09
それから幾日も時は過ぎ、




片恋の空:09




あたしが七席になってから、随分と日は過ぎて、そして席次は、ひとつだけ繰り上がった。それは彼が、今まで背負っていたた数字。あたしには、まだ荷が重過ぎる数字。

「弓親さーん、書類全部終わらせました〜…」
「ご苦労様」

しかし相変わらずだーれもしない書類を、あたしはこなす毎日。今日はなかなかの量があったので、それが終わった頃にはみんなぱらぱらと帰り始めていた。あーあ、今日も稽古つけてもらえなかったし、訓練も出来なかったな、と肩を落とす。

「ほんとみんな訓練ばっかり…あたしも訓練したい〜…」
「まだちょこちょこやってるよ。今から参加する?」
「今からはもう集中力がもたない…」

弓親さんの隣で項垂れるあたしを見てか、弓親さんはやれやれといった様子であたしにひとつ書類を持たせた。あたしは素直にそれを受け取る。

「これ、持ってってくれる?」
「これは?」
「六番隊に持っていく書類」

その言葉を聞いて、項垂れていたあたしの背筋がしゃんとなる。それを見て弓親さんはくすくすと笑った。

「ほんと、分かりやすいね緋雪は」
「だ、だって…」
「…それは書類を頑張ったご褒美。ちょっとだけ、顔見に行っておいで」
「いいんですか?」
「行きたくないなら別にいいけど?」
「っ、行ってきます!」

あたしは元気に立ち上がると、走ってその場を後にした。



六番隊舎の隊首室前に来た。あたしは少し深呼吸して、その扉を叩く。変に緊張してしまうのは、ここに恋次とルキアのお兄さん―――朽木白哉隊長がいるからだ。

「十一番隊六席、神風緋雪、書類をお持ちいたしました」
「…入れ」
「失礼いたします」

冷めた返事を聞き、緊張しながらも扉を開ける。そこには朽木隊長と、あたしの大好きなあの人がいた。

「おう緋雪!」

恋次は笑ってくれる。もう以前のように毎日恋次会えなくなってしまったあたしにとって、たまに見られる彼のこの笑顔はこの上ない幸せだったりする。あたしも笑い返して、冷めた視線をこちらに向けている朽木隊長の側に近付く。まったく慣れないこの人の雰囲気に、やっぱり緊張してしまう。

「朽木隊長、こちらが十一番隊からの書類です」
「…」
「それと、こちらが先日の件の報告書になります」
「…」

それらを手渡すと、朽木隊長はあたしになんて眼中にない様子で、その書類に目を通していく。仕方がないので一礼して出て行こうとすると、突然恋次が声を上げる。

「あ、隊長、俺も十一番隊に書類あるんで、それ持って行って来ます」
「あ、阿散井副隊長、それならあたし、持って行きますよ」
「いや、俺のとこのだし。じゃ、隊長、行ってきます」
「…」

朽木隊長は何にも言っていないのに、恋次は書類を持って、そしてあたしの手を引いてずかずかと歩きだした。あたしは突然のことに頭もついていかなくて、隊首室を出る前、咄嗟に朽木隊長に向かって失礼しました!と叫ぶので精一杯だった。

「っ、ちょっと恋次!びっくりするでしょ!」
「ん?あぁ悪い悪い」
「…絶対悪いと思ってない…」
「そりゃお前、いきなり阿散井副隊長なんて言われたらこっちがびっくりするに決まってんだろ」
「え、だって隊長の前だし、さすがに恋次とは呼べなくて…」

そう言って、突然あたしの顔に熱が篭る。あたし今、恋次と手、繋いでる。その事実が、今になってあたしの胸を締め付けた。

「相変わらずそういうところ固ぇな」
「し、仕方ないでしょ……て、ていうか恋次…その…手……」
「あん?あぁ悪ィ、咄嗟に繋いできちまった」

へらっと笑って、恋次はあたしの手を解放した。寂しくて、でもどきどきもして、複雑な気持ちがぐるぐると巡る。これがきっとルキアなら、恋次は咄嗟に繋いでしまったこの手を、きっと離しはしないんだろうな。そう考えると、また虚しさが込み上げる。

「最近どうだ?十一番隊」
「え?あぁ、相変わらずだよ。あたしも隊長に稽古つけてもらいたいのに、みーんな書類あたしに押し付けるの」
「刀じゃなくて筆ばっかり握ってんのか」
「そう、そういうこと」
「ハッ、せっかく六席まできたってのに、そりゃ相変わらずだ」
「恋次こそどうなの?副隊長になってみて」
「いやぁ、まあ大変なことばっかりだぜ、いろいろと」
「だろうね」

あたしは恋次の左腕に輝く副官の証を見つめる。ほんの少し前まではそんなものつけてなくて、あたしと一緒の隊にいたのにな、と、遠くない思い出を振り返る。

「どうした?」
「え?なにが?」
「なんか遠く見てたぜ」
「あぁ…」

恋次のこういうところ、好きだけど、嫌いだ。

「…遠くに感じたの」
「なにが」
「恋次が」
「全然遠くねぇじゃねーか」
「遠いよ、触れられるのに、なんか、遠い」

恋次の副官の証にそっと触れる。あたしには程遠いものだ。やっと近付いたと思ったのにな。

「このあいだまでここにいたのになって、これ見たら思っちゃっただけだよ」
「…」
「…ごめん、変なこと言っちゃった。忘れて」

笑ってはぐらかせば、恋次は何も言わなかった。あんまりあたしの言ってること、伝わってないみたいだ。だけどここで、恋次がルキアに対して抱いてる感情と同じだよって言ったら、恋次はどんな顔するかな。きっとすごく、伝わるんだろうなって思う。

「…ところで、ルキアは?」
「いや、まだ霊圧の捕捉すらできてねェらしい」
「そう…」
「ま、アイツのことだ、精々生き延びてるだろ。だからンな顔すんな」
「うん…そう、そうだよね。ルキアに副隊長だってびっくりさせてやらなきゃだもんね!」

笑顔で振舞えば、恋次も笑ってくれた。だけど、その笑顔の下で不安が渦巻いていることは、分かっていた。ルキアが任務で現世に発って幾日、ルキアの霊圧はぱったりと途絶え、いまだに霊圧の補足がされていない。

本当にルキアが心配で仕方がないくせに、弱さを見せずに笑う恋次の横顔は、見てられなかった。こんなにも恋次に想われてるルキアが羨ましくて、そして憎くもあった。ルキアのことも恋次のことも大好きなのに、こんなこと思う自分がほとほと嫌になる。

それから話をしながら一緒に十一番隊舎に来て、そして恋次は少しみんなと喋って帰って行った。その大好きな後姿を、あたしは遠くからぼんやりと見つめた。

「浮かない顔だね、折角一緒に帰ってきたのに」
「弓親さん…」
「どうかした?」

恋次がルキアを好きなことも周知の事実だけれど、あたしが恋次を好きだってことも周知の事実だ。弓親さんは、そんなあたしのことをよく気にかけてくれる。精神的にそんなに強い子じゃないからね、緋雪は、って言って笑ってた。あたしも自分のことはそう思う。精神的に、弱くて、脆い、そんな不安定な死神だ。そのくせ六席だなんて大層なものをいただけているから、やっぱり悪運が強いんだと思う。

「…嬉しかったですよ、久々に恋次とゆっくり話しが出来たし、隣、歩けたし」
「へぇ?」
「…だけど、恋次はあたしのことすり抜けて、もっと遠くを見てました。ルキアのことばっかり、見てた」
「…」
「分かってたけど、やっぱり切ないなって。だけど恋次のことは大好きだから…」

空は少しずつ、赤みを帯びていく。もうすぐ夕暮れだ。

「…おい緋雪!」
「あ、一角さん」
「一本勝負だ!」
「え?今からですか?」
「ったりめーだ!」
「な、なんで今から…」
「いいから勝負すんぞ!」
「えー」

あたしと弓親さんが喋ってるその少し横でごろごろしてた一角さんが、突然むくりと起き上がってそんなことを言い出した。どうせ一本勝負したところで、疲れきっているあたしの負けなんて目に見えているのに、何を言い出すのだろうかこの人は。

「緋雪、付き合ってあげなよ」

弓親さんが言う。

「緋雪がそんな顔してるとこ見るのつらいんだよ、一角は」
「バッ!?おま、弓親!いい加減なこと言うんじゃねぇ!!」
「だって一角は緋雪のことす「黙ってろ!!!いいから緋雪!一本勝負だ!いいな!」

あたしは二人のやりとりに少しだけぽかんとしてたけど、なんだかおかしくなってくすくすと笑ってしまった。一角さんがむっとする。

「何笑ってやがる!」
「ううん、やっぱりあたし、十一番隊のみんな、好きだなぁって思って」
「…」
「いいですよ一角さん、やりましょう、一本勝負。でも手加減してくださいね」
「ハッ!勝負に手加減も糞もあるかよ!」
「ひどいなあ、一角さんの分の書類もぜーんぶ終わらせてあげたのに」
「うっ…そ、それとこれとは話が別なんだよ!」
「優しくなーい」

あたしがそう言うと、一角さんうるせぇ!って叫んで、奥から竹刀を取り出した。そしてそれをあたしに投げ渡す。木刀じゃなくて竹刀を差し出してくれたのは、多分一角さんの優しさだ。

あたしは結局、その後三本ほど一角さんと勝負して、全部負けてしまった。弓親さんは途中で飽きて帰ってしまったし、更木隊長が励んでるじゃねぇかお前ら!って言って乱入してこようとしたところを一生懸命とめたりと、わりと大変だった。

「つっかれたー」

そんな今は夕暮れも過ぎて夜が空を包んでいた。あたしは一角さんと飲みに来ている。

「あの程度で疲れたなんて、緋雪もまだまだだな」
「一日のほとんどを書類に費やしてる六席が、稽古ばっかりしてる三席に勝てるわけないじゃないですか」

皮肉を言えば、一角さんは笑う。

「まぁそれもそうだな!」
「…やっぱり一角さん、優しくない」
「うっせぇよ」

一角さんが酒を煽る。あたしもお猪口に入った透明な酒を、くいっと飲み干した。

「しかしお前、酒はそこそこ強くなったよな」
「そりゃそうですよ。飲まなきゃ怒られるし、飲めなくても飲まされるし」
「まぁ確かにな」
「…お酒ばりにもっと強くなれたらいいのになぁ」
「刀か?」
「刀も、心も」
「…」
「恋次、また遠くにいっちゃったから、もっと強くならなきゃだめなんです」
「…そうか」
「…一角さん」
「ん?」
「…恋次は、あたしのこと、きっと好きになんてなってくれませんよね」
「…俺に聞くなよ、ンなこと」
「…そうですね」

店の窓から見上げた夜空には、半月がごとりと無造作に置かれていた。


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