やだ何それ面倒くさい


正直、記憶は曖昧だ。

小さく笑って、二口目のコーヒーを飲み込んでから彼がどんな言葉を吐いたのか、自分がどんな返事をしたのか、ほとんど覚えていない。

ただ、三口目のコーヒーを飲み込んでからほどなくして彼が帰ったというのだけは鮮明に覚えている。

だから、二口目と三口目の間で現況に繋がるやり取りがおそらくあったのだろうと私は結論付けた。


「っえ、ちょ、何すかそれ!しかも二週間も前からって……何で言わないんすか!」

「や、聞かれてないし、わざわざ言う事じゃな」

「なくないっすからね?寧ろ毎日報告して欲しいくらいっすからね?」

「やだ何それ面倒くさい」


あの一件から約二週間。

宣言通り、仕入れ先とのいざこざは翌日には解決した。

相手方の伝達ミスによるものだの何だのと、どこの社も建前の理由を張っ付けて頭を下げに来ていたのが何とも滑稽だったのを今でも覚えている。

菓子折りひとつで許してもらおうなんて虫が良いにも程があるだろうと思いはしたが、社を担う者である以上、権力に屈したり怯えたりしてしまうのは仕方がない事なのかもしれない。

下手に口を出して振り出しに戻っても何だからとその事は特に口外せず日々を過ごしていたのだけれど、最近よく携帯見てますね?という槌谷くんからの何気ない質問に何気なく答えたのがおそらく駄目だったのだろう。


「へぇ、俺には面倒くさいって言うのに、元彼さんにはちゃんと返事するんですね」

「無視して二の舞になる方が数段面倒くさいもの」

「まぁそうかもですけどぉ、俺だって涙華さんと毎日電話とかメールしたいっすよ!でも涙華さん面倒くさがりなんでうざがられないように我慢してんすよ?これでも」


何がどうしてこうなって、何故だか分からないけれど毎日あの男からメールが来るようになったから一応返信している、だから携帯を見る回数が以前より増えたのだと説明すれば、あからさまに顔をしかめる槌谷くん。

確かに、面倒くさがりだからメールは文末に疑問符がついていないとほぼ返信しない。にも関わらず、あいつからのメールには疑問符があるない関係なく律儀に返信している。

不公平だ!とジョッキの中のビールを煽る槌谷くんの気持ちも分からなくはないような気もするけれど、こればかりはどうにも出来ない。


「で、そのままヨリとか戻しちゃうんでしょー。俺もう泣くしかないじゃないっすかぁ」

「それは、ない」

「なくないですよー。現に今日だって、OKしてくれたのは飲みの誘いだけじゃないっすか」

「……」

「明日は俺も涙華さんも休みで、今は酒を飲んでて、俺の家はここから徒歩八分」

「……」

「休みが重なった日は、泊まってくれてましたよね……元彼さんとの事があるまでは」


仕事も、恋愛も、同じ事の繰り返しはごめんだ。

しかしその説明では納得がいかないのか、ビールを飲み干した槌谷くんは不満気な声を吐き出しながら、つんつんと取り皿に乗せてある枝豆を箸でつつく。

あまり褒められた行為ではないそれをやんわりと注意しつつ、中途半端な事はもうしたくないのだと先の説明に付け加えれば、分かりましたと小さく返された。


「……でも、涙華さん、」

「……ん?」


じゃあそろそろ帰ろうか、と。

割りと飲んでいた事もあって、まだ飲み足りないなどとはどちらも言わず会計を済ませて店を出て、何となく無言でほどよい距離を保ちながら並んで歩いていれば、不意に呼ばれた名前。

何だ?と立ち止まり、視線を向ければ、隣の彼もまた私へと視線を向けていたのか、ばちりとそのふたつがぶつかった。


「俺、本気なんで、」

「……」

「……逃げ道にされても、いいです。俺、本気で涙華さんが好きです」

「……」

「もし、この先、何か……選ばなきゃいけない事があったら、」

「……」

「……俺を……選んで、欲しい、です」


小さくなっていく語尾に反して、ぶれる事のない真っ直ぐなそれに口先だけの言葉など返せるはずもなく。

ありがとう、と口角を僅かに上げるのがやっとだった。
 



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