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プロジェクトは大詰めだった。
本当に仕事がよく出来るので正直驚きを隠せない。

取引先との挨拶から、事業展開、対処、すべてにおいて完璧だった。
もっとも私自身が考えていることと“同じ”だからこそ“完璧”だといえるのだがね。


4月30日
彼女と組むことになってから丸々1ヶ月。
無事にその夕刻、部長へと成果報告を終えることができ、結果も上々だったことから大変褒められた。
苗字さんもとても喜んでいたので、後日祝いのために少しいいところに食事でも、と誘ってみると、珍しく困惑したような表情を見せ、承諾した。
何か都合でも悪かっただろうか。
まあいい、約束さえつければ後は・・・

だが、私の体は正直だった。
爪が伸び始めた。
俺は成果報告を終えてから突然伸び始めた爪に殺人を急かされていた。
そう“苗字名前”を殺せ、と。

「…仕方が無い」

難儀な性だ。
私にとっては幸いに、彼女にとっては不幸にもオフィスで残っているのは私たち二人だけになった。


「珈琲でもいれましょうか?」

「ああ、私も行こう」

そういって二人同時に席を立つ。
心なしか表情が暗く、しきりに左耳の後ろをかきむしっている。
案の定彼女の左人差し指は少し赤みをおびていた。

血が出ているということだ。


苗字さんは流し台で手を洗っている。






ああ、もう





我慢できない。












腕を伸ばし、彼女の細い首を掴んだ。





そして彼女もまた私を見つめていた。






見つめ―――…?


そんなわけが無い。後ろを向いていた。
その彼女の首を私は…


また私は己の首筋にひやりとしたものが当たっていることに気が付いた。



それは小さなナイフだった。
そのナイフを振りかざし、今にも私の喉元を掻っ切ろうとしているのは他でもない、苗字名前だった。




「「どうして」」


声が重なった。
誰もいないオフィスで1ヶ月仕事のパートナーとして喧嘩もなく、むしろ仲良く過ごしてきた二人がお互いを殺そうとしていたのだ。


どちらが先というわけではないが、お互いに手をひいた。







「…事情が聞きたい」

「…」

「私の家に来ないか」


幸いにも私たちは明日と明後日は有給というかたちで休みが支給されている。


「かまいませんよ」

いつもの微笑みはそこにはなく、深く、ドロリとした闇があった。






















外に出て私は車に、そして彼女は立派なバイクにまたがった。
そうか、バイク通勤だったのか。


「付いてきてくれ」

「はい」

小柄な体なのに、手足のようにバイクを操っている姿は少し異様…いや、見方によっては格好がいい、のかもしれない。



時折バックミラーで彼女がついてくるのを確認しながら家へと向かった。




























車を止めると彼女もまた、バイクを止めた。


「いいんですか吉良さん。私はあなたを殺そうとしたんですよ」

「それは私も同じだ」

「…」

「入ってくれ」




気が付けば時刻は零時を示し、月は5月を示していた。
爪の伸びも嘘のように収まり、むしろ穏やかな気持ちで家に入る。


「おじゃまします!」

突然元気な声で挨拶をされたものだから驚いて振りむくと、そこにはいつもの笑顔をした苗字さんがいた。



「大きなお宅ですね」

「大きいだけだよ。私以外誰もいない」

「あら、もったいないですね」

「何か食事を作ろう」

「お手伝いします」

「助かるよ」


お互い殺そうとした相手と料理なんてふざけている。


なのに



「えぐ…吉良さん、たまねぎが目に染みますぅ…」

「キミ、料理あんまり得意じゃないだろう」

「はいぃ…」


とても穏やかな時間を過ごせた。


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