押されて、押されて、堕ちた
そう長くは続かない。
というより、長引かせるものではないと思っていたけれど。
人の好意に甘えるというのは思いの外(ほか)心地好くて、きっと、私は放棄してしまっていたのだろう。
「……っ」
「サエコさん」
ケンジのところで寝泊まりを始めてから、ちょうど一週間のこの日。
奢るよ、と色々な事のお礼を兼ねてケンジを飲みに誘い、二人で会社から出た瞬間までは確かに平穏だったのだが。
「……リツ……君」
「お疲れ様です」
「何で、ここに、」
考える、という事を放棄した私を待ち受けていたのは、冷えたビールではなく、冷めた笑みを浮かべる彼、だった。
「少し話をしたいと思って、待っていました」
勤め先を教えた記憶はない。
まぁ、息子に聞くなりすれば容易に分かるものだけれども。
少し話を、と言われてもやはり身構えてしまう。
「……ダメなら出直します」
「……」
「……連絡だけ、取れるようにしてもらえますか?」
「……」
「用もなく連絡はしませんから」
と、そんな私を見透かした上での提案なのか。
今すぐ、彼と話をするか。
後日にする代わりに、連絡を取れるようにするか。
どちらを選んでも、現状の維持は出来なくなる。
彼にとっては僅かながらでも利点が生じているのだろうけれど、私にとっての利点と言えば、返事をすればこの場を凌げる、という事ぐらいだ。
無論、ずっと逃げてばかりじゃダメなのは分かっているけれど、欲を言えば自身のタイミングで事を運びたかった。
「……ごめん、ケンジ。奢るの今度でもいい?」
「俺は別にいいけど、大丈夫なのか」
「うん。大丈夫」
「そ」
まぁでも、いい機会といえば、いい機会だ。
隣に立つケンジに謝罪をすれば、少し不満げな顔をされたけれど、じゃあまたな、と彼は私達に背を向ける。
段々と遠ざかっていくそれをある程度眺めてから、視線を元の位置へと戻した。
「……話、だけだよね?」
「……はい」
ほんの少しだけ、元気がなさそうに見えたけれど、敢えてそれに触れはしない。
これまで息子と同じように接してきたせいか、母親であるかのような情をすぐに抱いてしまいがちだが、それは最早付け入る隙にしかなりえないからだ。
「……じゃあ、私の」
「あの、俺の家でもいいですか?」
「……」
「二人きりが、いいんです」
「……」
「……お願い……します」
ほだされちゃ、ダメ。
「……本当に、話だけ、なんだよね?」
「……はい」
「うやむやにしたりとか……しない?」
「しません」
「……分かった。じゃあ、リツ君の家で」
と、肝に命じていたはずなのに。
懇願するその姿をどういうわけか息子と重ねてしまい、つい、頷いてしまった。
押されて、押されて、堕ちた (でもその前にご飯、行きませんか?)
(あ、うん……そうだね)