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幸せの輪は
いつも私を
置き去りにする



 ● ●



「修兵ー蓮華ー」
「お姉ちゃんだ!」

夕暮れ。
大好きなお姉ちゃんの声で、突っ伏していた私は飛び起きる。結局今日もいつも通り、まともに仕事はしなかった。東仙隊長もすっかり慣れてしまって、本当に大事な仕事以外は私に頼まなくなっていた。それが私に対する信頼を失くしたという行動だとか、そんなことじゃない。むしろ仕事をしない私が修兵に叱られていると、それを庇うようにいつも側にいてくれたほどだ。

しかし東仙隊長も、やはり隊長である。手厳しいところはとことん手厳しいし、それは修兵なんかの比にもならない。だからこそ、私が本当の仕事嫌いにならないように、なるべく私にも出来るような仕事を、東仙隊長は用意してくれる。私がしたがらないようなじっとしている仕事はいつも他に回り、逆に体を張った危険な任務が増えた。

なので、任務のない日、始末書等の作業がない限り、私は基本的に暇なのである。修兵はよく暇なら手伝えって怒っていたけれど。

「蓮華、いい子にしてた?」
「うん!」
「うそつけ!」

私は頷くが、後ろから修兵の怒鳴り声。

「今日もちゃんと仕事してなかっただろ!どこがいい子だ!」
「だって私の仕事、なかったもん」
「他の隊員の仕事でも手伝ってやれよ!」
「いいじゃん、だってしたくないんだもん」

下をべーっと出せば、修兵は呆れたように溜め息をついた。そして苦笑いで東仙隊長の方を向く。

「隊長、それじゃ先に失礼します」
「あぁ、お疲れ様」
「隊長!私にも!」
「蓮華も、お疲れ様」

東仙隊長に笑顔でそういわれたら、それだけで笑顔になれた。私はその言葉を受けると、お姉ちゃんと修兵の間に入って、二人と手を繋ぐ。これは私の、帰宅時の日課なのだ。修兵はいつも不服そうだけど、お姉ちゃんはいつも嬉しそうだった。

「今日も帰り際は素直に甘えてくるね、蓮華」

お姉ちゃんはそう言って笑った。私もその笑顔につられて、笑う。

「お姉ちゃんは私のだから、修兵なんかにあげないためだよ」
「そんなこと言って、ちゃんと修兵とも手を繋いでるじゃない」
「それはそれ!これはこれ!」
「変なの」

そう言ってお姉ちゃんは、またくすくすと笑うのだ。お姉ちゃんに怒りや憎しみという醜い感情はないのだろうか、と思うこともある。修兵は修兵で、ちょっと拗ねながらも私が繋いでる手をちゃんと握り返してくれる。そういうところが、優しくて好きだった。大好きだった。

「蓮華、お前明日はちゃんと仕事しろよ」

修兵が言う。

「今日もした!」
「してねぇよ!」
「仕事がなかったから、大人しくしてた!いつもみたいにふらふらしてなかった!」
「だから他の隊員のを手伝えって言ってんだよこっちは!」
「はいはい、仕事が終わってまで仕事の話はしないの。そんなことで喧嘩したって楽しくないでしょ?」

私と修兵の言い合いがヒートアップしそうになると、いつもお姉ちゃんの一言でそれが終わる。不服そうに押し黙る私たちを見て、お姉ちゃんはまたおかしそうに笑ってみせた。そんな笑顔まで、綺麗だな、と思った。

「ところでお姉ちゃん、今日の晩ごはんなに?」
「今日はねーお鍋」
「「やった!!」」

私と修兵が同時に声を上げる。お互いそれを聞いてにらみ合うと、ふんっとそっぽを向き合う。それでも、お互い手は繋いだまま。

「仲良しねぇ」

そう言って笑うお姉ちゃんは、やっぱり楽しそうだった。

私とお姉ちゃんの部屋に来ると、お姉ちゃんはご飯の準備をし始めた。私と修兵もさっきのことなんてすっかり忘れて、お互いじゃれ合う。そして出来上がったお姉ちゃんのご飯を食べて、お風呂に入って、私たちは三人、いつもここで眠る。修兵はほとんど自室には帰らずに、ここで生活していた。私もお姉ちゃんも、当然それを煩わしいとも思ったことはないし、むしろ修兵がいない夜は寂しくて寝付けなかったくらいだ。

夜が明けて、お姉ちゃんに起こされて目覚めると、もう朝ごはんが湯気を立てていて、笑顔のお姉ちゃんがいる。私の隣で、同じく寝ぼけ眼の修兵が大きな欠伸をする。そしてまた朝からご飯の争奪戦が行われて、それぞれの隊に行くのだ。

私たちの毎日は、この繰り返しだった。その繰り返される毎日に飽きたことも、嫌になったこともない。私は純粋に、このときが幸せだった。幼い頃から望み、苦労してようやく手に入れた幸せだったから。時々感じる疎外感も寂しさも、三人一緒の幸せがあれば自然と埋められていくような気がした。そして私は、この幸せが永遠に続くものだと思っていたのだ。


そう、あの日を迎えるまでは。


それはある日の朝のことだった。
いつものようにお姉ちゃんに起こされた私は、湯気の立っている朝ごはんを見て、お姉ちゃんの笑顔を確認する。それだけで朝から幸せを感じられたのに、この日はお姉ちゃんの顔色があまりよくない。笑った顔も、どこか無理しているように思えた。修兵もお姉ちゃんの異変には勘付いていたようで、二人でお姉ちゃんの様子を伺いながら食事を終える。この日は、いつもお姉ちゃんがしてくれる食後の洗い物は私が率先してやった。お姉ちゃんは本当に申し訳なさそうに「ごめんね」って言ってたけど、謝られることは何もない。

私たち三人の準備が整い、それぞれの隊に向かおうとするが、やっぱりお姉ちゃんの様子がおかしいのだ。笑っているけど、本当に苦しそうだった。その笑顔に私まで苦しくなってしまって、堪えていた言葉を吐き出した。

「…お姉ちゃん…」
「うん?」
「体、大丈夫?」
「うん、まぁいつもよりはちょっとあれだけど、平気だよ」

笑っているが、朝よりずっと顔色が悪い。なんとかはぐらかそうとしてるけど、こんなにつらそうなのを、誤魔化しきれるわけがない。

「っ、修兵、私お姉ちゃんを四番隊に…」
「いい、俺が送る」

私が言おうとした言葉にかぶせて、修兵は言った。

「でも!」
「いいって」

修兵はひょいっとお姉ちゃんを抱き上げた。俗に言う、お姫様抱っこというやつだ。たしかに私がお姉ちゃんを四番隊まで送るとなると、こんな風に抱き上げてあげることが出来ないので、お姉ちゃんを歩かせてしまうことになる。

「修兵…私、大丈夫だから…」
「どこがだよ馬鹿」

修兵が咎めるように言う。だけどその声色は、悲しいくらいに優しさが滲んでいた。お姉ちゃんを抱き上げる修兵の腕に、僅かにぐっと力が篭ったのを、私は見逃すことが出来なかった。

「…いいから、力抜いて俺に頭預けとけ」
「…うん、ごめん…」
「謝るとこじゃねぇだろ」
「…そうだね、ありがとう」

お姉ちゃんは素直に修兵の胸に頭をそっと預けると、静かに瞼を閉じた。無理して笑っていたときよりも、表情が優しい。まるで死んでるみたいなのに、どうしてこんなに優しい顔をするのだろう、彼女は。

「蓮華、お前は東仙隊長にこのこと伝えててくれ」
「……」
「…蓮華」
「わかってる。…お姉ちゃんに何かあったら許さないから、さっさと行って」
「頼んだぜ」

修兵はそれだけ言い残すと、瞬歩を使ってその場を後にした。いつもなら乗っかってくれる私の憎まれ口も、お姉ちゃんが絡むとあっさりと聞き流されてしまう。そして膨らむ、私の疎外感。仕方のないことだって分かってはいるけれど、寂しいと叫ぶこの心はどうすればいいのだろう。

「…っ」

私は自分の無力さと非力さ、そして醜さに唇を噛みながら、走って九番隊へ向かった。






「…失礼します」
「蓮華か?入りなさい」

九番隊に着いて隊首室に向かう。扉をノックすれば、東仙隊長が迎えてくれた。私の心がどんよりとしていたことに気付いているのか、いつになく心配そうだ。

「…隊長、修兵、ちょっと遅れます」
「何かあったのかい?」
「お姉ちゃん、今日朝から調子よくなくて…四番隊に送ってから来ます」
「そうか、わかった」
「……あの、隊長…」
「…こっちへおいで、蓮華」
「…」

別に何かあったわけじゃない。だけど、この孤独はもう人じゃなければ埋められない。私の気持ちを察した東仙隊長は、私を手招きした。私は素直に東仙隊長のすぐそばまで行く。東仙隊長は、私の頬にそっと包んだ。

「…悲しそうだね、どうかしたのかい?」
「…私、ひとりぼっちになる気がしました…」
「どうして?」
「いつも三人一緒なのに、修兵とお姉ちゃんが二人で居たら、私その輪の中から放り出された気分になるんです」
「…」
「そんなことないって頭では分かってるのに、だけど心がついてきてくれなくて、いつも寂しくなるんです」

吐き出すように、私は東仙隊長に言葉をぶつけていた。もうなんでも良かった。ただ寂しさを人の持つ力で埋めて欲しかった。

「…東仙隊長」
「なんだい?」
「私ね、今日修兵より先にお姉ちゃんを送るって言ったの」
「それで?」
「だけど修兵が送るって言って、お姉ちゃんを抱きかかえたとき、あぁ私はこうやってお姉ちゃんを抱き上げる強さもないんだって思ったら、悲しくなった」
「…」
「私が送っていったところでお姉ちゃんを歩かせる結果になってしまってただろうから絶対にこれで良かったんだけど、守るって口ばっかりで、私お姉ちゃんのこと全然守れてない。そのくせ一人になるのが嫌だなんて、すっごい我侭だなって思うの。思うんだけど…」
「…心は、どうにもならないんだね?」

私は頷いた。
東仙隊長は小柄な私を膝の上に座らせた。こんな言い方したらきっと東仙隊長は失礼だって怒るだろうけど、東仙隊長と一緒に居ると安心するから、なんだかお父さんみたいだといつも感じていた。私は父のことも母のことも知らないけれど、もしお父さんが生きてたら、こんな人だったらいいと思っていたくらいだ。

「…蓮華、何を我慢してるんだい?」
「え?」
「泣きたいときは泣けばいいんだよ。ここには私しかいない」
「……泣けないの」
「なぜ?」
「私ちっちゃいときからいつも泣いてて、そのたびお姉ちゃんに守ってもらってたから、次は私が守るから、だから泣かないって、決めたんです」

東仙隊長が頭をやんわりと撫でてくれるたび涙腺が緩んだが、必死に涙を堪えた。泣かないと決めたのは、お姉ちゃんが私を庇って虚に襲われたあの夜の日を迎えてから。

「…そうか。だったら無理に泣かなくてもいい」

東仙隊長は、ずっと私の頭を撫でてくれる。

「…蓮華、人は強くなんてないんだよ」

まるで絶望を教えるかのように、東仙隊長は言った。

「人は弱い、いつの時代だって醜くて弱い生き物だ。だから強くなりたいと願うのも、蓮華が言う不穏な感情を抱くことも、仕方のないことだ」
「…でも…」
「でも、強くなりたい。人はいつだってそう願う。しかし、よく考えてごらん。強さとは何か。力をつければ強いのか?大切なものを守ることが強いのか?」
「…」
「確かにそれも強さだ。だけど蓮華、君はそれを超越した強さを持っている」
「…? 超越した、強さ?」

私は自分にそんな強さがあることなど、知らない。

「なんだと思う?」
「…………わかんないです」
「…じゃあ、これは課題にしよう。蓮華が自分で見つける課題だ」
「課題?」
「これは君が三席になった理由でもある」
「…三席になった、理由…」
「自分で見つけることが出来れば、君は修兵と紅に対して、もっと穏やかでいられる」
「っ、ほんと!?」
「あぁ、もちろん」
「東仙隊長!」
「なんだい?」

私は東仙隊長の膝からひょいっと飛び降りる。

「私、今から課題のヒント探してくる!」
「あぁ、行ってらっしゃい」

私は九番隊の隊舎を飛び出した。どこへ向かえばいいのか、何を探せばいいのか、そんなこと分からなかったけれど、いてもたっても居られなかった。



隊舎を飛び出した私の表情は、少なくとも晴れやかだった。
(曇り空の隙間から光が差し込むように、私のに光が差した)


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