Bon appetit
中華は好き?
「はい。というより、好き嫌いはありません」
「あら。素敵ね」
彼女がそれを音にしたのは、料理の盛り付けられた皿が所狭しと並べられたテーブルに、今夜お食事でもいかが?と"キャット様"直々に招待した彼が着いてからだった。
嫌い、または、苦手、などと言われた場合、この膨大な量の中華料理を彼女はどう処理するつもりだったのだろうか。
声にこそしないが、おそらく己の隣に立つルーシィも同じ疑問を抱いているのだろう。にこりと笑いながら"キャット様"を見てはいるが口元は僅かにひきつっている。
無論、理由はそれだけではないのだろうが。
「……あの、キャットさんは食べないのですか?」
どうぞ、と勧められるがままに彼は食べ始めたのだが。"キャット様"が一向に口をつけないからか、ぴたりとその手を止める。
ジ、と真っ直ぐに"キャット様"へと向けられる彼の視線。
「っ、貴方!キャット様をさ」
「ルーシィ、食事中よ」
「……っ……申し訳、ありません」
良く言えば純粋故の疑問。悪く言えば無知故の疑問。
しかしそれを、"新人"だから、と多目に見てもらえるほどルーシィを始めこの世界は甘くない。
無論それは、"キャット様"とて同じ。
「キミの為の料理よ。私の事は気にしないで召し上がって、マーシャルさん」
「すみません、堅苦しいのは苦手なので、ノア、と」
「ノア……素敵な名前ね」
「ありがとうございます。曾祖父から譲り受けた名です」
カチャリ、再び音を奏で始めたフォークは次から次へと純粋とも無知とも言える彼の口へ食物を運ぶ。
もしゃり、もしゃり。否応なしに咀嚼され行くそれを見つめる"キャット様"はいつものようにやはり微笑を浮かべていた。
今度は何を企んでいるのか。
手紙とコインを処分して直ぐに出掛けると言い出したと思えばこれだ。
十セントを手紙に同封して返済する律儀な彼とお食事がしたいわ、だそうだが、彼女の微笑がただの微笑でないという事はこの身を持って学んだ事実。
ただのお食事、ではまず終わらないだろう。
カチ、コチ、と時の流れを表す音に混じる、金属と陶器がぶつかり合う音。
会話が途切れてから一心不乱に食べ続けているからだろう。大量に盛られていた料理はもうほとんど残っていないというのに彼の手が止まる気配はない。
よほど腹を空(す)かせていたのだろうか。
いや、それにしては何かがオカシイ。
ゆっくりと、背に忍ばせておいた銃へと手を伸ばした。
「お口に合ったようで、良かったわ。ノア」
「……っ、あ、す、すみません……俺、」
しかしそれは、"キャット様"の微笑と共に放たれた言葉によって杞憂となる。
ぴた、と動きの止まるフォーク。
持ち上がる視線と共に露になった彼の口元は赤黒いソースで汚れている。
「あら。いいのよ。好きなのでしょう?」
「…………え、」
「キミの好みは知らなかったから、今回は北欧人にしたの」
「……」
「目玉は凍らせてあるから遠慮せずに持ち帰って?」
口を拭け、と呆れたのと同時に。
ひゅ、と息を飲む音が隣から聞こえた。
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