Ailes Grises | ナノ

4:ゴミ溜め 時計塔 壁を越える鳥


丘を降りて広い農道へと出ると、何台か馬車と行き違った。
トレミーの街に住む人の交通手段は馬車が主だ。
バイクはある程度普及しているが、農機を引いたり、バスなんかは二頭立ての馬車が殆どだった。

「あれ?なんで灰羽が自転車持ってるの?」

街のはずれに入ったとき、黙々と自転車を押すロックオンにバイクに乗った少年が話しかけた。

「……これ、お前さんのか?」
「えー?多分そうだと思うけど……」

聞くと少年は念願のバイクを手に入れて、古びた自転車を廃棄したという。
捨てたのは数ヶ月前の話だと少年は言うが、自転車の特徴からして自分のものかもしれないと言った。

「タイヤもパンクしちゃってたし、いい機会だったから捨てたんだけど…………灰羽って、めんどうだよな」

見下すように少年は笑った。
この少年にとって自分たちは、ゴミを漁って日銭を稼ぐ物乞いにでも見えるのだろう。
青ざめたようにアレルヤは言葉を失う。
一気に冷水を浴びせられたかのように先程までの熱は何処かへ行ってしまった。
たった一人の少年と邂逅しただけと言うのに、この一瞬でこの世界の悪意に触れてしまったかのように背筋が凍った。
言葉の節々が棘のように感じる。

「良かった、持ち主探してたんだぜー。持ち主探して貰っていいか聞くの面倒だから、次からこーゆーのはうちに持ってきてくれよな」
「はは、母ちゃんに言っておくよ」

そんな少年など気にした様子も無くロックオンはあっけらかんとした態度で言葉を連ねた。
少年は少年でなんの他意も無かったのか素直にロックオンの言葉を受け流し何処かへバイクを走らせて行く。
アレルヤにはまるで、彼らには何も見えていないように思えた。
しかしそれは自分の勝手な解釈であったのかもしれないと同時に思う。

「……………………嫌に感じた?」
「え、」

なるべくそういう事は考えたくない――とアレルヤは思った。
今朝もそうだ。生まれる前の自分の事を考えて、嫌気がさした。
そんなアレルヤの想いを機敏に感じ取ったのか、ロックオンは包み隠さず尋ねる。

「いえ……色んなことが、考えが先走っちゃって……」

そうしてくれた方が有難かった。
問答を繰り返せば自分が何を考えているのか、何を思ったのか結論が出やすい。

「生まれたばかりの灰羽っていうのは、そういうちょっとした気に弱いんだよ」

俯くアレルヤの頭にロックオンの手が乗せられた。
子ども扱いされている。なんたって彼はプロの保育士と言っても過言は無いんだから。
アレルヤは思考は大人でもそれが周りにはついていかないようで、戸惑うばかりであった。
この世界の規律も成り立ちもなにもかも、アレルヤは知らない。
自分の中で形作られている常識は覆されていく。
いったい何処で植え付けられた常識かも思い出せないまま。

「気?」
「【めんどう】って言われて、【いやだなあ】って思ったろ?」
「それは、僕が勝手に思っただけで……」
「灰羽のルールっていうのはな、元々はそういう人間の負の気配から守るためのものだったんだよ。だけど今はそのルールが灰羽を負の気に当ててるんだ」
「……ロックオンはあんな言われ方して、嫌じゃないの?」

あんな、とはどういう言い方だったのだろう。
改めて思い返すと、少年は普通に笑っていたような気もする。
だけどその目が、口元が、視線が、声が。
冷たい氷の柱のようにアレルヤへと落ちてきた。

「嫌だけど、もう慣れた。」

ロックオンは寂しそうに微笑う。
まるで、過去に誰かにそう言われた事のあるような声だった。
それすらアレルヤにとって今は敏感に受け取ってしまう負の気配であると、考えを散らした。




街の大通りを抜けて、たどり着いたのは街のほぼ中央にある時計塔だった。
ロックオンが塔のふもとにある中に入る小さな木製の扉板を押すと、時計塔の中はガレキやがらくた、スクラップされた機械などが所狭しと並べられている。

「おーいおやっさん、いるか?」

ロックオンはあたりを見回して、手を口に沿え大きな声を出した。
するとどこからかガタガタという音がな響く。
最終的にどこからか物が落ちたという大きな音がしたかと思えば、奥のほうから小柄な男性が姿を現した。

「おおロックオンか、久し振りだな!」

眼鏡を掛けた壮年の男性は、快活そうにロックオンの名を呼んだ。
どうやら二人は親しい間柄なのか、男性は手をこちらに差し伸べる。

「うおっ手袋油まみれじゃねえか!」
「おおすまんすまん。……なんだ、そいつは?」
「新しい灰羽のアレルヤってんだ。今日はちょっと頼みごとが…」
「まさか俺ん所に弟子入りさせようってんじゃないだろうなあ?!」

嬉々とした男性はアレルヤをまじまじと見る。
その視線にアレルヤは驚いて無意識にうちに一歩後ずさりしてしまった。

「うん、うん、合格だ!お前の後釜として申し分ねえ!」
「いやそうじゃねーって」
「あの……」

そんなアレルヤの肩をぽんぽんと叩き、男性は一人納得している。
アレルヤはアレルヤで話の流れが理解できず、ただ立ち尽くすしかなかった。

「え?違うのか?」
「違うちがう」

手を横に振り、ロックオンはテンションの上がっていた男性を即否定した。

「なんだもう期待させやがって」
「おやっさんが一人で舞い上がってただけだって」
「お前が顔も見せに来ないからだろうよ」
「それは…………今日は、街に用事があったから来たんだよっ!」
「で?用事って言うのはそれか」

ロックオンの手にしていた自転車を見て、それだけで理解したように男性は笑った。

「用事なんて気にせずに、顔見せてくれるだけでこっちは安心するんだからな」
「……おう」
「あーアレルヤ?だっけか。さっきは悪かったなあ、俺はイアン・ヴァスティ。ここの時計塔の保守点検・維持管理をやっとるもんだ」

人懐っこい笑みだ。少しロックオンに似ている、とアレルヤは思った。
自己紹介にと油にまみれた軍手を外して右手を差し出された
爪の中まで真っ黒に染まっている職人の手をアレルヤは握る。
思い切りよく握った手を振られ、アレルヤの緊張は次第に解けて行く。

「えっと、アレルヤといいます。ロックオンの……」
「俺の、初めての繭なんだ」
「ソラ豆以来の新生子か。デカいな」

なんと言おうか困って、アレルヤは視線をロックオンに向ける。
後輩灰羽?一瞬の戸惑いの最中、答えはロックオンが先に出してしまった。
アレルヤの繭は、ロックオンが見付けた。
そしてアレルヤは、ロックオンが初めて見付けた繭だった。

「……ソラ豆って、誰?」
「ソランだよ。一番ちっこいやつ」

まだゴッデスホームに住む灰羽全員の顔と名前を覚えられていないアレルヤは、誰か他の灰羽の事を言っているのは解っても誰かは解らなかった。
一番小さいと言われ、目覚めてすぐの時にロックオンの足元にいた黒い髪の幼子の事を思い出す。

「あいつは本当にちっさいからなあ……夢の内容聞くのに苦労したぜ」
「そういえば、名前って夢から決めるんですか?」
「あれ?知らなかったのか?」

クリスはクリスマスツリーを飾る夢を見たから、クリス。
フェルトは転がる毛糸を追いかける夢を見たから、フェルト。
そして誰々はこういう夢を見て……とロックオンは説明する。

「ははっ、お前もすっかり先輩だなあ」
「たりめーだ。何年ここに居ると思ってるんだよ、おやっさん」
「そうか、もう三年経つんだなあ」

アレルヤに一つ一つ説明するロックオンの様子を見てイアンがまた笑った。
三年経つ。イアンの言葉にロックオンはどこか遠い目をしていた。

「じゃあおやっさん、この自転車の修理頼まれてくれるかな」
「おうよ、こんなのパンク直して磨き上げるだけさ」

待っている間アレルヤに時計塔の内部を見せてやれ。
イアンのその言葉にロックオンは壁伝いの階段を登っていく。
じゃあ行って来ます、とアレルヤは小さくイアンに声を掛けて、ロックオンの後を追った。





「……しんどー!」

がむしゃらに階段を登り続けて最後には二人とも息切れをしていた。
こんなに自分は体力が無いのかとアレルヤは頭を抱える。
酸欠で少しばかりクラクラしたが、体力が無いのはまだ自分がこの体の筋力を把握していないからだと思い込む事にした。
見た目だけなら筋肉もしっかりついた大人の筈なのに、指先が痺れる。
しかしロックオンも疲れ切ったような顔をしていたので、生まれたばかりとか、筋力の問題とか、そういうレベルでは無く本当にこの時計塔が街で一番背の高い建物だという事を実感した。

「昔は疲れなかったんだがなあ……歳かぁ」

汗を拭いながら、ロックオンは自嘲した。
かつて時計職人としてイアンに弟子入りをしていた時は毎日のようにここを登り降りしていたのだとロックオンは言う。
イアンの大切な愛弟子であった事は先程の様子を見てアレルヤにはよく分かっていた。
ニッと笑って、ロックオンは天井を指差した。
指が向けられた方を振り仰いで見ると、そこにはけして鳴る事の無い大きな鐘が四つ佇んでいた。
周りには大小の鐘があり、今はそれらを使って時を知らせているのだという。

「これだけデカいのが、何百年と前に作られたんだぜ」

大きなこの時計塔が建てられた時、この四つの大鐘には天使の名が冠せられた。
エクシア、デュナメス、ヴァーチェ、キュリオス。
でもいつからか、四つとも鳴らなくなった。
鐘が割れている訳でも、歯車が狂っている訳でも無い。
でも鳴らない。
かつて少年であったロックオンがどんなに願ってネジを回しても、古くなった歯車を取り替えても、鳴りはしなかった。
いつしかロックオンは諦めて、時計塔を後にした。

「……さみしくなかったの?」
「寂しくないさ。だっておやっさんは、いつでもここにいるんだから」
「そっか」

寂しいのは、鐘が鳴らなかった事では無いのだろうか。

「本当に壁の向こうって見えないんだね」
「そうだな……大人になったはずなのに、」

石造りの手摺に身をのりだす。
この時計塔に来るまで街の中を歩いたが、二人の身長は人の波より高かった。
ロックオンの言うとおり、時計塔からも壁の向こうは見えなかった。

「いつかこの鳥みたいに、壁の外に出たいんだ」

時計塔の小さな小窓から鳥が飛び立つ。
餌を乞う小鳥は、壁を超える事が出来るのだろうか。

「あの壁の向こうには何があるの?」
「さあ……壁の外に出れるのは、街同士の交易をしてくれる旅団だけだから」
「という事は、壁の向こうにも違う街があるんだよね?」
「旅団が活動してるんだから、あるんだろう」
「だろう、って」
「誰も街の外を見た事が無いんだ」

いつからこの壁が存在しているかも、人々は知らない。
それどころかそんな事を気にも止めず生きて死ぬだけなのだと。
少しずつ太陽が傾いていく。壁に囲まれた街は薄暗くなり、子供たちは次第に街の真ん中へと集まってきた。
まだ夕方には早く、集まった子供たちは一つの輪を作りまた遊び出す。

どちらかともなく先程登って来た筈の階段を降り始める。
登るより降りる方が楽に感じたが、それでも時間はかかったのか一番下に辿り着くとボロボロだった筈の自転車が、新品同様とまではいかないが綺麗に修理がされていた。
錆やゴミは落とされ、タイヤが交換されている。これだけでこんなにも綺麗になるとはロックオンもアレルヤも思っていなかったのか、驚いたような顔で自転車とお互いの顔を見合わせた。



イアンに礼を言って二人は時計塔を後にした。
綺麗になった自転車を押して、本日の目的であったはずの街の中心部となる商店街まで辿り着く。
図書館や役所、病院、レストラン、パン屋、店とつく殆どのものはこの辺りに揃っていたが、その大通りを過ぎて小さな角を曲がった所に、目当ての店はあった。
店の看板には灰羽と同じ六枚の羽が刻まれている。
どうやらここが灰羽が買い物出来る店という事らしい。

「――そんな地味なのでいいのか?」
「え、うん」

結局服を買いに来たのはいいものの、これから冬に向けてアレルヤが選んだものといえば、黒のニットだけだった。
シャツを数枚と、ジーンズやスラックスなどはロックオンがあれこれ助言をしたのはいいが、結局ロックオンと服の大きさがほとんど同じだったので、アレルヤは着回せるようなものを選んでしまう。
別に気を使っている訳では無いが、正直言って服のセンスなどないアレルヤにとってはシンプルな方が良い。
ロックオン自身も奇抜な服装を選ぶ性質の人間ではなかったので、それなら経済的に優しい方を選んでしまった。

「慎ましやかに、なんでしょう?それに僕ら服のサイズ同じなんだから着まわせるほうがいいかなって」
「あのなあ、ひよっこの灰羽に気を使わせる程じゃねーんだぞ?」
「でもいいんだ」
「…………仕方ねえなあ。今回は俺の手帳で支払っとく!」
「いいですよ、そんな…!」
「気にすんな、ページが一枚減るだけで俺には何の損も無い」

そう言ってロックオンはスラスラと手帳に品名を書いて、店主に渡してしまった。
半ば強引なロックオンの様子にアレルヤは驚く。
今日一日だけで彼の色々な表情を見た。

「後輩は先輩のいう事を聞く!」
「……ハイ、」
「それでよし」

いい先輩を持ったねえ、と古着屋の店主は笑った。


二人がホームに着く頃にはもう完全に日は沈み、東の空には一番星が輝き始めていた。
帰りの遅い二人を心配したのか、子供たちが玄関の前でたむろしている。

「あー!ろっくおんおそいー!」
「おなかすいたよー!」
「きいて、ろっくおん、きょうのおやつイチゴケーキだったのに…」
「おれわるくねーもん!さいごにイチゴのこしてるのがわるいー!」
「きょうのゆうごはんはねークリスがつくってくれるんだよぉー」

子供たちは口々に言いながら、ロックオンの足元へと群がる。
元気な男の子は後ろからロックオンに飛び乗ったり、ロックオンの膝を折ろうとしたりした。
女の子は女の子で、今日のおやつのイチゴを誰々にとられただの、おもちゃが壊れただの報告する。

「ああもー!一気に言うな、一人ずつしゃべりなさい!」

子供たちに引っ張られるロックオンは、本当に彼らの父や兄のようで微笑ましい。
玄関口に取り付けられている名札下げに掛かる名札をロックオンは【外出】の所から一番下へと下げた。
次いで、今日貰ったばかりのアレルヤの名札も、そこへと掛けられた。

「おかえり、アレルヤ」
「……ただいま、ロックオン。――おかえりなさい」
「ああ、ただいま」

いい匂いがする。この匂いはシチューだろうか。でも少し焦げた匂いもするから、グラタンだろうか。
なんだか今日一日がとても長く感じた。

「よーしお前ら、ちょっとフェルト呼んできてくれるか?」

ロックオンの掛け声で、子供たちは廊下を走ってピンク色の髪の少女を呼びに行く。
少し早い、彼女へのクリスマスプレゼントだった。



12.12.23
12.12.30追記

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