Ailes Grises | ナノ

8:壁と雨


そろそろ引越しをしないと、とアレルヤはホームの中を探索していた。
以前クリスから貰ったホームの地図を手掛かりに、無造作に増改築を施されたホームの中をぐるりと回る。
しかしなにぶん年季の入った建物だから、普段から使っていない棟は劣化が激しかった。
ホームが建つこの小高い丘の上は風がやまず、隙間風が屋内を襲う。
住処にするにはかなりの修繕が必要だろうと考えながら、そのうちの一部屋の窓から身を乗り出して外の風景を眺めた。
ここの棟から見える景色はとてもいい。
見事な程の冬晴れが遠く壁の外まで続いて行く。
街の煙突から立ち上る煙。変わる事無い町並みの中心に立ち聳える時計塔。
そして、壁。
何気無く視線を階下へと向けると、今日洗濯した沢山のシーツに姿を隠されながら、彼は絵筆を握っていた。
イーゼルを立てて、風吹きすさぶ丘の上に立っている。
彼――ロックオンはカンバスに筆を押し付け、壁の外を睨んでいた。
誰かから隠れるようにロックオンはそこにいたのだ。
探索を中止してアレルヤは廊下に飛び出し廊下を駆け戻った。
階段の踊り場で足を滑らせてしまいそうになったが、なんとか体勢を立て直しながら駆け下りてロックオンの元へと走る。
走らないと、ロックオンが絵を描くのをやめているかもしれない。
何処かへ行ってしまうかもしれないと、そんな事すら頭に浮かばないくらい一心にアレルヤは走った。
よかった、ここにいた。その十数歩手前で立ち止まり、ほっとしたように息を吐いて、走って乱れた呼吸を整えた。
絵を描くのをやめず、何処にも行かないで欲しいと思ったのはその時だった。
大丈夫、いつも通りに。自然に。そう自分に言い聞かせて馳せる心臓を落ち着かせる。
そしてアレルヤは、あたかも今気付いたかのように声を掛けた。

「……風景画も書くんですね」
「ん、ああ……今日は綺麗な空だったから」
「ほんとうに」

最近、あまり会話が長続きしない……とアレルヤは思った。
気のせいだろうか。ロックオンが絵を描いているからだろうか。
先日図書館の手伝いに出た時に倒れて以来、少し、アレルヤには自身に対するロックオンの態度が変わったかのように思えた。
『じきに解る』
そう、ロックオンは言った。
あれから一週間経った。背中の痛みは完全に引いたが、時々発作のように刻印が、筋肉が熱を持つ。
全く理由の分からない熱にアレルヤは魘されている。


「――人物画は描かないの?」
「あんまり、得意じゃないんだよな」
「そうなんですか……見てみたかったなあ」
「いや、無くはないぞ?無くは」

アレルヤの言葉にロックオンはおどけて答える。
実はアレルヤが明確に彼の絵を見たのは、今日が初めてだった。
陽の光を浴びる彼の絵は、草や木々、空が息衝いているように見えた。
風景画も、と言ったが、彼が夜中に没頭して時間を忘れてまで描くあの絵の存在が何なのか、アレルヤは未だ知らない。
人物画は得意では無いと言うロックオンにアレルヤは残念がった。
おそらくあれは、人ではない。
人ではない何かの瞳をロックオンは描き続けている。
であるが故に、その瞳の存在感にアレルヤは少なからず惹かれていた。
あれ程の才能があるのにも関わらず、ロックオンは近くにいるみんなを描いていないのだ。
それはひどく、悲しいことだとアレルヤは感じた。

「……お前がいた棟の、奥の部屋に置いてあるから、」

見ておいで、と言葉で背中を押される。まるで邪魔だと言われているような、曖昧な線引きの向こう側へと追いやられた。
――気付いていたのか。窓から見ていたことを。
大人しくまた来た道を戻る。今度は足を踏み外したりしないようしっかり足元を見ながら。
ゆっくりと階段を登り、ロックオンを見付けた部屋からもう一度彼の姿を見た。
筆を置いてひらひらと手を振られた。笑っている。
アレルヤはロックオンのことを、ずるい、と少し思った。
そのまま部屋を見て回る。元々は、引っ越し先探しだったのだ。
暫くするとロックオンの言っていた部屋へと行き当たった。
たくさんのカンバスが壁に立て掛けられていたり、イーゼルが何脚も置かれていた。
室内は暗く薄汚れたカーテンで閉められていて、微かな光が雨戸の隙間から差し込んでいる。
真っ黒に塗り込められた壁一面に曇天の空に泥のような雲、地面には石礫が道のように描き敷き詰められた絵が壁一面に描かれていた。
その石礫の道のさらに遠く地平線から一筋の光が此方を向いている。蛇のような長い、黒いものの先端にその光は描かれていた。
不思議な絵だ。
真っ黒な部屋には古びたカンバスと新しいカンバスが入り乱れている。
十数年は経っているだろう、それらは新しい絵とは少しタッチが違う。荒々しくも精密に、その殆どは人物画だ。

「それは俺のじゃないよ」

あまりにもたくさんの絵だったので戸惑っていると、外で絵を描いていた筈のロックオンが背後に姿を現した。
絵の具に汚れたエプロンを脱いで、部屋に置いてあったらしい椅子の背凭れに掛けられる。
気になって来ちゃった、とその穏やかなロックオンの微笑みを向けられると、アレルヤの頬が熱くなるような気がした。
薄暗い部屋で良かったとアレルヤはその熱さを受け入れる。
ロックオンに知られぬまま頬を赤く染め、アレルヤは彼のその優しさを再度痛感する。

「俺の絵のせんせい。……っつても、会ったことは無えんだけど」
「何十年かくらい前の絵です……よね」
「うん、だいぶん昔の灰羽の先輩が描いたやつだって」
「ふぅん……で、どれが貴方のなんですか?」
「これ」

一枚の肖像画だった。
黒髪の女性。
白い布に覆われて、その存在感は曖昧だ。

「…………もしかして、マリナさん?」
「よく、分かったな」
「なんとなくでしたけど」

アレルヤが言い当てるとロックオンは意外そうに瞳を丸くした。
描かれた女性は黒い髪に、透き通る硝子のような青い瞳。
肌も絵の具を塗ってあるのか分からない程白く描かれていた。
一体どういう気持ちで、ロックオンはこの絵を描いたのだろう。
クリスが言った、結婚しないという意味。
図らずもアレルヤはそれを詮索してしまう。
ズキズキと刻印が痛んだが、もうその痛みに慣れてきてしまっていた。
考えるな、という信号を遮って、それでも思考したかった。
ロックオンはマリナのことが、好きだったのだろうか。
クリスの気持ちは知っているのだろうか。

「刹那がどうしても描いてくれって」

また、知らない名前が出る。
自分がいない時の、彼の事を知らないという事実がアレルヤに突き付けられた。
今だってまだロックオンの事を殆ど知らない。
何ひとつ、知りはしない。
それが繭から生まれた灰羽の仕組みかのように、何も持たず生まれて来てしまったのだから。

「その刹那、って人も……灰羽?巣立っちゃったの」

足元に波が襲う。
血の気の引いたような、それとも何かがせり上がってくるような。
――焦り。そんなように感じた。
彼の表情に波風をたてるように、その感情に対する苛立ちをそのまま言葉にした。
マリナに墓を作ったように、彼女をこうして描き遺したように、巣立つ人たちに何かしらの感情を抱いているのなら。
彼女への想いだけが特別な訳じゃないと。
そんな風に考えてしまう自分にすら心が痛む。
灰羽は穢れを嫌うなんて、自分の心が穢れていたら、一体自分はどうすればいいというのだろうか。

「あ、いや、刹那は……」

しかしアレルヤの言葉に、ロックオンは予想外の反応を示した。
あまり後ろ向きな言動をロックオンはしない。
それを知っているからアレルヤは自分自身の感情のままの言葉を聞いたロックオンがどんな反応をするかを見ようとした。
驚いたような、少し後ろめたさがあるような、そんな表情だ。
途惑って、どう表現したらいいのか困惑しているようにも見える。

「刹那は、ここを出たんだ。今は街で暮らしてる」

そうロックオンは曖昧な答えを乗せた笑みをアレルヤに返した。
巣立った訳ではないという事をどう説明しようとしたのか。
この街の何処に、他の灰羽がいるというのだろう。
アレルヤはロックオンはおろか、まだこの世界の何も知らないという事を突き付けられたような気がした。
――自分のやるべき道が、わからない。ロックオンの言葉が、わからない。
黒い部屋に置き去りにされた見知らぬ誰かの絵が、此方を見て微笑っていた。
彼らは、彼女らは、いつか旅立った灰羽なのだろうか。
日常を切り取った絵の中に、幾つかの抽象的な何枚かが飾られていた。
壁に描かれた石礫には、レールが敷かれていた。
道の先から、射し込む光。
せめて、生まれる前に見た夢が、もう少し幸せだったら良かったのに。
今の暮らしに幸せを感じてしまう。
それに気後れしてしまうから。





*****





日に日に元気を無くして行くアレルヤの姿に、クリスが気付かない筈が無かった。
マリナが初めて倒れた時の事を思い出した。あの時のような禍々しい波がまたホームに渦巻くのかと。
しかしクリスの予想は杞憂に終わった。
他の灰羽ただ一人として、不浄の気に当てられて「病気」にはならなかった。
それがただたんにアレルヤが新参者であったからかは分からない。
まるでそれがクリスには、アレルヤ一人が皆への悪意を一身に背負っているような……そんなように感じた。
何がアレルヤを、そんな想いに苛むのだろう。
何がロックオンを、そのような負の感情で包み込むだろう。
アレルヤなら「彼」の良き理解者になれると思っていた矢先の出来事だった。
刹那は彼とは違う道を選んでしまった。慕っていたはずのティエリアは、刹那を気にかけ一緒に出て行った。
マリナがいなくなって、道しるべがなくなってしまったこのホームを、必死に取り繕うようなロックオンの姿が居た堪れない。
こんな彼らを残して、どうしてマリナは巣立っていくことが出来たのか、クリスには解らない。
ロックオンは何も話してくれない。昔からそうだ。いつも独りで、自ら抱える痛みを誰とも分かち合う事無く。
真の意味でアレルヤがロックオンの理解者になれるとでもいうのだろうか。
しかしクリスにはどうする事も出来なかった。
どうにかできるのなら、もっと昔にロックオンと分かり合えている。
どうにかできるのなら、まだマリナや刹那は、彼の傍にいてくれたのだろうか。
せめて気晴らしに、と、時折ふらりと出掛けるアレルヤに、クリスは自分が働いているカフェの臨時アルバイトをしないかと誘ってみた。
スメラギのカフェでウェイトレスを兼任しているが、その実は料理をそこで学んでいる。
声を掛けて見ると、意外なほどアレルヤはあっさりとそれを承諾した。
フェルトの時もこうだったのだろうか、アレルヤの人の良さに少し心配になる。
頑なとしてホームを出ようとしないロックオンに比べてまだアレルヤは扱いやすい……とも思いもしたが、アレルヤがロックオンに距離を置いているだけなのかもしれない。

「……フライパン持つの、初めてでしょ?初めてにしては上出来ね」
「ありがとうございます」

今日はアレルヤはスメラギにオムレツの作り方を教えてもらっていた。
卵を焼くだけだが、卵の溶かし具合、火の強さ、どれぐらいフライパンが温まったら流し入れるか。
そして肝心なのは、その形作りだ。
意外にもアレルヤは褒められていた。
必死にフライパンと菜箸を動かすアレルヤは、ほんとうに何もかもが初めてだった。そもそものキッチンに入る事自体。
男が料理なんて……とアレルヤは思ってはいたのだが、男性の方が料理人が多いのだとクリスは教える。
何故かは教えられなかったが女性は味覚が変わりやすいそうで、安定した味を作り出すためにプロには男性が多いらしい。
クリスもよくそれが解っていない。灰羽にそれらは関係するのだろうか……と、そういう気持ちもあったが異性であるアレルヤにその理由を素直には告げられなかった。

「今度アレルヤに新作スイーツ、試食して欲しいなあ」
「スイーツ? クリス、お菓子まで作れるのかい」
「ホームの三時のおやつはいつも私が作ってるのよ」

いつも子ども達が美味しそうに頬張っているお菓子はクリスのお手製だった。
かわいらしい形で作り上げ、子どもたちを見た目と味で楽しませるのが何よりも楽しくて。
アレルヤはクリスの料理はホームでいつも食べているが、お菓子はもしかしたら初めてかもしれない、と考える。
小さな子達が争う程のお菓子の新作を食べれらると聞いて、少し浮き足立つ。
アレルヤはクリスのことが嫌いになった訳ではないのだ。
クリスははなからアレルヤの事を嫌ってなどいなかったし、ほんの少し嬉々としているアレルヤの様子を見て安心した。

「知らなかった。クリスはなんでも作れるんだね」
「ふっふーん……なんたって自分でお店開くのが私の夢なんだから!」
「あれ?お嫁さんじゃなかったの?」
「お嫁さんじゃなくても、好きな人とお店を開きたいの」

子供たちを笑顔にするようなお菓子を作りたい。出来るなら、好きな人と一緒に――そう夢を語るクリスの笑顔は、アレルヤが倒れる前に話をした時のような、陰りのある表情では無かった。
楽しそうに夢を語るクリスを見て、アレルヤは不思議なくらい自分の心が平常であるのに驚く。

(大丈夫じゃないか。苦しくなんて、ないじゃないか)

まるで感情が麻痺したかのように、アレルヤの心には風すら吹かない。
薬を常用しているよつになりつつあるのを、アレルヤはクリスに隠している。
ロックオンが『クリスが心配するから』と自分の薬のレシピを分けてくれた。
この痛みがどういうものか未だアレルヤには分からなかったが、クリスからすればロックオンは病人なのだと。
そんなに心配する事じゃ無いんだけどな、とロックオンは少し呆れたようにも、嬉しそうにも取れる笑みをくれた。

(ああなんだ、もしかして両思いなんじゃないのか?)

アレルヤはそうクリスに言ってあげたくなるが、恋愛ごとに経験が豊富な訳でもないアレルヤからのアドバイスなど不容易にも程が有る、と考えを改める。
そう、アレルヤが思い直した矢先だった。

「でもね〜……最近アイツ、配達ばっかで……」

めったに店に来やしない、とクリスは不機嫌そうに口をとんがらせて呟いた。
アレルヤが倒れた時てんやわんやしたのだが、その時のクリスの悩みは数日たった今でも解決されていない。
かといってあの時アレルヤに相談したのかはクリス自身でも解らないが、多分、あの幸せな空気に当てられていたのだろう。
どうせホームにずっと居座るくらいなら、結婚したらいいのに。
しないと言うのは目に見えていたが、マリナの想いの手前、ロックオンには幸せになって欲しいのだ。
そうじゃないと自分一人で幸せになってしまいそうで気が引けた。
もちろん、結婚したいというオンナノコの願望でもあるのだけれど。

「……アイツ?」
「やだっごめんっなんでもない!仕事仕事!」

クリスははっとしたように会話を中断してアレルヤの背中を押した。
困ったように眉を下げるアレルヤを尻目に、クリスは未だ来ぬ想い人の事を考えた。
なんで来ないの、ばか、と小さくぼやく。私はまだ祭りの日の予定が空いてるのよ。
そう思いながらも夢の為に手を抜くことなどクリスはしなかった。
流れるようなその作業風景の傍ら、熱心に仕事に打ち込むクリスの姿にアレルヤは見惚れた。
こんな風に、自分もなりたい。
何かに熱中して、そして悪びれる事無くまっすぐに、好きだと胸を張って言えるように。




*****





「――……雨ね」

スメラギがカウンターでグラスの曇りを拭いながらそう呟いたとき、アレルヤの視界が急激に明るくなった。

「きゃっ雷……結構大きかったよね。リヒティ大丈夫かな……」
「結構大きかったですね……、……?」

どうやら雷が落ちたらしい。街中にでは無かったが、随分と大きな音だった。
外はもう薄暗くなっていて、アレルヤは突然頭の中に光を当てられたかのように少しクラクラする。
その中でクリスが誰かを心配するような言葉を出して、アレルヤの頭に疑問符が浮かんだ。

(しらないなまえだ……)
「クリス、うわさをすれば、よ」
「スメラギさぁーん雨宿りさせて下さいー!」
「ご無沙汰ねリヒテンダール。ミルク代くらい出しなさいよ?」
「それくらい出しますってば!……って、クリス!?」
「お久し振りね、リヒティ?」

突然の来店者の前にクリスは仁王立ちになる。
青筋をたてて怒る様子は、もしかしたらアレルヤは初めて見たかもしれないと思った。
ロックオンに対して怒っている時より怖いかもしれない。
ひやひやしながら二人の様子をアレルヤは伺っていたが、どうやらリヒティと呼ばれた青年もまたアレルヤ同様怯えていた。

「は、ハハ……ッスメラギさんやっぱりミルクも要らないっす!」
「待ちなさい!!!! アンタ最近配達配達って、デートもろくにしないでっっ」
「そそそそそれはぁ……」
「かいしょーなしっ!久し振りなのに店出て行こうとするとかっ……浮気してやるわよ!?」

突然クリスがアレルヤの方へ飛び込んで来た。
腕を取られ、カウンターから引っ張り出されて先程来店した青年…リヒティの前へと連れられる。

「なっ……誰っすかそのイケメン!!!」
「新人のアレルヤ」
「えっ……あの……」

なんだかよく解らないが、自分は巻き込まれる体質なのだろうか、とアレルヤは内心頭を抱える。
愕然と青褪めるリヒティにクリスはアレルヤを紹介した。

「あの……クリス……」
「ねーアレルヤ?彼女に『仕事と私どっちが大事?』って聞かれたらどう答える?」
「……クリスが一番大事ッス!!」
「あのねえ……」
「でもクリスの欲しがってるものを買うにはお金が要るんっすううううううううううう!!!!!!!!」

言っちゃった……という顔をしたのは、とうの本人ではなく、カウンターに肘をついてその修羅場を眺めていたスメラギだった。
しまったといった様子でスメラギは眉間に手を当てる。

「……クリス、それは悪い女が使う言葉よ……」

スメラギがなんとかやっとのことで搾り出した言葉は、それだった。
クリスもバカじゃない。冬の祭りのプレゼントの話だということはアレルヤですら解った。

「……お金稼ぐ為に忙しくて会えなかったの……?」
「そっすよ!会いたくなっちゃうからなるべく店にも顔出さなかったのに……ってか今日シフト入ってる日じゃないっすよね!?」
「リヒティが会ってくれないからシフト増やしたのよ!!」

置いてけぼりにされてるのはアレルヤだ。
引き合いに出されたというのに結局よく解らないが二人はすれ違いを起こしていただけのようだった。

「ごめんアレルヤ……恥ずかしいとこ見せちゃった……」
「え?いや全然大丈夫だけど……どちら様で……?」

むしろアレルヤの方が少し萎縮してしまう。

「えーっと……一応、カレシ、の、」
「リヒテンダールっす!」

はた。アレルヤは止まる。んん?という事は?この間の話やら今日の話のあれらは……もしや、このリヒティと呼ばれている人の事だったのだろうか。

「……クリスは、ロックオンが好きじゃなかったの……?」

問題としてではなく単純な疑問だった。
やたらとロックオンの事を心配していたし、だから最初の見解がそれだった。
今の今まで見当違いな事を考えていたのに気付いて、アレルヤの頬がかっと赤くなる。

「やだー違う、違うって!」
「や、やっぱり二人はそういう関係だったんスか……!?」
「リヒティ、それ以上言うと本気で怒るよ?」

全力で否定するクリスであったがアレルヤの言葉にリヒティが重ねてトンチンカンな言葉を発した。
同じ屋根の下、年頃の男女が二人……考えうる事は、とどのつまり、世間的にもそう、らしい。
予想という点では当たらずとも遠からず、そういう発想になるのは間違いでは無かったとアレルヤは学ぶ。
であるのなら、何故クリスは、あの時あのような表情をしたのだろう。
ロックオンが病気だから≪結婚しない≫のだろうか。
心の深く暗い所でアレルヤは思考する。
雨は一向に止まず、何人かは諦めて店を出て行ってしまった。
リヒティもまた仕事に戻らないと、とクリスに何度もキスをしてしっかりと祭りの日の約束を取り付けて出て行った。
幸せそうに頬を染めて、クリスはどうやらやる気がアップしたのかメキメキと仕事に励む。





*****





「……ねえ、なんで私とロックオンがそーゆー関係だと思ったの?」

帰り道でクリスにアレルヤは問い掛けられる。
なんで、と聞かれてしまうと、早合点したとは口が裂けても言えない。
もちろんマリナの事もあり、そういう要因があったから……という理由もあったのだが。

「あ……ええと、マリナさんのこと……」
「マリナの話、聞いたの?」

クリスは意外そうな顔をする。
しかしアレルヤは全部を聞いたわけでも無かったので、首を横に振って補足した。

「ロックオンがマリナさんの事が好きだから、≪結婚しない≫って聞いて……クリスとは出来ないのかなあって思ったんだ……」

そう言うアレルヤにクリスは少し呆れた。
アレルヤの発想に対してではなく、アレルヤが嘘を吐こうともせず思ったことをそのまま口にしているのが解って、それで。
もちろんアレルヤ自身この場で嘘を吐こうともせず、素直にそれを伝えようという態度だった。
でもだからって、これでは親に怒られて言い訳をする子供のようなものだ。無駄に素直で、隠し事をしてない分、相手がアレルヤでないなら疑ってしまう。
はぁ、と少し溜め息を吐いて、クリスはアレルヤと同じように、実直に言葉を紡いだ。

「ロックオンがマリナの事、確かに特別には思ってるかもだけど、私とは違う違う!」

マリナは言わば、ロックオンの前任のホームの家主だ。
体が弱く、いつも壊れかけのピアノを弾いていた。
時には子供たちに学びの楽しさを、ケーキを分け合って食べると美味しいということを教えてくれた。
そんな時にやって来たのがロックオンだった。
生まれつき≪病気≫だったロックオンはマリナを慕い、また、マリナは自分が居なくなった後のホームを任せられるようにロックオンに色々な事を勉強させた。
それが刹那には気に食わなかったのだ。

「私はねー、ただ心配なの」

どうして刹那はそんなにマリナに固執するのだろう。
仲直りした筈じゃなかったの?
クリスは刹那が飛び出した日を思い出した。
今も倉庫に仕舞われているマリナの肖像画。
あれを頼んだのは刹那だったのに。

「この間のフェルトの自転車とか、ソランのおつかいとか。ロックオンは誰かの為って言って何でもやっちゃうの。出来ちゃうの」

病気の癖に、とはクリスは言わなかった。
本当はもっと養生して欲しいと思うのは、アレルヤもクリスも同じだった。
しかし同時にアレルヤは、今の自分の体調の事をクリスに隠している事に気後れしてしまった。
これだけが唯一、彼と繋がっていられるものだったから。

「出来ちゃうんだけどね、誰かの為って……そこがね」

どうしてロックオンが結婚しないのをクリスが気に病むのは、きっと彼を置いて結婚して、幸せになってしまうのがクリスには辛い事なのかもしれない。
今だって、ロックオンが独りでホームを切り盛りしているに近い。
ずっと一緒にいたから、放っておけないのはお互い様だった。
ロックオンはホームのみんなを想っている。
少なくともアレルヤにはそう見えたし、クリスだって同じ気持ちのはず。

「アレルヤもしかして、勘違いして倒れちゃったの?」

え、とアレルヤから小さな声が洩れる。

「……ふふ、アレルヤ、ロックオンに恋しちゃったんだね」

唐突なクリスの言葉に、アレルヤは言葉を失う。
その日はホームに帰って、ろくに彼の顔を見る事が出来なかった。
恋だなんて、そんな綺麗なものなのだろうか。
これが恋ならいいのに。アレルヤはそう願う。
恋の病だと誰かが名付けてくれるのなら、身体の痛みも心の曇りも素敵な想いに変貌してくれるような気がした。
そして同時に、街をを歩く恋人たちの姿を見て思い知る。
恋人達は凹凸を埋めるように、心の喪失を防ぐように抱きしめ合う。
与え合うような温かい愛は、男女の間で芽生えたかのような。





13.12.6〜14.01.10

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