……そう、ですね、


言葉で表すとすれば、ヒーロー。


「平気か?」


当たり前のように私を助けてくれた彼は、その一言に尽きるだろう。

掛けられた言葉にはっとして、慌ててお礼を言いながら頭を下げれば、頭上からくすりと笑う声が聞こえた。


「……相変わらずだな。お前は」


元々持ち合わせていた劣等感と、今しがたわいた羞恥心から顔に熱が集う。

確実に赤くなっているであろう顔をなるべく晒さないようにと伏せがちのまま視線だけを持ち上げれば、何故か彼はそう言って少しだけ目を細めた。

彼の言った"相変わらず"は、おそらく消えた私の過去の中に含まれているのだろう。けれど私には、それが何を指しているのか分からない。

返答に困って口ごもれば、彼はまたしてもくすりと笑って私の手からグラスを奪った。


「飲み慣れてねぇ酒はやめておけ」

「っ」


かと思えば、奪ったそれの中身を飲み干したあとそう言いながらくつりと悪戯に笑う。

その仕草と、言葉と、彼の纏う空気に、どくりと心臓が大きく跳ねる。


「……久しぶり、だな」

「……そう、ですね、」


付き合ってた、と。

自分の事なのに、他人事にしか思えなかったそれを聞かされたあの日から流れた時間は二ヶ月と少し。

過去を教えて貰ったあの時から、当然といえば当然なのだけれど橘さんとは会っていないし、会えるとも思っていなかったから動揺が隠しきれない。


お前は幸せにならなきゃいけねぇ、俺はもうお前には関わらねぇよ。

あの日、彼は確かにそう言った。

元気でな、と去り行く背中にすがりつきたいと思ったのをこの人は知らないのだろう。

けれど、忘れなきゃと思えば思うほど考えてしまって結局忘れられずにいた私からすれば、さっきみたいな気紛れな優しさほど困るものはない。

助けてくれた事には感謝している。だけどここにいるのはそれを素直に述べられない醜い女だ。


「……あの、私、」

「やっぱり、駄目だな」


そろそろ上司の所に戻ります、と。

今以上に醜い女になりたくない一心で告げようとしたそれよりも先に、するりと撫でられた頬。


「っ」


突然で、なのに自然なそれに、喉を通ったのは予定していた言葉ではなく酷く短い声。

頬を這う他者の温もりに、ぴしりと固まる身体。

それをどう解釈したのか、口元は変わらず笑っているのに彼の眉が僅かに下がった。


「……なぁ、」

「……は、はい、」


困っているかのような、それでいて、どこか哀しげ。

そんな表情を見せられたら、嫌でも期待してしまう。関わらねぇよと言った癖に、なんて言葉を飲み込む私は醜いだけでなく、プラス狡い。

だって、思ってしまったんだ。


勘違いでもいい、って。

この人となら、って。


「……この後、時間あ」

「申し訳ありませんが橘様。彼女を返して頂けますでしょうか」


けれどもやはり、それは許されるものではないのだろう。

目の前の彼の言葉を遮って聞こえた真後ろからのその声に、橘さんの視線は私から私の背後へと移る。


「……貴方は確か、矢上様、でしたか」

「知って頂けているとは光栄です。お話をしたいのはやまやまなのですがそろそろ彼女を送り届けないと彼女の恋人に怒られてしまいますので」


ゆっくりと振り向けば、僕が無理矢理連れてきちゃったものですから、と笑う矢上さん。

にっこり、という効果音がすごく似合うその笑みにぞくりとしたのは私だけだろうか。


「それに、橘様。貴方も婚約なさられたと耳にしました」

「……」

「良いのですか?目移りなどしていても」


ひゅ、と。

自分だけにしか聞こえない微かな音を立てて、空気が喉を掠めた。
 



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