一角-2
今日は朝から蓮華の機嫌が妙に良かった。なんつーか、うきうきしてるっつーか。とりあえず、俺は弓親にそのことを相談する。

「なぁ弓親、蓮華のヤツ、今日妙に機嫌よくねぇか?」
「そうだね、僕も思ってた」
「…だよな」
「…気になるんなら自分で聞いてきなよ、何かあったのかって」
「ばっ!おま、聞けるわけねぇだろそんなもん!」
「…だから僕に聞いて来いと、遠回しにそう言ってるわけ?」
「いや、ちが、だから…っ」
「そう、じゃ、聞いて来なくていいんだ」

そう言って弓親はすたすたとどこかに立ち去ろうとする。俺はそれを慌てて止めた。不機嫌そうに弓親が振り返る。

「なに?」
「いや、その…き、聞いてきてくれ」
「…だったら最初から素直にそう言いなよ」

溜め息をつくと、弓親は蓮華の元へ向かって行った。そして俺は二人の様子を少し遠目から伺う。

会話の内容は聞こえないが、どうやらちゃんと聞いてくれてるらしい。しばらく二人を眺めていると、ふと弓親がものすごく険しい目線を俺に送った。

…なんだかものすごく嫌な予感がして、俺は背筋がゾクリとする。あの目は、俺が蓮華に酷いことを言うときに見せる、冷めた目だ。

なんだか二人の会話の内容が思わしくない気がした俺は、どかどかと蓮華に向かって走っていった。すると蓮華が目を丸くして振り返る。振り返った隙に、蓮華が食べてた饅頭を奪って食ってやった。ちなみに俺が食ったその饅頭が、最後の一個だ。

「あー!!」
「ごちそうさん」
「こら一角っ!あたしのお饅頭返せ!」
「返せったって、もう口ん中だぜ」

楽しみにしていたのであろう最後の一個を俺に食われて、憤慨する蓮華。

「なんで最後の一個をアンタが食べんのよ!」
「最後の一個だから食ったんだよ!」
「はぁ!?ふざけんな返せ!」
「返せったってもう胃の中だよバーカ!なんなら吐き出してやろうか?ん?」
「アンタねぇ…!」

蓮華が血相を変えて俺に飛びかかろうとした、そのときだった。

「おーい、神風ー」

聞きなれた声が蓮華を呼んだ。うちに書類を届けに来ていた檜佐木だ。俺と蓮華と弓親が、同時に声の方を向く。すると突然、蓮華の表情がパアッと明るくなった。

「檜佐木さん!」

聞いたことのないような弾んだ声で、檜佐木の名前を呼ぶ蓮華。その瞬間、嫌な予感が全身を駆け巡る。

「ちょうど喧嘩しそうなとこを目撃したから、ちょっと声かけてみた」
「今日は天地がひっくり返っても一角のせいです」
「あァ!?なんだと!?饅頭ひとつでテメーが怒鳴ったからだろ!器の小せぇ女だな!」
「なによ!勝手に人のお饅頭食べといて、その上あたしに責任押し付けないでくれる!?」
「まぁまぁ落ち着けって」

なるべくいつも通りの対応をしてはいるものの、焦っているのか言い方が荒れてるのが自分でも分かる。俺の背中は嫌な汗がだらだらと流れているし、手汗だって半端じゃない。弓親はそんな俺の様子に気付いたようで、気付かれない程度に俺のケツを叩いた。

そうだ、とりあえず、落ち着け、俺。

自分にそう言い聞かせて、なんとか言葉を堪える。すると突然檜佐木が、何かを思いついたように蓮華に声をかけた。

「なぁ神風、お前、今時間あるか?」
「へ?そりゃ、ありますけど…」
「よし、じゃあついて来い」
「は?ど、どこ行くんですか?」
「いいから」

檜佐木は蓮華の左腕を掴むと、強引に蓮華を立ち上がらせる。その時、一瞬檜佐木が俺を見てニヤッと笑ったのを、俺は見逃さなかった。

「悪い、ちょっとコイツ借りてくぞー!」

そう叫んで、蓮華を連れて去った檜佐木。残された俺はただ立ちすくんだままそれを見つめることしか出来なかった。

「…あーあ、行っちゃった」

弓親が呆れたように言って、そして俺を見た。

「…昨日言ったばっかりなのにね、うかうかしてたら蓮華を取られる、って」
「っ、」
「檜佐木くんはイケメンだし、一角と違って優しいからね。元々飲み友達で仲も良かったし。蓮華が好きになっちゃってもおかしくないわけだ」

その言葉を聞いた瞬間、俺の中で何かが弾けた。俺は弓親の胸倉を掴んで、睨みつける。分かってる、こんなの単なる八つ当たりだ。しかしこんな状況でも、弓親は冷めた目をしている。

「何怒ってるのさ一角。一角にそんな権利ある?」
「ったりめーだろ!だって俺はアイツが…!」
「好き?好きなくせにバケモンとか言うわけ?一角の愛情ってそこまで歪んでたんだ」
「!!!」
「笑ってはいたけどね、泣きそうな顔してたよ、蓮華」

それを聞いて、俺の力がゆっくりと抜けていく。弓親は俺の手を解くと、真っ直ぐに俺を見て言った。

「…前から檜佐木くんは蓮華のこと可愛がってたし、いいんじゃない?お似合いだと思うよ、僕」
「なんだよ…お前、何のために今まで…!」
「何のために今まで助言してきたかって?そんなの一角の為に決まってるじゃないか」

弓親はさらっとそう言うと、淡々と続けた。

「だけど蓮華にあんな顔しかさせられない一角と、名前を呼んだだけで蓮華をあんな笑顔に出来る檜佐木くん、どっちに勝算あると思う?」
「そ、れは、」
「僕は蓮華が幸せそうなの見てて嫌な気はしないし、蓮華が幸せならそれでいいと思うよ。だってどうせ第三者だし」

弓親はあくまで正論を述べていく。そして俺は、やっぱり何も言えないままだ。

「それに檜佐木くん、蓮華の右腕の怪我のことも知ってたみたいだしね」
「…!」
「そりゃそうだろう。じゃなきゃ一角にあんな勝ち誇った顔見せないって」

そう、檜佐木は蓮華の右腕を掴まなかった。自然に左腕を掴んで、自然に蓮華をさらって行った。俺はそれを止めることも出来ずに、ただぼんやりと見ていることしか出来なかったんだ。

「俺は、」
「…結局さ、一角はどうしたいの?蓮華とどうなりたいの?」
「俺は…」

どうなりたいか、どうありたいかなんて、答えはちゃんと出てるのに。なのに俺は、何も言えやしない。

「…そう、このまま蓮華が檜佐木くんのものになっちゃってもいいんだ」
「っ、んなもん許せるか!」
「へぇ、じゃあ蓮華とどうなりたいのか答えてよ」
「…」
「…自分の意思もちゃんと伝えられないくせに粋がって吼えてさ、格好悪いよ一角」

ただ床を見つめて、痛いほど拳を握ることしか出来ない俺の胸を、弓親は叩いた。

「男だろ。ハッキリしろよ」

その言葉が突き刺さる。

「そんなだからあんなに簡単に目の前で蓮華を持ってかれるんだろ。あの後蓮華が告白でもされて、もしオッケーだしたらどうするつもり?」
「…」
「もう引き返せないところまで来たんだ。いい加減覚悟決めろよ一角」

弓親の目を見れば、本当に真剣に俺を見ていた。そうだ、俺は何をやってんだ。惚れた女が目の前で連れて行かれたんだぞ、それをみすみす見逃しちまうくらいの愛情なら、とっとと諦めちまえばいい。だけどそれが出来ないくらい惚れてんだ、今更どうにもなんねぇくらい、気持ちは固まってんだ。俺の意気地が足りねぇだけで、あとは全部整ってんだ。

「もう一回だけ聞く」

弓親は、俺の胸倉を掴んだ。

「一角、お前は蓮華とどうなりたい?」

いつだって俺の本音なんて見抜いてるくせに、弓親は俺に言わせようとする。こいつのそういうところが嫌いなのに、結局いつもそういうところに救われてる。

「…決まってんだろ」

俺の胸倉を掴む弓親の腕を、俺はがっしりと掴んだ。そして真っ直ぐに、しっかりと、弓親を見据える。こんな危機的状況にならなきゃ自分の意思も吐き出せねぇくらい、俺は臆病者だ。だけどこれだけははっきりと言える。


「誰にも渡すかよ。蓮華は絶対、誰にも渡さねぇ!取られたら取り返すだけだ!!」


宣言すれば、弓親はニッと笑った。

「なんだ、やれば出来るじゃないか」
「だからよ、恥を承知で頼む。俺の腑抜けた意気地を締め上げてくれ」
「最初からそのつもりだよ。頼むからには覚悟しなよ一角」
「やってやるよ、徹底的にな!」

そして俺も、ニッと笑った。
その日から俺の精神をしごきあげるための訓練が、始まった。


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