友達



「……星だわ」
カリオンの腕の中で、ベラトリアスが呟く。
いつの間にか、空には一番星が浮かんでいた。
先程までは空の様子すらわからないほどに闇に覆われていたはずだ。船は“魔海域”を出たのだ。
「もう夜になってたんだな。そんなに時間が経ったようには感じなかったけど」
「“魔海域”は時間を狂わせることもあるのよ。巻き戻すこともあるけど、今回は早送りされちゃったわ。はやく“星降りの島”に行かなくちゃ、間に合わなくなる……」
焦った様子の彼女につられ、カリオンは目を凝らして島の影を探してみる。遠くのほうに、それらしいシルエットが見えるが、それがベラトリアスが望む島なのかはカリオンには判断できない。
「おい、カリオン!そこらへんにあるロープ、持ってこい」
ラドの声が聞こえた途端、ずっとベラトリアスの肩に手を置いていることに気付き、急いで彼女を解放した。
「えっと、ロープね、はいはい……ロープロープ……」
足元に視線をさ迷わせて探す。「これかしら」と、ベラトリアスが指差した場所に、それらしいものが見えた。
ラドに渡す。彼は船縁にロープをくくり、海へ投げた。
突き落としたテピを引き上げるつもりなのだろう。
大丈夫か、と声をかけるつもりで船縁から下を見下ろしたカリオンは、え、と目を丸くした。
星の輝きを映したミッドナイトブルーの海面に、無数の背鰭。鮫と、オルキヌス・オルカだ。何かを捕食しているようで、激しく水飛沫が上がっていた。
もしかして、海に引きずり込んだ魔物を食べてんの……?
アレ食えるのか、と硬直するカリオンに、呑気にぷかぷかと浮いていたテピは無邪気な笑みを浮かべて手を振った。
「友達が駆けつけてくれたの!みんなで船を押してね、“魔海域”から出したんだよー!」
すごいでしょ、ほめてほめて、と言わんばかりの彼女だが、近付いてくる鮫を気軽に撫でたり、あの海の覇者であるオルキヌス・オルカの背鰭に掴まったりと、とても普通の人間とは思えない行動をしている。そんな状況にカリオンは戸惑って声が出せない。横でベラトリアスが「海ではさすがに勝てないわ」とやや悔しそうに呟いているので、困惑しているカリオンの方がおかしいみたいだが。
「さすが俺様の人魚姫だぜ、テピ。ほら、今すぐ抱きしめたいからはやく上がってこいよ」
「はあい、テピの王子様
空耳か?と一瞬疑ったが、どうやら間違いなくラドとテピの口から発せられた言葉らしい。
人目も憚らずこっ恥ずかしい発言をする二人は、テピの引き上げ作業に取り掛かりながら、砂糖菓子のように甘ったるくもつやめかしい会話を繰り広げている。
バカップル。
そんな言葉がカリオンの脳裏を過った。
「やめて、ほんとやめて、恥ずかしい、あの二人なんてミイラになればよかったのに……!」
完全に二人の世界に入り込んだラドとテピにあてられて赤くなった頬を両手で隠し、さらに鳥肌を立てているベラトリアスはぶつぶつと呪詛の言葉を呟いているほどだ。
「あの二人から生気を吸い取り終わる頃には、魔物も肥満になってるだろうな。糖分過剰摂取で」
「カリオン……」
今までも、ラドとテピのこういう場面に居合わせてしまったことがあったのだろう。ベラトリアスはカリオンの同意を含んだ言葉に救われたような顔をした。
ベラトリアスはうら若き乙女だ。彼女の前では刺激の強い発言は自重するよう、それとなく注意したほうがいいだろうかと考えながら、引き上げられたテピがラドの腕に飛び込んでいくのを横目に見て─────カリオンは口をあんぐりと開けたまま固まった。
星明かりを反射し、きらりと光って見えたのは薄緑色の──鱗。
喜びを表現しているかのように跳ねている足はまるで──魚の尾鰭。
半身半魚の、伝説の魔物───人魚が、ラドに抱えられていた。
「………………テピって、人魚なの…………?」
しつこいほど瞬きを繰り返し、カリオンは見ればわかることを間抜けにも訊いてしまう。
油の切れた機械人形のような動きでベラトリアスへ視線を向けると、頬から手を離した彼女はきょとんと首を傾げた。長く、バサバサと音が聞こえそうな睫毛が、先程のカリオンと同じように何度か上下する。
「……言ってなかったかしら」
「聞イテマセンデシタネ」
「あら……そう? ……なんなら、またはじめから自己紹介しましょうか?」
「いえ、結構です」
カリオンは今度こそ思いきり脱力してしゃがみこんだ。
はたから見てもテピを好いているラドが、彼女を魔物がいるかもしれない海に突き落とすなんておかしいと思ったのだ。テピが人魚ならば納得がいく。どうやら海水を操ることができるようだし、恐ろしい友達もいるみたいだし、船の上よりも海のほうがテピにとっては安全なのだ。“魔海域”から脱出できたのも、彼女の機転のおかげだ。
ラドが「聞いていないのか」と驚いていた意味が、ようやくわかった。
「……黙ってたこと、怒ってる?」
心配そうに、ベラトリアスが覗き込んでくる。
首を横に振り、カリオンは微笑んだ。
眉を下げた彼女は厚化粧でもわかるほどに、表情に幼さが滲んでいる。まだ十四歳の少女なのだ。そんな彼女を責める気にはならない。それにカリオンは、謎が解けたようなすっきりとした気分になっていたし、こういうのも悪くない、と開き直ってもいた。
驚きはしたが、誰かと一緒にいないかぎり味わえない体験だ。悪くない。
誰かとこんなふうに関わったことなど、今まで一度もなかった。すべてが新鮮に感じられた。
「怒ってないよ。むしろ……そうだな、ちょっと……楽しい、かも。魔物にはさすがにビックリさせられたけど、ラドが狼男でも、テピが人魚でも、ベラが魔女でも、俺はまったく気にしねえよ」
「……あなたって」
少しだけ、ベラトリアスは眩しそうに目を細めた。
そして言う。
「どんなに穢れが取り巻いていたとしても、やっぱりここが光ってみえる。それに短剣にも微弱だけど光が宿ってた。あれは光属性の魔法だったわ」
華奢な白い手を伸ばし、彼女はカリオンの胸に触れた。
目を閉じたベラトリアスは何かを探っているようだが、諦めたように目を開け、彼女はおどけたように肩を竦める。
「光属性はとっても貴重で、あまり資料がないからさっぱりだわ。わたしは完全に闇属性だし。カリオン、光の正体に身に覚えはないの?」
まるで、身に付けている装飾品の購入先を訊ねるような気軽さで、ベラトリアスは訊いてくる。
もちろん、カリオンには装飾品を購入した記憶はない。
「そんなこと言われてもな……。ベラが何を言ってるのかすらピンとこないんだけど……」
呆れたように、彼女は溜息をついた。
「もう、ド素人ね。光属性の精霊に関わったことはないのかって訊いてるのよ。生れつきだとしたら、そこまで無知なはずがないから、後天的だと思うのだけれど」
関わったことのある、光属性の精霊?
もしかしたら、それはミクラルのことだろうか。
ここへ逃げてくる前にいた暗い場所で、カリオンにとって唯一の友達だった、小さくて仄かに光を放っていた、彼。
「……俺がまだ小さかった頃、挨拶をしてくれたミクラルってやつがいた。そいつが精霊だったのかすら俺にはわかんねえけど、友達だった。俺がここへ来る前に、一緒にとある場所から逃げ出して、途中で別れたんだ。ミクラルは、国の外には出られないって言っていたから……」
彼は無事だろうか。別れ際のことを思い出す。ミクラルは、「ぼくはずっとカリオンのそばにいるよ。見守っているよ」と言った。追っ手がいたせいで慌ただしくて、ろくに返事もできなかったことが、胸に引っ掛かっている。
ああ、そうか。
もう、唯一無二の友達に会えないのだ。ようやくそのことを認識して、カリオンは項垂れた。
ミクラルが国の外に出られる方法だって、探せばあったのかもしれない。事前に、もっときちんと調べておけば。
けれどあの時は、探している時間なんてなかった。捕まれば、カリオンもミクラルも殺されていたのだから。
「そうだったの。じゃあこの光は、ミクラルのものなのね」
「え?」
ベラトリアスに見えている光の正体がミクラルとは、どういうことなのだろう。
あの国で、港に着く前に別れたはずのミクラルは、ずっとカリオンの中にいた?
「暗黒の世界で……光を放って見えたのはずっとミクラルがそばにいたから。そして今は、カリオンの中に宿っている……。同じ光を感じるわ。そう、似ているとは思っていたけど……。雰囲気も違うし、わたしはそこまで夢見の才能がないから、はっきり視えなくて自信はなかったのだけど……やっぱり夢で見たのはカリオン、あなただったのね……」
どこか夢を見ているかのような表情で、彼女は語る。
話の内容を半分も理解できていないけれど、ベラトリアスの声は不思議とカリオンを惹き付けた。
「ここにいるということは、逃げ出すことができたのね。よかったわね、カリオン」
名前を呼ばれてふと我に返る。
思わず聞き入ってしまっていたらしい。
ベラトリアスに優しげに見つめられていることに気付き、恥ずかしくなって頭を掻いて誤魔化した。
「あー、えっと、つまり……ベラは俺のことをなんか不思議な力で夢に見て知ってたってこと……だよね?」
「ええ。でも気付かなかったわ。夢で見たのは……そうね、きっとあなたがもっと小さかった頃かもしれない。こんなに表情が豊かじゃなかったわ。青白くて、蝋人形みたいだった」
「……うーん、どうだろう。あんま自分の顔なんて気にしなかったからなあ……」
たしかに、昔はあまり楽しいと思うことも悲しいと感じることもなかったような気がする。感情が動かなかったからきっと表情も動かなかっただろう。それを蝋人形と言うのならそうなのかもしれない。
綺麗な景色を見ることも誰かとお喋りすることだってなかったのだ。
毎日が単調で、つまらなくて、色のない世界にいた。
唯一の友達に出会ってからだ。カリオンの世界が一変したのは。

『こんにちは。はじめまして』

そんなふうに誰かに挨拶をされたのは、はじめてだった。
そうか、ミクラルは、俺の中にいるのか。
胸に手を当てる。錯覚かもしれないが、自分のものではない鼓動を感じる気がして、カリオンは嬉しくなった。
「なあ、ミクラルとは、話すことはできないのかな」
訊くと、ベラトリアスは小首を傾げた。そして、自分の前髪を掻き上げて額を見せる。
そこには、青い星があった。
「どうしたの、それ……痣?」
「わたしとジスリークの、友達の証」
「友達の証?」
ジスリークとは、もしかして、“星降りの島”へ行く目的である、会いたいと言っていた星の名前だろうか。
「わたしの場合はこの印があるから、話すことはできなくても繋がっているって信じられるの。あなたの場合は、どうなのかしらね。そのまま精霊が宿っているなら、いつか話すこともできるかもしれないわ」
そうだったらいい。いつかまた、ミクラルと話すことができたら。けれども、もう会えないと思っていた友達がそばにいてくれているとわかっただけでも、カリオンは口元が緩んでしまうのを止められないほど嬉しかった。

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