Full moon
駆け引きはあまり得意ではない。
生きてきた環境もあるのだろう。相手の出方を伺う事よりも力で捩じ伏せてしまう事の方が圧倒的に多かったおかげで、他人を読むのは少々不慣れだ。
「あら、ナイト様。どうしたの?」
「……物音がしたので、」
とはいえ、先手を打たれてしまうと己の位置を見失う。
「……そう。ごめんなさいね、あまりにも月が綺麗だったから」
帰宅後の出来事を除いては、滞りなく進んでいった"キャット様"の一日。
彼女が寝室に入り、隣室での待機を始めてからおよそ二時間後に響いた微かな物音の正体を確める為にナイフと銃を備え"キャット様"の寝室へ忍べば、これだ。
「月、ですか」
「ええ。今夜は満月よ」
テラスへと繋がるガラス戸に手を添えたままの状態で、彼女は空を仰ぐ。
「……失礼しました。戻ります」
物音の正体が"キャット様"自身であるのなら、己の出番はない。
彼女の言う、あまりにも綺麗なものには視線を向ける事さえせず深く頭を下げた。
「ねぇ、ナイト様」
「……はい」
「もう少し、月を眺めていたいの。いいかしら?」
瞬間、下げたその頭にちくりと刺さる視線。
就寝中なれば各々(おのおの)となるものも、いくら寝室に居るとはいえそれを満たしていないのであれば適用外となる。
頭と共に視線を上げ、はい、と小さく返せば、彼女はゆるりと唇で弧を描いたあと再び空を仰いだ。
"キャット様"の邪魔にならぬよう気配を出来る限り消して彼女の背後に立てば、吹き抜ける風に拐われてふわりと靡く長い髪。
毛先だけに帯びている丸みはおそらく毛質のせいなのだろう。
視線は変わらず真っ直ぐに空に向けたまま、気まぐれな風に遊ばれているそれを当然のように彼女は掬い、耳にかけた。
「……不躾な事を聞いても、よろしいですか」
ゆっくりと空から降りてくる、"キャット様"の視線。
躊躇なく確実に向けられたそれにあっさりと己ものは捕らえられ、どうぞ、と凛とした声が鼓膜を揺らす。
「……大切な方は、居ますか」
「大切、の定義によるわね」
「恋人、またはそう在って欲しいと望む方、です」
小さく、必要最低限の言葉を紡げば、あの微笑が鼓膜を通り抜けた。
「恋人は居ないわ」
「……」
「けれど、手に入れたい人は居るの」
声が途切れ、外される"キャット様"の視線。
一歩、また一歩、と"キャット様"は歩を進めテラスの向こう側に広がる中庭へと踏み入る。
中庭といえど、外観で言えばそこはほぼ森だ。何故そこへ?と問う事も可能だが、問うたところで彼女の行動は変わらないのだろう。
口を閉ざし、適度な距離を保ちながら"キャット様"の後を追えば彼女は生い茂る薔薇の垣根の中、ぽつん、と一本だけ植えられているそれほど高くはない樹の横に並んだ。
「次は私の番よ、ナイト様」
くるり、振り返った"キャット様"の顔の横で、月明かりに照らされた黄色い果実が鈍い光を放っていた。
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