……さ、散歩ですか?
鼓膜に孕んだ咽(むせ)び泣く声は、それほど長くは続かなかった。
目尻がヒリヒリと痛んで、こめかみがズキンズキンと唸る。
寒空の下、膝を抱えてうずくまったままでいたから風邪でもひいてしまったのだろうか。
なんてとぼけてみたりしたけれど、これの要因が泣いた事だというのは残念ながら理解している。
折り曲げた膝の上に置いた腕の上に未だ伏したままの顔面はきっと見れたものじゃないだろう。
今でこそ目を閉じてジッとしているけれど、涙を認めたくなくて何度も目を擦(こす)ったのだからマスカラやアイラインは絶望的状況のはずだ。
ああ、全く。
私は何をやっているんだか。
馬鹿ね本当に、と。
水分を出せるだけ出したからか、幾分すっきりした思考はいよいよ自虐でしかない言葉をあっさりと吐き出す。
今、何時だろう。
まだ新幹線はあるのだろうか。なければ夜行バスで帰るしかない。
最悪、カプセルホテルとか、インターネットカフェとか、財布と相談して安く泊まれるところに行こう。
ああ、でも。
その前に顔を直さなきゃ。
汚れだけでも取らないと、とてもじゃないけどこの顔は人様に見せられない。
この神社、水道とかあったかな。
なかったらコンビニで即効トイレを借りて、それでええと、ああもう、考えるのも面倒だ。
いいや、とりあえず動こう。
「……っ……え、」
まぶたを上げて、密着させていた腕から顔面をひっ剥がせば、視線の先に写る靴先。
暗い視界でも革靴である事が認識出来たそれに、びくりと肩が揺れる。
いやいや、ない。
そんな都合のいい事、あるわけないよ。
「…………ゆ……め……?」
「んなわけあるか馬鹿が」
まさかねー、ははっ。
くらいのノリでさらに頭を上げれば、高級感溢れるスーツを纏った橘さんがこれでもかというほどに顔を歪めて私を見下ろしていた。
どこをどう見ても怒っているようにしか見えない彼を見上げたまま、ええと、と思考を稼働させる。
「……さ、散歩ですか?」
「んなわけあるか馬鹿が」
そうやって、やっとの思いで吐き出した言葉に対する返事はまるっと同じもの。
まさかこんな短時間で二度も馬鹿と罵られるとは思っていなかったけれど、視界の中にある情景が夢でも幻でもない事を認識するや否や、途端に鼓動は激しさを増す。
「……え……と、橘……さん……は、ここで何を……?」
いつかの公園の時のように、会いたいと願えば会えてしまった現実。
魔法使いも、妖精も、子供の頃から一度だってその存在を私は信じた事がない。
「会いに来た」
「……」
「お前に」
「……え、」
だけど今日ばかりは、いるかもしれない、って思った。
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