【17:港の街カプワ・ノール】

翌朝、まだ日も昇りきらない頃に目を覚ましたユーリは、隣にある温もりが消えていることに気付いて一気に目を覚ました。上体を起こしてテントの中を見渡しても隅の方で寄り添ってぐうぐうと眠る三人の姿しか見当たらず、肝心な彼女の姿は見当たらない。ユーリが慌ててテントの外を見れば、ぱちぱちと音を立てて燃える炎の前で、探していた人物はラピードにもたれてくつろいでいた。一気に気の抜けたユーリは毛布を持って外に出ると、呆れ顔で彼女の隣に座った。するとグリーンの瞳が驚いたようにユーリを射抜く。ケイだ。

「あれ、早いねユーリ、おはよ」
「外出るなら毛布くらい持ってけよ」
「そしたらユーリが風邪ひくじゃん」
「病人に気遣われるほどやわじゃないって」

ユーリは毛布をケイの体に包んでやると、ミルクティーブラウンの髪をかき上げてケイの額に触れた。まだ熱はありそうだが、昨日に比べれば随分熱も下がったようだ。顔色も随分よくなっている。しかし、まだぶり返す可能性は十分にあるのだから、いくらよくなったとはいえ無理をして欲しくないのが正直なところだ。

「体調は?」
「超元気」
「それは嘘だな」
「ホントホント!昨日ユーリさんにあっためてもらいましたから」

ニヤニヤしながらからかうようにそう言うケイに呆れ顔でデコピンをお見舞いすると、ケイはひどい!と喚き始めた。まだ全快というわけではなさそうだが、それでも随分よくなったらしいケイに安堵しつつ、ユーリは食材を広げ始める。

「ごはん作るの?」
「ああ、そのうちあいつらも起きてくるだろうしな」

ケイはユーリの肩に頭を預けながら、手際のいい手元を眺めていた。まだ熱のせいで頭が重く、無意識のうちにそうしているのだろう。ユーリは肩から伝わる心地よい重みを手放したくなくて、あえてなにも言わなかった。

「ねぇねぇ、なんか温かいもの食べたい」
「じゃあシチューでもするか」
「やったー!ニンジン抜きね!」
「そもそも買ってすらないだろ」

ケイは大のニンジン嫌いだ。ケイいわく「あんなものは馬とうさぎのエサだ!」とのことらしい。昔からニンジンだけは絶対に食べないのだ。当然、今回買い物を担当したケイが買い込んだ食材の中にも、ニンジンは入っていなかった。そういうところはいつまでたっても子どもだな、という感想を口にすると殴られるので、ユーリはひっそり心の中にしまっておくことにした。

ユーリは手際よくケイの好きなクリームシチューを作っていく。ニンジンがないと彩りに欠けるため、なんとなく味気なく見えるのだがケイは随分と嬉しそうだ。作っている間にのろのろと起床してきた三人が集まったところで食事を始めると、あっという間にシチューは空になり、食事をして目を覚ました三人も元気そうで昨日までの疲労を引きずっている様子はない。

「みんな、昨日は迷惑かけてごめんね」

食事の後、ケイが素直にそう切り出すと、カロルが心配そうにケイの顔をのぞきこんだ。

「ケイ、もう大丈夫なの?」
「うん、元気元気」
「嘘つけ、まだ熱っぽいだろ」
「うるさいよユーリ!でもホントによくなったよ、カロルくんのお薬とユーリさんのぬくもりのおかげです」

口元に手を当ててニヤリと笑いながらケイはユーリを見る。ユーリはやれやれと肩を落とすばかりだ。ケイの真意はカロルとエステルには伝わっていないようで、二人は不思議そうな顔で首をかしげるばかりだが、リタだけはなんとなく察しがついているようでもあった。

食事の片づけをし、火を消してテントを畳めば太陽もすっかり顔を出していて、魔物の活動も活発になってきた頃、ようやく一行はノール港へ向かって歩き始めた。ケイはまだ熱っぽさが残っていたためユーリは背負うつもりでいたのだが、もう元気だと言って聞かなかったため、今はラピードの隣を歩いてついてきている。昨日あの熱で戦っていたくらいなのだから、歩くくらいは本当に大したことはないのだろうが、それでも気になってしまうのは仕方のないことだ。ユーリはわずかにふらついているケイを見守りながら、一刻も早く温かいベッドで休ませるためにとノール港へ急ぐのだった。



エフミドの丘を抜けてしばらく歩き続けた一行は、ようやく港の街カプワ・ノールに辿り着いた。しかし、街に近付くにつれて雲行きは一気に怪しくなり、街へ足を踏み入れた瞬間ひどい雨に見舞われた。街に到着したばかりのユーリたちも急激な天候の変化にじゃ対処のしようもなく、すっかり雨に濡れてびしょびしょだ。

カプワ・ノール、通称ノール港と言われているこの場所は、港街と言われるだけあって海に面した立派な街なのだが、港街というには活気がなく、街の雰囲気も鬱々としている。人々の顔に笑顔はなく、鬱陶しげに降り注ぐ雨がより一層街中の空気を淀ませているようにさえ感じるほどだ。

カロルの話によれば、同じ『カプワ』と名のついたノール港とトリム港だが、ノール港の方は帝国の威光が非常に強く、その上最近来た執政官が帝国での地位も高いためにこの街でやりたい放題しているらしい。そのため、その執政官の部下たちがどんなに横暴を働こうとも街の人々は文句の一つも言えずにいるというのだ。エステルはカロルの話が信じられないものだったからかショックを隠せないでいたのだが、一方でケイは眉間にしわを寄せて血色の悪い唇から嫌悪に満ちた言葉を零す。

「最悪ね」

ケイの体を包んでいた仮眠用の毛布は雨を含んでぼとぼとになってしまっていて、体を温めるためのものとしての機能を失っていた。ケイはそれを適当に畳んで自身の体ごとまとめて抱きしめている。そんなケイを見て声を出したのはリタだ。

「それより、さっさと宿屋に向かいましょ。あんた、風邪ぶり返すわよ」
「……それもそうね」

リタの言葉を聞いてケイは肩をすくめて笑ってみせた。表情は柔らかいものの、出発時に比べて顔色が悪くなっていることは明らかだ。
ふらつくケイを連れて宿に入ろうとしたとき、宿のすぐそばで人がもめている声がして一行は思わず視線をそちらに向けて足を止める。視線の先では、雨に濡れながら地面に手を着いて頭を下げる夫婦と、豪華な傘を差してそんな夫婦を笑うふたりの役人の姿があった。雨の中で視界は悪いが、よく見れば頭を下げている夫の方は体中に包帯を巻いていた。ひどい怪我であることは確かだ。

「金の用意が出来ないときは、おまえらのガキがどうなるかよくわかっているよな?」

傘を差した役人が、やけにわざとらしくそんなセリフを口にする。夫婦は必死に頭を下げて、どうかそれだけは、息子だけは返してください、と叫びながら何度も首を横に振っていた。夫婦と役人の言い合いはまだ続く。

「この数ヶ月のあいだ、天候が悪くて船も出せません。税金を払える状況でないことは、お役人様もご存知でしょう?」
「ならば、はやくリブガロって魔物を捕まえてこい」
「そうそう、あいつのツノを売れば一生分の税金納められるぜ。前もそう言ったろう」

役人たちはそう言って夫婦たちをバカにするようにゲラゲラと大声で笑う。その光景を見ていたケイは、すっと目を細めて凍った表情で一歩前に出たのだが、その肩を引いて止めたのはユーリだ。ケイは振り返ると、なんともいえない顔でユーリの顔を見つめた。当然、悲痛さを携えた目が何を訴えているのか分からないユーリではなかった。役人に対する怒りが、深いグリーンの瞳の奥でちらちらと燃えている。ユーリはそれも理解した上でケイを引き止めたのだ。

ケイもまた、ユーリが自分を引き止めた理由を理解していたからこそ、それ以上は言葉にしなかった。ちんけな金額だとはいえ、一応は賞金首の身である。揉め事に首をつっこむのは得策ではない。ケイはぐっと拳を握ると、少しだけ顔を伏せて踵を返した。

「先、宿入っとく」
「ああ」

これ以上余計なものを見たくなかったケイは、ユーリたちにひらひらと手を振りながら足早にその場から去った。そんなケイの気持ちを理解していたユーリはただ肯定の返事だけを返すと、下品な笑い声を響かせながら夫婦の前を立ち去る役人たちの背中に冷め切った視線を送りつけて、腕を組んで宿の壁にもたれかかりながら夫婦の様子を見守った。役人が立ち去った後も夫婦は少しの間雨に打たれたまま地面に膝を着いていたのだが、何かを振り切るように傷だらけの夫が立ち上がったのを見て、妻が必死に夫を引き止める。

「もうやめて、ティグル!その怪我では……今度こそあなたが死んじゃう!」
「だからって、俺が行かないとうちの子はどうなるんだ、ケラス!」

今にも泣きそうな妻を振り切って、夫のティグルは駆け出したのだが、そのティグルにユーリはわざと足をかける。見るからに満身創痍のティグルがそれをよけきれるわけがなく、ティグルは雨の中見事に転んでしまった。

「痛ッ……あんた、何すんだ!」
「あ、悪ぃ、ひっかかっちまった」

当然ティグルは怒ってユーリを睨みつけるものの、ユーリは反省の色も見せることなくわざとらしくそう言うだけだ。その様子を見たエステルは慌ててふたりのそばにかけよると、ティグルの前にしゃがみこむ。

「もう!ユーリ!……ごめんなさい。今、治しますから」

エステルはユーリのかわりにしっかりと頭を下げると、ティグルに治癒術を施す。展開された高度な治癒術はあっという間にティグルの傷を癒し、ティグルが負っていた傷をきれいさっぱり治してしまった。これにはティグル本人も妻のケラスも非常に驚いたようだが、すぐにおろおろとし始めると、なんとか言葉をしぼりだした。

「あ、あの……私たち、払える治療費が……」

夫婦がその言葉を口にしたとき、呆れたようにユーリが口を挟む。

「その前に言うことあんだろ」
「え……?」
「まったく、金と一緒に常識までしぼり取られてんのか」

ここにケイが居れば「足を引っ掛けたユーリが言えた義理じゃない」くらいの小言は言いそうなものだが、幸か不幸かケイは先に宿の中だ。ユーリの言葉を聞いたケラスは、慌てて立ち上がるとエステルに向かって深々と頭をさげた。

「……ご、ごめんなさい。ありがとうございます」

ケラスに続いてティグルも立ち上がると、何度もエステルに頭を下げる。エステルは気にしないでほしいとふたりに負けじと何度も首を横に振るのだが、夫婦の感謝は止むことがない。
そんな収拾のつきそうにない様子を少しだけ眺めていたユーリだが、すぐそばにある裏路地に怪しい人影を見つけて視線を鋭くさせると、注目がエステルにすり替わったのを見計らって静かにその場を後にした。

雨のせいか、人気のない細い路地裏に明かりはなく、妙に静かで薄暗い。夫婦を助けてすっかり騒がしくなったエステルたちの声もそこまでは届かないようで、耳につくのは雨粒が地面を叩きつける不規則で単調な音だけだ。
路地を真っ直ぐ進むとわざとらしく道を塞ぐようにして巨大な木箱が積み重なっており、そこから先へは進めないようになっていた。他人の手が加えられたことはまず間違いない。行き止まりにユーリが足を止めると、背後に嫌な気を放つ気配がして振り返る。

するとそこには、ずっと自分たちを付け狙っていた赤眼の連中が、両手に仕込んだ短剣を構えてユーリの退路を封じていた。数は三。
こうなることを予想してこの路地に足を踏み入れたユーリは焦る様子もなく、ゆっくりと鞘から剣を引き抜いた。それと同時に、三人の赤眼は揃ってユーリに襲い掛かる。

赤眼の連中は巧みな連携で四方八方を飛び回ってユーリに攻撃をしかけてくるのだが、細い路地では精々ふたり同時に攻撃してくるので精一杯らしく、三人が一気に攻撃をしかけてくることはない。三人の赤眼から休むことなく仕掛けられる多彩な攻撃をかわしながらも瞬時にそれを理解したユーリは、ひとりが攻撃を終えてから次の攻撃に差し掛かるまでのわずかな隙をついて反撃しながら、少しずつ敵に傷を負わせることにした。

しかし、やはり相手は人数が多いだけあって手数も多い。わずかな隙を見つけるのも一苦労だ。
ひとりの赤眼がユーリの背後を取り、勢いよく武器を振りかざしながら駆けてきた。雨で視界も足場も悪い上、細い路地では避けきることが出来ないと判断したユーリは、赤眼が繰り出したその攻撃を受け止める。金属がぶつかり合う甲高い音が路地に響き、ユーリの剣と赤眼の短剣が重なり合ったままで両者とも押し合う形になった。一歩でも引けば負けてしまうことは目に見えていたので、どちらもまったく退く様子はなかったのだが、そのせいでユーリの動きが完全に止まってしまった。
そのとき、残ったふたりの赤目が頭上から容赦なくユーリに襲い掛かる。命がけの押し合いの末、相手を弾いたのはユーリだったのだが、すでにふたりの赤眼はユーリに向かって武器を構えている状態だった。

まずい。

ユーリはそう思って振り返り、攻撃を受け止めようとしたのだが、それよりも早く凄まじい勢いで雨水を弾きながら駆けてくる「何者」かがユーリを押しやり、ふたりの赤眼の攻撃を弾き飛ばす。衝撃に押された赤眼は空中で行き場をなくしてしまい、そのまま路地に詰まれた巨大な木箱に勢いよくぶつかった。衝撃に耐え切れなかった巨大な木箱の山はガラガラと乱暴な音を立てて崩れ、ぶつかったふたりの赤眼を飲み込んでしまう。突然のことに驚いたユーリは、慌ててこの戦いに紛れてきた人物の顔を見て絶句した。


「大丈夫か、ユーリ?」


薄暗い路地裏でもはっきりと分かる金髪に、鮮やかな空を映したかのような青い瞳、見慣れた騎士団の鎧に身を包み、ゆったりとユーリを振り返ったのは、ユーリの幼馴染でエステルがずっと追っていた、フレンその人だった。

「フレン!おまっ……それオレのセリフだろ!」
「まったく、探したぞ」
「それもオレのセリフ、だ!」

言いながら、ユーリは先程自分が押し返した赤眼が立ち上がったのを確認して斬撃を与える。それでようやく三人すべての赤眼が動かなくなり、唐突に路地裏は静けさを取り戻した。ざあざあと降り注ぐ雨の音だけが鮮明に耳を差す。

「ふぅ……マジで焦ったぜ……」

ユーリは肩に剣を置いて深い息を吐きながらそう呟くと、一仕事終わった顔で腰に手を当てる。もうここに用はないといわんばかりに踵を返し、その場から立ち去って一刻も早くケイの待つ宿に行こうかと歩き始めたそのときだった。

「さて……」

ユーリを助けに入ったフレンは一息つくと、今にも立ち去ろうとするユーリに向かって勢いよく剣を振りかざした。それも本気の攻撃だ。もちろんユーリはすぐに反応して即座にその重たい攻撃を受け止めたものの、あまりに突然のことにさすがユーリも焦りを隠せない。
ようやく再会した幼馴染だが、その光景はお互いに武器をかざし合うという何とも危険なものになってしまった。そんな状態でふたりは言い合いを続ける。

「ちょ、おまえ、なにしやがる!」
「ユーリが結界の外へ旅立ってくれたことは嬉しく思っている」
「なら、もっと喜べよ。剣なんか振り回さないで!」
「これを見て、素直に喜ぶ気が失せた!」

フレンはユーリに向けていた剣先をそのまま路地裏の壁に向ける。ユーリがその剣先の示している方へ視線を向けると、そこにはもはや見慣れた手配書が二枚、雨ざらしの状態で貼り付けられていた。よく見れば、その金額が以前のものと違うことに気付く。

「あ、10000ガルドに上がった、やり。ケイにも教えてやんねえとな」

壁に貼られていたのはユーリとケイの手配書で、その金額がどちらも10000ガルドにまで上がっている。それでもケイははした金だと拗ねてしまいそうだ、とユーリは容易く思い浮かぶもうひとりの幼馴染の顔を思い浮かべた。フレンは呑気なユーリの顔を睨むようにして見つめながら呆れたように溜め息を吐くと、ようやく剣を鞘に収めた。

「君もケイも、騎士団を辞めたのは犯罪者になるためではないだろう」
「色々事情があったんだよ」
「事情があったとしても罪は罪だ」
「ったく、相変わらず、頭の固いやつだな……」

ユーリも鞘に剣を収めると、いつものごとく口うるさいフレンに今までのことをどう説明しようかと考えを巡らせるのだが、その間にもフレンの小言は収まらない。さてどうしたものかと思っていると、騒ぎを聞きつけたらしい見慣れた桃色の髪の少女が路地裏を覗きにやって来た。エステルだ。

「ユーリ、さっきそこで何か事件があったようですけど……」
「おっ、ちょうどいいとこに」

ユーリはパチンと指を鳴らしてエステルを指差す。エステルは目の前の状況が飲み込めず二、三度目をぱちぱちと瞬かせていたが、今自分の視界に写っている人物が捜し求めていた人だと理解すると、ぱあっと顔を明るくさせてその胸に飛び込んだ。

「……フレン!」
「え……」

フレンはフレンで、突然エステルが自分の胸に飛び込んでくるとも思っていなかったようで、驚きを隠せないでいる。エステルはそんなこともお構いなしでぺたぺたとフレンの体に触れながら、傷がないかを一生懸命に確かめているようだ。

「よかった、フレン。無事だったんですね?ケガとかしてませんか?」
「……してませんから、その、エステリーゼ様……」
「あ、ご、ごめんなさい。わたし、嬉しくて、つい……」

エステルはフレンからぱっと離れて距離を取ると、申し訳なさそうに顔を伏せながら、上目遣いでフレンの様子を覗き見る。フレンはユーリとエステルが一緒にいるこの状況を見て少し考え込むと、何かを悟ったのかにっこりと笑ってエステルの手を引いた。

「こちらに」
「え?あ、ちょっと……フレン……お話が……!?」

フレンは返事も待たず急かすようにエステルの手を引くと、さっさと走って宿屋に向かってしまった。

「……カロルとリタを先に拾うか」

残されたユーリはひとり小さくそう呟くと、雨の中のんびりと街を歩く。体調が優れない中、先にひとりで宿屋に向かってしまったケイのことは当然気がかりではあったのだが、ようやく辿り着いた温かいベッドなのだから、当のケイはきっと今頃眠っているだろう。様子を見に行って部屋に入って起こしてしまうのも忍びない。それにフレンとエステルは大事な話の最中だ。やはり少し時間を空けてから向かうのが一番だろう。
ユーリは先に宿へ向かったケイのあの悔しそうな顔をどうしても忘れられずにいたのだが、街の探索がてら、仕方なくカロルとリタを探すことにした。

繁盛していなさそうな活気のない商店を抜け、一通り街の中を回ったユーリは、道中で見つけたカロルとリタに声をかけて宿屋に向かうように伝えると、最後に噂の執政官がいる屋敷に向かってみることにした。
街の入り口の看板に従って進むと、屋敷に続く橋があった。傾斜のきつい橋の上を水溜りを弾くように歩きながら進むと、目の前に白い塀で囲まれた一際大きくて豪華な建物が現れる。壁には繊細で美しいレリーフも施されていて、きっと美しいのであろうということは理解できるのだが、雨で薄暗いせいか、妙に禍々しい雰囲気を漂わせていた。塀の前には警備がふたり立っていて、しっかりと入り口を守っていることも伺える。

そんな観察をしていたユーリだったが、そんなことよりも気になっていることがあった。
今ユーリの目の前には屋敷があり、そこにふたりの警備が立っているわけだが、その警備のひとりがこの場の雰囲気にはまるで似合わない幼い少女の首根っこを捕まえてぷらぷらと宙吊りにしているのだ。少女は金髪のおさげ髪に海賊のような服装と帽子で全身を着飾り、肩から立派な双眼鏡をぶらさげている。さらに、口にはおでん串、というなんともアンバランスな組み合わせだ。
どうやら屋敷に入ろうとしたところを警備に注意されているようだが、少女は言うことを聞くこともなければ反省の色を見せることもない。ただ呑気に、おでん串をくわえているだけだ。

少女の態度に警備も腹が立ったのだろうが、あろうことか少女を乱暴に放り投げた。小柄な少女はいとも簡単に宙を舞い、雨で濡れた地面に向かって真っ直ぐに落下していく。反射的にユーリは駆けて行くと、まだあどけなさの抜けきらない少女の体を見事にキャッチしてみせた。

「おっと、っと……」

少女もまさか受け止めてもらえるとは思っていなかったらしく、目をぱちくりとさせてユーリの顔をまじまじと見つめている。ユーリは少女を下ろしてやると、警備に向かって声を上げた。

「子ども一人にずいぶん乱暴な扱いだな」
「なんだ、おまえは。そのガキの親父か何かか?」
「オレがこんな大きな子どもの親に見えるってか?嘘だろ」

ユーリがげんなりした様子で答えると、金髪の少女はそんなユーリを気に留めることもなく、さっと駆け足の構えを取った。

「再チャレンジなのじゃ」

そう言ったかと思えば、少女は屋敷に強行突破しようと駆け出した。しかし、警備は腰に差していた剣を引き抜いて、それを少女の前に突き出したのだ。いくら少女のやっていることが無茶だとはいえ、警備の人間が、というよりひとりの大人として、子ども相手に平気で武器を手にするなどやっていいことではない。

「おいおい。丸腰の子ども相手に武器向けんのか」
「ガキにこれが大人のルールだってことを教えてやるだけだよ」
「やめとけって……」

とんでもない現状にユーリが止めに入ろうかと思った、そのときだった。

「えいっ」

なんと、わずかな隙をついて少女が黄色い煙幕をぶちまけたのだ。雨だというのに煙は瞬く間に広がっていき、あっという間に視界を黄色で埋め尽くす。その勢いは少し離れた場所にいたユーリにまで届いていたほどなのだから、至近距離で食らった警備たちはたまらない。ユーリも咄嗟に目を細めてしまったのだが、少女がユーリの隣を駆けて逃げようとしたので、慌ててその手首を掴んで少女を引き止める。

「おいおい、ここまでやっといて逃げる気か?」
「美少女の手を掴むのには、それなりの覚悟が必要なのじゃ」
「どんな覚悟か教えてもらおうじゃねえか」
「残念なのじゃ。今はその時ではない」
「なんだって……?」
「さらばじゃ」

少女はそう言うと、ユーリの手を振りほどいて煙の中へを姿を消した。凄まじい勢いで広がった黄色い煙だったが、際限なく降り注ぐ雨のせいもあってその効果は長くは持たず、少女が消えてから徐々に薄れていった。ひとりの警備が怒声を上げながら屋敷の中へと駆けて行ったので、もしかすると少女は逃げるふりをして中に入ったのかもしれない。もうひとり取り残された警備はえらく不機嫌そうに舌打ちをすると、八つ当たりだといわんばかりにユーリを怒鳴りつけて、苛立った様子で塀の前に仁王立ちした。
名前も知らない少女だが、あれだけ無茶をしでかすのであればそこまで心配する必要もないだろう。
ユーリは自分にそう言い聞かせてから溜め息を吐くと、そろそろ宿へ戻ってもいい頃だろうと考えて、雨の中のんびりと宿へ戻るのだった。
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