【09:パナシーアボトルを求めて】

ハルルの樹を後にしたユーリたちがよろず屋につくと、すでに到着していたエステルが困ったような表情でなにやら考え込んでいた。

「どしたの?」
「あ、ケイ。実は、パナシーアボトルが、今切らしているんだそうで…」

声を掛けられて振り返ったエステルは、相変わらず困った様子で首をかしげている。

「何とかならないの?」
「素材さえあれば、合成できるんだがね」

人の良さそうなよろず屋の店主の話によれば、『エッグベアの爪』と『ニアの実』と『ルルリエの花びら』、という3つの素材さえあればパナシーアボトルを作れるのだという。待っていればじきに入荷はするらしいのだが、ユーリたちも急ぎの身だ。待っているわけにもいかず、どうしてもパナシーアボトルが必要なのだと話すと、店主は不思議そうな顔で言った。

「そんなに急ぎで、パナシーアボトルを一体、何に使うんだ?先日も同じことを聞いてきたガキがいたんだが」

ユーリとケイは顔を見合わせた。ハルルの樹を治すためには、パナシーアボトルが必要だと教えてくれた人物を、同時に思い浮かべる。エッグベア覚悟、と叫びながらクオイの森に現れたのは、どうやらそういった理由があったらしい。カロルも、ハルルの樹を治そうとしていたのだ。

「あの子、それで森にいたのね」
「そうみたいだな」

ユーリとケイの会話には耳を貸す様子もみせず、エステルは店主と話を続けていた。

「ハルルの樹を治すんです」
「え?パナシーアボトルを樹に使うなんて、聞いたことないけどなあ?」

店主は首をかしげる。当然、ユーリたちもパナシーアボトルを樹に使うだなんて聞いたことがなかったのだが、今はカロルの話を信じるしかないのだ。ケイは必要な素材を、順番にくり返す。

「とりあえず必要なのは、エッグベアの爪と、ニアの実と、ルルリエの花びらね。カロルも探してたみたいだし、エッグベアはそっちに聞くとして…」
「ニアの実と、ルルリエの花びらだな。ニアの実はクオイの森にあるから、それは取りに行けばいい」
「あのくっそマズイ果実ね…」

森でユーリに手渡されて口にした、ひどく苦い果実の味を思い出してケイはウゲっと舌を出して顔をしかめた。

「では、ルルリエの花びらというのは?」

エステルが人差し指をあごに添えながら首をかしげる。その問いに答えたのは、よろず屋の店主だった。

「この街の真ん中にハルルの樹があるだろ?あれの花びらさ。普通なら魔導樹脂を使うんだけど、このあたりにはないからね。長が持ってると思うから、聞いてみてよ」
「わかった。素材が集まったらまた来るよ」

店主に礼を述べ、よろず屋を後にする。すると橋の近くで、まだ寂しげに俯くカロルの姿を見つけた。エッグベアの情報を持っているのは、カロルだけなので、ユーリはその寂しげな背中に声をかけた。

「カロル、クオイの森に行くぞ」
「え?」
「森で言ってたじゃない、エッグベアかくご〜って」

ケイはちゃらけた様子でカロルのモノマネをして見せた。エステルはケイのモノマネがずいぶんとツボにはまるらしく、ぷっと吹き出すように笑った。そんな様子に怒る気配もなく、カロルはただ驚いたようにユーリたちを見つめていた。

「パナシーアボトルで治るって、信じてくれるの……?」
「嘘ついてんのか?」

ユーリの言葉に、カロルは必死に首を横に振ってみせる。そんなカロルの姿を見て、ユーリはふっと優しく笑った。

「だったら、オレはお前の言葉に賭けるよ」
「ユーリ……」

カロルの暗かった表情はどんどんほころんで、出会ったときのような明るい声を上げながら、照れたように頭をかいた。

「も、もう、しょうがないな〜。ボクも忙しいんだけどね〜」
「じゃ、魔狩りの剣のエースのお力もお借りして、エッグベア探しに行きますか〜」

ケイが呑気に声を上げると、カロルは大きな瞳でケイを見上げた。

「ケイも行くの?」
「もちろん」
「わたしも行きます!」

高らかに宣言したのはエステルで、そんなエステルをユーリは呆れたように見た。

「フレン待たなくていいのかよ」
「治すなら樹を治せって言ったのはユーリですよ」
「じゃ、フレンが戻る前にちゃちゃっと治して、あの優等生びびらせてやりましょ」

ケイがニッと笑いながら言うと、ユーリも笑った。こうしてユーリたちは、再びカロルを加えたメンバーで、パナシーアボトルを作るために素材を探すこととなった。

ハルルを出る前に、ハルルの長にルルリエの花びらを譲って貰えないかと尋ねると、樹を治すためなら、と快く了承してくれた。ただ、ルルリエの花びらはハルルの樹に咲く3つの花びらの一つで、それを半年間陰干しして作る貴重なものだという。それが最後のひとつしかないということなので、ユーリたちにもプレッシャーが圧し掛かる。長の気持ちにも応えたいと、四人と一匹となった一行は気持ちを新たに、クオイの森へと足を進めるのだった。



クオイの森の中部に来たユーリたちは、前回休息を取った場所でニアの実を探す。ニアの実は簡単に見つかり、それをいくつか手にとっていると、カロルがユーリに声をかけた。

「ねぇユーリ、ニアの実ひとつ頂戴。エッグベアを誘い出すのに使うから」
「探して歩いちゃダメなの?」
「それじゃつかまらないよ。エッグベアはね、かなり変わった嗅覚の持ち主なんだ」
「ふぅん、物知りね」

ケイが感心したようにそう言うと、ユーリはカロルにニアの実を投げ渡す。ニアの実を受け取ったカロルは、かばんの中からごそごそと何かを取り出すと、突然ニアの実を燃やし始めた。興味津々な様子でその光景を見守っていたユーリたちだが、ボンっとニアの実が音を出して小さく爆発した瞬間、思いっきり後ずさった。どうやらニアの実は発火させると、爆発して煙のようなものを出すようなのだが、それが尋常ではなくくさいのだ。当然、作業していたカロルににおいは移っているわけだが、カロルは慣れているのか平然としている。しかしユーリたちはそういうわけにはいかない。鼻をつまんで、さらにカロルと距離を取った。

「くさっ!!おまえ、くさっ!!」
「ないないない!!これはない!!」

ユーリとケイは鼻をつまみながら叫んだ。エステルもすっかり涙目だ。

「ちょ、ボクが臭いみたいに!」
「ぎゃーーー!!カロルストップ!!近付かないで!!」

ケイは叫びながら、近付こうとするカロルから遠ざかる。人よりも鼻の利くラピードも、あまりの臭さにふらふらとよろめいて、ばたりと倒れてしまった。

「ラピード、しっかりして!」

慌ててエステルが倒れるラピードに近付く。今にも白目をむいてしまいそうなラピードは、危うく今日が命日になりかねない。カロルはそんなことにもお構いなしで、さっと構えて辺りをうかがった。

「みんな警戒してね!いつ飛び出してきてもいいように!それに、エッグベアは凶暴なことでも有名だから」
「その凶暴な魔物の相手は、カロル先生がやってくれるわけ?」
「やだな。当然でしょ。でも、ユーリたちも手伝ってよね」
「ガンバルゾー、オー」

ケイは鼻をつまんだまま棒読みで言うと、先を行くカロルの後ろを、距離を開けてついていった。あの実を食べたのかと思うと、思わず吐き気さえしてしまいそうだったが、出来るだけ考えないようにしようと溜め息をついて、エッグベア探しに集中することにした。

さらに森の奥へと進んでいくと、不恰好に生い茂る草むらがガサガサと音を立てた。先頭を歩いていたカロルは、さっとユーリの後ろに隠れて、こそこそと音のなる方を伺っている。

「き、気をつけて、ほ、本当に凶暴だから……!」
「そう言ってる張本人が、真っ先に隠れるなんて、いいご身分だな」
「エ、エースの見せ場は最後なの」

そんなことを言い合っていると、草むらの奥からズシン、と地面を響かせるような音が鳴る。ひゃっ、とカロルが縮こまってユーリの後ろに収まっていると、その音は徐々に大きくなって近付いてきた。ケイは目を鋭くさせて、さっと両手をホルスターの収まる銃に手を添える。ユーリも鞘から剣を引き抜いた。ズシン、ズシンと近付いてきたそれは、勢いよく草むらから飛び出して、ユーリたちをじろりと睨むように見る。ユーリの身の丈ほどもある巨大な茶色い魔物で、たまごのような丸い体に、殴られれば一瞬で骨と内臓が砕けてしまうのではないかという太く大きな腕を持ち、そこから鋭く尖った鋭利な爪が五本、真っ直ぐに伸びていた。グオォォ、と大きな声で雄たけびを上げた目の前の魔物は、完全に攻撃体勢に入ったようだ。

「ねぇカロル、これがエッグベア?」

ケイの言葉に、カロルはコクコクと頷くばかりだ。

「なるほど、カロル先生の鼻曲がり大作戦は大成功ってわけか」
「へ、変な名前、勝手につけないでよ!」
「そういうセリフは、しゃきっと立って言うもんだ」
「来るよ!」

ケイが言った瞬間、エッグベアは襲い掛かってきた。まずは一撃目を避けて、ホルスターから銃を抜いたケイが身軽に飛び回りながら、エッグベアの急所を狙っていく。体が大きい分動きは機敏ではなく、十分狙いは定めやすかったのだが、知性はあるようで頭や心臓の辺りは庇うようにしている。飛び道具を使うケイが厄介だと思ったのか、エッグベアは狙いをケイに定めて乱暴に襲い掛かる。

「あたしが気を引くわ!ユーリは隙を狙って!」
「了解!エステル、援護たのむ!」
「はい!」

ケイは飛び道具だ。慎重に扱わないと、仲間に流れ弾が当たってしまう。狙いが自分に定められている間は下手に急所を狙うのを避け、エッグベアの注意を引きながら、少しずつダメージを与える。そうしてケイが生み出した僅かな隙を縫って、ユーリが強力な一撃をエッグベアにお見舞いし、距離を取ってまた隙を伺い、エスエルは得意の補助魔法でユーリをサポートした。エステルのサポートを加えて、より強力な幼馴染のコンビネーションを見せつけながら、徐々にエッグベアの体力を削っていく。そしてエッグベアがよろめいたとき、ケイが叫んだ。

「カロル、今よ!!」

カロルは武器を構えながら、みんなの間をちょこちょこと逃げ回っていたのだが、ケイの声にハッとしたのか、その声に導かれるようにエッグベアの脳天目掛けて、強力な一撃をお見舞いした。そうしてようやく倒れたエッグベアは、やっと動かない状態になった。ずいぶんと硬い敵だったな、と一番飛び回っていたケイは汗を拭う。

「いやぁカロルってば、さすがエースね。あんなヤツ一撃だやっちゃうなんて」
「え?ま、まあね!」

ケイがさっと手を出せば、カロルはパチンと差し出された手を叩いた。ユーリはその光景を見ながら、やれやれと言ったように笑って、自身もケイに手を差し出した。

「お優しいこったな」
「なんのことですかね、ユーリさん」

二人で笑いあいながらパチンと手を合わせてハイタッチすると、ラピードがケイに擦り寄ってきた。くすっと笑みを零して、ケイはラピードの頭をなでてこっそりと言う。

「カロルのお守り、お疲れ様」
「ワウッ!」

ラピードは戦闘中、ちょこちょこと逃げ回るカロルの後をついて様子を伺っていたのだ。それに気付いていたのはケイとユーリで、ユーリもよくやった、と言わんばかりにラピードの頭をなでた。エステルは今までに戦ったことのない強さの魔物を相手にして疲労したのだろう、輪から離れて、一人呼吸を整えていた。

ユーリは倒れたエッグベアを見る。ピクリとも動かなくなったエッグベアの爪をまじまじと見つめながら、カロルに視線を寄越した。

「カロル、爪取ってくれ。オレ、わかんないし」
「え!?だ、誰でもできるよ。すぐはがれるから」

その言い方は、遠まわしに自分は爪を取りたくない、ということであろうことは伺えた。ユーリは素直じゃないカロルに肩をすくめながらエッグベアに近付くと、ちょこちょことケイもやってきて、うげっと顔をしかめた。

「なかなかグロテスクですね〜」
「じゃあ見るなよな」
「爪はぐだなんて、か弱いあたしにはムリだわ」
「なら、か弱いケイさんには周囲の警戒でも頼むかな」
「おっけ〜」

ケイは周囲の警戒をする前にエステルに近付いた。少し疲労は見えたが、思ったよりも元気そうだ。思ったよりも強力な魔物への驚きの方が、どうやら大きかったらしい。エステルにも周囲の警戒を頼み、ケイは倒れたエッグベアの様子もちらりと見る。するとカロルが、もう動かないよね、と一言ユーリに確認をとって、エッグベアに近付いていた。モンスター図鑑の糧にでもするつもりなのだろうが、腰が引けている。エッグベアに近付いて、すっかり油断しているカロルの背後を取ったユーリは、意地の悪い顔でその姿を見つめた。面白そうだったので、ケイもそろりとユーリの隣りに立つ。二人で顔を見合わせてタイミングを見計ると、同時にカロルの背中目掛けて叫んだ。

「「うわああああっ!!」」
「ぎゃああ〜〜〜〜〜っ!!」

ユーリとケイが同時にカロルを脅かせば、カロルは面白いほど素直に驚いてくれた。周囲を警戒していたエステルも、声は上げなかったものの、突然の悲鳴に驚いて振りかえる。膝はガクガクしていて、手もぶるぶると震えているカロルの姿を見ながら、ケイは必死で笑いを堪えたが、肩が震えている。ユーリはそんなカロルに向かって、わざとらしく言った。

「驚いたフリが上手いなあ、カロル先生は」
「はっ、はは……そ、そう?あ、ははは……」

震えながらユーリを振り向いて、精一杯笑ってみせるカロルの顔に耐えられなかったのか、ケイはとうとうぶはっと吹き出した。ケタケタと笑いながら、笑いすぎて流れる涙を必死に拭う。

「か、かわいすぎなんだけど…」
「それ、ほめてるの…?」
「最っ高にほめてるよ」

カロルが問えば、ケイは人差し指で目じりに溜まった涙を拭って、カロルの頭をぽんぽんと軽く叩いた。ユーリはその間にエッグベアの爪をはぎ、それを袋に入れる。

「さ、戻ろうぜ」

ユーリの言葉を合図に、素材を入れた袋を片手にハルルに向かって歩き出した。ニアの実の効果もこのときにはすっかり薄れていて、ラピードも気にしなくなったらしく、いつものきりっとしたラピードに戻っていた。

そうしてようやくクオイの森を抜ける手前まで来たとき、聞きなれた、それでいて懐かしい声がユーリとケイの耳に届いた。

「ユーリ・ローウェル!ケイ・ルナティーク!森に入ったのはわかっている!素直にお縄につけぃ!」
「この声、冗談だろ。ルブランのやつ、結界の外まで追ってきやがったのか」
「あたしの名前まで呼ばれた気がしたんだけど」

勘弁してくれ、と言わんばかりに溜め息を吐いたユーリの隣りで、ケイも面倒そうに顔をしかめた。当然、事情を知らないカロルは驚いて二人を見る。

「え、なに?誰かに追われてんの?」
「ん、まぁ、騎士団にちょっと」
「またまた、元騎士が騎士団になんて…」

カロルは冗談だと思ったのか、へらっとしながら二人を見上げるが、二人の様子を見てそうではないと悟ったようで、みるみるうちに表情を崩してしまった。

「え、え、ええ〜っ!?」

驚くカロルの声に負けないくらいの大きな声で、ユーリとケイを探すルブランの声に続き、アデコールとボッコスの声も聞こえた。三人揃って、わざわざ帝都から出て仲良く追いかけてくるだなんて、当然ユーリもケイも想像していなかった。

「…ねえ、何したの?器物破損?詐欺?密輸?ドロボウ?人殺し?火付け?」

間髪いれずに次々と飛び出るカロルの言葉に、ユーリは答えた。

「脱獄だけだと思うんだけど…」
「んじゃあたしは?」
「脱獄の補助と、公務執行妨害ってとこか?」
「あは。それなら下町の人間みんな公務執行妨害ね」
「ま、とにかく逃げるぞ」

ユーリはそういうと、近くにあった伸びきった枝や木々を、豪快に道端に広げた。枝からはもりもりと葉が連なっていて、見事な障害物になった。これでルブランたちの足止めをするらしい。当然、真面目なエステルは抗議の声を上げたが、ユーリは呪いの森には誰も来ないの一点張りで、聞き入れることなくその場を後にした。ケイはそんなユーリの隣りに立って端正な顔を見上げると、ニッと悪戯っぽく笑う。

「公務執行妨害と、自然破壊の罪状も追加だね」
「重罪だな」

ケイの言葉を聞きながら、ユーリは肩をすくめて笑ってみせた。



ハルルの街に戻った頃には、すっかり夜を迎えていた。そこまで遅い時間でもないので、街には人が溢れており、よろず屋も営業を続けていた。早速材料を店主に手渡し、パナシーアボトルの完成を待つ。

「ねぇ、あたし先にハルルの樹に行っててもいい?」

ケイが言うと、ユーリはケイを見返した。

「そんなに時間かからねぇって言ってたぞ」
「うん、でもちょっと行きたいなって」

引き止める理由もなかったのだが、ハルルの樹の前でのケイの様子が気がかりだったユーリは、なんとなく行かせるのをためらった。今ではすっかりいつも通りなのだが、またあんな状態になるかもしれない、と思うと、どうしても快く了承できない。そんなユーリの気持ちなど知るはずもないカロルは、ケイを見上げて笑った。

「いいよ、ボク待ってるから」
「ホント?じゃあ行ってくるね」

くるりと踵を返して立ち去ってしまったケイの後姿を、ユーリは見えなくなっても見つめたままだ。そんなユーリの視線に気付いたカロルは、ユーリを見上げて不思議そうに首をかしげた。くりくりと丸い目の中には、目を細めてケイの姿を見つめるユーリの姿だけが映っている。

「ユーリは行かないの?」
「ん?なんでオレも?」
「だって、ユーリがケイばっかり見てたから、ほんとはユーリもハルルの樹を見に行きたいのかと思って」

まだ穢れを知らない純粋な瞳にはそう写っているのか、と思いながら、ユーリは苦笑した。

「いや、そういうわけじゃねぇよ。ただあいつ、ちょっと体調悪そうだったから、心配になっただけ」
「え?ケイ、体調悪かったの!?」
「そんな気がしただけだって。ま、大丈夫だろ」
「それはいけません!行ってあげてくださいユーリ!」

そんなユーリの言葉を聞いて、エステルは声を上げた。

「体調が悪かったんだとしたら、ケイはわたしたちが心配にならないように気遣って、先に行ったんだと思います!幼馴染みのユーリになら、きっと弱ってるところも見せられるはずです!だから行ってあげてください!」
「お、おう…」

エステルの剣幕に若干押されながらも、そこまで深く考えてないと思うけどな、というセリフを心の中で吐き出した。カロルもエステルの発言に、ようやくケイとユーリが幼馴染みであることを知ったようで、なるほど、と頷いた。

「だったらボクたちここにいるから、行ってあげてよユーリ。倒れてたりしてたら大変だもん」
「わたしとカロルで、責任を持ってパナシーアボトルを持っていきます」
「ワフ」

どうやらラピードが保護者代わりに残るらしい。こうまで言われたら行かないわけにもいかなくて、ユーリは困ったように笑いながら腰を上げた。

「じゃ、ここは頼むとすっかな。一個しかないんだから、焦って落としたりするなよ」
「任せてよ」

頼りなさげだが、カロルの言葉を信じてユーリはよろず屋を後にした。涼しげな夜の空気が頬をかすめて心地よい。坂を上って天辺に向かうと、ハルルの樹とその樹にもたれて座るケイの姿が見えた。人気はなく、ここにいるのはケイだけらしい。ケイはハルルの樹にもたれながら、眠るように、静かに瞼を閉じている。ユーリが近付くと、気配を察知したようで、ゆっくりと瞼を開いてユーリを見た。

「ハァイ、ユーリ。もう出来たの?」
「いや、もうちょっとかな。今カロルたちが完成を待ってる」
「そう」

ユーリはケイの隣りに腰を下ろすと、同じようにハルルの樹にもたれかかった。少しだけ間を空けて座ったのだが、肌寒かったらしいケイがそろりと近付いて、その距離を埋めた。ユーリはケイの横顔をちらりとのぞき見る。まっすぐに夜空に向けられた視線は、どこか儚げで、憂いを帯びていた。綺麗だな、と素直に思う。瞬きをするたびに揺れる長い睫毛が、より繊細にケイのよさを引き立てているように感じた。

「大丈夫か?」
「うん?何が?」
「なんか様子がおかしいから、体調でも悪いのかと思って」
「あぁ、なるほど」

ユーリの目を見ることなく、ただ真っ直ぐに空へ放たれているケイの視線は、揺れることはない。

「なんかさぁ、世界は広いなあと思って」
「ああ、確かにな。帝都を出て、知らないことを知って、新しいことばっかりだもんな」
「うん。いろんなものが見えるたびに、あたしってこんなちっぽけだったんだなーって感じてさ。それでちょっと、たそがれモードだっただけ」

ケイは顔をぐーっと上に向け、枯れかけのハルルの樹を見上げる。

「ねぇ、ユーリ」
「ん?」
「ハルルの樹は、愛されてるんだね」
「そりゃな。街を守る大切な結界魔導器なんだから」
「…結界魔導器だから、愛されてるのかな。それとも、ハルルの樹だから、愛されてるのかな」

ポツリとつぶやいたケイの本心は見えない。ただ、ユーリはケイの心にぽっかりと穴があいてしまったような気がして、急に怖くなった。このまま心の穴に飲まれて、いつかケイが消えてしまいそうで、怖かった。

ぎゅっとケイの手を強く握れば、ケイはようやくグリーンの瞳にユーリを映す。下町にいたころは当たり前のように傍にいて、離れることもなくずっと一緒に過ごし、この先も当然一緒にいるものだと思っていたのに、一歩外の世界に出てみれば、そんな当たり前の日常が嘘のように消えてなくなった。今繋いでいるこの薄い手のひらも、いつかすり抜けていってしまうのではないかという不安が、ユーリの胸を渦巻いている。

「……ユーリ?」

険しい表情で見つめてくるユーリの顔を、ケイは首をかしげてきょとんと見返した。ケイは空いた手をそっとユーリの頬に添える。

「どしたの、怖い顔して」
「…なぁケイ、オレは―――」
「お〜い!ユーリ、ケイ!持ってきたよ!」

タイミングがいいのか悪いのか、嬉々とした様子のカロルが、パナシーアボトルを大切そうに抱えてやってきた。エステルとラピードだけでなく、樹を治すと聞きつけた街の住人たちも、続々と後に続く。ケイはあっさりとユーリの頬から手を引っ込めると、笑顔を浮かべながらその手をカロルに向けてひらひらと振っている。ユーリは、はあっと深い溜め息を零すと、ケイの手を握ったまま立ち上がり、その手を引いてケイを立ち上がらせる。カロルはそんな二人に駆け寄ると、心配そうに眉を寄せてケイの顔を見上げた。

「ケイ、大丈夫?」
「うん?何が?」
「体調悪いって聞いたんだけど…」
「あぁ、ちょっと疲労でだるかっただけみたい。休んだからもう平気よ、ありがと」

笑って見せればカロルはほっとしたようで、良かった〜と明るい声を上げる。エステルもケイが元気そうで一安心のようだ。

「ケイ、元気そうでよかったですね、ユーリ」
「…いいとこだったんだけどな」
「え?」
「なんでもない」

ユーリは言うと、すっかりカロルと仲良くなったらしく、一緒になってはしゃいでいるケイの姿を見つめた。そして脳内に、ケイの言葉が蘇る。

『…結界魔導器だから、愛されてるのかな。それとも、ハルルの樹だから、愛されてるのかな』

意味深な発言ではあったが、きっと外に出てたくさんのものを見てきたために、ふいに吐き出された言葉だったのだろう。変に考えすぎるのはやめようと思い、ユーリは浮かび上がった不安を無理やり頭の隅に追いやった。

そして、その決断が、後に彼の後悔を招くことになるなど、ユーリ自身気付くはずもなかった。
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