09 修兵side(12/35)
アイツは 一体 何を考えてるんだ?
アイツは 一体 何者なんだ?
そんな事ばかりに 思考が向いていく
アイツは 似すぎてる
似すぎてるから 怖いんだ
俺がアイツを 壊してしまうんじゃないかって
そう考えるから 怖いんだ
● ●
「…まーたやっちまった…」
自分の机に向かって呟いた情けない独り言から、一日が始まった。俺はまた新入りの蓮華を泣かせてしまった。怯えるような目で避けている様子をみると、多分アイツは俺が嫌いなんだろう。
「あ―――も―――!!」
俺はガシガシと頭を掻いた。あの瓶底眼鏡のせいで表情が分かりにくいのもあるのだろうが、どうも蓮華の感情が掴めない。
今何を考えてるのか、今何をして欲しいのか。分からないことだらけで、今までに感じたことのない部類の焦りを覚える。ただ俺は、彼女に、蓮華にもう少し近づきたいだけなのに、肝心の一歩を踏み出すことさえ彼女は拒むのだ。
「…『アイツ』のことならすぐに分かんのになァ…」
「…神風君と、何かあったのか?」
「うわぁぁ!!?」
不意にもれた呟きは、気配を消して俺の背後に回っていた東仙隊長に聞かれてしまったらしい。
「と、東仙隊長…何やってるんですか…」
「眉間のしわがあんまり深いから気になったんだ。で、何かあったのか?」
「あ、いや……何でもないですよ」
「何で嘘をつくんだか」
東仙隊長は苦笑してそう言った。俺の心はこの人に完全に見透かされている気がして、たまに心地が悪い。隠したいこともすべて、東仙隊長には気付かれてしまう。
「…そういえば、神風君の姿が見えないが」
「…」
「檜佐木、何があった?」
あっさりとこう言われては言い返せない。俺は正直に今までの事を話した。
「…ってワケです」
「なるほど…」
今朝の話を聞いた東仙隊長は、俯き加減で何か考え始めた。
「檜佐木」
「はい」
「追わないのか?」
「…は?」
東仙隊長の口から俺が思いもしなかった言葉が出た。追わないのか―――確かに追おうと思えば追える。相手はただの平隊員、俺が本気を出さなくても追う事は可能だろう。
「追うって…そんな事したら仕事「彼女の面倒をみるんじゃなかったのか?」
言いかけた言葉は東仙隊長にさえぎられた。俺はしれっと言ってのけた張本人を見つめて唖然とした。
「今は大きな任務もないし、特に急ぎの仕事も抱えてないはずだが」
「まぁ、細々とした仕事はありますけど、一応…」
「そんなもの君にかかれば大した仕事量でもないだろう」
悪意のない笑顔。この人はどうしても俺に蓮華を探させる気らしい。もう俺が何を言ったって無駄らしいので、結局俺が根負けするしかない。
「……隊長、神風蓮華を連れ戻してきます」
軽く一礼すると、そのまま蓮華を探しに出かけた。
「ったく…何処行きやがったアイツ…」
九番隊周辺と近隣の詰所を小一時間探し回ってみたが、気配すら感じない。この辺りには居ないと考えてもいいだろう。とすると、もう蓮華の行く場所なんて一つしかない。
そう……三番隊だ。
しかしこの短時間で平隊員がそんな距離の離れたところまであっさりと行けてしまうものなのだろうか。席官であればある程度の距離を瞬歩で簡単に移動することは出来るが、まさか…な。
俺は一瞬浮かび上がった疑惑を振り払うと、瞬歩で三番隊の詰所に向かった。
瞬歩で三番隊の詰所前まで来ると、そのまま隊首室に向かう。隊首室の扉の前は、淀んだ嫌な空気が漂っていた。俺はこの隊はどうも苦手だ。
いや、苦手なのは三番隊ではない。副隊長の吉良とはよく話すし、特に三番隊の隊員に対して不快な思い抱いたこともない。ただ一人、この扉の向こうに居るであろう隊長が、俺は苦手なのだ。
多分、三番隊の隊長も俺を快く思ってはいない。俺に対しての風当たりは強く、不気味なほど禍々しい雰囲気を露にして接してくる。明らかに嫌われているのが分かるからこそ、苦手意識が消えてくれない。
だが悔しい事に、幼い頃からの顔なじみでもあることから蓮華はそんな隊長によくなついているようで、三番隊にいる間も、平隊員であるにも関わらず一日のほとんどを隊首室で過ごしていたらしい、と東仙隊長に聞いた。そんな蓮華が逃げてきたのなら、ここを頼って、頼られて当然だ。
俺は決意を固め三番隊隊首室の扉を叩いた。
「失礼します」
「誰やー?」
「九番隊副隊長、檜佐木修兵です。入っても宜しいですか市丸隊長?」
「んーええよー」
俺はそっと扉を開けた。中に入ると、ソファで座っている市丸隊長と、その隣で気持ちよさそうにスヤスヤと眠る蓮華の姿があった。蓮華の姿を確認すると、彼女が無事に見つかったことに自分でも驚くほど安心していた。
「失礼します、市丸隊長」
「ん、で?何か用?」
「神風蓮華を引き取りに来ました。…彼女を起こして下さい」
「そんな可哀想な事、ボクには出来へんわぁ。こんなに気持ちよさそうに寝てんのに」
市丸隊長は相変わらず不気味な笑みを浮かべ、俺の方をまっすぐに見ている。冷たい汗が一筋、俺の額を伝った。
「なら俺が起こします。ご迷惑をおかけしました」
俺が一歩足を近づけたその瞬間、これ以上の恐怖はないだろうと思わせるほど、恐ろしい笑顔で市丸隊長は言った。
「それ以上近づいたら殺すよ、檜佐木クン」
ゾクリとして、一気に鳥肌がたつのがわかった。市丸隊長は蓮華が目を覚まさないように、俺だけに殺気を向けている。俺を見つめる表情は、氷のように冷たい。
「ですが市丸隊長…蓮華は俺の隊の隊員ですので…」
「やから何なん?他の隊に遊びに行ったらアカンとでも言うん?」
「…そういう…わけでは…」
「ならええやん」
市丸隊長は笑顔にならない笑顔でそう言った。
――怖い
俺は素直にそう思った。蓮華を連れて帰る、そう東仙隊長にも告げて仕事を放り投げてまでここへ来ているのは重々承知しているのだが、これ以上踏み込むと市丸隊長は間違いなく俺を殺す。ここで俺を殺して裁かれたとしても、この人はきっとそんなことに恐れたりはしないのだろう。
連れて帰らないわけにはいかないが、市丸隊長が本気であることも分かる以上、俺は最善策を選ぶことしか出来ない。
「…ならせめて、起きたら九番隊に帰るように伝えて下さい」
「そんな約束したトコでボクがそれ守るとでも思う?」
冗談なのか本気なのかさえ分からない曖昧な声色は、底冷えするような恐怖を与える。俺は必死に返す言葉を探してみるが、結局何も言えずに俯いた。
「なァ、檜佐木クン」
ふと、市丸隊長が読めない表情で俺を呼ぶ。
「…なんですか?」
「君、蓮華ちゃんに避けられてるって自覚してる?」
この人は一体、俺から何を聞き出したいのだろう。蓮華に避けられていることなど、もしかすると嫌われているのだろうということも承知でここへ来た。
「…自覚はしてます…でも、コイツは俺の隊の「そんなん唯の言い訳やん」
俺の言葉を遮って、市丸隊長はこう続けた。
「この子が二年前の神風蓮華に似てるから気になってしゃーない、そうやろ?」
この言葉を聞いて、俺の心臓が跳ねあがった。まるで心の中を見透かしているようだが、東仙隊長のそれとはまるで違う。見透かしたものを拾い上げて確認するような柔らかさをもつ東仙隊長とは違い、市丸隊長には強制や強要に近いものを感じるのだ。だから言葉は恐怖のようなものに支配され、うまく吐き出せない。
「そんなんじゃ…」
「あんなァ、蓮華ちゃんは二年前のあの子とちゃうで?」
「それは、分かってます」
「分かってないからこうやって蓮華ちゃんを追い回すんやろ?」
俺は何も言い返せなかった。違う、とハッキリ否定出来なかった。今此処にいる蓮華は関係ないのだと、どうして声にして伝えられないのだろう。
「図星やね?」
「…」
「いつまで過去に囚われてるん?君もアホやなあ」
「…」
「そんな後ろ向きで弱々しい君見たら、絶対アイツ大泣きして悲しむで」
「…っ、」
「帰ってくれる?蓮華ちゃんが起きるやろ?」
悔しかったのに、言いたいことならあったはずなのに、結局何も言い返せなくて、俺は無言でその場を後にした。
怖かった。これ以上あの日の事を思い出すのが。アイツやの存在を思い出すのが。
俺は何一つ抗えなかった敗北感に気分を落ち込ませながら、このままでは戻れないので気晴らしに飯でも食べに行くことにした。
俺は行きつけの店に居た。良く此処で食事をしたものだ。俺一人じゃなく、あの人と二人で…
「…そういえば、アイツはこの店知らないんだよな…」
不意に口にした『アイツ』とは、二年前の蓮華のこと。新入りが来てからというもの、随分思い出す頻度が増えたな、なんて思って自傷気味に笑う。
だめだ、あまり考えないようにしようと、気分が滅入っているせいでろくに味のしない飯を無理やり喉へ流し込んだ。
いつだったか、一人の食事はおいしくないけど二人になると途端においしく感じるものだとあの人が言っていたことを思い出す。今にして思えば、まだ幸せだった頃の騒がしい食卓に並ぶ飯は、確かに何よりもおいしかった。二年前は憎しみに塗れて思い出すこともなくなっていた幸せな頃の記憶が不意に蘇って、思わず泣きそうになる。
必死に涙を堪えていると、ふと耳馴染みのいい声が聞こえてきて、思わず振り返る。
ひどくかすれた声だったが、間違えなく蓮華の声だった。一瞬幻聴かとも思ったが、声の方を見やればそこに立っていたのは、ふたり。
「蓮華…に、市丸隊長…」
「さっきぶりやねぇ、檜佐木クン」
「何で蓮華を連れてるんですか?」
「ボクの隊の子やで?ボクが連れまわしたってええやないの」
「それは過去の話ですよ、今蓮華は九番隊の隊員なんです」
俺は立ち上がって二人に歩み寄った。俺を見て、市丸隊長の後ろに隠れた蓮華に、何故だか苛立っていた。
隠れる理由なんて分かりきっている。蓮華は俺が嫌いなんだ、だから隠れるんだ。
分かってはいても、この苛立ちは収まらない。どうして、あのいけ好かない隊長にこれほど懐いていて、俺のことを拒むのか。後にして思えば、それは嫉妬に似た醜い感情だった。
「蓮華、出て来い」
蓮華に向かって言い放った言葉は、苛立ちを含んだ低く響く声で、華奢な肩が大きく揺れて反応をした瞬間にハッとする。こんな風に言って、怯えさせるつもりなんてなかったのに。
「蓮華」
もう一度、出来るだけ優しく声をかけたつもりだったけれど、蓮華は市丸隊長の背中からひょっこり顔をのぞかせる事すらしない。
「やめやめ、蓮華ちゃん嫌がってるやろ?」
蓮華にかわって返事をしたのは市丸隊長。市丸隊長の背中にすっぽりと隠れてしまうほどの小さな体が今どうなっているのかは分からないけれど、確かに分かるのは、その手がをしっかりと市丸隊長の手を握っていたことだけ。決して他の誰にも心を開かない彼女が唯一すがり付けるのは、目の前で恐ろしい空気を纏いながら立ちはだかる銀髪の不気味な男、ただ一人だ。
一体何が、そうさせているのだろう。苛立ちが急激に冷めていくと同時に、急速に込み上げるのは虚しさと悲しみ。どうしてこの感情が湧き上がってきたかだなんて、俺には理解できなかった。
「…蓮華を怒ったりはしません。でもそいつは俺の隊の隊員です。返してください」
きっと、必死だった。誰かを『守れない』という事実が重くのしかかって、心がギリギリと痛む。あんな思いをするのは、もうたくさんだ。
一歩、また一歩、ゆっくりと俺は二人に近づいていく。市丸隊長の顔が歪んだ気がしたけれど、そんなことに構っていられない。
蓮華。
どうして、この手はアイツを掴むことが出来ないのだろう。あの日から、ずっと。
手を伸ばしかけたそのとき、一番聞きたくなかった言葉が耳を貫いた。
「近づかないで!!!!」
蓮華にはっきりと、涙声で言われてしまった。それはもはや言い訳もできないほどの、明らかな拒絶。俺は呆然と蓮華を見つめることしか出来ない。
「私は九番隊の隊員です…心配せずとも必ず帰ります…だから……だから今は、私に近づかないで下さい…!」
吐き出すように告げると、蓮華は市丸隊長の手を引いて駆け足で店を出た。俺は無言で、無気力なまま近場にあったイスに座り込む。
「…昔から俺だけ、か」
そっと自分の手のひらを見つめる。
――血まみれの彼女を抱きしめた、あの日。
あの日、俺は自分の体が酷く醜いものに思えてしまった。しかし醜いものは体だけじゃなくて、心もまた、そうだった。憎しみしか生まなかった、汚れた心。
今、もしもあの日の蓮華に会ったら俺はどうするんだろう。本能的に蓮華を殺すのか、あの日のように身動きが出来なくなるか…
「昔から俺だけ、扱いひどかったよなあ」
良い思い出は色褪せずに輝き、いつだって綺麗なまま。しかし悪い思い出は、それよりも鮮明に記憶に焼きついて離れない。
いつも俺は、蓮華と『蓮華』を被らせてしまう。
俺はまだ、過去から逃げてる臆病者。
(修兵side。臆病者は自分の心)
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