中篇 | ナノ

2:ここが世界よ、My darling.


短く切り揃えた襟足がまたやっと首を撫でる頃、麗らかな秋の晴天の下僕は車を走らせていた。
涼しげな風は車のスピードに合わせて流れ、そして通り過ぎて行く。
終わりを告げた夏はまるで冬を呼び覚ますように熱い風を送り込み、冬はそれに呼応して冷たい風を吹かすのだと、昔彼が言っていたのをふと思い出した。
彼は、まだ秋が好きだろうか。
(好きな季節?そうだなあ、うん、秋が好きだ。あのからっとした風と空気が好き。本とよく合うんだ)
彼は、まだあの本のページに栞を挟んでいるのだろうか。
クーラーを切り、窓を開け放った一台のワゴン車は、法定速度をギリギリ破って坂道を登って行った。

「用意は出来た?」
僕の問い掛けに、彼は車椅子越しに振り向いて頷く。
今日は彼の3ヶ月に一度の定期健診だ。車椅子の彼を車に乗せて、病院に連れて行く。それが僕の仕事であり、任務でもあった。
「保険証と、生態認識カード。あと財布」
それらが鞄に入っていると、彼は膝の上を指差す。褒めて褒めて、と言わんばかりに、勢い良く彼は車椅子を回し、僕に寄って来た。
「はい、よく出来ました」
手袋を嵌めたまま彼の頭を撫でる。頬に手を流すと、気持ち良さそうに瞳を細めて、彼は子供のように微笑んだ。
そして僕は彼の頬から手を離し、車に乗せようと後ろに延ばそうとしたが、彼の一言にそれは阻まれた。
「ねえ手袋、外してよ」
茫然と僕は立ち尽くし、彼の頬に触れていた右手はだらんと力無く落ちた。
「……駄目。すぐ車運転するんだから」
言い訳は嘘では無かった。車を運転する時だけ、嵌める革手袋。彼を真似して、演ってみた戯言がまさかこんな形で仕返しを食らうとは思わず、僕は少し動揺した。
余りにも彼は純粋過ぎて、彼の瞳の上澄みに浮かぶ自分が汚濁しているのを直視出来なかったのだから。
そして、少なくとも純粋であっただろう時期の己がそこに分裂しているのだと錯覚する程に、彼の一言が昔の自分に似ていた。
「そう、……。」
(好きだよ、お前の手。あったかくてやさしくて、それでいて力強い)
「ほら…病院の時間。遅れちゃうよ?早く車に乗ろう」
わざとらしく腕時計を指先で叩き、悄気る君を急かす。
何度彼を此処から連れ出そうと考えただろう。
何度彼をこの腐敗した家に綴じ込めてしまおうと想っただろう。
「なあ、なんか、怒ってる?」
彼の問い掛けを空に流して、僕は前だけを見据えた。
「ううん」
彼の世界に、僕が居なくとも。
ここが世界よ、My darling.




【if your end】




10/01/19 UP
↑この時点で既に不定期掲載だったのが見て取れます

色々設定が合った筈なんですがこれも、続かなかった。
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