さようなら
小鳥の囀(さえ)ずりが聞こえて、ゆっくりとカーテンを開ける。
射し込んだ光に少しだけ目を細めれば、昨日と変わらない街並みが視界に広がった。
雲ひとつない、快晴。
再出発と銘打つのは少し大袈裟かもしれないけれど、自分の中でひとつの区切りの意味を持つこの日はやはり曇りや雨よりも晴れの方が好ましい。
「……いいのよね、これで、」
カーテンから手を離し、くるりと振り返れば、広がるのは家具のないガラリとした空間。
あるのは壁に添って置かれているキャリーケースと貴重品の詰め込まれたバッグだけ。
後戻りなど出来ないのだと暗に語る静けさが何故か心地好くて、自然と顔がゆるむ。
「……いいの、いいのよ、これで」
自問自答にこぼれる嘲笑。
それでも、他の誰でもない私の、たった一度きりの人生だ。
愚かだと罵られ蔑まれてもいい。自分の思うように、願うように、生きていこうという考えは以前からあった。
だけど、きっと、きっかけは彼が私に向けた最後の言葉だろう。
幸せ。
その定義を私は知らない。カッコつけて言えば、人それぞれ、だろうか。
幸せじゃなくてもいい。なんて、そんな高尚な精神を生憎私は持ち合わせていないから、足掻いてやろうと決めた。
「…………行こう」
腕時計へと視線を落として、時刻を確認する。
フライトの時間は午後六時三十四分。
現時刻は午前七時十二分。
今この場所を出れば、頭の中に描いている情景もお昼までにはおそらく終わるだろう。
全ては出来ないけれど、出来るものは全てしておきたい。
「…………今まで、ありがとう、」
靴を履き、ゆっくりと立ち上がりながらぽつりと呟いた。
故郷を離れてから今日まで、お世話になった我が家へのお礼など端から見ればさぞや滑稽だろう。
「さようなら」
ふふ、と小さく笑い。
バッグとキャリーケースをしっかりと握りしめてから、ドアを開いた。
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