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心にぽっかり“あけられて”しまった穴は、何をどうしても埋まることはないのだけれど、一時的に満たすことが出来る、と知った。
これを知ったのはここ数年のことだし、私だけの秘密。
だってそれは人を殺すこと。

憎くて憎くて愛おしくて、私の脳味噌をぐちゃぐちゃに掻き回すあいつらを殺すこと。
どうしようもない。歪みきった私は今日も“あいつら”を探す。








「吉良くん、今日から組んでもらう苗字さんだ。苗字さん、挨拶を」

「はじめまして、地方支部から来ました、苗字名前と申します。誰かと組んで仕事をするのははじめてなので、どうかご指導願います 」

「こちらこそ。私も誰かと組むのはあまりないし、女性と組むのははじめてだ。失礼があったらいつでも言ってくれ」

「ありがとうございます」

「じゃあ二人とも、あとは頼んだよ」


部長に呼び出され、前々から言われていた仕事のパートナーを紹介された。
それは地方支部から来た若い女性で、なんと困ったことにとても美しい手首をしていた。
己の身が高まるのを抑えつつ、平然を装って挨拶をすれば、彼女はほほ笑み、頭を下げた。
その笑顔に何か胸に“違和感”を感じたが、さして気にすることでもないだろう。


「吉良さんとお呼びしたらいいでしょうか?」

「それでかまわないよ。私は苗字さんでいいかな?」

「はい」

「改めてよろしく、苗字さん」

「よろしくお願いします、吉良さん」


今時珍しく染められていない綺麗なセミロングの髪を揺らしながら、苗字さんは恥ずかしそうにはにかんだ。


































デスクは仕事上隣になったが、驚いたことがある。
それはデスクの綺麗さだ。
必要最低限のものしかなく、若い女性に見られる可愛らしいキャラグッズや明るい色の文房具はまったく無かった。
私が使っていてもいいようなものばかりで、寧ろ見た目より機能性を重視していた。

「苗字さん、今度仕事の話を含め、食事にでもいかないか?」

「食事ですか?いいですね、ちょうどお仕事で話したいこともあったので」


私の誘いを快く承諾してくれた。
仕事の話をしたいのはもちろんだ。
このプロジェクトが終われば、終われば『彼女』にしようと決めているがね。













ありがたいことに食事の好みも似ていたので外食先で困ることはなかった。
ちょっと出先で買い物を、というときにも笑顔で付いてきてくれた。


ただ一つ、彼女には嫌いなものがあった。


「すみません、付き合わせてしまって」

「いや、かまわないよ。いい運動になる」

彼女は車が嫌いだった。
電車もあまり好きではないらしい。
やむを得ない事情でタクシーに乗るときは冷や汗をかきながら、じっと目を瞑り目的地につくまで無言だった。

閉所恐怖症に似たそれかも知れない。

今も取引先に向かうため、二人で歩いている。
カツ、カツとヒール独特の音を響かせながら付いてくる。

何故車が嫌いなのか。
それは聞いていない。
話したくない過去の一つや二つあるのだろう。
私の歪みきった性格が幼少時の虐待からきているのと同じように。


「苗字さん、今日はこのまま直帰をする予定だから、夕食でもどうかね?」

「…」

「苗字さん?」

「え、あ、すみません!ボーっとしてました」

「疲れているのならまた別日に…」

「いえ!あの、このプロジェクトも大詰めだと思うと色々思うところがありまして…」

「私と離れるのが嫌、とかかな?」

「えぇ!?…でも、それもありますね…吉良さんみたいに“合う”ひと初めてですし…」

「それは光栄だね。いい結果を残せれればまた組ませてもらえるかもしれない。で、どうだい?食事でも」

「はい、喜んで」

私と離れるのが嫌、だと彼女は言った。
よくある台詞だが、無性に嬉しくも感じ、私も思わず笑みを溢す。

大丈夫、もうすぐしたら“彼女”にしてあげるからね。待っていてくれ。


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