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いつもそう
逃げて 逃げて 逃げて
現実と向き合おうとしないで 逃げて
逃げる事が正しいなんて思わない
ただ 私自身が立ち向かう強さを持っていないだけ
私は『あの人』がいなきゃ 何も出来ない
愚かで 哀れな 弱い 弱い 生き物



 ● ●



「…」

私は無言でギンの手を引き町を駆け回っていた。ギンは何も言わない。きっと私の気持ちが分かっているんだろう。だからあえて、何も言わない。そっとしておけば、私の気もそのうちおさまるから。

私は今、自分がどこにいるのかよく分かっていなかった。どこへ向かっているのか、どこへ行きたいのかも分からないまま、それでも走り続けた。

置き去りの心を無視して、体は望んでいる。この汚れた体だけが、私の行き場所を知っていた。




どれだけ走り続けたのだろう。体は疲れきっているし、息も荒々しい。なのに自分がどれだけ走ったのか分からなかった。

でも、たった一つだけ分かったのは、私の体は『あの人』に聞いてもらうことを望んでいたということ。

今まで溜め込んだこの思い、今まで溜め込んだこの気持ち。ぜんぶ、ぜんぶ、吐き出したかった。

「…久しぶり、だね…」

目の前には誰も居ない。あるのは名前の彫られた小さな岩だけ。私はその岩に話しかけていた。ギンは何も言わず、息も切らさず、後ろから私を見ている。

私は丘の上に居た。海が良く見える、潮の匂いが心地よい、綺麗な丘。もう日は沈みかけているので、海は血の様に赤く染まっている。あの日の、血の、赤のように。

「…二年ぶり、になっちゃった」

私は岩の前に腰を下ろしその岩に話しかける。

今私が居る場所―――ここは『あの人』が一番大好きだった場所。


そして目の前にあるのは、『あの人』の、墓


「今まで顔出さなくてゴメンね…今日は命日でもないのにね…」

私は小声で話しかける。声は走ったせいか、枯れてしまって上手く出せない。

「今日はね、分かんないけどここに来ちゃった…」

あれほど泣いたのに、涙は頬を伝う。

「聞いて欲しい事、いっぱいあるんだ…聞いてくれる?」

私はあの人に向けて、言葉を紡いだ。この二年間溜め込んだ思いを、気持ちを。

そしてあの人と修兵に対する謝罪と、懺悔。

ギンは相変わらず何も言わずに立っていた。私を見つめているのが背中越しでも分かるほどに、温かい視線。ギンは本当に優しい人だと、素直にそう思う。

「…ねぇギン」
「…ん?」
「私、まだ修兵を苦しめてるよね…?」
「…」
「修兵の中で、二年前の私はまだ生きてるよね…」

私はここまで言うと、そのまま俯いた。涙が止まらなかった。すると、ふと後ろに暖かいものを感じる。

―――ギンだ。

私を力強く抱きしめて離さない。

「…ギン…?」
「思いっきり泣いてええよ…誰もおらん」
「え…」
「我慢せんでええ。見てるのはボクと…『アイツ』だけや」
「…」
「思いっきり泣いとき。声出して泣いたらええ」

ギンの優しい声、言葉。それらが私の中に染み渡ったとき、私の中の、何かが、音を立てて、崩れた。それは、私が積み上げたプライドなのか、私が作った人格なのか。

それが何にせよ、ギンの一言で全てが崩壊したことに変わりはなかった。

「ぅ…ぅぁ………っ」






「ぅあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」

泣いているのか、叫んでいるだけなのか。ギンの腕の中で、全てを吐き出すように、声を上げ続ける。それでもギンは、こんな醜い私を、離さない。その大きな腕の中に私を納めて、まるで壊れ物を扱うかのように、優しい温もりで包んでくれている。

そして私は意識を手放すまで泣いた。





「…ん…」

私はゆっくり目を開ける。辺りは暗い。ここは部屋の中なのだろうか?上手く回らない頭を必死に使って体を起こす。良く見ると、ここは私の自室だった。

「…私、何でここに…?」

立ち上がり、扉を開けて外を見れば、もう月が出ていた。

「…今何時なんだろ…」

扉を閉めて明かりを灯す。ふと机を見ると、そこには手紙と三番隊に置き忘れた瓶底眼鏡が置いてあった。手紙はギンからだ。



蓮華ちゃんへ

あのまま寝たみたいやったから、そのまま自室に連れてきたで
三番隊にメガネ忘れていったみたいやったから、これも持ってきといた
明日はもう九番隊に行くんか?
辛かったらいつでも戻っておいでや

ほな、またねー



「…ギン…」

手紙を読んで、思わず微笑む。最後の気楽そうな締め方が、相変わらずギンらしい。私をあえて九番隊の自室に連れてきたのも、私の気持ちを汲んでくれてのことだろう。

『私は九番隊の隊員です…心配せずとも必ず帰ります…だから……だから今は、私に近づかないで下さい…!』

ハッキリと、修兵を拒絶したのはきっとこれが初めてだ。さすがにこれで修兵も私に付きまとうこともないだろう、そんな風に思いながらも、心はどこか淀んでいる。いつまでもこうやって自分を誤魔化せるほど私は器用ではないし、このままでは勘のいい東仙隊長や修兵にはいつか正体が明かされてしまうだろう。しかし、罪を受け入れるほど強い心は、残念なことに今の私は持ち合わせていない。

あの日の光景は今でも鮮明に思い出されるし、罪は重くのしかかって私を食いつぶす。私はこのまま、九番隊にいてもいいのだろうか?私の存在が修兵を苦しめ、彼をまた狂わせ、壊してしまうのは時間の問題だと感じていた。



「おい」



そんなことを考えていると、いきなり聞きなれた声がした。慌てて瓶底眼鏡をかける。

間違えない、この扉の向こうにいるのは…

「…はい」
「…檜佐木だけど、入るぞ」
「…どうぞ」
「…」

修兵だ。

声のトーンはかなり低かった。けれど、なぜか怒っているのかどうかは分からなかった。なんとなく怒っているように感じるけれど、そうでないような感じもする。

修兵は部屋に入ると、静かに私の隣に座った。気まずい沈黙が続く中、自分でも意外だったが、その沈黙を破ったのは私の方だった。

「今日は…申し訳ありませんでした」
「…」

深々と頭を下げ、修兵にそう言った。

「副隊長のお気に障られたと思います…反省しております。今日から仕事でしたのに、何にも手をつけず大変ご迷惑をおかけ致しました」
「…」
「今から、東仙隊長の所に行くと迷惑かと思いますので、明日、朝一番に謝罪に向かいたいと思います」
「…」
「今日は本当に申し訳ありませんでした」

修兵は何も言わない。ただ黙って、読めない表情で遠くを見ているだけ。まさか私が素直に謝ったことにそれほど驚いたのだろうか。あれほど散々逃げ回っていたのだから、いきなり謝罪されたら驚くとのも無理はないのだけど。

怒ったように見せているだけで、実際はそこまで怒っていないのだろうか。意地になって怒ったふりをしているのだろうか、私の知らない修兵が目の前にいて不安になる。

一人戸惑っていると、突然修兵が懐かしい歌を口ずさんだ。
あの人が大好きだった、あの歌。

「…ゆーっくり風が吹いた まーえを通り 吹いた……」
「え…」



ゆっくり風が吹いた 前を通り 吹いた
小さな花の目 優しく 揺れた
紫のゲンゲ 強く儚く 
これの様に 強くありたいと願う



「……知ってるか?この歌」
「い、いえ…」
「…怒ってるとき、悲しいとき、つらいとき、よく歌ってた」

誰が、なんて、私には聞けない。何も言えずにいると、修兵はやっと私に視線を向ける。

「…嫌いでいいんだ」
「……え?」
「別に、好かれようなんて思ってない。でも、これだけはハッキリした」

まっすぐな視線は、まるで昔の修兵のようで、そらしたくてもそらせない強さがあった。瓶底眼鏡の向こう側にいる修兵は、遠い人のはずなのに。

「守りたい」
「な…」
「俺の一方的なワガママだ。俺から逃げるなとか、絶対に言うこと聞けとか、別にそういうことをお前に強要したりはしない」
「な、にを」
「俺が近付いてお前が離れて、それで距離が縮まらなくてもいい。俺は、お前を守りたい」

その言葉に嘘は感じられなかった。瓶底眼鏡の向こう側、私の目を見て修兵は力強くそういった。私は頭が一瞬真っ白になって、何も答えられないまま修兵の目を見つめ返すばかりだ。

「鬱陶しいとか面倒だとか、そんな風に思ってくれて全然構わねぇ。ただもうちょっとワガママ言うなら、たまに返事返してくれると安心する」
「……あの」
「…守れないのは、もう懲り懲りだ」

その言葉に、一瞬呼吸が止まった。修兵は間違いなくあの日のことでまだ苦しんでいる。その原因を作ったのは私で、今もなお彼を過去に縛り付けて苦しめている。罪を償えないばかりか、不幸ばかりなすりつけている自分が情けなくて泣きたくなった。

修兵はそんな私を見て一瞬手を伸ばしかけたが、堪えるようにそれを引っ込めた。小さな深呼吸の音の後に聞こえたのは、優しい声だった。

「俺のこと嫌いだっていい。守るなって言われても、俺は守りたいからこれからも好き勝手に近付く」
「…」
「もちろん嫌なら避けてくれたらいいし、無視してくれても構わない。返事返してくれると安心するってのは嘘じゃないけど、無理はしなくていい」
「…」
「とりあえず今はこれで納得してほしいんだけど…ダメか?」

伺うような修兵の問いに、私は首を何度も横に振ることしかできなかった。そんな私を見て、修兵はほんの少し困ったように笑う。

「…それは、この条件でいいってこと、だよな?」
「……」
「縦に首振るだけじゃ分かんねぇだろ。ちゃんと言って」

おかしそうに笑いながら修兵が言うから、私もなんとか答えを返す。

「…それでいい、です」
「よし」

嬉しそうな、弾んだ声。どうして今更、あの頃のように笑ってくれるのだろう。

私は、貴方がずっと憎み続けた『蓮華』なのに。

「じゃ、行くわ。東仙隊長には俺からうまいこと言っとくから、あんまり気負いすぎんなよ」
「あ、あの」

立ち上がって部屋を出ようとした修兵を、思わず呼び止めた。修兵は扉の前で私を振り返る。咄嗟に呼び止めておいてなんだが、特別何か言いたかったわけでもない。慌てて自分の中で取り繕うような言葉を探してはみるけれど、混乱している頭ではその言葉を探し当てることにさえ一苦労で、結局もごもごと口ごもるばかりだ。

「え、っと…」
「…無理すんなよ」
「む、無理なんて…そんな…」
「いいんだって。じゃ、おやすみ、また明日な」

修兵はそれだけ告げると、今度こそ部屋を出て行った。結局修兵の言葉の真意も分からないまま、私は呆然と彼が出て行ったばかりの扉を見つめるばかりだ。

ただ一つ確かに分かるのは、心が幾分か軽くなっていること。それがどれほど身勝手で許されないことか、分からないほど落ちぶれちゃいない。

優しくしないで。

「優しくなんて…しないでよ…」


この罪から開放されちゃいけない
この痛みや苦しみから開放されちゃいけない
何度も何度も言い聞かせていたのに
今になって本当に分かった



私は心の奥底で許されることを望んでいる。
(弱い弱い弱い弱い)


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