【14:すれ違うそれぞれの思い】

図書館の中、ケイは様々な本を読み進めていた。しかしどれも手がかりになりそうな物はない。ただ唯一『満月と星』というタイトルの本を読んで分かったことは、自分という存在がどれほど愛されていなかったかということだけだ。そんなことはずっと昔から知っていたのでもはや涙も出やしないのだが、それでも心がギシギシと音を立てて痛む。本当はずっと愛されたかった。ただそれだけのために、自分の人としての価値をすべて捧げたというのに、突きつけられた現実は、いつも残酷に僅かな希望を切り刻む。

「お、いたいた」

もうすっかり馴染んだ声に顔を上げれば、そこにはユーリが居た。ケイはいつものように笑うと、手に持っていた本を目の前の棚に突っ込んだ。結局、手がかりは何一つ見つけられなかった。

「もう出発?」
「ああ。ところで何読んでたんだ?ここ、テルカ・リュミレースの歴史書しかないみたいだけど。研究に役立ちそうな書物は向こうの棚だろ」

やけに鋭いユーリに苦笑いを零しながら、ケイは息を吐くように嘘を零す。この唇が嘘ばかりをつむぐのに慣れたのがいつだったかは、もう思い出せもしない遠い昔のことだ。

「それがさぁ、やけに難しい内容の本ばっかりで、あんまりピンとくるのがなかったんだよね。暇つぶしにこっちの棚に来てみたら、なんかこっちの方が面白くって」
「歴史の本が?」

それでも嘘をつき続けることしか出来ないのは、自分の心を守るためでもあった。ケイは一番近くで自分を見守ってくれているユーリを欺いていることに心を痛めながら、それでも嘘をつかずにはいられない。つぎはぎだらけで繕ったニセモノの心がいつか剥がれてしまうであろうことは、ユーリと共にエステルを連れて帝都を出たときから覚悟していた。どうせ偽ることはやめられないのだ、ならばそのときが来るまでこのままで、小さな嘘を重ねていくしかない。

「そ。騎士団に居た頃にも習った内容のことも書いててさ、ちょっと懐かしくて。ユーリさんは覚えてないと思うけど」
「今さらっとバカにしたな…」

呆れたようにユーリは息を吐く。ケイはそんなユーリに悪戯っぽく笑みを返すと、はらりと垂れ落ちた前髪をかき上げた。

「じゃ、行こっか」
「ああ」
「みんなは?」
「外で待ってる」

ケイが外へ出ようと足を進めると、ユーリが声でそれを引き止めた。

「なあ」
「うん?」

振り返れば、ユーリはやけに真剣な眼差しをケイに向けていた。険しい表情ともいえるような端整な顔を、ケイは首を傾げて眺めるばかりだ。ユーリはユーリで、マヌケな顔をしている美しい幼馴染を見つめたまま動かない。そして少しの沈黙の後、ゆっくりと口を開いた。

「…何があったか知らねえけど、あんまり思いつめるなよ」
「え?何が?」
「少しは頼れって言ってんだ」

いつもよりほんの少しだけ強い口調で言った後、ユーリはケイに近付いて軽くその頭をぽんっと撫でた。そのまますぐに離れて、いつものように余裕たっぷりに笑ってみせる。先程の表情は、もうその顔に浮かんではいなかった。

「ほら、行こうぜ」
「…小生意気な年下サマだこと」
「いつものことだろ」

さっさと前を歩いて行くユーリの背中を、少しだけ離れてケイは追いかけた。彼なりの精一杯なのだから受け止めてやろう、と思いながら、一瞬だけ撫でられた頭に触れてひどく寂しげに笑う。

「…バカだなあ」

あたしみたいなのに、そう深入りしない方がいいのに。
誰にも聞こえないように呟いたケイは、服の中に隠し持った『満月と星』の本を一度だけぎゅっと強く握り締めて軽く息を吸うと、胸の中に溜め込んだ鬱憤ごと一気に吐き出して、すっきりとした面持ちで顔を上げた。大丈夫、そう言い聞かせれば、どうにかなるような気がした。

図書館を出ると、そこには三人と一匹がユーリとケイを待っていた。なぜか一緒に行くことになったらしいリタは、むすっとした顔でケイを睨みつけている。少しばかり遅れたことが気に入らないらしい。
聞けば、ハルルの結界魔導器をこのメンバーが直したということに疑いがあるらしく、それを確かめたいのだそうだ。随分賑やかになったなぁ、とケイが肩を竦めてユーリを見上げると、ユーリも同じようにケイを見下ろし肩を竦めていた。世間知らずな成人前のお嬢様に、知識は多いがまだまだ幼いカロルとリタ。女こどもばかりの、その上一癖も二癖もあるパーティでの旅路に些か不安のあるユーリたちではあったが、今さら誰かが抜けるはずもないので二人でこっそり苦笑を零した。



アスピオを後にした一行はハルルの街に戻って来た。ハルルの樹は変わらず満開に咲き乱れており、街中には美しい花びらが散っている。結界魔導器もその後異常はないようで、ハルルの住人の顔も最初の頃とは違って穏やかだ。当然リタは信じられないといった顔でハルルの樹を見上げている。

「げっ、なにこれ、もう満開の季節だっけ?」

あんぐりと口を開けたままのリタを見て鼻を高くしたのはカロルだった。胸を張って両手を腰に当てながら、自慢げに唇を動かす。

「へへ〜ん、だから言ったじゃん。ボクらでよみがえらせたって」

そんなカロルにイラッとしたらしいリタは、迷うことなく自分よりも小さなカロルの脳天目掛けて見事なチョップをお見舞いすると、ハルルの樹へ向かって駆けて行った。頭を抑えながら崩れ落ちたカロルを見つめていた三人は、心の中で溜め息を吐く。そこへハルルの長がやって来て、笑顔でこの街を救ったエステルたちを迎えた。

「おお、皆さんお戻りですか。騎士様のおっしゃったとおりだ」

その言葉を聞いた三人は顔を合わせてハルルの長に近付いた。カロルも痛みが引いたらしく、とことこと駆けてやって来た。

「あの……フレンは?」
「残念でしたな、入れ違いでして……」
「え〜、また〜」

がっくりと肩を落としたカロルを見ながら、ハルルの長は申し訳なさそうに眉を下げる。ケイはそんなカロルに向かって声をかけた。

「まぁしょーがないわよ、騎士様はお忙しいんだし」
「でもぉ……」
「結界が治っていることには大変驚かれていましたよ」
「ほら、カロルのお手柄」

ケイが言えばカロルは簡単に機嫌を取り戻した。子どもは楽だな、という感想を心の中にしまいこみながら、ケイは小さく笑う。

「あの……どこに向かったか、わかりませんか」

エステルの問いかけに長は首を横に振った。ただ、もしもの時にはと手紙を預かっていたらしく、その手紙をユーリに手渡すと、用事が立て込んでいるとのことで一礼をして去って行く。
ケイたちはぐるりと円を描くようにユーリに集まって、その手元の手紙を見つめた。ユーリは手渡された封筒を開く。中には綺麗に折りたたまれた紙が数枚入っていて、その中から少し褪せた二枚の薄茶色の紙を取り出して広げてみせた。するとそこには、下手くそなユーリの似顔絵とケイの似顔絵が描かれていて、どちらも同額の懸賞金がついている。つまり手配書だ。

「ワァオ」

ケイは懸賞金にかけられたにも関わらず、呑気な声を上げる。しかしエステルとカロルはひどく驚いた様子で、カロルにいたっては顔を真っ青にしている。

「え?こ、これ手配書!?ってな、なんで?」
「ちょっと悪さが過ぎたかな」
「い、いったいどんな悪行重ねてきたんだよ!」
「これって……わたしのせい……」

自分のせいであるという罪悪感からか、エステルは暗い顔をして俯いてしまうと、悲しげに胸の前で両手を握り締めた。その様子を見ていたユーリは、あえて明るい声をあげる。ケイもそれに続いた。

「こりゃないだろ。たった5000ガルドって」
「ねー。ちょっとリッチな昼飯食べたら飛んで行く程度のお値段よ?」

大したことないなー、と平然と言い合う成人済みの幼馴染たちを見上げながら、カロルは焦ったように声を荒げた。

「脱獄にしては高すぎだよ!他にもなんかしたんじゃない?」
「えっとねぇ、公務執行妨害と自然破壊と…」
「不法侵入と器物破損ってとこか」
「それだ!」
「でもそれにしちゃ安すぎるな」
「まったくだわ」

大したことない金額に不快感を示す大人の風上にも置けない二人を見上げたまま、カロルはガックリと肩を落とすと、盛大な溜め息をついて頭を抱えた。そんなカロルを少しばかり不憫に思いながらも、場の空気を変えるかのようにエステルが声を上げた。

「それで、手紙にはなんて?」

ユーリは封筒から一枚の小さなメモを取り出して目を通すと、肩を竦めてそれをエステルに手渡した。メモを受け取ったエステルは、可憐な声でゆっくりとその手紙を読み上げていく。

「僕はノール港に行く、早く追いついて来い…」

それを聞いたケイも、ユーリ同様肩を竦めた。

「さすがフレン、随分余裕ね…」
「それから、暗殺者には気をつけるようにと書かれてますね」

エステルの言葉にケイは目を丸くした。

「あら、狙われてんの知ってたんだ」
「みたいだぜ」

ケイの隣に立っていたユーリが答えると、カロルがしっかりした人だと至極真っ当な感想を述べた。
昔からフレンはそうだった。真面目でしっかりしていて、幼い頃から面倒臭がりだったユーリにしっかり注意していたのもフレンだけだ。ケイはそんな昔のことをふと思い出しかけて、やめた。過去を振り返って思い出すのは、ユーリやフレンと過ごした楽しい時間ばかりではない。暗く淀んだ誰にも知られたくない自分の秘密まで思い出してしまうのだ。楽しかった記憶ごと無理矢理押し込めて、ケイはいつも通りの表情を浮かべる。悲しいかな、こんなことにはもうすっかりなれてしまっていた。

「身の危険ってやつには気付いてるみたいだけど、この先、どうする?」

ユーリの問いかけに、エステルは考え込むように俯いた。元々エステルはフレンに身の危険を伝えたくてここまでやって来たのだ。当の本人がそれに気付いているのならば、もう無理に追いかける必要はない。それでも悩んでしまうのは、まだ彼女の中で迷いがあるからなのだろう。そんなエステルの気持ちに気付いているのか、ユーリはあえて言葉を続けた。

「オレはノール港に行くから伝言あるなら伝えてもいい」
「それは……でも……」
「ま、どうするか考えときな。リタが面倒起こしてないかちょいと見てくる」

そこまで言うとユーリはケイを見た。ラピードはユーリの足元にまとわりついているので、どうやらユーリと一緒に行くらしい。

「ケイはどうする?一緒に行くか?」
「ん〜……あたしはいいや。ノール港までまだしばらくかかりそうだし、ちょっと足りないものでも買い足しとく」
「わかった。じゃあ終わったら街の入り口に集合な」
「オッケー、何かいるものある?」
「ケイさんのセンスに任せるよ」
「じゃあユーリさんに料理を一任するために食材大量に買い込んどくわ」

くだらない会話をしながら二人で笑い合ったあと、お互いにひらひらと手を振り合う。ケイはユーリとラピードがリタの元へと去って行くのを見送って、自分も買い物に行こうかと思ったとき、何やら視線を感じてそちらに顔を向けた。見ると、エステルとカロルがまじまじとケイの顔を見つめていた。物言いたげな二人の顔を見て、ケイは思わずきょとんとして首をかしげる。

「…どしたの?」
「あ、ううん。なんか、ケイとユーリって、特別な感じするなあって思って」

エステルも同様の感想を抱いていたのか、うんうんと首を縦に振る。真面目な顔をしてそう言う二人がおかしくて、ケイは笑った。

「そりゃそうでしょ、幼馴染なんだもん。あそこに毛も生えてないときからお互いのこと知ってんのよ、特別じゃない方がおかしいって」
「……そんなもん?」
「そんなもん。カロルももう少し大人になれば分かるよ」

ケイはカロルの頭をぽんぽんとなでると、ひらひらと手を振って買い物に向かった。花の絨毯で鮮やかに彩られた街の地面を踏みしめてまずよろず屋へ向かったケイは、足りなくなったアイテムの補充を行う。非常食にもなるグミを適当に買い込んで、必要そうなアイテムを一通り揃えた後、ユーリに何を作らせようかと思考をめぐらせながら、自分の好物に必要な食材ばかりを買い込むのだった。

一方ユーリはハルルの樹の前に佇むリタの元にいた。リタは満開の季節でもないというのにハルルの花々が咲き乱れていることも、結界が安定していることも信じられないようで、一人でぶつぶつと呟きながら巨大な樹を見上げている。そして視線をユーリに移して問いただした。

「これ、ほんとにエステリーゼがやったの?」
「なんで、エステルなんだよ」
「アスピオを出る前に、カロルが口滑らしたでしょ?あんたがはぐらかしたけど」
「ばれてりゃ世話ないな」

ユーリは肩をすくめると、ハルルの樹のそばに腰を下ろした。
ハルルの樹を治したあの夜、ここでぼんやりとしていたケイの顔が思い出されて、胸の奥に違和感が突っかかる。確かに帝都を出てからはいろんなことがあった。ありすぎて、自分の知っていた世界の価値観だけでは追いつかないくらいなのだから、気持ちが不安定になってしまうのも仕方ないとは思うのだが、それにしたってここ最近のケイの様子はおかしいような気がした。

下町に生まれ落ち、物心ついた頃にはユーリとフレンとケイは、いつも三人一緒にいた。当時肺を病んでいて体の弱かったケイは、一年中ほとんど寝たきりだったため、走り回って遊んだという思い出はフレンとのそれに比べればずっと少ないものではあったが、そんなケイを守ってやりたいとずっと思っていたし、思春期になればその気持ちが恋だということにも気付いた。
ただケイの存在が特別になりすぎて、彼女の作り物のような美しさが時々恐ろしいと思った。美しすぎて、触れてはならないもののようにすら感じたのだ。それで距離を置こうと恋人を作ったこともあったが、結局胸の奥に根付いた感情が消えもしないまま、流れ流れてこの関係に落ち着いている。

ケイは自分よりも年上で、そのくせ妙に子どもっぽいところがある。だから放っておけないし、目を離せない。出来れば自分の手で守りたいとも思う。今の関係はもどかしいながらも心地いい。だからこそ、いつかずっと未来の二人が幼馴染でなくなっていればいいと、そう思っていた。

しかし、今の二人の間には、今まで知らなかった壁が確かに存在していることを知ってしまった。一番近くにいたはずなのに、今となっては誰よりも遠い存在にさえ思える。ユーリは、自分の知らないケイが、このまま自分の知っているケイを飲み込んでしまうような、そんな恐怖をひそかに抱えていた。

「……ねぇ、あんた聞いてんの?」

リタの不機嫌そうな声がユーリを現実に引き戻す。ユーリは何事もなかったかのように平然と答えてみせた。

「聞いてるよ。こんなことされちゃ、魔導士は形無しだってんだろ」

リタが一人でぼやいていたセリフをくり返してからユーリは続ける。

「で、商売敵はさっさと消す。そのためについて来てるんだろ?」

しれっと物騒なセリフを吐いたユーリに憤慨したリタは、座り込むユーリに体ごと向き合うと声を荒げた。

「そんなわけないでしょ!?あたしには、解かなきゃならない公式が……!」
「公式がどうしたって?」

まるでリタが口を滑らすのを待っていたかのようにユーリは問いかける。その問いにハッとなったのか、リタは気まずそうに俯いて視線を逸らすと、誤魔化すように小さく呟いた。

「……なんでもない、忘れて」

風がふいて優しく二人の髪を揺らす。花びらが舞ってやけに美しいはずの光景なのだが、どことなく空気はずっしりとしている。その空気に耐えられなくなったのはリタで、切り替えるように息を吐いてからユーリに視線を戻した。

「で、あんたの用件は何?そのためにひとりで来たんでしょ?」
「ま、半分くらいは今ので済んだ」
「なら、もう半分は?」

すっかりいつもの調子を取り戻したらしいリタは、腕を組んで睨むように座り込むユーリを見ている。そんな冷めた視線を気にするでもなくユーリは続けた。

「前におまえ言ったよな。魔導器は自分を裏切らないから楽だって」
「言ったわね。それが?」
「エステルとおまえはどっちも人間だ。魔導器じゃない」
「……ああ、そういうこと。あの子が心配なんだ。あたしが傷付けるんじゃないかって」
「エステルは、オレやおまえと違って正直者みたいだからな。無茶だけはしないてくれって話だ」

それだけ言うと、ユーリは立ち上がって街の方へと足を進める。

「ほら、戻ろうぜ。あいつらが待ってる」
「―――待って」

ハルルの花びらで出来た地面を踏みしめながら街への坂を下ろうとするユーリの背中を、リタの声が呼び止めた。ユーリが振り返れば、リタは真面目な顔で腕を組んだまま、ユーリの顔を見ていた。

「なんだよ?」
「あの子、何者?」
「あの子って?」
「あんたの幼馴染よ」

リタがエステルに何かしらの執着を見せていたことは分かっていたが、ここでケイの存在が浮上してくるとは思ってもいなかったユーリは、少し驚いてから鋭い表情を浮かべる。

「……ケイがどうかしたのか?」
「どうってわけでもないけど」
「発明とかいうちょっと変わった趣味のある、好奇心の塊みたいな酒好きの元騎士団の女だけど、あいつにも何かあるわけ?」
「……別に」

リタは何かを考え込むかのように俯いて言葉を濁した。ユーリは少しだけ息を吐くと、はっきりと告げた。

「あいつにまで無茶させようってんなら見逃せないな」
「そんなんじゃないわよ!ただ……ちょっと見覚えがあるだけ」

思いもよらなかったリタの発言に、ユーリは目を丸くした。確かにケイほどの容姿を一目見ればそう忘れることもないのだろうが、ずっと帝都にいた彼女とアスピオの研究員であるリタに面識があるとは到底思えない。
しかし、何でも屋と称していろんな仕事をしていたケイだ、もしかすると自分の知らないところで帝都から抜け出していたこともあり得る。そう思うと、目の前で真剣に考え込んでいる様子のリタの「見覚えがある」という発言も否定は出来なくて、ユーリも言葉が見当たらなかった。

そのとき、タイミングがいいのか悪いのか、街の入り口がやけに騒がしいのが二人の耳に届く。ユーリとリタは顔を見合わせると、ラピードと共に急いで入り口へと向かって走るのだった。
prev - next
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -