとなく笑った気配がして、きっとよい返事だったのだろうということは伺えた。少女が再び口を開く。

『うん、………』

そこでぶつりと声は途切れ、真っ黒だった世界が晴れる。ユーリの目の前には、そう高くない天井が映されていた。一瞬何が起こったの分からずに、目の前に広がる天井を見つめながら考えたユーリだったが、ただ夢から覚めただけだと気付くのにそう時間はかからなかった。
のろのろと体を起こして部屋の中を見渡せば、それぞれベッドの上で深い眠りについている。みんな元気そうではあったが、やはり疲労が溜まっていたらしい。
ユーリは何となくとなりのベッドに視線を寄越して、一番体調が不安定なケイの姿を確認しようとしたのだが、ベッドの中はもぬけの殻となっていた。窓の向こうからは真っ暗で、雨の音がする。まだ夜は深いというのに、こんな時間にどこへ行ってしまったのか。
ユーリは起き上がると、エステルたちを起こしてしまわぬように、そっと部屋を出て行った。

部屋を出ると、その姿はすぐに見つかった。受け付けの前にあるソファに、一人の女が座っている。ぼんやりと照らされた頼りないライトの明かりが、ミルクと溶け合った紅茶のような彼女の髪を灯している。彼女はゆるいウェーブのかかった髪を時々かきあげながら、ぺらぺらと何かをめくっていた。
ユーリがそっと近付くと、すぐに女は振り向いてグリーンの瞳をユーリに向けた。あまり夜に似合わない風貌だが、やけに夜に馴染むのが不思議だ。

「ハァイ、ユーリ。こんな夜中にお出かけ?」
「ケイこそ、こんな夜中に何してんだ」
「目が覚めちゃったから、ちょっと読書でもと思って」

ケイは本を閉じると、さっとそれをソファと背中の間に入れ込んだ。ユーリはケイの前に腰掛けて、目の前のやけに綺麗な幼馴染に視線を寄越す。

「何読んでたんだ?」
「新しい発明に役立ちそうな本。読む?」
「いや、遠慮しとくわ。どうせ読んだところで分かんねえし」

ユーリはそう言うと、ちょいちょいとケイを手招きした。ケイは素直にユーリに向かって身を乗り出す。ケイの上体がテーブルの真ん中あたりにきたとき、ユーリはケイの後頭部に手を回して自身も身を乗り出した。そして自分の額とケイの額をコツンと触れ合わせながら、ケイの熱を確かめる。

「お、下がってんな」
「そうなの、もうすっかり元気」
「そりゃよかった」

額をくっつけたままで会話する。至近距離で真っ直ぐに自分を見つめるケイの澄んだグリーンの瞳の中に、自分の黒が写りこんで澄み切った美しい瞳を汚している。それでもケイの瞳は、彩られたガラスのように綺麗に見えるから不思議だ。
ユーリはケイの頭を解放すると、ソファに深く沈みこんだ。ケイも元の位置に体を戻して、いつものようににこにこと笑っている。顔色もすっかりよくなった。

「あたしが寝てる間、みんなでどこ行ってたの?」
「散歩だよ」
「ふうん、散歩のついでにリブガロ狩るなんて過激ねぇ」
「……知ってんのかよ」
「起きてきたとき宿のおじさんが話してくれた。リブガロのツノ、こないだの夫婦にあげちゃったんだってね。街じゃすっごい噂らしいよ」

ケイはくくっと悪戯っぽく笑った。

「賞金首が人助けなんて、目立ちたがりですねぇユーリさん」
「そんなんじゃねえよ。たまたまそうなっただけだ」
「へぇ〜?」

ニヤニヤと笑いながら、ケイはユーリの瞳をじっと見つめる。ライトに薄く照らされたその顔は妙に妖艶で、ユーリは気持ちを誤魔化すように言った。

「ちなみに、リブガロは狩ってないぜ。ツノ頂いてきただけだ」
「あら、やっつけてないんだ。相変わらずお優しいことで」

それから間髪いれずに、ケイはところで、と切り出して右手を差し出した。にこにこと笑顔だけを向けてくるケイに、ユーリは首をかしげる。

「お土産のリンゴは?」
「……あ」

すっかり忘れていたユーリは、そういえばそんなことも言ったな、と固まってしまう。ユーリの様子を見たケイは、にこにこと笑顔は崩さないまま、ぎろりと視線だけでユーリを睨みつけた。

「まさか、忘れてたなんて言わないでしょうね?」
「いやまあその、あれだ。ちょっとばたばたしてて」
「忘れてたわけね?」

ケイは差し出していた腕を戻して足を組むと、にやりと笑って目の前のユーリを見た。

「じゃ、ロイヤルミルクティー」
「は?」
「あっちの給湯室、自由に使っていいらしいの。だから、あったかくて濃い〜ロイヤルミルクティー、お願いね」

にっこりと爽やかな笑顔をユーリに向けたケイは、さっさと行けと言わんばかりにひらひらと手を振った。ユーリは盛大に溜め息をつくが、相変わらずケイにだけは妙に甘い。仕方なく立ち上がると、給湯室に向かって歩き出す。そんなユーリの背中を見つめながら、ケイはひとり、寂しげに笑った。

「……バカねぇ」

自分にか、それともユーリにか。ぼそりと呟いた言葉は誰に対してのものかは分からなかったが、ケイの声はひどく切なさを含んでいた。それは誰に届くわけでもなく再びケイの耳だけにゆっくりと届くだけだ。
ケイは背中に隠した本をこっそり懐にしまうと、給湯室からほのかに香る甘い香りを感じながら、静かに目を閉じた。



翌朝、ユーリがのろのろと起きて待合に行くと、そこにはすでに全員が集合していた。ユーリに気付いたカロルが笑う。

「おはようユーリ」
「おはよう、ずいぶん早いお目覚めだな」
「あんたが遅いのよ」
「そうだそうだー!」

リタが呆れたように言ったとなりで、わざとらしくケイが便乗する。悪戯っぽく笑いながらニヤニヤとユーリをみつめるその顔を見て、ユーリは呆れて息を吐いた。
昨夜、ケイにロイヤルミルクティーを淹れたわけだが、そこに練乳が入っていないことを攻め立てられた為に淹れなおしの命を食らい、その後ケイをひとりで宿に置いている間に何があったかを説明させられ、説明している間にミルクティーを飲み干したケイは話の途中で眠ってしまい、ユーリは仕方なくケイをベッドに運んだわけだが、せっせと体を動かしていたユーリの方はすっかり目を覚ましてしまって、なかなか眠れないという状況に陥っていたのだ。
そうして今に至るわけだが、人一倍よく眠ったらしいケイは誰よりも元気だ。

「ケイも熱下がって元気になったみたいだよ」
「……らしいな」

嬉しそうにユーリに報告するカロルの爽やかな笑顔とは対照に、ユーリの笑顔はずいぶん引きつっている。ユーリの様子に首をかしげるカロルだったが、ケイは元気になったおかげかいつになく笑顔が眩しい。

「心配かけたねユーリくん!おかげさまで全快だよ」
「そうだな、じゃあ人一倍働いてもらわないとな」
「ちょっとちょっと、朝から怖い顔しないでよユーリ」

ケイは笑って立ち上がると、ユーリの頭をくしゃりとなでた。

「昨日はありがと、ごちそうさま」

ユーリを見上げたまま綺麗な笑顔でそう言ったケイは、すぐにユーリの頭から手を離してすたすたと歩き出した。

「じゃ、みんな揃ったわけだし、フレンに話聞きにいきましょ。強制調査ナントカってのがどうなったのかも確認しなきゃ」

ラピードはケイのとなりを陣取って、その後ろにリタとカロルが続く。どうやらユーリが眠ってる間に今までの詳細を改めて聞いたらしい。昨夜の説明の意味はなんだったんだ、とユーリは深い溜め息を吐きながらケイになでられた頭に触れる。そして向けられた柔らかな笑顔を思い出せば、それだけで不満もゆるゆると解けていくのだから、もう怒る気力も湧き上がらない。そんなユーリのとなりで、エステルはくすくすと笑っている。

「……なんだ?そんなにおもしろいこと、あったか?」
「いえ、ケイって実は素直じゃないんだなって」
「ん?」
「何度かリタやカロルがユーリのこと起こしに行こうとしたんですけど、ケイがずっと止めてたんです。『ああ見えてユーリだって疲れてるだろうから、ちょっとくらい寝かせてやったら?』って言って」
「そうなのか?」
「はい。部屋を出るときだって、ユーリを起こそうとしたカロルを止めたりしてたの、ケイなんですよ」

その話を聞いたユーリは、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして、瞬きさえ忘れている。エステルはユーリを見つめながら、先に行きますね、と伝えるとケイたちのあとを追いかけた。ユーリはそんなエステルの後姿を見つめながら発せられた言葉の内容を理解して、ようやく笑みを零す。穏やかな笑顔だった。

「……ほんと、素直じゃねえの」

呟いた独り言は、ユーリという人間が発するにはやけに優しい声色で、誰にも聞かれてなかったことに少しの安堵を覚えながら、ユーリもケイたちの後に続き、一番最後にフレンがいる部屋の扉をくぐった。

部屋の中にはフレンとソディアとウィチルがいて、部屋にやって来たケイたちに視線を寄越していた。ケイはフレンの前に立ってぴょんぴょんと飛び跳ねながら元気になったことを伝えている。フレンもよかったと笑みを零しているが、その笑顔には明るさを感じない。それはケイも感じ取っているようで、一通り元気だというアピールが終わってから不思議そうにフレンの顔をまじまじと見つめている。

「ねぇフレン、なんかダメだった?」
「え?」
「いろいろ」

ざっくりとしたケイの説明に、フレンも何と答えればいいのか分からない様子だ。最後尾だったユーリはそんな二人に近付きながら言った。

「相変わらず辛気臭い顔してるからそんなこと言われるんだよ」
「色々考えることが多いんだ。君と違って」
「ふーん……」

ユーリは近くにあったベッドに腰掛けた。ケイも誘われるようにそのとなりに腰掛ける。そんな自由なふたりを見ながら、フレンは言った。

「ところでユーリ、また無茶をして賞金額を上げて来たんじゃないだろうね」
「オレだけかよ……」
「だってあたし寝てたもん」

げんなりした様子で小さく零したユーリに向かって、ケイも小さく返す。ユーリは投げかけられた質問を無視することにして、切り替えるように本題を切り出した。

「執政官とこに行かなかったのか」
「行った。魔導器研究所から調査執行書を取り寄せてね」
「それじゃ、もう中に入って調べたの?」

ケイの質問にフレンは首を横に振る。
フレンたちは調査執行書を持ってラゴウ執政官の屋敷に向かったものの、あっさり拒否されてしまったらしい。その上、魔導器が本当にあると思うのなら正面から乗り込んでみたまえ、という挑発までされてしまったのだという。
この街の執政官ラゴウは評議会の人間だ。評議会も騎士団も帝国を支える重要な組織ではあるのだが、決して同じ枠組みで活動をしているわけではない。ラゴウは騎士団の失態を演出し、評議会の権力強化を狙っている。今下手に踏み込んでも証拠は隠蔽され、しらを切られるのは目に見えていた。

「ただの執政官様ってわけじゃないってことか。で、次の手考えてあんのか?」
「…………」
「なんだよ、打つ手なしか?」

ユーリの問いかけにフレンが答えられずにいると、ウィチルがぼそりと吐き出した。

「……中で騒ぎでも起これば、騎士団の有事特権が優先され、突入できるんですけどね」

その言葉はその場にいた全員にきちんと聞こえていて、エステルは目を閉じて有事特権についての説明を加える。

「騎士団は有事に際してのみ、有事特権により、あらゆる状況への介入を許される、ですね」
「あー、あったねそんなん。なつかしー」

エステルの説明を聞いて、ケイも騎士団の頃の記憶が思い出されたようで、ぽんと手を叩いた。それを聞いたユーリが、分かりやすく端的に結論をまとめた。

「なるほど、屋敷に泥棒でも入って、ボヤ騒ぎでも起こればいいんだな」
「さすがユーリさん、理解がお早い」

ケイもユーリと同じことを考えていたようで、二人は目配せをした。こういう思考回路だけはそっくりな二人に、フレンは嫌な予感しかしなくて咄嗟に言葉を放つ。

「ユーリ、しつこいようだけど……」
「無茶するな、だろ?」

ユーリは立ち上がって部屋を出ようとする。ケイたちもその後に続いた。フレンは諦めたように息を吐くと、ソディアとウィチルだけでなく、その場にいた全員に聞こえるよう声を上げる。

「市中の見回りに出る。手配書で見た窃盗犯が、執政官邸を狙うとの情報を得た」

それを聞いたユーリとケイは顔を見合わせて小さく笑うと、ラピードたちと共に執政官邸に向かうのだった。
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