はじめての魔物



それからは特にやることもないため、三人はテピが持ってきたカードで遊んだり、彼女が乗組員としてラドについて行き、各地を巡った時の思い出話を聞いたりして過ごした。
時々、簡単な料理と飲み物を作ってラドに差し入れしに行き、その度に何度か躓きかけるテピを支えたりするくらいで、なんとものんびりとした時間が流れた。
“星降りの島”はまだだろうか。ジュディの口振りだと、ネロ湾からそんなに遠くないところに島があるようだったが、ラドから島が見えたという報告もない。
「少し、時間がかかりすぎてるみたい」
同じことを考えていたようだ。囁くように、ベラトリアスが言う。
テーブルの上で頬杖をついていたテピが眉尻を下げた。
「そうだね、ちょっと見てくる」
「俺も行くよ」
「私もいくわ」
三人で席を立ち、甲板に出る。
あれ、とカリオンは目を見張った。
外が異様に暗い。船に乗って、まだ小一時間ほどのはずだ。夜になるには早すぎる。
波の音は聞こえるけれど、風がない。雲も太陽も消えてしまった。
おかしい。変だ。これは、この感覚は────
「ここは……“魔海域”……?」
ベラトリアスの声が上擦った。
「ええっ!ラド、大丈夫っ?」
慌てたように、テピが舳先に向かって駆け出す。舳先付近は完全に闇に包まれていて、こちらからだと何も見えない。
「あっ、テピ、走ったら危ないって!」
言ってるそばから、彼女の短い悲鳴が聞こえた。が、どうやらラドが受け止めたらしく、ふたり一緒に戻ってきた。
「ちくしょう、避けきれなかった。完全にこっちを狙ってきやがったぜ」
首の後ろを掻いて、ばつが悪そうな様子の彼の言葉に、ベラトリアスは眉を寄せた。
「それはおかしい。“魔海域”は移動するけれどそれ自体に意思はないはず」
否定され、ラドは肩を竦める。
「じゃあ偶然かもな。どっちでもいいけどよ、そろそろ来るぜ」
ベラトリアスとテピが舳先の方へ視線を向け、身構えた。
緊張感が漂う。
わけがわからないまま、何かがはじまりそうな気配にカリオンは慌てた。
「えっ、ちょっと、来るってなにが?なにが来るの?嵐?」
「アクアマリンを持っているから嵐はこない。海の魔物がくるわ」
海の魔物?
余計に混乱する。
「せいぜい自分の身くらいは自分で守れよ」
懐から短剣を取り出したラドが、カリオンにそれを放る。受け取ったはいいが、これでどうしろというのか。
誰か説明してくれ、と懇願するが相手にされず、ラドもベラトリアスもテピも、前方に集中している。
いったい、海の魔物とはなんなのだろう。ラド達はそれらと戦うのか。
唾を飲み込みつつみんなの真似をして前を見つめていると、ふと、闇が蠢いた。
「え……?」
膜を突き破ろうと、内側から何者かが手で押しているようだと思った、その刹那。
闇から同色の無数の手が突き出される。それらは手の次に頭を、足を、胴を引っ張り出し、完全に闇から出るやいなや、それぞれ異なる歪な動きでもってカリオン達のいる方へ歩きはじめた。その顔はつるりとしていて、お面をつけているように見える。
どろどろと泥のようなものが、歩く度に体から剥がれ落ちる。
見たことのない生物に、カリオンは総毛立った。
「ひえーーーーー!な、な、な、なんだアレ!気持ちわりぃ!」
「カリオン、下がって、危ないよ!」
腕を引かれ、後ずさる。けれど目は謎の生物をとらえたまま、離せない。
「テピ、なんなんだよ、アレは!本当に、アレは魔物なのか?魔物なんて……本当にいるのか?」
信じられない。信じたくない。
“魔物”は─────恐ろしい。
「いるよ」
なんの翳りもなく、テピは断言した。
「妖精や精霊、狼男や人魚だっているんだよ。アレは“魔海域”に迷いこんでしまった船を襲う魔物。捕まったら生気を吸いとられてミイラになっちゃうから危険なの」
「……あれが……あれが魔物……」
ひどい顔色をしていたのだろう。心配そうにカリオンを見たテピは、慰めるように笑顔を浮かべて明るい声を出した。
「大丈夫だよ!ラドもベラも強いから!」
やはり戦うようだ。そして、魔物との戦闘に慣れていることが窺えた。
あの恐ろしい存在とどうやって戦うつもりなのか。
いや、そんなことよりも。
「ラドはなんとなくわかるけど……強いって、ベラも?」
一国の姫が魔物と戦う?
そんなことがあるのだろうか。あんな、花も手折ったことがなさそうな儚げな美少女が?
真偽を確かめたくて彼女を探すと、ベラトリアスは青い炎のようなものを手の平で操って魔物に攻撃していた。怯んだ様子は見られない。むしろ、やや楽しげですらある。
その奥には雷を纏った大きな狼が、俊敏な動きで魔物と魔物の間をすり抜けては雷撃をくらわせていた。どこにもラドの姿はない。そして、ベラトリアスが、どう見ても自称占い師の魔女、ジュディに見える。
「………………はっ?………………えっ?」
何度も目を擦るが目の前の信じがたい光景は変わらなかった。
つまり、魔女の正体はベラトリアスだったってこと?いや、ベラトリアスが魔女だった……もうどっちでもいいけども!
そういえば、瞳の色が同じだ。魔女の怪しげな雰囲気が紫水晶を、ベラトリアスの可憐な容姿が菫を連想させただけで、紫の瞳に違いはなかったと今になって気付く。
むしろなんで気付かなかったのか不思議なくらい、濃い化粧と服装しか違いがなかった。
脱力していい状況ではないのだが、カリオンは思わず肩を下げてしまう。
「あいつ化粧しないほうが可愛いのになんであんなに濃くするんだ……。てか、いつの間に化粧したの……」
現実逃避しようと、どうでもいい疑問を呟く。
答えは求めていなかったが、いたって真面目な顔付きでテピがカリオンの呟きを拾った。
「あれは魔法だよ。濃いのはテピもやめたほうがいいよって言ったんだけど、あのほうが人見知りしないんだって」
はじめまして、と挨拶をしていたが、テピはベラトリアスと前々から面識があったようだ。と、いうことは、ラドがベラトリアスの名前を知っていたのも知り合いだったからだろう。
三人は面識があった。なのに、なぜそれを隠していたのか。隠していたのに隠すのをやめたのは、いったいどうしてなのか。
よくわかんねえけど、変なやつらだってことはわかった。
いちおう、騙されていたことになるのだが、カリオンは怒りや疎外感は感じず、むしろ不思議な三人により興味を抱いた。
「ボケッと突っ立ってんじゃねえよ!」
「うわ!」
こちらに向かってきていたらしい魔物を、ラドが銃で撃ち抜いて蹴り飛ばす。靴で触れるのは問題ないようだ。
不意に鼻が痒くなりくしゃみが出た。違和感を覚えて鼻のまわりを指先で摘まんでみると、細い獣の毛がとれた。この毛が、鼻腔を擽っていたのだ。
周囲を見回す。狼の姿はどこにも見えない。
あれはベラトリアスの使い魔かなにかだろうか。それとも─────
「いい加減めんどくせえな。テピ、さっさと終わらせようぜ」
「ひゃあ!」
「えっ」
何を思ったのか、ラドは自分の恋人であるはずのテピを海へ突き落とした。
「な、なにやってんだよッ!」
急いで船縁から身を乗り出して下を確認する。だが、闇が深すぎてテピを見付けることができない。水音がしたから、下が海なのは間違いないだろうけれど、船が闇に浮いているようにしか見えないほどに眼下は真っ暗だ。
いくら泳ぎが上手くても、こんな暗い海に落とされては怖いだろうし、海の中に魔物がいないとも限らない。それなのに、懸命にテピの名を叫ぶカリオンを、ラドは不可解そうに見ている。そんな彼の態度が信じられなくて、カリオンは怒鳴った。
「俺を見てないでテピを探せって!」
「おまえ、もしかして知らなかったのか?」
「はあっ? なにをだよ!ふざけんな、ラドなんてテピに振られちまえ!」
「てめっ、縁起でもねえこと言うんじゃねえ!」
「ちょっと、こんな時になにやってんのよ!後ろに行ったわよ!」
ベラトリアスの声に慌ててカリオンが振り向く。真後ろに立った魔物が、目のないつるりとした顔でこちらを見ていて、手を伸ばしていた。
目の前に迫る大きな手。ミイラになる、というテピの言葉を思い出してゾッとする。
舌打ちしたラドが発砲する。額に風穴があき、魔物は動きを止めた。
伸ばされた腕の下を掻い潜り、魔物から離れ、改めて状況確認する。
魔物の数が増えている。ベラトリアスも肩で息をしていて、手の平の炎も心なしか小さくなったように見える。
彼女が攻撃しても、もう魔物は怯みもしない。ベラトリアスにどんどん近付いていく。
「やだ……、こないで!」
「ベラ!」
咄嗟に駆け出す。魔物相手に何ができるのかと問う自分がカリオンの中にいて、自身を嘲笑する。
何もできるはずがない。カリオンは“魔物”が恐いのだから。
恐くて怖くて逃げ出した。だから彼はこの場所にいる。
でも、俺はもう、間違えたくない……!
息を殺す。気配を消す。身体にいやというほど染み付いた動作で、ベラトリアスに触れようとしている魔物の背後に回り込み、カリオンはラドから渡された短剣で魔物の喉元を切り裂いた。
目を見開くベラトリアスを安心させるつもりで微笑み、カリオンはくるりと向きを変え、真後ろにいた魔物、その右、そして左の魔物も同様に、流れるような動作で斬りつけた。
飛び散る粘り気のある黒い液体はすべてかわす。触れていない。その場に崩れた魔物は再生するのだろうか。
わからないことだらけだ。
実在しないと思っていた魔物がカリオンの目の前にいるのだから、もう彼の常識は通用しない。
それでも、今やれる最良を考えるしかない。順応性は高いほうだ。
ベラトリアスの青い炎が魔力と呼ばれる代物だとして、それが時間とともに回復するものなのかはカリオンにはわからないが、体力は回復するだろう。せめて肩で息をする彼女の体力が戻るまでの時間稼ぎをしようと、続々とこちらに向かってくる魔物と対峙する。歩けるようになれば逃げてくれればいい。狭い船の上で逃げ場などないに等しくても、諦めるのは最後でいいのだから。
「動けるようになったら逃げろよ、ベラ」
「カリオン、あなた……」
ベラトリアスが何かを言いかける。その瞬間、船が大きく揺れた。
「きゃ……ッ」
転がりそうになったベラトリアスを支え、新手かと身構えたカリオンの目の前にいた魔物が、突然、立ち上がった海水にさらわれて海に引きずり込まれた。
「な、なんだ……?」
意思を持った巨大な手のように、海水は魔物を握っては海に連れ込んでいく。
その光景を唖然と眺めるしかできずにいると、戦いの終わりを確信しているかのような、余裕を感じさせる足取りで近付いてくる靴音が耳に届いた。
「テピだ」
船縁に背を預けたラドが、海面を見下ろしながら誇らしげに言う。本人に自覚はないかもしれないが、その眼差しと口調は、聞いた者が気恥ずかしくなるほどに、優しさに溢れていた。


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