駄目になる


痛いほどに視線を感じた。


「……っ、」

「……おはよう」

「あ、え、えと、」

「つっても、まだ夜だけどな」


まぶたを持ち上げれば、視界を占領する橘さん。

ふ、と口角を上げた彼の鎖骨や肩は丸見えで、有り余るほどのその色気を羨ましく思うと同時に、意識を手放す前の自分を思い出し途端に恥ずかしくなる。

顔に集う熱を隠そうとシーツの中へと潜るも、こぼされた微笑と共にシーツは呆気なくぺらりと捲られてしまう。


「……照れてる顔も好きだが、見えるとこに居てくんねぇか」


自らが横たわるベッドに肘をつき、手の甲で頬を支えてくつりと悪戯に笑う彼。

その笑みに声にならない悲鳴を上げれば、彼はもう一方の手で私の頬を撫でた。


「悪ぃな。まだ、夢なんじゃねぇかって疑ってんだ」

「……ゆ、め、」

「まぁ、触れたから違ぇんだろうけどな。何つうか、あれだ」

「……え、と、」

「目ぇ離した隙にまた居なくなられんじゃねぇか、って……怖ぇんだよ」


ゆるりと頬を撫でた大きなその手は、鎖骨にかかる髪を一束取ってくるくると指先で遊び出す。


「……今は、記憶がねぇから俺を拒まねぇだけで、戻ったらきっとお前はまた姿を消す」

「……そん、な、事、」

「ある。俺の手を取れば階段から落ちやしなかったのに、お前は、落ちる事を選んだ」

「……」

「俺の居ない人生を望んでた。だから、俺の事だけ、忘れたのかもな」


くるくる、するり。

くるくる、するり、と。

指先に巻き付けては解き、また巻き付けては解く、という動作を繰り返しながら彼が吐き出し続ける言葉に対し、否定を返せないのはやはり記憶の欠片すら持ち合わせていないからだろう。

そんな状態で、辛うじて言葉を返せたとしてもおそらく彼には一ミリ足りとも響きはしない。

髪を弄(もてあそ)び続けている指先を見つめながら、まぁ自業自得だよなと何かを諦めたかのような笑みを浮かべる彼にズクリと胸が疼いた。


「……あの、」

「……ん」

「憶測でしかないんですけど、でも自分の事なのでだいたいは合ってると思うんです」

「……何がだ?」

「……あの、姿を消したのは、きっと、側に居たら駄目になると思ったからじゃないかな、って、」


これは言うべきか、言わざるべきか、割りと迷っていた事だ。

自分の事だけれども、結局は予想でしかない。

だからやはり言うべきではないだろうと黙っているつもりだったのだけれど、彼の瞳がゆらりと揺れたらもう駄目だった。


「きっと、あなたとの別れを決心する前の私も今の私と一緒で、橘さんが居ないと何もかもが駄目になって、でも、側に居ても何もかもが駄目になる……だから別れを選んだんだと思うんです」

「……」

「中途半端な事をしても、あなたは一瞬で何も無かった事にしてしまうでしょうから」

「……ああ。そうだな。すぐに見つかるだろうとたかをくくってたのも事実だ。実際は三年も費やしたがな」

「それでも見付けてくれた。だからきっと、次も見付けてくれるって信じてます」


上手く纏まらない言葉をどうにか伝えれば、それまでくるくると忙(せわ)しなかった指がぴたりと止まる。

ん?止まった?と何気なく上げた視線の先には、真一文字に唇を結んだ橘さん。

え?と思った次の瞬間、自分の発言が脳内で再生され、はっとした。


「あ、や、勿論、次なんてないのが一番ですし、私っ、そんなつもりは全然ないですよ」

「……ああ」

「ほっ、本当に、ないですから」

「……ああ。分かってる。疑ってねぇって、そうじゃねぇんだ」


しかしそれはどうも杞憂だったらしい。


「そうだ。そうだよな」

「……え、あ、あの、」

「見付けりゃいいだけ、だよな」


くつくつと喉を鳴らしながら、彼は口角を上げた。


「ま。逃がすつもりも更々ねぇけどな」


かと思えば私の肩を押して、何も纏っていないその身体で覆い被さり、覚悟しろよ?なんて、何とも悩ましい声色で囁いてくれた。


【END・・・?】
 



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