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私と吉影さんは、たぶん、きっと、“恋人”になったのだと思う。
キスがあんなに気持ちがいいものだって知らなかった。
あの人がいればすべて忘れられる。

あの人は愛してるって言ってくれた。
私もきっと愛してる。




起きれば彼のぬくもり。
気持ちいいけれど、仕事の日だ。
ゆっくりはしていられない。

「吉影さん」

身体を揺すり、悪戯心でその無防備な唇にキスをしてみる。
なんて気持ちいいのだろう。
触れ合うだけでも幸せで蕩けてしまいそう。


「ん、…おはよう名前。大胆だね」

「んっ、先日のお返しです」

「これはいいお返しだ」

起きた彼に引き寄せられ、またキスをする。
こんなに距離とは近づくものなのか。
大人の恋というやつなのか。
私には皆目見当がつかないけれど、とても幸せで、きゅ、と彼に抱き着いた。



彼が朝食準備中に洗濯物を済ますと伝えたら手袋をしなさいと口酸っぱく言われた。
やっぱり手は大好きみたい。
でも褒められるなら手袋くらいいいかな、なんて。

朝ごはんを食べ、家を出るときに呼び止められた。

「実は君に渡したいものがあるんだ」

「なんですか?」

「後ろを向いて目をつぶるんだ」

「?」

言われるままに後ろを向き、目を瞑る。
首元に冷たい感覚。

ものの数秒で彼は開けてもいいと声をかけた。


「これ…」

「ネックレスだよ。聞いてなかったかい?昨日彼女にプレゼントを買うと言っていただろう?」

「え、あれって…」

「君のことさ、つい言い訳で出てしまったが、実際に君と私はそういう関係になったと思っている。違うかい?」

「わた、わたしも、そうだといいなって思ってました!」

嬉しくて涙が出てきそう。
この人は私のことを、過去のことを知っているのに…

「だからこれは私からのプレゼントだ。よかった、本当に“彼女”に渡せて」

柔らかく微笑んで私の髪にキスをする。

「よく似合っている。君に事を考えて選んで正解だった」

ピンクゴールドで統一されたシンプルなネックレス。
派手すぎず、肌馴染みもいい。
さすがセンスがいいな…と思わされる。

「あの、これ会社に着けていっても?」

「もちろんだ。むしろつけていってほしい」

「はい!」


ではまた、と挨拶をして私は会社に向かった。















「会社に着けていってほしい、か」

我ながら最近どうもおかしい。
名前を使って周りの女性社員の牽制になれば、が建前で、実際は名前に変な虫が寄るのを抑えたいのが本音だ。

そんなことをすれば目立つというのに、まったく…


「どうしてしまったんだ私は」


考えても解決しないものはしないので、私も車に乗り込み会社に向かった。














「吉良さぁん、おはようございますぅ!昨日、プレゼント何買いました?やっぱりバッグとかぁ?財布とかぁ?彼女思いですよね!」

私のご機嫌を取りたいのか知らないがいい加減にしてほしい。
彼女がいるというのを嘘だと思い込んでいるんだろう。
実際、昨日の時点ではいなかったわけだし。

「いや、そんなかさばるものじゃあない」

私の否定の言葉で“本当に買ったのか”と好奇の目が向けられる。
勘弁してくれ。
ああ、名前も今は席を外しているし…

「え、な、何買ったんですか?」

「…ネックレスだよ」

「ネックレ…「吉良さん、お取込み中すみません。A部の部長がお呼びですよ」

話に割って入ってきたのは名前だった。
そのシャツの首元からは今朝つけたネックレスが輝いていて、女性社員もそれを見ている。

「ああ、ありがとう」

「いえ、私は総務部に用事があるので…どなたか総務へ提出されるものある場合は持っていきますよ」

そういうと数人が名前に書類を渡した。

「ではいってきます」

颯爽と事務所をあとにする。
女性社員は彼女の出ていったドアを穴が開くほど見ていた。

おもしろいので、いつもなら絶対に言わない一言を告げる。

「ちなみにピンクゴールドのネックレスだ。あの色は実に肌馴染みがいいからね」

そう言い残して私もA部へ向かった。















総務から自分の事務所に戻ればすっかり私と吉影さんの話が横行していた。
あの人は一体なにを言ったのだろうか。

至極めんどくさい。隠すことではないのかもしれないけど、これは私と吉影さんがちゃんと話し合って決めることだから聞かれても困る。

でも、神様は私の味方だった。


「あんたそのネックレスどうしたのよ!?」

「貰いました」

「誰に!?」

「彼にです」

「あんたみたいな暗い女に彼氏なんていんの?」

「出来ました」

「は?」

「告白していただき、その時にもらいました」

「誰よそれ!?」

「…?なぜ私の彼の話をあなたに言わなければならないんでしょうか?」

「関わるからよ!」

「あの…あなたと私の彼は、まったく関係のない人ですが…」

「嘘でしょ!!」

「いえ、嘘ではありません。…それより伺いたいのですが、C部の稗田課長とB部の崎岡さんは御付き合いされてるんですか?先ほど給湯室で…その…」

「!!!!」

噂好きの女っていうのは扱いやすい。
あの二人が噂になってるのは知ってる。今日はその決定的現場を私が見れたというのが神様からの贈り物。

“給湯室よ!”なんて言いながら数人が事務所を出ていった。
あれくらい意欲的に仕事に取り組んだらいいのに。














「貴方と彼は全く関係ない、か」

家に帰り、実は盗み聞きしていたそれを彼女に言うといつも通り優しく笑った。
なんていい笑顔なんだろうか。

「だって、吉影さん、私以外まったく興味なくしてるじゃあないですか」

ああ、見抜かれていたか。

「ごもっとも」

今日も彼女の愛を感じ、安心して熟睡できそうだ。





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