それぞれの過去


「おい、ベラトリアス!テピを風呂に入れてやってくれねえか」
二人の世界からやっと抜け出たのか、ラドが頼んでくる。
「乾くまで人間の姿になれねえんだ。海水じゃベタベタするだろうから今のうちに洗ってやってくれ」
人魚のままの彼女を横抱きにしながら、近付いてくるラドにベラトリアスは唇を尖らせた。
「いやよ、なんでわたしが」
「俺が入れてもいいが、そうなると少なくとも一時間は出てこねえぞ。自分を止められる自信はない」
「………………わかったから生々しい発言は慎んで!」
顔を真っ赤にして、ベラトリアスは荒々しい足取りで船内に消える。その後にテピを抱えたラドが続き、しばらくしてから彼一人だけ戻ってきた。
「あー、クソ疲れた……」
船縁に背を預けて座っていたカリオンの隣に、ラドはどかっと腰を下ろす。
首の骨を鳴らす彼を眺めながら、もう確信していたが、一応訊いてみるか、と思ってカリオンは口を開いた。
「ラドが狼男だってことで、いいんだよな?」
「ああ、まあな」
あっさりと認められると、やや拍子抜けする。
「隠してたんじゃないの?いいのか?そんなにあっさり認めちゃって」
「別に隠してはねえよ。てっきりベラトリアスのやつが教えてると思ってたし。おまえに鍵を渡したとき、軽く探りを入れたら信じてないとか言ってたろ。てっきり、話を聞いた上で冗談だと思ってるんだろうな、くらいに考えてた。でもテピを海に落としたときにすげえ剣幕で怒ってたからよ、何も聞いてなかったんだなって気付いた」
「あー……。狼男の噂は町で聞いてたんだ。……それよりも、あの時は振られちまえなんて縁起でもないこと言ってごめん。テピが人魚なら、船の上より海にいたほうが安全だし、結局、テピのおかげで“魔海域”から出られたんだよな。何も知らないくせに、俺、でしゃばっちゃって……」
ほんとごめん、と頭を下げると、ラドは煩わしそうに手を振った。
「やめろ、鬱陶しい。俺とテピはてめえの言葉くらいで別れたりしねえから心配すんな」
当たり前のことを言わせるな、といわんばかりのラドに、カリオンは感心する。
「すごい自信だな。もう付き合って長いのか?」
「生まれた時からテピは俺のものだし、俺はテピのものだ」
臆面もなく言い放たれ、カリオンのほうが恥ずかしくなる。
「へ、へえ……。運命ってやつですか……」
火照った頬を冷まそうと手で煽っていると、片足を立てたラドがぽつりと呟いた。
「俺も訊いていいか」
「ん、なにを?」
「おまえ、あの戦闘スタイル、暗殺者のそれだろ。どこで仕込まれたんだ?」
どうして、それを。
目を見開いて硬直するカリオンに、ラドは淡々と言葉を重ねる。
「おまえを船に乗せた国……、本当はな、一日早く出発する予定だったんだ。だが、ベラトリアスが一日だけ待ってやれないかとめずらしく魔法で手紙を飛ばしてきた。意味がわからないまま一日延ばして、乗り込んできたのがおまえだった。そのおまえが暗殺術を身に付けてるってのが、まあ、その……腹違いとはいえベラトリアスの兄としては気にかかるというか……」
カリオンは動揺しつつ、聞き逃せない単語に思わず反応してしまう。
「えっ、ベラと兄妹なのか?」
ラドは頷く。
「ああ、異母兄妹だ。といっても、七歳離れてるし、俺はとある組織に雷狼になる呪いをかけられていて早くに城を出たから、兄妹らしく過ごしたことはねえよ。しかもその呪いってのが、“十六歳の誕生日までに心を通わせた相手とキスしなきゃ死ぬ”なんておまけ付きでよ、妹に構う余裕なんてこれっぽっちもなかった。昔は狼になると自我を保てなくて気が付けば城がぐちゃぐちゃになってたなんてことも少なくなかったし、城内の連中に煙たがられてるのも薄々感じてた。ついに怪我人が出た日、これ以上はいられねえと判断して留学に行ったって建前で城から出た。それが十二かそこらだったから、その頃ベラトリアスは五歳くらいだ。だからほとんど、あいつと関わったことなんかねえんだよ」
物語の主人公のような壮絶な人生をラドは歩んできたんだな、とカリオンは思う。それと同時に、二つのことが気になった。一つは死の呪いのことだが、ラドが現在も生きているということは解決したのだろう。テピの存在が答えでもある。
もう一つは、とある組織のことだ。もしかしたらラドも、何かを確かめるためにこの話をカリオンにしたのではないか。
「……そのとある組織って、魔物崇拝“メールデン”?」
「…………やっぱりか」
わずかに、ラドが警戒したのが伝わる。
「ベラトリアスは……、妹は、闇属性の魔法使いの素質がある。闇の存在に惹かれやすいし、干渉されやすい。俺達の国───ココリアナ国は、以前、魔法使いを虐殺している“メールデン”から彼らを保護するために魔法学校を創設する計画を立てていたことがある。だが、嗅ぎ付けた奴等に目をつけられた。俺が呪いをかけられたのもそれのせいだし、ベラトリアスが城に軽く軟禁されてたのも奴等から守るためだった。今回の見合い話だって、魔法に詳しいペルモリーナ国に、ベラトリアスを匿ってもらうための建て前だったんだ。だがそのタイミングでベラトリアスが変な夢を見ておまえがやって来た。いや……俺が連れて来たことになるんだが、それはまず横に置いとく。“メールデン”が妹の夢に干渉して油断させ、ベラトリアスを殺すためにスパイを送り込んできた可能性がわずかでもある限り、俺は安心できねえ。だからカリオン、おまえの目的を話せ。偽りは許さねえ」
金の瞳に正面から睨み付けられると迫力がある。
しかし、その理由が妹の心配なのだから、やはり彼は優しい男だとカリオンは思った。
妹と関わりがなかったとラドは言ったが、しかし今回、ベラトリアスが船を出してほしいと頼ったのは彼だ。
そして、詳細を聞かずとも彼女に協力したのは、ラド自身だ。
優しい兄妹。見ず知らずの男が闇から逃げ出す夢を見て、手助けするためにラドに手紙を飛ばしてくれたベラトリアス。その手紙どおり船の出発を遅らせ、半信半疑であったにも関わらず、忍び込んだカリオンを見て見ぬふりをして放っておいてくれたラド。
この兄妹の優しさがなければ、カリオンと唯一の友達であるミクラルは、“メールデン”の追手に捕まって殺されていただろう。
命の恩人である彼等に嘘はつけない。カリオンは正直に話そうと心に決めた。たとえ、それでこの国から出て行けと言われるならば、潔く従うつもりだ。
「俺は……、物心ついた頃から魔物崇拝組織“メールデン”の暗殺者として働いていた。命令されるままに生贄を捕まえて、殺した。時には組織の邪魔になるからという理由だけで人を殺めたこともある。穢れた存在なんだ」
「……そんなやつが、なんだってこの国に来た」
「逃げたかったんだ」
できるだけ遠くへ。もう二度と戻りたくなかった。殺されたくもなかった。散々、人の命を奪っておいて、こんなことを考えるなんて許されないだろうけれど。
「どこでも良かった。“メールデン”から逃げられるならどこでも。でも、ポートネリアが居心地よくて……はじめて景色を綺麗だと思えて……人も優しくて……好きになった」
けれど、自分は受け入れてもらう立場の人間だ。ココリアナ国の王子であるラドが拒否するならば潔く諦めるつもりだ。
彼は、国民や妹を守る立場の人間なのだから。
「……てめえが、組織から逃げたかったってのはわかった。この国を狙って来たわけじゃねえってことも」
「……うん」
「最後に、逃げ出すことになった理由を訊いてもいいか。それと、おまえ、今いくつだ?」
「え、たぶん、十九……?かな、はっきりとはわかんないけど」
「なら、十九年間も逃げ出さずに“メールデン”に従ってたことになるよな。それなのに、なんで急に逃げ出した?なにか、心変わりするきっかけがあったんだろ?」
それは、ミクラルだ。“メールデン”が彼を生贄にしようとしたが、カリオンには友達を殺めることができなかったから。
「……こんな俺に……、人を殺しても何も感じなかったような俺に、毎日毎日、挨拶してくれた友達がいたんだ」
ミクラルは地下に閉じ込められていた。カリオンはたまたまそこへ行く用事があって、小鳥を閉じ込める籠とよく似た檻の中にいたミクラルと出会った。
挨拶をされても、はじめは目線すら向けずに無視した。なんと応えたらいいのかわからなかったからだ。
それからも、ミクラルは何度無視されてもカリオンに会えば挨拶をした。何度か挨拶されては無視する、を繰り返したある日、ミクラルに名前を訊かれた。

────名前はなんていうの?
それには応えることができた。自分の名前は知っていたからだ。
────………………カリオン・ロンギホルト。
────ぼくはミクラル。よろしくね、カリオン
────…………よろしくして、どうするの。
────友達になるんだよ。
────ともだち……?なに、それ。なにするの。
────カリオンが今日あった楽しいことや悲しいことをぼくに教えてよ。
────たのしい?かなしい?……よくわからない。
────じゃあ、今日なにがあったかだけを教えて。ぼくがそれを聞いてぼくの感想を言うね。
──────…………へんなの。

はじめは意味がわからなかったミクラルへの一日の報告も、時が経てば待ち遠しくなった。彼と話すことで、知らずカリオンは癒されていた。そして、心が芽生えていた。
「そんな友達を、“メールデン”は魔物の生贄にすると言い出した。俺に、ミクラルを殺せと言った。それだけはできなかった……。それで、儀式の途中でミクラルを檻から出したところを見計らって、一緒に逃げ出したんだ」
「……………………」
ラドは黙っていた。黙って、空を眺めている。つられて星空を見上げると、彼はぽつりと呟いた。
「俺は、“メールデン”に呪いをかけられて、ものすっごく人生を悲観してた……時期がある」
「……え、ラドが?」
それは意外だ。呪いなんてクソ食らえとばかりに何もかも自分のペースに持ち込んで、呪いすら逆手にとって有利に物事を進める強かさを持った男がラドだと、勝手に想像していた。
カリオンの思考を読み取ったように、ラドはふっと笑った。
「一歳の時に狼男にされて、十六歳であいつは死ぬとずっと聞かされ続けたんだ。俺を見て怖がるやつもいた。ヒソヒソとうっぜえ噂話されてよ。……自分に自信がもてなくてよ、前髪を鼻の下まで伸ばして顔を隠したりしてたぜ」
「えー、マジかあ……。想像もできないなあ」
くくく、とラドは肩を震わす。
「国王がよ、ああ、俺の親父な。心を通わせる相手を探そうと近隣諸国の姫君と見合いさせるんだけどさ、人見知りがひどいもんだからうまく話せねえわおどおどしてるわで、気持ち悪がられてばかりだった。やっと理解してくれるやつが現れたと思いきや、俺が次期国王じゃなかったら絶対無理だって話してるの聞いちまうし、もう絶望だよな」
明るく笑い話にしているが、カリオンは笑えなかった。眉を寄せるカリオンに気付くと、ラドは本当に幸せそうな顔で「昔の話だ。今は知ってるだろ」と微笑んだ。
「十五の誕生日、船上パーティーをやるから帰ってこいと呼び出されて参加してよ、終わって静かになった船にひとり残ってたらさ、急に、もう無理だって目が醒めた。もう誰かと心を通わせられるはずがねえし、このままあと一年も惨めな思いをして相手探して、んで十六になって死んでよ、ほらみろやっぱり無駄だったって笑われるくらいなら、足踏み外して海に落ちて死んだことになったほうがマシだと考えて、泳げねえのに海に飛び込んだ」
「……それで、テピに出会ったんだ?」
「そ。沈んでいく俺の前に、テピが現れた。俺ははじめから死ぬ運命で、死んでから運命の女神に出会えるさだめだったんだと本気で思ったね。それくらい、テピが綺麗だった。助けられた時はつい死にたかったなんて言っちまったんだけどよ、そしたらテピが、俺は一度死んだから、今の俺は生まれ変わった俺だって言うんだ。そんでテピも、俺と出会ったことで新しいテピになったんだって」
生まれた時からお互いがお互いのもの、というラドの言葉は、誇張でもなんでもなく真実だったのだ。ラドもテピも、お互い出会ってから新しく生まれ変わった。そして恋をしたのだ。
「……いいな、そういう考え」
「だろ?」
無邪気な少年の笑顔で、ラドはカリオンを見た。
「だからおまえもやり直せばいい。ココリアナ国は人生をやり直せる国だと俺は思ってる」
「……いてもいいのか?俺は……人殺しだ」
「そいつをどう償うのかも、そいつを裁くのも、俺が考えることじゃねえからな。だが言っておくが、この国を好きだって言ったおまえだから受け入れてやるんだからな。俺の信頼を裏切ったら容赦しねえぞ」
信頼。
信頼かあ。なんて重くて、尊い言葉だろう。
カリオンは少しだけ目頭が熱くなった気がして、不思議に思いながら目を擦った。
「あー!ラドがカリオンをいじめてるー!」
お風呂から上がったらしいテピが、シンプルなワンピース姿で走ってきて盛大に躓き、ラドの胸に飛び込む形になった。
背中を打ったラドだが、倒れ込んだままの格好で楽しそうにテピと会話をはじめたため、カリオンはなんだか微笑ましくなって二人を眺めた。
「もしかして、ラドとテピのこと聞いたの?」
一緒にお風呂に入ったらしいベラトリアスが、テピと色違いのワンピースを着て正面に立つ。
意地でも化粧はそのままらしい。思わず苦笑してしまう。
「化粧とらなかったの?」
「また塗り直したの!」
「まあ、なんか見慣れたらそれもそれで可愛い気もしてきたけどさ」
「かわ……ッ」
頬を赤くして、彼女はそっぽを向いた。
「俺……大事にするよ。ベラとラドがくれたこの第二の人生を。……ありがとな、ベラ」
横目でちらりとこちらを見たベラトリアスは、鼻を鳴らした。
「もう後悔しないように生きなさいよ」
「……うん。今度は、せめて、誰かの役に立てることをしたい。……してみせるよ」
そんなことで償えるものではないけれど。自分に宿っているミクラルにも、助けてくれたベラトリアスやラドにも、屈託なく接してくれるテピにも、ポートネリアで出会った人々にも、恥じない生き方をしたい。彼等を裏切るような真似はしたくないと、カリオンは強く思った。

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