それ、愛ですか?
私はそんなに弱い方ではないと思う。
お酒。
「っないわ!!」
「お前がな」
ダンッ!とついさっきまでビールがなみなみと注がれていたジョッキを空(から)にするや否やテーブルに叩きつけるかのように置いて、今朝方発覚したあの件について率直な意見を叫んでみる。
目を閉じずとも、思考をふとそこに向けるだけでぽわんと浮かぶ彼のあの笑顔。
それを打ち消すようにがるると唸れば、目の前に居る男は呆れたように笑う。
「ちょっとケンジ。他人事(ひとごと)だからって適当にあしらわないでくれる?私、すっごい真面目に悩んでるんですけど」
「いやもう笑うしかないべ。酔ったいきおいで息子のダチと寝たとか」
どうか夢でありますように。
と、現実である事は確かなのに、現実でない事を仕事中ずっと切に願った挙げ句、同僚である彼を半ば無理矢理飲みに誘って愚痴る私はどうしようもなく往生際が悪い女なのだろう。
「つうかよ、逆に何がそんな嫌なわけ?」
「ん?」
「独身で年下でイケメンで収入もそこそあってお前の事情に理解もあるなんて優良物件以外の何者でもねぇじゃねぇか」
愚痴の原因である彼のプラス面をつらつらと述べながら、ケンジはまた呆れたように笑う。
ああ、こいつは何も分かっていない。
「あんたってさ、」
「あ?」
「ほんっっっと!バカだよね」
確かに、ケンジの言う通り、愚痴の原因である彼は文句のつけようがないくらいの優良物件だ。
見た目、中身、その他諸々、言うことなし。
「優良物件だからこそ、でしょ」
そう、言うことなし。
だから私と彼は釣り合わないのだ。絶対に。
まだ若くて、バツもついてなくて、勿論子供もいなくて、出会がないわけじゃない彼の芽をこんなオバハンが摘んでいいわけがなかろう。
「やー、意味分かんねぇわ」
「何でよ」
「だってよ、別に好きじゃねぇんだろ?そいつの事」
「あー……そうだね。男っていうより息子って感じの目で見てるから恋愛感情は……ないよねぇ……どう頑張っても」
「なら二、三ヵ月くらい適当に付き合って、私達相性合わないわねサヨウナラすればよくねぇか?」
「……うん、息子との仲も壊しかねないからねそれ」
「はい出た息子」
「何よ」
「お前どんだけ息子好きなんだよ。愛してんだよ。いい加減、子離れしろよ」
「はあ?」
「もう成人してんだからよ、んな事ぐれぇで仲違いしたりしねぇだろ。仮にしたとしたらその程度の仲だったっつう事だろうが」
「……」
「お?どした?反論は?ねぇのか」
「…………うん。ちょっと納得しちゃった」
されど、こんな風に言われちゃ、ぐうの音も出ない。
分かってるんだ。曖昧な態度が一番イケナイって事ぐらい。
でも、そこにはやっぱり息子が絡んでくるわけで、私のせいで気まずくなったりとか、それこそ縁切ったりとか、その矛先が私に向く可能性だって否めないわけでうわああああ、だめそれマジでへこむ。
「……あー……もう、本当……どうすっかなぁ」
「何がですか?」
「何がって、ちょっとケン…………ジ、」
空(から)のジョッキ片手に、ぐでっとテーブルの上に突っ伏したまま、ぽつりと呟けば、何故か敬語で返ってきた声。
何が、だとか。
話聞いてなかったのかよ!と突っ伏していた顔をぐいんと上げれば、目の前にいるケンジは私ではなく、私の頭上に視線を向けていた。
「サエコさん」
「…………え、」
たらり、垂れる冷や汗。
いやいやまさか。
なんて考えを浮かべたまま、ぎぎ、と上げたその顔を振り返らせれば、そのまさか、がそこに居たものだから、ひっ、と喉の奥がなった。
「迎えに来ましたよ、サエコさん」
にこり、人畜無害な笑みを浮かべて、さぁ、帰りましょう。と私の腕を掴むその人は、私が現在進行形で頭を悩ませている原因。
噂をすればなんとやらとはこの事なのか。
いやしかし、飲みに行く事はおろか、朝に仕事だからと彼を置いて家を出たっきり一言も言葉を交わしていないはずなのに、何故彼はここに居るのだろうか。
息子に聞いた?
いや、息子にも私は連絡していない。
待て。ちょっと待て。
何か、怖い方向に向かってないか?
なんて、ジ、と疑惑の目を彼に向ければ、それに気付いたのか彼はますますにこりと微笑み度を増して、愛してますよ、と恥ずかしげもなくさらりと言った。
「……………か、帰ろう、か。リツ君」
「はい。帰りましょう」
ひくり、ひきつる口元を隠すべきか迷ったけれど、とりあえず目の前で必死に笑いを堪えているケンジに、ご馳走様です、と伝票を押し付けてやった。
それ、愛ですか? (ねぇ、何でここだって分かったの?)
(そりゃ分かりますよ。愛してますから)